棄てられた地での救い【五】

 爆炎に包まれたままのゴーレムが、そのまま宙にぶん投げられた。

 俺たちの声と敵の動きに反応していたが、フィンがそれを完全に躱しきることはかなわなかった。


 左の翼に当たる。

 

 ライラは天井に激突し、床に墜落する。土煙を上げたそこには、二体のゴーレムが近い位置で並んで横たわった。

 

 いや、それよりもフィンだ。

 ゴーレムを横目で見ながら、衝撃で制御を失い錐揉み回転で落下するフィンに反重力の魔法を当てる。空間を湾曲させ、即座に落下地点に滑り込んだところで、フィンを全身で受け止める。この俺の小さな体では衝撃を吸収しきれず、床に転がった。


 息が、止まる。


「お兄ちゃん!」

「ご主人様!」


 存外、知恵がある。動きが鈍いはずの黄竜は今やこの姿となって元来の特性を何も残していない。

 

 そして、空気が震えるのを感じた。

 竜のあばらの内側に、エメラルド色の魔力が目に見えて充填されていく。



――まさか放てるのか。



 黄竜には腹腔器官がなく、練り上げた魔力を一定量以上蓄えることができないはずだった。


 そのはずが、『劫撃エミッション』の兆候を見せている。

 その首は俺たちに向けられていた。このままではいい的になる。


 たった今抱き止めたフィンを多少乱暴になりながらも下ろし、即座に五種五枚の結界を張る。



 緩和、解析、分解、減退、反射。



 普通の魔法攻撃であれば一切通すことがないこの構えが、ひどく薄く心許ないものとして目に映る。

 脳を揺らされたフィンは立ち上がり離れることができない。


 魔導書から追加の防御装置を撒く間はなく、それは竜の口から放たれた。


 膨大な魔力を込めて固められた魔弾が瞬間で迫る。

 俺は覚悟を決める――

 

――そして、次の瞬間に見えた光景に、俺の背筋が凍った。


 シュナが、軌道上に飛び込んできた。


 最後の結界と俺との間。

 五枚の結界は、わずかに威力を減退させたものの、すべて四散する。

 『神隠』が即座に重なり合って壁となり、直撃を受ける。

 弾き返すことも防ぎ切ることもかなわない。

 竜の攻撃力が盾の防御力を上回っている。

 魔弾の威力を『神隠』が徐々に削る中、裏側からでも見てわかるほどの亀裂が大きく走った直後。

 

 壁が崩壊した。


――――このバカやろうが!

 ちょうど俺が伸ばした手がシュナの肩を掴んだ瞬間、シュナが叫んだ。


「ルーク! ローグ!」


 瞬時にさらなる二体のゴーレムが錬成され、魔弾を受け止めた。ついに威力は弱まり、俺たちの眼前でその魔弾は霧散した。



「――っ、下がっていろと言っただろう!!」


 怒号。


 この世界に来て、俺は一番大きな声を出した。

 俺はいい。俺はいいが、他の誰かが俺の許可なく傷付くことは絶対に許さない。


「――シュナさん、ありがとう」


 先にフィンが礼を言う。ふらつきながら立ち上がった。

 シュナは冠を脱ぎ捨て、俺に歯向かった。


「私も! 戦います!」


 足首につけられていたもう二つのバングルがなくなっていることに気付く。

 

 シュナは、俺が思っていたよりも十分に戦えるようだった。

 見たことのない彼女の表情に、俺ははっとさせられる。


 また、空気が震えた。

 黄竜がもう追撃の構えを取っている。


 もうこれ以上は、許容できない。

 何を置いても、すべてを終わらせると決めた。


「――メア! 三十秒!」


 話している時間もない。俺は短く叫ぶ。



「っ、なが――っもう! わかった!」


 反対側から声が返ってくる。

 何か言いたげだったが、メアも言葉を交わす時間が無いのは理解していた。

 竜が次の動きをする前に、立て続けに横っ腹に何発かフレアを叩き込み、竜の体勢を挫いた。


「フィン、シュナ。頼む。時間をかせいでくれ」


 右手を前方にかざし、『六號ろくごう』の魔力を集中させる。


 シュナはすぐに、横たわっていた最初の二体のゴーレムにも意識を繋いだ。

 同時に、四体。

 神経を激しく擦り減らす行為だ。そもそも、この密度で操っていること自体が驚異だった。


 俺は黒の球体を創り、魔力を込めて拡大させていく。


 フィンは、意外にも何も言わなかった。

 いや、俺の頼みがあってもなくても変わらなかったのだろう。全身に渦巻く炎を巻き付け、水平に飛んで距離を詰める。翼と爪をかいくぐり、拳での強烈な一撃を竜の脚部に見舞った。

 起き上がっていた竜の体が地面に沈んだ。


 俺は魔力が十分に溜まってから、球を解き放つ。

 黒い霧が細く結わえ上げられ、俺の体に繭のように巻き付いていく。


 竜が無差別に地脈攻撃を放ち始めた。

 辺りの地面が四方八方に裂け、岩石の棘が乱立する。

 最後に目にしたのは、シュナの小さな背中だった。今は、その身を賭してこの俺を守ってくれていた。

 視界が黒に染まり、俺は目を閉じる。


 意識が落ちる。



――間に合え。



俺は再び目を開いた直後、視界の闇を掻き払った。


 竜は、その全身から波動状の魔導爆破を起こした直後だった。


 両手を伸ばす。

 空間を捻じ曲げ、竜のすぐ側まで接近していたメアとフィンを離す。



「っ、お兄ちゃんっ! 間に合ったぁ!!」



 壁際で尻もちをついたメアが安堵の声を上げた。


 黄竜の周囲の地面が円く放射状に抉れ上がっていた。

 まともに喰らえば消し飛んでいた。


「シュナも、ありがとう」


 ぐしゃと頭をなでる。

 俺は黄竜に近付いていく。

 再び、地脈の一撃が俺を襲うが、その軌道を捻じ曲げて逸らした。


 何度やっても同じだ。


 黄竜もそれを理解したのか、腹部に強大な魔力が集まるのが見えた。

 蜃龍などと違って、兆候が目に見えるのは分かりやすくていい。『分壊リファクト』を放ち、闇魔法が竜の体内を荒らす。膨大な魔力は露程も安定まで持ち込まれず、素子ごと崩壊して消滅した。


