終章 誰が知る未来

誰が知る未来【一】

 目が覚めたとき、僕はなぜかセリナさんの腕の中にいた。そうと気付くまで、しばらく時間がかかった。

 開いた目は、抱きしめられたセリナさんの胸しか視界に入ってこなかった。

 思わず声が出そうになったけど、何とか呑み込んだ。

 

 まだ寝てるみたいだ。

 

 どうしてこの状態になっているかは全く記憶がないけど、僕が原因でこうなったとは思えない。きっとセリナさんの悪戯か何かなんだろうけど、それでもなぜかとても悪いことをしている気持ちになる。

 これ以上着衣が乱れてしまわないように気を付けながら、僕の腰に巻き付いた腕をそっと外した。


 いっぱいいっぱいだった僕は、その動作を終えた後になって、足も絡め取られていることに気付く。体が邪魔でよく見えないけど、この足がセリナさんの足じゃないことだけ分かる。


 僕は仰向けになろうとして、背中に壁があって寝返りを打てなかった。


「あれ、お兄ちゃん。起きた?」


「ぅわあ!!」


 驚いて今度こそ叫び声をあげてしまった。


「――メア?」

「うん。おはよ」


 メアが体を起こしたのがベッドの沈みでわかった。僕は背中の壁を失って仰向けになった。


「何してんの二人とも。こんなとこで」


 座ったメアを寝ころんだまま見上げる格好になる。見覚えのある景色だ。記憶が正しければ、ここは僕のベッドだった。


「あ、ご主人様。起きたんですね」


 訂正だ。二人じゃなくて三人だった。

 メアのさらに後ろにシュナが隠れていた。

 四人も乗るなんて、僕が与えられたベッドは思っていたより随分と広かったみたいだ。


 様子を見る限り、シュナは寝起きというわけではなさそうだった。既に寝間着ではなくきちんとした服装になっていて、髪もメアと比べてちゃんと整っている。左側が少し乱れているのはさっきまでまたベッドに寝転がっていたからかもしれない。


「まだ時間はありますけど、そろそろ準備した方がいいですよ。帰れなくなっちゃいますから」


 ベッドボードの時計を見ると、朝の八時半を示していた。


「あれ、朝? って、もう元の世界に帰る日なの?」


昨日の夜の記憶がない。もっと言えば、昨日の夕方の記憶もなかった。何をしていたか思い出そうとする。記憶が混乱していた。


「しばらくすると、思い出せるところは思い出せるようになるから」


 セリナさんもいつの間にか起きていた。せっかく僕が気を付けて動かしたローブが起き上がった拍子で大変なことになっている。


「思い出せるところはってどういうこと? やっぱり僕何か忘れてるよね?」


 シュナが慌ててセリナさんの背後に回ってバスローブを着せ直した。腰元の紐までちゃんと結んでいる。


「そういえばなんか体も痛い気がするし――」


 事故か何かに遭ったんだっけ。頭が少し痛む。


「無理に思い出さない方がいい」


 セリナさんが忠告する。

 何かしらの治療魔法が僕の脳に掛けられているのかもしれなかった。


「分かった、じゃあ後でまた何があったかは聞くけど」


 時間が過ぎては帰れなくなってしまう。気になる事情は脇に一旦置いておいて、帰り支度に取り掛かった。


  ◆


 準備には、メアに一番時間を使った。

 呼ばれるがままに部屋に行くと、山のように積み上げられたぬいぐるみやお菓子やその他訳の分からない品々でリビングが埋め尽くされていた。初日のパークで、買えるものをありったけ買ってこの部屋に運び込ませたらしい。


「もうこれ業者の仕入れのレベルだからね」


 そういえば僕の部屋に寝に来たのはこの部屋の散らかり具合が理由にあったんじゃないかなんて思う。

 メアの持ってきたバッグにはとても入りきらず、次々と僕の魔導書に放り込んでいく。頁がなくなってしまうんじゃないかと心配し始めたころに、ようやく最後のウサギモドキのぬいぐるみをしまうことができた。

 

 そうして僕たち全員の準備がちょうど終わった頃、部屋に迎えがやってきた。


 二人の付き人の後ろを歩いて、僕たちはどことなく見覚えのある廊下を歩く。扉を開けて入った先は、この世界に着いたときに見た謁見の間だった。あの時と変わらず、絨毯の両脇に大勢の人が控えていた。


 そしてすぐに正面から人が走ってやってきた。正装に身を包んだアルワイズだった。


「ああ、目を覚まされたんですね! 本当に、どうなることかと、大変に心配しておりました。皆様の寝ずの治療が奏功したのでしょう。本当に、本当にご無事で何よりです――」


