棄てられた地での救い【四】

 メアとシュナが目を瞑った。

 ゴーレムはしっかりと扉のとってを掴んでいる。


 フィンはというと、理性の力で瞼を何とか薄く開いて保とうとしていた。


 俺はカウントダウンを始めた。


「さん。に、いち――」


 手を伸ばして触れている魔方陣に魔力を流し、循環させる。


「――開けろ」


 ごっ、と扉と地面が擦れ、細く開いた隙間から橙色の明かりが真っ直ぐに漏れる。

 そして勢いがついた扉はそこから一気に開き、部屋の全容が現れた。

 

 百、程か。

 

 浮遊していた幽霊は俺の姿を確認すると、向きを変えた。

 残念なことに足りんな。全く足りん。


 俺は術式を発動した。


「悪いが次はお前たちが蹂躙される番だ」


 発光した円型の陣から、漆黒が雪崩のように溢れ出始めた。

 それは耳障りな羽音とともに、すぐにこの部屋の支配権を奪い始める。


 数の暴力には、それを上回る数で圧倒すればいい。


 俺は自らのダンジョンで回収した三百のバンパイアバットをここに解き放った。


 幽霊は色とりどりの魔法をバンパイアバットに向かって放ち始めるが、飛び回る軍勢にそう簡単に照準を合わせることができず、一部で同士討ちすら起こしている。

 そして左手の魔導書で具現化したプラントが、今は俺の前方を覆っていた。魔力結界も合わせてかけてはみたものの、この魔界の植物は単体で十分に効果を発揮しているように見える。


 プラントは俺のダンジョンの至る所で結界として勇者達の進行を妨害する役目を果たしているが、それは純粋な魔族の魔力を持つものしか通過させない性質が活かされている。失敗作と言われた不純な魔の物が放つ魔法は、見事にすべてプラントが遮断してくれていた。


 幽霊の数は急激に減少していた。

 局地で見て、少なくとも三対一。相手が減ればその割合差はさらに大きくなる。バンパイアバットは敵の魔力を吸収するため、魔力核の制御回路を破壊する目的とも非常に相性が良かった。

いくらかこちら側の数を減らしながらも着実に幽霊が消滅していく光景を見ながら、俺は最終的にどう収拾すればいいかを考えていた。


「後のことを考えてなかったな……」


「え!? 何お兄ちゃん、今聞こえちゃいけない言葉が聞こえたんだけど」

「私も聞こえました」

「な、あなたが自信たっぷりに言うから任せたのです! ちゃんと責任もって最後まで対応してもらわないと困ります!」


 フィンは気付けばいつの間にか完全に目を瞑ってしまっていた。


「ねえ、ちょっとお兄ちゃん!? なんか聞き覚えのある嫌な音ばっかり聞こえるんだけど!? 大丈夫なの!?」


 大丈夫ではない。

 今は幽霊を敵と認識して互いに戦っているからいいものの、バンパイアバットはプラントを通り抜けることができてしまうので、片付いた後に次はこちらに来て俺たちを襲い始める可能性があった。


「結局またオーバーロードを使うことになるのか……」


 数日前と同じように回収するのが一番安全で手っ取り早い方法に思えた。見えているその骨の向こうの出口まで走って突破する強引な方法もあるにはあるが、この三人は難色を示しそうだった。


 このままいけば、幽霊が完全に消滅し切る頃にはバンパイアバットの数は半分の百五十程に減っているだろう。その頃にはもしかしたら、目を開けても彼女たちが心に負うダメージも軽減されているかもしれない。


 突然、背後からビシッと何かが裂けるような音がして、俺は振り返った。


「な、何ですか、何が起きたんですか?」


 音の出元に一番近いのはシュナだった。果たして、その身に着けた指輪の石の真ん中に大きなひびが走っていた。


「大丈夫、指輪が壊れただけだ」


 おびえたシュナの手を上から包むように握ってやる。

 多すぎる魔力に耐え切れなくなったのだろう。一度に合計で四百を超える数の魔力核の反応を拾っていることになる。

 

 直後、 足元が、揺れた気がした。


「地震?」


 メアが言う。

 振動を感じたのは俺の気のせいでは無かったらしい。

 嫌な予感がした。



――指輪は、なぜ、今、壊れた?



