11日目 Frog Bay Classic

「あんたさ、よくも律義にこういうとこくるよね。」

「律義というか、こういう頼まれごとを無視するのは良くないと思います。」

「だって、時給でないんでしょ。」

「出ないですね。」

「出ないのに、やるもの好きっているのね。」

「そうですね。いますね。」

「あたしも、手伝いにきてはいるけど、これ、デートって言えないでしょ。」

「気の持ちようだと思います。」

 僕は隣町の市民プールがある公園にいた。

 公園の中に青いフェンスがあり、それによって長方形に空間が区切られている。当然、その中にプールがあり、中に入って泳ぐためには料金がかかる。

 公園自体は開いているが、プールはお休みということになっており、中の掃除をしている。元々は、四週間ほど前に親戚に、プールの水を抜いて中を掃除するバイトがあるんだけれど、やってみるかい、と言われたためだ。

 僕はそのような経験は余りできるものではないし、プールの掃除という単語にどこか青春の匂いを感じて引き受けることにした。ということはまるでない。

 時給が良かったのだ。

 良かったのに。

「爆弾騒ぎで、ここの公園の閉園が決まって、全然子供とかいないよね。」

「隣の施設が爆破されましたからね。どう考えても、倒れてきたところで、この公園に被害はないですけど、それでも安全の面を考えると、こうなるのは致し方ない気がします。」

 結局、公園の管理を市が放棄し、一方的に危険区域としたため、バイトをしたところで払ってくれる相手はもういない。

 ただ働きになる、ということだ。

「もう、プールとかきれいにする必要全然ないじゃない。」

「ないですけど、なんというか、やった方が良いじゃないですか。」

「何が。」

「分かんないですけど。色々と。」

 僕にもよく分からない。

 デッキブラシでプールの底を洗う感覚というのは、余り気持ちのいいものではない。毛先が水分を自分の体にまとわりつかせることで、擦り付けられて跳ねた拍子に、その水が顔めがけて飛んでくる。

 このプールにとって、掃除自体が久しいことなのだと思う。何か滑り気のある緑色の糸のようなものが、頬や服についたりする。取っても取ってもきりがないので、掃除を初めて十分ほどでもうあきらめた。

 これは無理だ。

 汚くなって帰ろう。

「昨日、どうだった。怒られたの。」

「母は、僕に彼女がいることを知っています。どうせ、そういうことだろうと勝手に解釈してくれたみたいです。」

「なるほど、ね。」

「ありがたい母を持ったと思います。」

 彼女は面倒くさそうにデッキブラシをかけていたが、やはり几帳面なのだろう。僕のところよりも明らかに広い面積で、かつ、綺麗になっていた。このような掃除のバイトを受けることが今後もあったなら、彼女もいっしょに連れてくることにしよう。

「あのさぁ。」

「なんでしょうか。」

「ここの掃除終わったら、水張って、勝手に泳いでみない。」

「駄目ですよ。水着もないですし。」

「いいじゃない、裸で。」

「駄目ですよ。せっかく張った水を汚染しないでください。不潔です。」

「いや、全裸で平泳ぎとか凄い気持ちいらしいよ。」

「別に、他にも楽しいことはありますし、今日は掃除して帰りましょう。鍵は僕が閉めておきますし、最悪、面倒くさくなったら帰っても良いですから。」

「はぁ。いいわよ、別に。掃除は、やるし。」

 そうこなくては。

 僕は露骨に手を抜いて移動をする。

 彼女はせっせとプールを綺麗にしていった。

「プールじゃなくて、今度、どっか泳ぎに行かない。海とか。」

「このあたりの海に来る客、柄悪くないですか。」

「ウザいのは攫っちゃえばいいのよ。」

「そういうことじゃなくて、関わりたくないじゃないですか。」

「だったらどこにも行けないんだけど。」

「ここに来てるじゃないですか。」

「ただのプールの掃除だわ。」

「でも、ここに来るまでも色々あったじゃないですか。」

「なんかあったかしら。別に面白いこととかなかったけど。」

「あれ、うちの高校の体育教師が、コンビニの横で全裸で酒飲みながら寝てたじゃないですか。」

「え。坂セン。坂センいたの。」

「胸と局部を何とか布で隠してましたけどね。」

「あぁ、副校長に捨てられたんじゃないの。不倫だったみたいだし。」

「みんな自由ですよね。」

「全裸で平泳ぎが、一番自由。」

 それから数時間後。

 彼女は頑なに平泳ぎ、僕は頑なにバタフライ。

 それぞれ百メートルと百五十メートル。

 そして。

 僕は十九日後に絶対死ぬ。

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