魄ノ第二章 『生』

 僕は、自分でも変わった子供だったと思う。

 大変な田舎育ちだった僕は、小さなころから、自然に溶けてしまいたいと思っていた。

 ある種の死への羨望にも似た感覚。

 一番古い記憶は二歳を迎える前くらいだろうか。台風で増水した小川の水面を見つめていると飛び込みたくなったことがある。いや、実際飛び込み、妹が腹に居るにもかかわらず母が川に飛び込み助けたらしい。

 記憶にあるのは川の水面の早さだけだ。

 風が吹けば、このまま空に消え行きたいと思った。天気がいい日、草の上に転がれば、このまま土に還りたいと願った。けれど、闇が怖かった。夜が怖かった。死の羨望とは対極にある闇への恐怖。それは、常に、暗闇に誰かがいることへの恐れであったり、見えないところで何かを、誰かを喪うことへの怖れだった。

 小学校一年生の頃、テレビや雑誌で、ノストラダムスの大予言で世界が滅ぶという話題が盛んだった。同級生の男の子が、六年生の先輩にねだって、登下校中に宇宙人が侵略してきて世界が滅ぶというSF小説を毎日読んでもらっていた。体験したこともないはずの、戦争の恐怖や苦しみが現実的に感じられ、初めて、死への恐れを感じた。死とは何だろう。死ぬのが怖い。よく、夢を見ていた。小高い山に逃げるが飛行機が飛んでくる。幼い自分は更に幼い兄弟と姉と逃げている。バラバラと落ちて来る黒い塊。そこで夢から覚める。

 三歳の頃から、喘息の発作で年の三分の一近く幼稚園も休んでいた僕には、死は身近で現実的だった。

 二年生の三月。祖父が亡くなった。妹の小学校に上がるのを見られなくて残念だったねと、大人たちが話していたのを覚えている。

 三年生になって、図書室から伝記という伝記。そして宗教に関わる本を読み漁った。

 人はどう生きてどう死ぬのか。人は何のために生き、何のために死ぬのか。宗教とは何か。死を捉えるために必死になった。

 そして、天気がいい風の強い日に一人歩いていてふと気づいたのだ。

(あぁ、僕はただ生かされているだけで、この自然の中の一部なんだ。死ぬことを恐れるのは、死が怖いわけじゃない。ただ、生きていく中で大切だと思う物との別れが怖いだけだ)

 ならば、大切な物は増やさない方がいい。捨てがたいと思う欲は持たない方がいい。

 小学校五年生の担任の先生が、そんな僕を見かねて、

『こういう本の方が面白いよ』

 と勧めてくれた、シャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパンに出会ってから急激に現実的な人間になっていったが、そのきっかけが無ければもっと世捨て人のような人間になっていたかもしれない。


 そんな内面とは裏腹に、僕はずっと何かと闘っていた。プライドが生まれつき高く、とにかく負けず嫌い。

 喘息で幼稚園を休んで、手帳に『もっと頑張って来ようね』と先生に書かれた時には、好きで休んでいるわけじゃないと、相当に悔しかった。幼い時の記憶は、哀しいかな天井の風景が多い。

 マラソン大会などではもちろん呼吸困難状態になって走れない。けれど、今ほど喘息に理解が無かった時代。『頑張って!』と言われながら、みんなから一時間遅れでゴール。息は出来ない上に、頑張れなんてみんなに応援されて、プライドは傷だらけ。そんな中でどんどん、無知なことたるは罪とさえ思い始める。

 気付けば、周りには当然何でも出来る子と思われ始め、真面目で頼りになる。頭がいい。そう思われる。そうなってくると雁字搦めだ。出来ると思われれば、出来ないとは言えない。頼られたら出来ないとは言えない。成績だって当然いいはずだ。他人が思い描く自分から乖離したくない。幻滅されたくない。

 僕には出来る。僕はみんなとは違う。

 塾に行かなくても全教科九十五点以上は当然取る。絵も文章も表現は得意。女の子にも当然モテる。

 この雁字搦めは今でもなかなか抜け出せない。それでもこの歳になって、身体を壊すほど頑張ってしまって、ようやく多少諦めることは出来はじめたけれど。

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