第4話 記憶の中で

 村のじいちゃん達と別れ、最深部を目指しひたすら横穴を突き進んでいく。

 草履越しに特有の冷えた感触を認めつつも歩く事、十分。

 何やら空気の流れ方が変わったのを察知したので、その場で思わず足を止めた。

 松明の火の先端を虚空へと差し向ける。それからその火でまずは小さく弧を描いて、だんだんと大きく延ばしていく。

 付近に何もないことを確認した後、結論に達する。

「ここが、“祠”ってわけか」

 俺はついに、横穴の最深部にあたる“アマテラスの祠”と呼ばれる場所にたどり着いた。

 逢の儀をやるうえでかかせない神聖な空間であり、ここで神男つまり俺と神子は選ばれた者同士翌日の朝まで過ごし自らの役を全うしなければならない。

 とどのつまりが、「セックスをしなければ出られない部屋」というわけだ。

 ホント、人間なんて何億年生きてても発想はちっとも変わんないな。

「さて、と」

 辟易としながらも改めて腹を括った俺は、しゃっきりと背筋を正して記憶を呼び覚まし始める。

「……“着いたらまず、左手を内壁に置いて、そのまま壁伝いに歩きだす”と」

 宮司の言いつけ通りに、歩いていくとやがてあるはずの壁がないぽっかりと小さい穴が空いた箇所に突っ込んだ。

 掌で虚空を掴み、それを感じ取ってから俺はさらなる宮司からの言いつけを思い起こす。

「次は、“歩きだしてしばらくしたら壁の穴にぶつかるので、一旦止まって松明の火を使い穴の中を灯す”だっけ」

 等間隔に配置されてある壁の穴は、中があらかじめ村人らにより注がれた油でそれぞれ満たされており、松明の火を引用して灯すと天然の石灯篭ができあがる。

 順々に明かりを灯していく。

そうして三つ目の穴に、火を点け終わってから壁から左手を離しもう片方の手に携えた松明を精一杯伸ばし辺りを確認する。

壁を背にし、十一時の方向にて火を翳してみると小さな家のミニチュアのような影がひとつ。

影へと向かい歩きだす。ある程度詰め寄ってから、立ち止り松明を近づけさせる。

所々に苔がむされた石造りの家の正体は、“アマテラスの祠”の要。

“本尊”には、天照大神が実際に宿っているとされる。

 宮司はそう言っていたが、本当のところはどうなのだろう?

