魄ノ第六章 『答』
それは、人生で初めての他人への嫉妬から始まった。
長い間、契約社員だった僕は、三十歳で正社員を目指し、営業事務職から営業へ移った。同時期に入社し、同時期にリーマンショックが原因で契約を切られ、再びその後呼び戻されるという不思議と運命を共にした女性が居たが、彼女は営業までは出来ないから、正社員になれなくても仕方ないと言って、僕を応援してくれていた。
二年で支社のトップセールスに。
もう正社員になれないなら辞めると言い出したくらいにしんどい一年だった。ほぼ四か月休みは無く、月の残業は六十時間近かった。
やっと正社員になれた四月。皮肉なことに世の働き方改革の一環で、会社に契約社員の正社員登用制度が出来、彼女も正社員になった。
彼女は諦めていた正社員に、しかも僕と同じタイミングでなれたことにもの凄く喜んでいた。
僕は、それまで他人に執着してこなかったので、誰かを妬んだことが無かった。
嫉妬という感情が理解できず、その、悔しさや後悔や理不尽さに何と名前を付けていいか判らず、ただ、心の中に強いわだかまりを感じていた。
彼女は彼女で、正社員と同時に一つ責任の重い立場を任されてそれに悩みを抱えていたが、またそのポジション自体が、僕の目指していたポジションだったので、彼女に相談されるたび、表ではきちんと相談に乗っているのに、精神はバランスを崩していった。モチベーションも上がらず。営業成績も落ちた。
件の方に相談に行った時、
『そういうタイミングだったのよ。彼女とは何の関係も無いみたい。佐久良さんも仕事は仕事と割り切る時期が来ているみたいよ』
そう言われて、今までと言っていることが違うんじゃないか? と急に納得出来なくなった。
それがきっかけで試しにその会に入会してみることにした。
会に入会して、最初の講習の日。会場に着くと、会の会員の方々から声をかけられた。
「みんなで、今日不思議な気配がするって朝から言っていたんだけど、佐久良さん。神様がついていますね。初めから神様連れている方、初めて見ました」
講習会の会場。先に席に着いていた初めての参加者さん達からも、なぜか羨望の眼差しで見られる事態に。
「はぁ、そうなんですね」
見えていない自分は『そうなんですよ』というのも変なのでそう答えた。
目には見えないけれど、強い何かがサポートしている感覚は以前からあった。けれど、それを自慢するのは妙な気がして。
二回目の講習の日は朝から酷かった。
まるで水の中を歩いているようだった。
空気が水のように揺れるのが見える。よりによって講習会場の近くで祭りがあり、和太鼓がなる音が、まるで水の中で聞いているかのようなくぐもった響きと、目の前の空気に波立てる。
船酔いのような心地で講習を受けた。
三回目の講習が一泊二日。
なんと手軽なことか、三回の講習で魂と対話できるようになるという。僕の一年前にその会に入会していた妹はその一泊二日の研修で一緒だった人がほぼ皆、前世で関わりがある人だったというので、何かあるのかと期待していたが、僕にはそういった関りは全くなかった。
研修の中で参加者全員が、その対話で何を解決したいか。それを解決するヒントを講師の方が一人一人にアドバイスする場面があったが、どうやらその時には僕の中では答えはもう九割方出ていた。
「佐久良さんは…あと一つ解決したら、終わりですね」
そう言われて、そうですよねと頷いた。
僕の、今世で求められた仕事が終わろうとしている。だから今の仕事が仕事では無くなるのだと気付いたからだ。九年、九か月、九時間、九分、九秒。この世界は九という輪の流れで出来ている。九の区切りで一つの流れ。与えられた課題を解決出来なければ、また同じ課題を繰り返す。
僕は、母方の家系に、ある意味で雇われた派遣社員のようなものらしい。
任務は、母方の家系から、出世者を出すこと。母方の家系は田舎の農家で、祖父方も祖母方も兄弟姉妹十人近くからなる家族で、幼い頃から農業を手伝わされ、子供も労働力というような貧しい家庭だったらしく、祖父はずっと、世界大戦で功績を上げて出世したかったという話をしていたが、親戚中で皆そんな思いがあったらしい。
僕は、日本を代表する大手の会社で正社員になってある程度の成果を上げたことで、その母方の家系のご先祖様方の及第点を得られたということだ。
次の九年はもう今の仕事をする必要は無い。そうして、他の人の話を聞いているうちに、更に気付く。
(他の人は皆、自分では解決出来ない事で悩んでいる)
元妻からの嫌がらせのような、身から出た錆びのような話もあったが、身内の病気や相続問題など、物理的には解決出来ない、目に見えないものに答えを求めている人がほとんどだったのだ。
僕は、僕の考え方一つだ。
There are no facts, only interpretations.
事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけ。
沈んでいた時に理解出来なかった、当時の支社長に言われたニーチェの言葉がすんなりとその時理解出来た。
自分に起きたことは全て自分にとっては事実だと思っていた。
解釈の問題だと言われても納得が出来なかった。けれど、答えは自身の中にある。
事実は見る目によって変わるのだと、その時気付き、ようやく執着心が捨てられたのだ。
その後、嫉妬をしてしまっていた女性と二人で食事に行き、本音で話すことが出来た。彼女も周囲に彼女が与えられたポジションに僕が着くことが出来ていたら良かったと影で言われている事に気付き、ずっと苦しんでいたらしい。
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