 俺は左手をかざす。


 迫りくる鈎爪が宙空で制止した。

 力比べだ。

 さらに爪がぐいと押し込まれるが、俺の空間固定の魔法は破られない。

 竜が体をぐいと起こし、全体重をもって俺を圧し潰そうとする。


 片手では耐え切れなくなる。

 両手を使い、二重三重に竜の腕を縛り付けていく。

 さらに魔力を込めていく。

 が。


 俺は、オーバーロードの全力で以てしても、この竜の力に押し負けることを悟った。



 竜を重ね縛る俺の魔力が、徐々に破られ、弾け飛んでいく。

 限界だった。

 ついに竜が長い首をもたげ、その牙をもって俺を襲った。


――そして、ちょうど六十秒。




 メアのそれは、俺よりも時間が掛かる。




「おにい! どいて!」


 背後からの声。

 反重力の魔法を放ち、俺は後方に宙返りしながら飛び退いた。


 さっきまで俺がいた空間を竜の牙が削った。宙で反転しながら、下にメアの姿を見る。


 メアがその両手の間に、竜が先程放ったものよりもさらに一回り大きな魔弾を生成していた。


 

 煌焔こうえんの『劫撃エミッション



 放たれた魔弾は骨の塊を呑み込むと耳が痛む超高音を響かせた後、爆散した。


 大木のような火柱が昇り、火球が周囲に飛び散る。

 メア自身はそれをまともに浴びるが、平然とそこに立っていた。

 フィンは竜翼で身を包むようにして被害を防いでいる。



――そうして全てが静まった後、深い穴がぽっかりとそこに口を開けていた。


 終わりを確信した俺は左手を垂直に払い、空間を切った。

 

 指先から光線のように黒い線が何本も走り、幾つものも角を作って折れ曲がる。

 そうして視界が少しずつ黒で埋め尽くされて、何も見えなくなり、意識が、落ちる。




 僕はゆっくりと目を開いた。



 

 いつもの目線の高さに戻っていた。

 シュナが四体のゴーレムの隙間からひょこっと顔を出した。


 フィンも翼のつぼみから顔を覗かせる。


「大丈夫だった? 怪我はない?」


「はい、大丈夫です」

「お、終わったんですか?」


 シュナとフィンがそれぞれ言う。


「うん。メアが片付けてくれたから」


 着衣がぼろぼろに乱れたメアがこっちに歩いてきた。

 炎帝の鎧はそのままだけど、衣服が焼けたり破れたりと散々な状態だった。


「おにいが普段だぼだぼの服ばっかり着る理由が分かるね、これ」


 体が下着の下でとても窮屈そうにしているのがよくわかる。

 身長ももちろんそうなんだけど、胸もお尻も膨らんで元々着ていたものに全然収まっていない。


「め、メアさん、その姿は」


「あ、これ? ちょっと刺激的過ぎるよね」


 僕はマントをかけてあげた。

 初めてこれが役に立った。メアはバスタオルみたいにそれを体に巻く。


「あ、あなた方は、一体……?」


 フィン背中にその翼をしまった。その体も相当レアだと思うんだけど。



「オーバーロードって、こっちの世界に無い? まあ、無いか。私たちの世界でも珍しいからね。こうやって、未来の力を借りてくることができる能力なの。私はまだおにいみたいに使いこなせてるわけじゃないから、ちょっとお薬に頼っちゃうんですけど」



 僕と同じで、この姿になると少し言葉遣いが変わるみたいだ。


ふと、気付いた。いつの間にか、僕の針の効果が切れているみたいだった。オーバーライドの時に打ち消してしまったからかもしれない。


「メアさんも使えるなんて知らなかったです――それが未来の姿なんですね」


 シュナが言った。どことなく羨ましそうなのが声色から伝わる。


「だって普段使う必要ないからね。そう、いい感じに成長する、ってわかって安心できるのはいいことだよね」


 メアがふふっと笑う。ルルコットともセリナさんともまた違った、少しいたずらっぽい雰囲気を纏った女の人。僕も滅多に見ることが無い姿だ。


「――ミルメアは、成長したらそのような姿になるのですね……」


 フィンが呟いて、自分自身の体を見るように視線を下方に落とした。


 言わない。

 僕は何も言わない。


「あれ?」


 ぱらぱらと、音が聞こえた。何かが落ちるような音。

 振り返ると、天井から土塊つちくれが落ちているのを見つけた。


 顔を上げると、地面と全く同じ大きさの穴が、天井にも空いてしまっていた。


「メアこれ――」

「く、崩れちゃう、かも」



 僕たちは、すぐに駆け出した。

 シュナは四体のゴーレムを開放する。


 はめている余裕もないのでバングルは手に抱えたまま走る。

 フィンも翼をしまっていたから走るしかない。

 マントはメアに預けていたから、僕はズボンの裾だけ踏ん付けないように気を付けながら足を動かす。



 竜が守っていた階段を駆け上がりながら、僕たちは背後で大きな崩落の音を聞いた。

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