8日目 Shop Dokey Salsa
僕は町を出た。
なんとなく、だ。
ただのおでかけである。
意味はない。
町の中にいても余り面白いことはなかったし、学校も休校が続いている。まともな判断が行われたことだと考えると、少しばかり自分の生きている世界の正常さを感じられる。
遠くなっていく町を見つめながら、 僕は携帯電話のカメラ機能で町の端を撮影する。
音が出ないのは、昔友達に改造してもらったからだ。盗撮できるぞ、と言われた。今はもうダウンロードだけでシャッター音を無くすことなんて幾らでもできるようになってしまった。
ああいう小さいことができるだけで、マウントを取って人生を謳歌していた人たちはどこに行ったのだろう。
多分、国会にもそういう人はいる。
僕はそういう人に会ったことはないし、もちろん、話したこともない。
寂しいような気がする。
話せばわかることもあるだろうし、それこそ社会の中の人間にならないまま意思の疎通が図れたような気もする。
僕の知る人間は美しいし、今も美しい。でも、美しいの定義は変わってしまった。
何故だろう。
美しいと口に出すのをおこがましいと思うくらい人間は倫理を発達させたのか。
そうではない。
では、道徳心。
そういうことでもない。
では。
何が、どう変わったのか。
「知っていますか。」
僕は隣を歩いている猫に話しかける。
野良猫だった。
七分くらい前から隣を歩いている。
たまにこちらの顔を覗き込んでくる。
何の意味がそこにあるというのだろう。
僕は猫がそこまで好きではないし、甘えられてもうれしくない。無表情のまま対応する以外方法が存在しない。
「僕はもう、この町だけではなくて日本も大きく変わっているのだと思います。敢えて、口には出さないけれども、本当はこのままでいいなんて、誰も思っていない。思っていないんです。でも、手段と方法を考えて、実行する人たちが他にいるから自分の人生の主人公を自分であると胸を張って定義することができない。その不安と、怠惰さからくる喜びの両方を抱きかかえてしまっているんです。」
猫はあくびをする。
「マイペースですね。」
僕はそのまま歩き続ける。
「自分のアイデンティティに、他者の要素が半分以上混じると不安になりますね。」
突然、猫が叫びだす。
後ろを向いて、猫以外の顔になる。
僕は視線の先を追って、後ろを振り返る。
おばあさんが地面に寝て、血を吐いていた。
吐いていたが。
動かなくなった。
むせる音も聞こえなくなった。
たぶん、死んだ。
それよりも物理的な距離が近いところに。
黄色い蛙の着ぐるみの、誰かがいた。
出刃包丁を持っていた。
当然、赤い液体が付いていた。
滴っている。
猫は走って飛び掛かる。
出刃包丁は何度も何度も空間を切り裂き、その度に猫が低く鳴いた。
猫の爪が裂いて、猫の歯がめり込んだ音がよく聞こえる。
黄色い蛙の着ぐるみの指先が千切れて、そこから爪が垂れ下がっている。
猫は僕の方に向かって歩いてくる。
「通報します。」
黄色い蛙の着ぐるみの誰かは、草むらの方に入って行った。
もう、死体となったおばあさんしかいなかった。
猫はその誰かの噛みちぎってきた小指の先の肉を、僕の靴の上に静かに載せて横腹を摺り寄せてくる。
そして。
また元気よく、品よく鳴いて見せた。
「これは感謝をしなければいけませんね。」
猫は死体となったおばあさんの背中に乗ると、犬のような遠吠えをして見せてから自分の爪を舐め始める。
「今のは僕を守ってくれたんですか。」
猫は僕の方を見つめる。
「気のせいだと思わない方が、幸せになれそうですか。」
猫が鳴く。
僕は警察に電話をしてその場を離れて、もう少し人通りの多い場所に行こうと歩き始める。
助けてもらった命の価値を測るには、これからはこのネコに聞かなければいけない。
先ほどと同じように横を付いてくる猫。その目を見つめて真摯に言葉を選ぶ。
「貴方は、飼い主の指を噛みちぎるんですね。」
猫はこちらを見ない。
そして。
僕は二十二日後に絶対死ぬ。
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