23日目 Japan Made Gabber
自分の意識が遠くなっていく感覚というのは不思議なもので、少しばかりの心地よさというものを持っている。これが、人を死に至らしめるのだろうか。
僕は、少なくとも。
このまま死んでしまうのも悪くはないと思っていた。
正直。
時間の感覚もまともではない。
いずれ、ここから体が、自分の哲学が、関係が剥がれ落ちていくであろうことは何となく分かる。俗世間というものから遠くなって行ってしまうことに、寂しさと高潔さへの近づきからなる、僅かな悟りを感じる。
悟りを僅か。そう表現したことはおそらく、この感覚になった人間であれば分かることであると思う。
僕は。
僕を少しだけ分かった気になった。
黒い道だった。
空は、多くの扉に覆われていてその向こうを伺うこともできない。
壁だけが白く発光している。
僕は。
そう。
僕は死ぬ間際にこうして、幻覚を見ている。
届かない扉はここから僕が出ることができないということの暗示だろうか。進もうとする道の先に、特に光もなければ、風を感じる訳でもない。
僕は、僕を捨てていくのか。
「待たれよ、旅人よ、どこへ行く。」
気が付くと、隣にはホームレスが寝ていた。
「何でしょうか。」
「どこへ行く。」
「どこへでも行く予定です。」
「しかし、目的地はあるだろう。」
「ありません。」
「母親が死に、愛する人も死に、貴様も殺されようとしている。」
「はい。」
「どうする。どのようにでもなる。」
「どのようにでもなるというのは、ここから生き返ることも可能だということでしょうか。」
「そうだ。」
僕はホームレスの右目を狙って、つま先を突き刺す様に蹴りを入れた。
ホームレスが頭を後ろに飛ばしながら転がって、唾か何かが口から漏れ出る。顔を泡立った液体が白く濡らし、光っている。
「似ていますね。」
「何が、だ。」
「僕の父親にですよ。よく見たら目元や、顔の輪郭が。非常に不愉快ですね。」
ホームレスは笑っていた。
不思議と怪我は一切しておらず、しかも非常に上品にさえ見える。
幻覚、夢、その類にはよくあることだろうと自分の中で簡単に結論付ける。
「旅人よ、お前がどのように考えたとしても、もう殺すしかない。それでしか、お前は救われない。旅人よ、善人として生きていく必要はない。何せ、もう間もなくで潰える命だ。このことに何の希望も持つべきではないし、絶望もまた持つべきではない。」
「何が言いたいのですか。」
「三十日後に死ぬのだろう。」
「まぁ、そうですね。もう、その三十日という期間も削れて非常に短くなりましたが。」
「お前が三十日で死ぬと、決めたのにな。」
僕はホームレスを見つめる。
ホームレスは笑っていた。
歯のない口を大きく開けて笑っていた。
「お前が求めたことなのにな。」
僕はいつの間にか手の中にあった銃でホームレスの顔を撃ち続けていた。不思議なことに、何故銃を使うことができて、しかも反動がなく連射ができている。それだけ妄想の世界、幻覚の世界、夢の世界は柔軟であるということなのか。
それとも。
それだけ、その言葉の真意は的を射ていたのか。
「死にたがりのふりして、三十日間の猶予が欲しいとかぬかしやがって。てめぇのそういう見せかけの自殺願望と、リストカットの跡で安心するクソみてぇな心根が死ぬほど嫌いなんだよ。死ぬならその瞬間、死ぬってなんで決断できないのかねぇ。本当に。死にたいなぁとか呟く癖に、今日も生きてるんだ。ねぇ、今日も生きてるんだ。ねぇ。お前だよ、お前に言ってんだよ。死ねよ、早く。まだ、そういう気持ちのあれじゃなくて、なんかそういう感じじゃないから、とかじゃなく、死ねよ。バーカ、死ね。」
ホームレスの口から吐かれたその言葉の羅列は。
完全にホームレスの声色ではなくなっていた。
そして。
僕は七日後に絶対死ぬ。
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