棄てられた地での救い【三】

「あれ? 行き止まり?」


 長い長い階段を上った先、通路がそこで途切れていた。

 分かれ道はいくつか通ってきたが、これまでの道中では袋小路に一度もあたっていない。


「距離で言えば、そろそろ城も塔も越えているはずだ」

「出口でしょうか?」


 青銅で補強された、見るからに怪しい両開きの木の扉。錆び付いた金具に、かんぬきが一本通されている。

 長時間歩いたせいで、シュナの疲労が色濃い。途中、魔導書から回復薬を何本か取り出してシュナに飲ませていたが、体力そのものを回復させるには至らなかった。


 俺はシュナの手を取る。


「真っ赤だな」


 最初にシュナに渡した指輪が黄色を超えて見事に赤く発光していた。


「うわ……」

 メアが顔をしかめる。

 探索の初め、扉を破って大量の気持ち悪い系モンスターが雪崩のように湧き出てきたのはまだ記憶に新しい。


「――記憶にあります」


 ずっと静かだったフィンが口を開いた。


「忘れられないでしょ。私なんて一番正面で見たんだよ」

「そうではなくて、この扉がです。私の記憶が正しければ、この先が最後の部屋になっているはずです」

「部屋? 今まで一回も入らなかったのに?」


 フィンの言い分は合っている。


「ライン式のダンジョンは部屋に入らなくても進めてしまうからこそ、最後は絶対に部屋にするんだ」


 守護を目的とするならここを素通りさせることはあり得ない。


「勇者達に絶対に戦ってもらうようにな。俺たちもやってきたように、ダンジョンの最後には、必ずそれにふさわしいモンスターを配置する」


 指輪の発光がその答えを示していた。


「じゃあ、この先に、何がいるんですか」


 シュナがフィンに尋ねる。


「――竜です」

「勝てるわけないじゃん」


 メアが早々に投げた。


「待て、早まるな。火竜であればあるいは、もしくは成体でなく幼体なら――」

「成体の黄竜です」


 ディアフォールでも無理だな。大地の竜とは相性が悪すぎる。


「ちょ、ちょっと、お兄ちゃん! 諦めちゃだめだよ!」


「どの口が言うんだ」


「私はいいけどお兄ちゃんが諦めたらここから出られないじゃん」


 竜は百年と何も口にしなくても生きるくらいの生命力を持っている。

 既に扉の向こうで朽ちているなどとは期待するべくもない。

 それにもし死んでいたとしたら指輪も反応しないはずだ。


「他の出口はないんですか?」


 シュナが聞いた。


「……ありません。クレフさんが言った通り、どの勇者達とも遭遇するように、出口はこの一つしか無いです」

「あれ? じゃあここに入った時に黄竜と戦わなきゃいけないのは分かってたんじゃん。なんで最初に言わなかったの?」


 メアの指摘はもっともだが、それに対するフィンの答えは簡潔だった。


「――忘れていたんです」

「よくそんなのでダンジョンマスターのパパを補佐するとか言えたね」


「っ、だから、地下は私の領分ではなかったと――それに、ここまで迷わずに来れたのは私の道案内もあったからでしょう」


「出られなきゃ一緒だけどね。それにお兄ちゃんだって道は分かってたじゃん。なんでか分かんないけど」


「そういえば……あっ、さ、さてはまた私の心を読んで――」


「違うから」


 分かれ道や偽の階段は、見る者が見ればハズレがどちらかは分かる。

 罠であれば仕掛けられた痕跡がわずかにでも残るし、行き止まりの道は足を踏み入れやすくなるように通路の幅や照明の角度が調整されているので、それを見極めて避ければいい。


「とりあえず中の様子を見てみるか」


 ずっとそんな話ばかりしていても仕方がない。ここ以外に出口がないのなら、ここから出る術を探すまでだ。魔導書の後ろの方の頁から、古びた魔法具を取り出す。


「何それ? 初めて見た」


 金のロッドの先に、金の縁取りがされた眼鏡が接着された形をしている。耳にかける部品が無いので、そのまま杖を構えて使う形になる。物自体が古いため損傷が激しく、右目のレンズが取れて失くなっていた。