『グルアアアアアアアアア!!!』



 心臓を震わせる、低く巨大な咆哮が響く。

 強大な魔力が物理的な圧力となって俺の体を押さえつける。バン、バンと断続的に聞こえる破裂音は、その部屋のバンパイアバットが片っ端から弾けて消える音だった。


「目を――」

 あの咆哮を耳にしてまだ目を閉じているものは誰もいなかった。


「ちょ、何やったの」

 メアが聞くが、俺のせいではない。

「プラント? どうして――」

 シュナが目の前に見えるものに反応したが、それもすぐに弾けて消えた。

「きゃあっ!」


視界がクリアになった。


今や部屋は完全に静まり返っていた。

幽霊もバンパイアバットもプラントもすべて消え、何もない。




「……それで? 何をやったのですか。説明してください」


 幽霊が居なくなったからか、フィンが気を取り戻していた。


「魔物の叫びは俺には説明できん――警戒しろ」


 全て終わったと思っているようだが、そうではない。

 立ち上がったフィンに声を掛け、プラントが掻き消されてしまった俺は急いでまた別の頁を開く。

 

 静寂が俺たちの肩に重くのしかかる。

 

 部屋に足を踏み入れていいものか躊躇する俺にシュナが声をかけた。


「私が見てきます」

 驚いて止めようとしたが、ゴーレムのことだと分かる。扉を開けたままの姿勢で固まっていた二体が部屋に足を踏み入れた。何かが変わった様子はない。そのまま前方に歩みを進めさせる。


「このままさっと出ちゃえばいいんじゃない?」


 メアの案に乗っかってしまいたかったが、明らかな異常事態が発生している以上は原因が判明するまで迂闊に動くわけにはいかない。

 ゴーレムが部屋の中央に差し掛かった頃、また咆哮が部屋に響いた。


『ゴオオオオォォ―――』


先程の突発的な叫びと違い、地の底から湧き上がってくるような呻き声。それは部屋の奥、何もないはずの場所から聞こえてくる。シュナが咄嗟に俺の手を握った。


「これは、まさか――」


 フィンが呟く。

 そして直後、それは起こる。


 部屋の中心に向かって、俺たちの体が吸い寄せられ始めた。いや、背中から押されているのか。突如起こった事態に俺たちは一様に体制を崩す。すぐに立て直し足場を固めるが踏み止まれず、じりじりと引きずり込まれる。


「なになになになに」


 メアが俺にしがみつくが、俺自身も耐えきれていない。

 足が地面を削りながら一緒になって滑り行くだけだった。見るとゴーレムにも同じ現象が起きていたが、明らかに俺たちと比較して吸い込まれる力が弱く、動きが鈍い。


――グラビテか。


 気付くのが一瞬遅かった。

 俺たちが扉の境界を踏み越えた直後、背後でがしゃ、がしゃと、いつか聞いた音が幾重にも響いた。

 退路が塞がれた。

 

 ざりっ。

 

 地面が擦れる音がする。

 起きている事態に追い付く間もない。



「今……動かなかった?」



 俺たちではない。重力魔法は今は効果を無くし、ゴーレムも俺たちも身動き一つ取っていない。


「――まさかこれで生きてるのか」


ざりっ。


また、今度は俺たちの目にもはっきりと映った。



黄竜。



かつて大地の竜だった骨の塊が、徐々に爪を地面に立てながら体躯を持ち上げていく。


「うそ――」

「ねえ、どうなってるの?」

「私にも分かりません、骨だけで動けるなんて――」


 正確に言えば、骨と、魔力だ。バンパイアバット、幽霊、プラントが消滅したのは、こいつが魔力を大量に吸収したせいだ。とにかく理解の範疇を超えていることに変わりはない。そもそもどうやって魔力を吸収したのか。魔力を得て覚醒する仕組みは。意思は。