「……まあ、いようがいまいがどうでもいいか」

 あくまで作業的にこの儀を終えようと思い、俺は白装束の襟の中に手を突っ込む。

 懐から、神社特製の特大ロウソクを掴んで取り出した。

 松明の火を種火に、火を点ける。

 本尊の中で融けだした蝋を三から五滴垂らしてから間髪入れず、ロウソクを置く。

 宮司からの説明によると、こんな感じに本尊に火の点いたロウソクを置くことで天照大神に対して、自分が来たことを知らせる合図を送れるそうだ。

 つまり、大昔からのインターホンみたいなもんだ。

 ここまで予定通りに仕事を片付けた俺は、本尊の後ろの燭台に松明を設置してからようやく右腕に開放感をもたらすことができたのである。

 一時的に緊張の糸が解れ右腕を伸ばしている最中、ふとあることに気付いた。

「あれ、ってことは神子は?」

 咄嗟に見回すも辺りにはただの暗闇が広がっているだけ。人の気配は感じなかった。

 しばらく、黙っている内に自分なりに解を見出す。

「どうやら早く来すぎちまったようだな」

 頭の後ろを掻きながら、やれやれとため息をつく。

 あーもう、まったく。

 完全に拍子抜けした感じで心底参った気持ちを抱えつつ再び本尊の手前まで歩く。

 本尊に背中を預ける形で、それからゆっくりと腰を下ろし始める。

 二進も三進もいかなくなった俺は、腕を組み胡坐をかいて待つこととした。

「しょうがねえなぁ」

 まるで、彼女の到着をいまかいまかと待つ彼氏のような心境だ。もっとも生まれてこの方、異性と付き合ったことなど天に誓って絶無なこの俺なのだが。

 せっかくの神子がなる早で来てくれることを心待ちにしつつ、薄暗い祠の中でただただ待ち続けた。

 ひとりぼっちでアマテラスと根競べを演じるのだが、いまだ神子は姿を現さない。

 一向に影すらつかめていない現状の中で、流石にイラついた様子を禁じ得なかった。

「それにしても、おっせーなー。なんでこんなに時間かかるんだっての。女は風呂と身だしなみにたっぷり時間かけるようなイメージがたしかにあるけど、そこまでか? そこまでかかるもんなのか、ただ水被って身体拭いて白装束着こむだけで、はたして相手の事をこれだけ待たせられるもんなのかよ。この際なんでもいいからとっとと来て、早いとこヤるだけヤって帰ろうぜ? だいたい、俺だって暇人じゃないんだ。せっかくの貴重な十連休を無駄にしたくねえ。アマテラスがどうとか、儀式がどうとか、神男とか神子とかなんだかんだ……何がおもしれえんだよ、クソッ!」

 ここぞとばかりに、不満を露わにする俺。

 不利益にもならない独り言と、絶叫がただ暗がりの真っただ中で何度もリフレインしてやまない。

 ある程度怒りを発散できたことで若干の余地が生まれた。

 と、同時に怒りで茹っていた頭が急速に冷めていくのを実感する。

 そして、すぐさまみだりに怒りをまきちらした事を悔い改め始めるのだった。

「まあ、でも来ないものはしょうがない。こんなつまらないことでエネルギーを消費しているようじゃ、儀式まで持ちはすまい。大人にならなきゃ。第一、こんなことになると知らなんだとはいえ、それらも込みで受け入れたのは他でもないこの俺自身なんだから。こんなんじゃダメだ、ダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメダメ。もっとこう、なんだ? そうだ、気楽にいこう。なるべく嫌なことは考えないように、楽しいこと楽しいこと。そうだ、元々俺は女体が大の好物なわけじゃないか。お尻も太もももおっぱいもうなじも脇も……●●●●ピ――――だって。現実を見ろ! そんなのとは、無縁の人生を十八年も強いられてきたじゃないか。けど、今夜は、全部手に入るんだ。翌日になったら、親父を叩き起こして即バックレたらいいんだ。それで後腐れもなく、事は済んでいつも通りだ。みんな幸せだ!」

 恣意的な幸福感に浮足立つ。

 頭の中では、アメリカの古い映画でかかってくるサイモン&ガーファンクルのテーマソングが流れていた。

 途端に、心もとなくなり不安が拡大増殖を始め結果現実的な思考へと落ち着いた。

「あ、しまった。パンツの中の仕込みにばかり気を取られてたせいで、コンドームを買ってくるの忘れてた……うーん、初めての俺に外出しができるのだろうか。万が一、子供が出来たらどうしよう。せっかく、高校卒業して一、二年は浪人生活を満喫して緩やかに大学へという俺の目論見が………………」

 ぶつぶつとまたもやアブナイ独り言を堂々巡らせながら、頭を抱え込む。

 何度も何度も自分の言葉を頭の中で逡巡させていくうち、次第に頭が軽くトリップし始める。そうして、意識が自分の頭からスーッと抜け出ていくみたいになった。

 ついには、全身化から力と言う力が脱げるように感じそして……。

「グオ――――――…………………………」

 寝てしまった。

 ……。

 …………。

 ………………。

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『こんの童貞野郎ッ! 起きんかいコラァ――――――――――ッ!!』