「使い道も限られているからな。このレンズで壁の向こう側を見るんだ」


 残っている方の左のレンズを指す。望遠の機能が無いので、潜入探索時に壁の向こう側の様子を探るくらいの用途に留まる。



「……なにそのえっちい棒は。没収です」

「おい」


 メアが俺の手からひったくった。『聖者の晴眼』と呼ばれる、由緒正しい魔法具だというのに。

  納得がいかない。


「これで向こうを見ればいいの?」

「……ああ」


 必要な魔力は持っているだけで持ち主から勝手に吸い取っていくので使う側は特に何も意識することが無い。



「うそ――やだ、やだやだやだやだ」



 眼鏡を持ったまま、メアが固まった。

 ゆっくりと振り返った顔は、すっかり血の気がなくなっていた。

 魔法具を俺に渡すとそのままとことこと歩いてきて俺の胸にぎゅっとしがみついた。


「……無理。しばらく待って」


 フィンが訳が分からないといった顔をしている。悪いが俺も分からない。


 魔法具の暴走でもないはずだ。こうして今俺が手にしていても何の異常もない。

 手を伸ばされたので、俺はそれをフィンに貸した。

 扉に近づいて、レンズを覗く。


「あ」


 ぺたん、と、腰が抜けたのか、その場にへたり込んでしまった。メアに続き、フィンまでもが犠牲になった。


「シュナ、ダメだ」


 そろそろと手を伸ばしたシュナを止める。

 気になる気持ちは分かるが、先に俺が確認した方がいいだろう。

 胸元にメアを張り付けたまま、ずりずりと扉に近づく。フィンに握られたままの杖を手を伸ばして回収し、俺はレンズを覗いた。


「あー」


 なるほど。


「ご主人様、何が。何が見えるんですか」


 まず、部屋が見える。最初俺たちが落ちてきた場所と同じ橙色の魔法照石が明るい。


「これはあれか。言っていた幽霊ゴーストとかいうやつか」


 青白い半透明の霊体のモンスター。移動の軌跡が、つうとぼやけて見える。

 宙に浮かんだその体は、頭から襤褸ぼろ布を被ったような姿で、手足は朽ち果てたかのように枯れてひしゃげていた。


「そ、そんなに恐ろしいんですか」

「確かに見た目も気味悪いが、問題は数だな」


 うじゃうじゃ。


 扉の向こうは、予想していた通りだだっぴろい空間が広がっていた。そしてその部屋を隅々まで埋め尽くすように、幽霊が縦横無尽に飛び交っている。

 失敗作だとフィンが言っていたのを思い出す。個体によって形質が大きく異なっているのは、作り出そうとされていた元々の形に依っているからだろうか。

 もしかしたら案外平気なのかもしれないと試しに『聖者の晴眼』を差し出してやると、すごい勢いで首を横に振り始めた。この様子なら興味本位で何も知らないまま覗かなくて正解だった。


「もう、ほんとに、無理」


メアが俺から離れた。ようやく気を取り戻したようだ。


「私こういうの無理だっていったじゃん! 竜とかなに!? なんでそんな嘘つくの!?」

「いや、どう見てもわざととかじゃないだろう」


 フィン自身が一番心にダメージを負っているように見える。まだ立ち上がることすらできていないし、俺たちの声も聞こえていない。


「それに、竜ならいたぞ。一番奥に」

「え、嘘」

「疑うならもう一度見てみるか」

「――お兄ちゃん、変な嘘だったら本当に許さないからね?」

「嘘じゃない。骨になってはいたがな」

「骨?」


フィンから聞いた話では、幽霊は物理攻撃を通さないと言っていた。

 大地の竜である黄竜は、素の魔法を放つことができない。

 それは幽霊を撃退する術を持たないということに等しい。

 何かの拍子で竜と幽霊が戦いを始めてしまった結果だと俺は推測していた。

 その鱗と体表が防護の役割を果たしはするものの、何百を超える霊体から魔法攻撃を受け続けてはいつか限界が来る。仲間を呼ぶ性質があるともフィンは言っていたので、地下中の幽霊がここに集まってきてしまったのだろう。


