第6話 想い、結ばれて

 “事に及ぶには段階をある程度踏まえなければならない”――――宗像ケン。

 

 アマテラスのほこらで、幼なじみだったさっちんと感動とは極めて言い難いがそれはそれとして久々の御対面を果たした俺。

 おじいちゃんたちに隠れてこっそりと、パンツの中にトランプを仕込んだ甲斐もあって薄暗がりの中でのさっちんと俺ふたりきりの七並べ大会は大いに盛り上がった。

 膠着状態だった雰囲気は掻き消え、緊張と困惑に絆されていたさっちんの表情にも段々と笑顔が戻って来た。

 わだかまりも無くなって、すっかりと十年前に戻ったかのようだった。

 それからはカード遊びもそこそこに、いろいろな話に花を咲かせた。

 照日村てるびむらが大昔、刀剣を鋳造する際に用いられる良質な玉鋼たまはがねの産地で名前も鉄火村てつびむらという別の名前であったということ。

 俺たちがいるアマテラスの祠も、実は玉鋼の原料のひとつである鉄鉱石採掘時に生じた空間と横穴をそのまま引用したものであり、本当に天照大神とは何も関連がなかったこと。

 あと、村の若い連中は大半がふもとの高校に通うために皆麓の親戚の家で仮住まいさせてもらっていること。それに、神子の候補は途中まで煙草屋の孫娘のワカバちゃんが有力だったことも……。

「なんで、ワカバちゃんは神子になれなかったんだ?」

「妊娠、しちゃったのよ。火遊びが行き過ぎて火傷どころか、焼け太りで腹ボテってわけ。今はまだそんなには大きくなってないけど」

「じゃあ、ワカバちゃん高校中退しちゃったんか」

「やめてない。赤ちゃんが生まれるまで休学って扱い……噂によると、大地主のお婆さんがかなり無茶を利かせたらしいけれどね」

「へえ、意外。ワカバちゃんって、村の女の子のなかでも結構控えめな印象だったからさ」

「高校デビューでハジケたクチよ……あの子は」

「それで、やむなく次点候補だったさっちんにお鉢が回って来たってわけか?」

「でも、それはあくまで理由の一つでしかないの。私たちの通ってる高校は普通科の中に卒業後に大学進学を控えた進学コースと、就職の総合コースのふたつあって私以外の女子連中は皆総合コースで遊びまくってたの。何かよく知らないけど、神社的には“汚れ一つない純潔の乙女が神子にはふさわしい”とかどうとか」

 ほんのり顔を赤らめて言うさっちんの言葉を、ふうんと納得した素振りで片付ける。

「じゃあ、女の子の中で大学行こうとしてるのさっちんだけなんだね」

「そんな感じ、出来れば地元より東京の方に進学したいんだけれど」

 元・幼なじみながら、そんなさっちんの将来性に感銘を受けた。

 わざと浪人して親から金をせびろうと考えている俺とは大違いだ。

 とか何とか考えている間に、さっちんは次に切るカードを選びつつ俺にと問いかけてきた。

「ところでさ、ケン坊。あんたってさ」

「うん? どした」

「……いつごろからか、この村にめっきり来なくなったじゃないの。それが今頃になってやってきて、何か理由でもあるの?」

 カードを切って、俺の目を見ながら聞いてくる。

 さっちんの目の奥から物々しさは微塵も感じず、十年前と変わらない輝きがしっかりと見てとれた。

「別に、理由なんてないよ。確かな事だけを言えば、その頃の俺は病気がちで背も大きくないちんちくりんだった。友達もいなかったし、どちらかと言えば根暗だったから休みの日に誰かと外で遊ぶなんてぜんぜんしなかったんだ。でも、ここに来た時だけは外であそんだりしててさ」

「そういうのは、いいから。こっちはなんで来なくなっちゃったのかって聞いてるの!」

 煩わしく感じた余り、性急な様子を見せるさっちん。

「……実は十年ぐらい前から、習い事でスポーツやるようになってさ。スポーツやってから、たくさんごはん食べられるようになって身体もでかくなったお陰で自信もついたんだ。友達もできて、外で遊ぶようになってからはこっちが俺にとって特別でもなくなったっていうか――――」