「うわああああああ! ご、ゴメンなさいッ……あ、あれ?」

 頭の中まで響き渡る声に、跳び起きて咄嗟に謝罪した。

 しかし、体育座りのままで辺りを見回すも声の主らしき存在は影も形もなかった。

「ビックリしたな、もう。夢かよ……とうとう、俺もこのイカレた村のイカレた祭で頭がイカレちまったのかと思ったぜ」

 冷や汗ダラダラの中、心底安堵し切った吐息を放出した。

 それにしても、あの夢の中で聞いた声は甲高くってどちらかと言うと女っぽかったような……。

「もしかして今の声って、ア………………ッ!?」

 その名前を口に仕掛けた所で、咄嗟に飲み込んでしまった。

 ふと、視線を向けた先の向こうで松明の火が揺らめくのを見てしまったからだ。

 とうとう、神子がやって来やがった。

 慌てて立ち上がる。装束の襟を正し、泥を掃って、髪を手で軽く整えた。

 焦るな焦るな。毅然とした態度で迎えてやろうじゃないか。

 遅刻したことも、この際だから水に流してしまおう。

 いつまでもねちっこく、根に持ってたらいざって時でも気持ちよく行えない。

 だから、全てを許して楽に行こうじゃないか。

 遠くの方から草履を擦る音が響いてきた。

 松明の火を目で追ってみる。しばらく歩くと、ピタリと止まってしまった。

 そして、火の揺らめきをみつめていると突然洞窟内で火が燃え移ったのだ。

 恐らく俺が入って来た時のように油だまりの穴の中を灯したのだろう。

 そんな感じで、少し歩いては止まって火をつけまた歩いてはの繰り返しだった。

 気が付けば、俺が点けた所と丁度線対称に火がそれぞれ灯されていたのが分かった。

 少しの沈黙の後、草履の音と共に松明の火がこちらへと少しずつ向かってくる。

 闊歩してくる音が近づくにつれ、火も段々と大きく見えてくる。

 確実に迫ってきているのが手に取るように分かった。

 一方で待ちわびていた俺は期待こそしていたものの、不思議と緊張という緊張はしていなかった。

 なぜなら、俺には照美村てるびむらの女の子全員と顔見知りという自負があったからだ。

 小さい頃俺は身体の発達が遅く、チビもいいところだった。

 故に、村の男の子たちはそんな俺をまともに相手にしてくれずむしろ盛大に馬鹿にしていた。

 そんな中ひとりでいじけていると、たまたま女の子が俺の元へ来てグループのひとりが風邪で休んだためその頭数要員としていっしょに遊ぼうと手を差し伸べてくれたのだ。それ以来照美村では主に村の女児連中と、ごっこ遊びに興じるようになった。