肉体は朽ち、今はその骨格だけが辛うじて竜であったことを示すのみだった。


その骨の山の向こう側に、一本の通路が見える。


「え、なに、じゃあもう竜はいないの? 良かったじゃん、じゃあはい。さっさと片付けてきて」


「なんで俺がやることになってるんだ」


 重力魔法と空間魔法は得意だが、広範囲の攻撃系の魔法は持っていない。


「メアの方が適任だと思うが」

「やだ。絶対やだ。見るのもやだ」

「扉をちょっと開けて隙間からフレアを放つだけだろう」

「これだけ部屋広いんだよ!? 何発撃てばいいと思ってるの!?」


 こーんなに、とメアが両手をいっぱいに広げる。


「それはメアが直線状に撃つからだろう。もっと広角に放てば――」

「そんな制御私にできると思う?」


 開き直るメア。

 できるとは思わない。


「シュナ……は無理そうだな」


 さっきよりも強く首を横に振り始めた。戦場に出る必要が無ければ攻撃魔法など覚える必要も無いので当然と言えば当然だ。


「フィンは――」


 魔法の分類に詳しかったフィンならもしかしたらと思ったのだが、まだへたり込んだまま動けない様子だった。

メアが声を掛ける。


「フィン? どうしたの? お漏らししちゃった?」


「し、してません! ただ立てないだけです!」


 ここまで幽霊に苦手意識を持っているのは過去に何かあったのだろうか。この部屋に集まってくれていたおかげで道中遭遇しなかったのは幸いだったのかもしれない。


「全然ダメそうだね」


メアが戦力外通告を出す。


私は戦場で生きてきた、みたいなことを言っていた気もするが、ついに一度も戦うことなくこのダンジョンを終えそうだった。


「もういいじゃん。お兄ちゃんがぱぱっと片付けちゃってよ」

「いや、だから攻撃魔法が俺に無いんだが」

「オーバーロードでも? この前コウモリ退治してたじゃん」


 やっぱりあの時は見てなかったんだな。


「あれは消滅させたんじゃなくて一時的に――」



 そうか。



「何? どしたの?」

「そうだな、そうしよう」


 フィンの脇腹に手を差し入れる。


「きゃあ! ちょ、ど、どこ触ってるんですか!」


 扉の前にいられては邪魔だった。足どころか腕にも力が入っていないフィンを後方にどけておく。


「シュナ、閂を頼む。扉が開かないようにだけ注意してくれ」


 すぐに二体のゴーレムが横木を引き抜いていく。それなりの重量があるようだった。


「だ、大丈夫なんでしょうか」


 指示に従ったものの不安は不安なようで、シュナが俺に問いかけた。


「これだけ俺たちが近くにいても壁を越えて来ないんだ。音や魔力を探知しているわけではない。襲われるのは、俺たちが姿を見せた時だ」


 正確に言うなら、扉を開けてかつ俺たちが奴らにとって一番近い敵と認識された時だ。

 引き抜かれた閂を、邪魔にならないように脇に立てかけておいてもらう。


「シュナちゃん、まだ絶対開けないでね」


 物理的な実体がないのであれば壁も扉もすり抜けられるはずだが、幽霊自身がその事実を認識していないかのようにこの部屋に留まって浮いていた。とにかく扉が開くまでは安全だとメアが認識する。


「それで? 次はどうすればいいの?」

「目を閉じててくれ」

「な、何ですか。何をする気なんですか」


「別に一部始終見ていても構わんぞ。おそらく後悔することになるだろうが」


「分かった、見ない」


 メアは即座に判断を下した。シュナも横で頷いていた。


「ああそうだ、シュナにはゴーレムの操作だけ頼みたい。合図をしたら扉を開けるだけでいい。目は閉じていてくれて構わない」


 俺は改めてレンズを覗き込んで部屋の広さと幽霊の位置を確認した後、魔法具を元の頁にしまった。そしてまた別の頁を開く。空いている方の手で空中に魔方陣を描いて準備を進めていく。


「ちょっと何を勝手に、まだ私はいいと言ってません!」

「じゃあ止めるか離れるかすればいいじゃん」


 できないのを分かっていて、メアが意地悪にもそんな台詞を言う。シュナはゴーレムの配置を完了させ、俺の後ろに退避していた。


 床に垂直な魔方陣を描き切る。

 その中心に手を合わせると、確かな反応が返ってきた。

 この瞬間だけが唯一心配だったが、どうやらうまく繋がったようだ。


「よし――やるか」

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