魂ノ第陸話 『家守』


 モデルハウスの案内を終えて外に出ると、ある家族が分譲地を見に来ていた。案内したお客様を見送ると、その家族から声をかけられる。

「これって、建売ですか?」

 営業マン上がりだろうか。愛想のよい社交的な父と、その妻の母。息子とその嫁と子供。五人。

「はい。中、ご覧になりますか?間取りは四LDKの四人家族さん向きですけど」

「あら、丁度いいじゃない。息子夫婦の家を考えてるんです」

 お母様が息子夫婦を振り返った。

(……お嫁さん、大丈夫か?)

 彼女は、昏い靄を纏っている。自殺をするか、殺人をするかしかねないような抑圧された感情を感じる。お子さんは年齢の割に喋り方や行動が幼い。知的障害があるかのように感じられた。

 お母様が息子さんに話しかける度、お嫁さんに同意を求める度、お嫁さんの昏い影は色濃くなっていく。

(姑の過干渉か……)

 一通りの案内を終える。

「いかがでしたか?」

「場所は悪くないけど、値段が高すぎるわ。もうちょっと安いところで建てなさい」

「高いようにお感じになるかもしれませんが、当社は安全やメンテナンスに配慮した住宅です。良ければ詳しくお話聞かれませんか? この辺り、なかなか分譲地も無いですし」

「また、興味があれば連絡します。さぁ、帰りましょう」

 連れない態度。アンケートの記入も頂けず、連絡先も教えて貰えなかった。

(あの、お嫁さん。何事も無ければいいけど)


「佐久良さん。資料請求のお客さん、馬場様。電話したら、この前分譲地見に行って佐久良さんに案内してもらったって」

「あ、覚えてます。行きます!」

 住所のアパートに辿りつく。

(同居はしてないのか)

 駐車場一台の二LDK。築年数は五十年は経っていそう。かなりみすぼらしいアパートだ。白いボタンだけのチャイムを鳴らすがまったく鳴っている様子はない。電話を取り出して鳴らした。

「すみません。先日はお世話になりました。○○ホームの佐久良です。玄関の前に来たのですが」

「はい。今開けます」

 初めて聞いたその声はか細い小さな声だった。

「ありがとうございます。資料請求いただいて。奥様が請求して下さったんですか?」

「ええ。義母はああ言いましたけど、夫と話してやっぱり気になるねって……」

「一応、先日現地で近隣の他の土地探してみるとおっしゃっていたので、地図に落とし込んで来てみましたが、確認されますか?」

「はい。ありがとうございます」

 耳を澄ませないと聞こえないような声だ。

 狭い玄関から廊下まで壁一面に靴は並び、荷物は積み重ねられている。典型的な掃除が出来ないタイプ。

「不躾なようですが、伺ってもいいですか? ご両親様、同居されないのにけっこう主導権を握られているようですが、いつも?」

「……はい。いつもそうなんですが。経済的に助けてもらっていることも多いので……今回も、お金を出してくれるので、両親が決めるんだと思うんですけど」

「うーん。難しいですね。そうなると、計画を進めてもご両親の許可が必要ですよね。出来ればご両親にもう一度当社の分譲地を検討したいとご相談して頂けますか?」

「……わかりました。やってみます」


 連絡が来たのは一か月後だった。

「馬場です。あの分譲地、いくらで建ちますか? 予算二千五百万なんだけど」

 知らない番号からの突然の電話に戸惑った。馬場様のお父さんか。

「すみません。お世話になります。ご無沙汰しています。土地からなので三千五百万はかかると思うのですが」

「息子にローン組ませたくないんだけどね」

「と仰られましても」

「予算は二千五百万しかないから安いところで建てろって言ってるのに、あなたのところが気に入ったから建てたいって言いだして困ってるんですよ」

「でしたら、息子さんご夫婦に足りない分はローンを組んでもらうように相談して下さい。一千万のローンなら、今の金利だと三十五年ローンで月三万三千円くらいです。欲しいものは高いのだからローン組むしか無いよと伝えていただいて、またご連絡下さいますか?」

「わかりました」

 渋々といった様子で電話は切られた。


「収納は大きいに越したことはないわよ。うちも六帖と四帖半が息子たちが出て行ってから物置だもの」

「いえ、納戸やウォークインは歩くスペースが必要なので、余分に面積を取りますから、壁面収納にした方が面積も取らず、しっかり収納出来ますし、お家の大きさを抑えられます。それに、大きい収納にすると、奥の物が出しにくくなって、もう何年も使ってないというものが出てきたりしがちですから、壁面収納がいいと思います」