 そこまで言ってから、ふとさっちんの方を見やる。

「………………。」

 身体を小刻みに震わせ、目に大粒の涙を溜めて下唇まで噛んでいた。

 思ってもみない様子に、顔をきょとんとさせてしまう。

 と言うか、さっちんの泣き顔なんて初めて見たかも知れなさ過ぎてビビってしまった。

 焦った俺は、咄嗟に気に掛けた。

「ちょ、ちょちょちょちょ! ちょっと、待って。どうかした、さっちん? どっか痛いか、それか俺なんか変なこと言った?」

「……よかった」

 予想だにしない反応に乗っけて予想だにしなかったその言葉に、つい「えっ」と聞き返した。

「あんたが来なくなった理由って、私じゃなかったんだ」

「どういう意味だ、それ?」

「私がアンタの気持ちもロクに考えずに、馬鹿馬鹿って……ひどい言葉を浴びせかけ捲ったからだと。ずっと、ずっとそう思ってたのっ」

 そう言った次の瞬間、さっちんの円らな瞳からぽろぽろ光る物がこぼれ落ちた。

 文字通り積年の思いが涙となって、目尻から頬を伝って下顎の稜線をまたぎ首筋に差し掛かろうとしていた。

 諸手で顔を覆う事も涙を直接拭い去ることもせず、ただただ力強くしゃくり上げる咲彩さあやという女の子がただひとりいるだけであった。

「俺なんかのために、そこまで……」

 七並べどころでもなくなって俺は手持ちのカードを伏せ、号泣状態であるさっちんの元へ駆け寄る。

 涙に暮れているさっちんの耳元で優しく声を掛けてあげる。

「さっちん。さっちんは悪くないよ。だからもう、泣かないで」

「ケン坊、本当? 本当に……?」

 本当だよ、と涙と茫漠たる思いでぐちゃぐちゃのさっちんに対し静かに語り掛けた。

 すると、さっちんは泣きっ面のまま俺の胸板にと凭れ掛かってくる。

 そのまま、俺の心臓よりやや上の位置に横顔を押し付けながらすんすんと嗚咽を漏らした。

「俺のせいで辛かったよね。……長い間辛い思いをさせて、ゴメン」

 そう言って俺は、綺麗な黒髪を纏ったさっちんの頭の上にそうっと手を置いてみた。

 手の平からやさしい温もりがじんわりと広がってきた。

 ああ、さっちんだ。ここには、今さっちんがいる。あれから十年もの時が過ぎ去って、俺も大きくなって、さっちんもすっかり見違えるほどに成長してしまったけれど、確かにここにいるんだ。

 今、ようやく二人の時間が動き出したんだ。

 ヒュウウウウウウウウウ…………ヒュウウウウウウウウウ…………。

 お互いが入って来た横穴から吹き込んできた突風が祠にいる俺達目掛けて強く吹き付ける音が響き渡る中で、もっとさっちんの温もりを感じたくなった俺はもっと強く抱き寄せた。

 もう、絶対に離すもんか。


『あーん! もう、じれったいわねえ。男ならもっと、ガッツリとイキなさいよ!』


 ゴオオオオオオオオオオ………………!

 それは、まさに神の悪戯とも言うべき圧倒的な神風の一陣が吹き付けた瞬間であった。

 突発的な暴風が出入り穴から巻き起こって、抱き留めている最中の俺をさっちんもろとも強く圧しあげて来たのである。

「うわっ!」 「きゃっ!」

 気が付いたときには、地べたに衝いた両手の間にて髪が乱れた様子のさっちんが横たえていた。

 遅れて、さっちんも自分が俺に組み伏されている状況に気付く。

「ちょ、ちょっと……」

 思いもよらぬあまり、全身を硬直させてしまっていた俺に仰ぎ訴えかけてくる。

 ゆっくりと現状を飲み込んだ俺は、頑張って応えようと声を振り絞った。

「ご、ごめ……!」

 しかし、さっちんも最初こそテンパった表情を見せてくれたものの即座に目を瞑って腹を括ったかのような顔つきで迎えてきた。

「さ、さっちん……」

 恐る恐る尋ねる俺に、さっちんは澄んだ声で一言添えてくれた。

「好きにすれば?」

「えっ」

「ケン坊のしたいように、したらいいじゃないって言ってんの」

 その一言が、俺にとっては何よりもありがたく天使のラッパの音色のように甘美に聞えてきた。

 ここぞとばかりに顔を近づけさせて、念のため最後の確認を取る。

「いいんだね。本当に、俺でいいのかよ」

「アンタだから、いいのよ……ばか」

 お互いの息がぶつかり合うくらい近い距離で、互いの眼差しが交錯し合う。

 さっちんの目の奥はとろけきっていて、俺を釘付けにしたのだ。

 瞼から溶けた瞳がこぼれ落ちないよう瞑り始めたのと合わせて、俺も目を瞑る。

 そんなふたりの唇と唇が触れ合う。

 そして、ふたりはひとつとなった。


 静まり返った祠の奥で、黙ったままのふたり。

 ひとりは眠っており、真白な肢体を薄暗い中にてさらけ出していた。

 もうひとりは、起きてじっと諸手を見て耽りながら我が身に起きたことを思い返していた。

 ちら、と見ると、女は満ち足りたような表情を浮かべて穏やかに寝に入っていた。

 もう一度、じっと手を見る。

 男は、今宵隣の女との出来事を具に思い返していた。

 俺は………………。

 男の諸手には、女の感触が、温かさが、柔らかさ、弾力を兼ねた固さが、息遣いが、喘ぎ声が、滴りが、湿り気が、存分に残っていた。

 辺りには二人の白装束と下着、そして女が豊満な胸の谷間に仕込んで持ってきたとされる避妊具一式が全て使用済みの痕跡をくっきりと残して打ち捨てられていた。

 女が機転を利かせた事で、男は心置きなく中で果てることができたのであった。

 一生頭が上がらない、と男は寝息を立てている最中の女を見て思う。

咲彩さあや……」

 駆使したあまりガタが来始めている腰をおさえつつ立ち上がり皺くちゃの白装束を掴んで持ってくると、それを柔肌をむき出しの女めがけて覆いかぶせた。

 もう一度、安らかな顔をみようと視線を向ける。

 女の口の中に、自前の艶やかな黒髪がひと房侵入していた。

 徐に口元から引き抜くと、黒髪からは蜜が迸っているように見えた。

 それを自らの口に含み、蜜の味を心行くまで堪能すると男もまた満ち足りたような顔を浮かべながら女の横に寄り添うように眠りについた。

 ふたりにとって、もう幼なじみのままでいられなくなったことははっきり言ってどうでもよかった。

 今はただ、そばにいて互いの温もりを分かち合いたい。

 かくして、少年少女は無事一組の男と女へと変貌を遂げたのだった。

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