 カフェもないちんけな村にもかかわらずなぜか二軒あるスナックのうちの片方のマユミちゃんとおままごと。

 もう一軒のスナックの一人娘で母子家庭のミサちゃんとはお店屋さんごっこ。

 薬屋のリカコちゃんとは、お医者さんごっこ。

 八百屋のケイちゃんとは、電車ごっこ。 

 角の煙草屋を営む婆さんの孫娘、ワカバちゃんとはお姫様ごっこ……。

 共通して言えるのは、みんな可愛かったということだ。

 ある程度の顔なじみでなおかつどれも美人揃いなので、どちらかというと自分の中では緊張より期待感が勝ったのだ。

 もしかしたら、再会の喜びで昔話に花を咲かせられるやもしれない。

 そんな淡い期待にまるで応えるかのように、松明の火がじりじりと確実に迫ってくる。

 まずは、白装束が目に付いた。そして身体はというと絞まる処は絞まっており出る処はしっかり出る、ダイナマイトボディである。

 次に目に入ったのは肩までかかるくらいの長い黒髪である。

 そして、もっとも最後に目に留まったのが肝心の顔であった。

 彼女が、本尊まで近寄ってきてようやくその顔が露わになった。

 つぶらな瞳と、小さくぷっくりした鼻、健康そうな薄いピンク色の唇、スッキリとした顎のライン……。

 背の低い彼女は、そんな顔を引っ提げながら俺をゆっくり仰ぎ始める。

「あなた、宗像むなかた……ケンよね?」

「う、うん」

「私の事、覚えてる? ほら、いっしょに遊んだでしょ?」

「うーん……」

 俺は考えあぐねていた。

 というのも、俺はこの昔からの知り合いらしい女子のことをまったく思い出せないでいた。

 先に連想した女児たちと比べてもそのいずれにも当てはまらなんだ。

 この娘はいったいどこの誰なんだろう。

 すると、どっちつかずな反応をしている俺に向けられた彼女の瞳が不安の余り揺れ動いた。

「ウソでしょ。ほら、私よ私! 多分、あの頃とはそんなに違いはないはず。絶対覚えてる、ねえそうでしょ?」

 力強く自分を強調して、懇願し出す。

 そうは言っても、元々の記憶がないのだから今と幼少期とでの比べようがない。

 結局俺は不安の色を隠しきれない様子の彼女を前に、ただ、おたおたしているだけだった。

「えっと、えっと」

「じゃあ、これは? 私、あなたの家にあげさせてもらったわ。その時、家族だって紹介してもらったしお風呂にだって一緒に浸かったことも。あなたのお父さんの名前は宗像ケンイチで、お母さんはジュンコ。お爺さんは宗像ケンゾーさんで、お婆さんはツバキさん……ツバキさんは境内に出てからずっと私のそばにくっ付いてくれたの」

 こんな可愛い娘とお風呂に入ってたなら、覚えてないわけがない。

 ましてや、俺の家族の名前をソラで完璧に言えるくらい親密だったのならなおさら覚えているはずだ。

 本当にただ単に幼い頃すぎて覚えていないだけなのか、それとも童貞を拗らせすぎて俺の海馬が腐っちまったのか。

「えぇ……」

 唸り声をあげつつ首の後ろをバリバリ掻きむしりながら必死になって、思い出そうとする。

 しかし、ない袖は振れぬのと同じく、身に覚えのない出来事を満足に思い出せるはずもない。

 そんな俺の様子を目の当たりにして、彼女はまるで呆れかえったみたいに大きなため息をひとつついた。

 ああ、終わった……。

 目の前に上等な御馳走が控えているってのに、まさか一見さんお断りだなんて。

 チクショウ、こんな緊迫した場面だってのに見当違いの記憶ばかり蘇って来やがる。

『ケン坊! 何してんだよ、早くこっち来いっての。トロトロしてんな!』

 ああ、そういやたった一人だけチビの俺と遊んでくれた村の男の子がいたっけ。

 家にも上げてやったし、お風呂に入ってふたり仲良く逆上せて、それで、互いの家に泊まり合ったっけ。

 アイツがいたら、今頃俺のことを――――。

「ホラ、これを見て思い出しなさい。――――ケン坊の馬鹿ッ!」

 そうそう、そんな感じで……あれっ?

 偶然にも俺が今考えていることと、俺に浴びせかけられた罵倒が完全に一致したんで吃驚した俺は思わず目を見張った。

「け、ケン坊って……」

 目の前の髪の艶やかな彼女は、いかにもお冠といった顔つきで前髪を両手で掻きあげて顔全体がしっかりと見える様に工夫してくれていた。

 それにしても、なんであいつと同じ呼び方を?

 生え際が富士額なのも、怒ると決まって両の目尻が吊り上がるのもまんまそう、だ、し……。

「ま、まさか……」

「………………。」

「さ、“さっちん”?」

 そう呼んであげると、彼女はやれやれやっとかと言わんばかりにさっきよろしくため息をはらう。

 掻き上げた前髪を元に戻すと、改めて俺を見上げてこう言った。

「そうよ、私は“さっちん”。本名は、遠藤えんどう咲彩さあや。やっと、思い出してくれたみたいね……」

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