「そお?」

「はい。その方がおすすめです」

 これは納得していないな、と思いつつ、予算は決まっているのだからこっちがコントロールしなければならないと、苛立ちを見せないように気をつけながら笑顔で応対する。

「美枝子さんも、大きい収納があるほうがいいと思わない? あなたお掃除下手なんだから」

「……そう、ですね」

 義母は悪気もなくストレートに彼女に言う。また、黒い靄がゆらりと揺れた。

「あの、失礼ですが、アパート拝見しました。お掃除苦手だからこそ、壁面収納がいいんです。美枝子さんは荷物をこう、横積みされてしまっています。床に置いてしまったり、横積みしてしまったりする方は、どこに何があるかわかる状態で収納する方がいいんですよ。絶対、壁面の方がおすすめです」

「そお?」

 鼻白んで義母は目を反らした。


 その後の打ち合わせでも、床の色、外壁の色、次々と義母が決めていく。

「美枝子さん。もうすぐ発注ですよ。本当にお母さんの好みでいいんですか?」

 プランは何とかこちら主導でまとめたが、色柄に関してはうまくお嫁さんの意見を引き出せずにいた。

「いいんです。お金はほとんどあの人達が出すので……」

 ますます色濃くなっていく闇。

「大丈夫ですか?」

「もう、諦めてますから。ローンいっぱい組まずに建てられるだけラッキーと思わないと」


 家をお引き渡ししてから半年。

「佐久良さん。今日のイベント、馬場様のご両親来られていたみたいだから、お礼の電話しておいて」

「わかりました」

 久しぶりにご実家の電話をコールする。

「もしもし、馬場です」

 明るいお母さんの声。

「あ、ご無沙汰しています。○○ホームの佐久良です」

「はい? リフォームは間に合ってますので……」

「いえいえ! すみません。息子さんのお家を立てさせて頂いた、佐久良です。今日、イベントに来ていただいてありがとうございます」

「今日? 今日は、電子レンジを見に行ったわね。電気屋さん?」

「?? あの、御主人さんはいらっしゃいますか」

「あ、はい。あなた〜」

 電話の向こうから慌てたような足音。

「あ、もしもしすみません。馬場です」

「あ、すみません。○○ホームの佐久良ですが」

「あぁ。お世話になります」

「今日は、イベントに来てくださったそうでありがとうございます」

「いえいえ、出かけたついでに、ちょうどイベントされていたんで寄っただけですよ」

「そうだったんですね。また、何かあればよろしくお願いします」

 電話を切る。

(もしかして認知症か?)


 お引き渡しから一年。一年目訪問。

「お世話になります。佐久良です」

「はい! お世話になりまーす」

 インターホンから響く奥様の明るい声。

 玄関が開くと、引渡し半年しても片付いていなかった家が片付いているだけでなく、花が飾られている。奥さんも別人のように声が出ていて明るい笑顔をしていた。 

 昏い靄は欠片も無い。それに子供たちの靴が沢山並んでいる。

「お子さんのお友達来られてるんですか?」

「そうなんです、よくみんな遊びに来てくれて」

「わー、佐久良さん。こんにちは」

 リビングから息子さんの声。

「こんにちは」

「誰?」

「お家建ててくれた人」

 友人の問いかけに息子さんが答える。

「いらっしゃいませ。お世話になります」

「あ、お世話になります」

ご主人様も見違えるように明るい。

(もしかして、お母さんがあんな風になったから、抑圧が無くなった? しかし、お子さんも発達障害かと思っていたが、凄く普通に話しているし、友達も多い)

「随分、片付きましたね」

「そうなんですよ。佐久良さんの言う通り、壁面収納にしておいてよかったです。ビックリするほど、いらないものがいっぱいあって。捨てたら見やすくなりました」

 キッチンの対面カウンター部分には小物やお子さんの絵が飾られている。

 ふと思い出す。昔、展示場のアドバイザーをしていた頃、占いのイベントで展示場を使いたいと来てくれた女性二人が言っていた。

『うわぁ、展示場なのに、面白い。神社の空気ですね』

(なるほど、僕の手掛けた家に住むことで、呪詛返しの形になったわけか)

 家が力を貸して、お母さんの嫁に対する嫉妬や、息子に対する執着を返してしまった。

 

 良くも悪くも。僕の見えない仕事の役割はそこにもある。

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