 アルワイズさんの口上はそのまましばらく止まらなかった。


 治療と言われ、この世界で何か病気に罹ってしまったのかと思ったけれど、続く言葉でアルワイズさんが何度も何度も謝るのでそういうわけでもないみたいだと分かった。

 困ってしまってセリナさんを見上げたけど、無言のままだ。メアも、シュナまでも苦笑いを返すだけで何も答えてくれなかった。


 ふと、背後に控えていたフィンと目が合った。

 何か言いたそうにしていたけど、アルワイズさんの口が止まらないこともあって言葉を飲み込んだみたいだった。

 その目を見ていると何かを思い出しそうな気がしたけれど、フィンの方が目を逸らしてしまった。

 

 そうしてアルワイズさんの言葉を聞いている内に、段々と事情が分かってきた。


 僕たちは、岩盤崩落によって地下の古いダンジョンに迷い込んでしまったらしかった。

 メアが宝物庫が見たいと言い出して、フィンが古い倉庫に案内してしまったことが原因らしい。

 何とか出てこれたものの、そこでの戦闘で大きく魔力を消耗してしまった僕は、後遺症として身体的な退化を一時的に起こしてしまっている――


 本当のところを言うと、多分僕はオーバーロードの発動でルルコットの変身魔法を解除してしまったんだと思う。それをセリナさんがうまく説明してくれたみたいだった。


「えっと、そろそろ頭を上げてください、アルワイズさん」


 気が済むまでこのままにしておくのがいいのかなと最初は思ったけど、まだしばらく続きそうだったしこっちも段々心苦しくなってきたので止めにかかる。


「今は特に痛んだり異常を感じたりしてるわけではないですから。気に病んでいただく必要はないですよ」


 異常も何もこの姿が僕の通常の姿なんだけど。いえ、そういうわけにも、と食い下がるアルワイズは、四回目のやりとりでようやく引き下がってくれた。


「――お見送りの品がお詫びの品のような形になってしまい、これはこれで大変申し訳ないのですが、どうかお受け取りいただければと思います」


 小さな箱が、手渡された。


 とてつもない量の何かを渡されることを覚悟していた僕は予想外の出来事に思わず受け取ってしまった。ありがとうございます、となぜか逆にアルワイズさんがお礼を言った。


「それでは、もう時間ですので、始めます――」

 箱については特に説明のないまま、儀式が始まった。


 来たときとは違って、玉座のすぐ手前の位置に『航りの門』が設置されている。


 アルワイズさんの合図で、その場にいた全員が、詠唱を始めた。

 絨毯の脇に集められた人は単なる従者というわけではなく、魔導士だった。僕たちが到着したときもおそらく、こちら側で門を開く役割を果たしてくれていたんだろう。

 詠唱は僕の知らない言葉で、それは歌のように聞こえた。

 今は石灰質の壁が、徐々にその色を変えていく。薄く透き通り始めて、揺らぎ、次第に青に染まっていく。そして、澄んだ泉のような見た目になった時、歌は止んだ。


「では。名残惜しいのですが――道中、足元にお気をつけてお帰りください。慌ただしいお見送りになってしまい、大変申し訳ございません。次はぜひ、ルルコット様とともに」


 アルワイズが、深々と頭を下げた。


「お姉ちゃん、またな!」


 レットが手を振る。接した時間こそ短かったけど、メアは気に入られたらしかった。


「ありがとうございました。こちらこそ、お世話になりました。僕が倒れてしまってご迷惑をお掛けしてしまったのはすみませんでした――今後はまた、ゆっくりとお邪魔させてください」


 僕も頭を下げる。アルワイズは、ようやく笑顔で見送ってくれた。

 そして門をくぐろうとしたところ、またフィンと目が合った。あまりにも長い時間こちらを見ていたので、思わず口を開く。




「ほとんど話す機会が無かったけど――また次来たときに」




 せっかく年が近い子と仲良くなれそうだったのに少し残念だった。


「――っ」



 フィンは驚いたように目を大きく開いて、また何か言おうとして、そして黙ってしまった。

 最初のあの印象があったからもう少し活発な子かと思っていたけど、意外とおとなしい性格なのかもしれない。


 僕は門をくぐった。

 また水面に顔を入れたときような感覚に襲われたけれど、心の準備ができていたのでこの前よりも平気だった。


「じゃあ、またね!」

 メアがアルワイズさん達に別れの挨拶をするのを背中で聞きながら、門をくぐり切った。

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