竜は大きな動きを見せる。意外にも動作は素早い。


「きゃあ!」


 シュナが悲鳴を上げた。

 黒のゴーレムが岩肌に叩き付けられ、部屋が震えた。近くにいたせいで爪の一撃をまともに喰らってしまう。


竜がまた咆哮を上げる。


 明らかに俺たちを敵と認識しているらしい。


「本当に竜と戦うことになるとはな」


 あれを竜と呼んでいいのか分からないが、この閉所での戦闘展開はかなり厳しい。

 魔導書の、滅多に開くことのない頁を開く。


「あ、あなたたちは下がっていてください、危険です」

「なんだ、まさか一人で戦うつもりか?」


 フィンからの制止がかかった。


「戦闘経験の無い者が竜と対峙できるとは思えません。私がやります。下がっていてください」


 フィンは俺たちを頭数に数えておらず、単独で挑むつもりらしかった。フィンなりの気遣いなのかもしれない。


 が、俺のやることは変わらない。


 開いたページから、ずるずると引きずりだすように魔法具を具現化していく。

 それらはがらんがらんと鈍い金属音を響かせ床に落ちて重なっていく。


 フィンがこちらに気を取られたようだったがそれも一瞬、すぐに戦闘の構えを取り始めた。

 腹を抱えるように背中を丸め、一気に背の竜翼を解き放った。

 ここまで自らの力で制御できているのを見て、相当の訓練と戦闘を積んできただろうことを窺い知る。


 その間に俺も魔道書から呼び出していた七つをすべて吐き出し終え、見開きが白紙になった。


「――これを被って下がっていろ」


 すぐに別の頁から銀の冠を呼び出し、シュナの頭の上に乗せる。



「ご主人様、こ、これは私なんかじゃなくてご主人様にっ」



 床に散らばったものは、『古都世神隠ことよかみかくし』と名の付いた魔法盾だ。


 シュナの魔力を認識し、一枚残らず宙に浮かび上がった。

 冠と一対になっているその七枚の方形の盾は、自動で外部からの危害から主を守るようにできている。余計なことを言い出さないうちに、早々に壁際に追いやる。


「お兄ちゃん、早く!」


 一足早く散開したメアは部屋の左端に配置していた。

 俺は無言で小瓶を放り投げる。中には赤色の小さな丸薬が入っている。

 メアはそれを受け取ると蓋を開け、適当に何粒か飲み込んだ。

 

 敵は、これ以上は待ってはくれなかった。


「メア、前!」


 黄竜の骨が前腕を振り上げ、地面に叩き付けた。



『ガアアアアァァァ!!!』



「どこから声が出てるんだあれは」


 投げ返された小瓶を回収し、魔導書に戻す。

 攻撃は一番近いメアを向いて放たれた。地割れが直線的に走り、裂けた地面から抉れ上がった岩石の礫が大量に吹き出し降り注ぐ。


「こわっ!」


 メアが左に飛ぶ。右手と右足から炎を噴射し、それを推進力にして一瞬で大きく離れていた。

 すぐさま反転し、火炎放射を放つ。

 竜はしばらく浴びたが、骨組みだけの翼を払ってその攻撃を掻き消した。


「骨だけだと全然効いてる感じしないじゃん」


単純な炎は効かないようだ。何しろ、焼ける箇所が無い。


「……思ったより動けるんですね」


 骨の話か、メアの話か。


 フィンも見ているだけではなかった。竜翼が一度大きく羽ばたき炎を纏い、そして飛び上がった。高さのあるこの部屋の天井近くまで飛翔し、旋回しながら火弾を連続で打ち込む。着弾すると爆発する魔導だった。フレイムとフレアを融合させたような性質だ。


 竜は骨の翼を畳んで身を守る体勢を見せた。脳が無いわけではないらしい。


 どう見ても存在していないわけだが。


 メアが両腕を前方に突き出した構えを取る。

 それに乗じ竜に向けて『空間固定バインディング』と『物理固定ボンディング』の魔法を掛ける。


「これで、どうだぁ!」


 本日二度目のフレアが放たれ、爆炎が空間を踏み躙って竜に迫る。


が。


パンっと俺が掛けた抑制の魔法はいとも簡単に破られてしまう。そして竜はその爪で落ちていたもう一体の白のゴーレムを拾い、盾として使った。


「――うわ」

「ライラ!」


 シュナが叫ぶ。

 そして直後にメアも叫んだ。それは俺の声とも重なった。


「「フィン!」」「危ない!」「止まれ!」

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