棄てられた地での救い【二】

 異なっているのは、ダンジョンで勇者を迎撃する者のほとんどがモンスターではなく魔族なのだという。


 魔力核の生成技術はまだ全く完成されたものではなく、数が圧倒的に少ない。城に攻め入る勇者を迎え撃つには、自分たちの身を削るしかない。


 そうして倒された魔族は、二度と生き返ることがない。


 そして、城が落とされるということは、すなわち魔族の全滅を意味するということだ。

 勇者は拠点の占拠を目指し、その達成は支配者の討伐を以て果たされる。


 この城で言えば、アルワイズの死だ。

 

 魔族は全力で城を守り、勇者たちは全力で城を攻める。

 お互いが死と隣り合っている。


「そんな……ひどい……」

「私は別にひどいとは思いません。お互い、生きるためですから」


 フィンは吊り天井から俺たちより先に飛び降りた。


「これで正しく理解してもらえたでしょうか。私は、同族が他の拠点で今も命を削っているのに、私たちだけがこうして安穏と暮らしていることが許せないのです」


 フィンが何かにつけてメアに反目するのは、この価値観の違いが背後にあったからだろう。

 もし俺がアルワイズと同じ立場だったら、どのように判断しただろうか。


……おそらく。


「俺も同じ判断をしただろうな」


「何の話ですか?」

「いつ死んでもおかしくない世界で、守りたい者を守る手段を探し続けて、それが見つかったなら、俺もそれにすがっただろうな、と」

「言っている意味が分かりませんが」


 こんな姿の俺に説教されるのも嫌だろうが、我慢して聞いてほしい。


「アルワイズがダンジョンを棄てた理由は、娘と息子を戦場から遠ざけたかったからだとすぐに分かった。ここまでの状況だとは思ってなかったが、それなら尚更だ」


 戦場に兵を送るのはただでさえ心を削る仕事だ。

 そしてそれが身内だとすれば並大抵でない覚悟が必要になる。


「それは、私にとっては侮辱です。私は、戦えます。死を怖れてはいません! ブランシュタイン家に生を受け、魔と竜の血を受け継いだ以上は、戦場から背を向けるなどあってはならないことなのです!」


 フィンが猛る。

 それはとても上等な心構えだ。

 だが。それがフィンの本心でないことを、聞こえてくる声が教えてくれていた。


 そして俺はいつかメアに言われたことを思い出していた。

 

 俺が思う幸せが、その人にとっての幸せだとは限らない。

 逆もまた然り。


「今言った責任も立場も、個人の考えでしかない。周りがどう思うかは別の話だ」


 自分の想いを伝えて、そして相手の想いを聞いて初めて、お互いの幸せを叶えることができる。


「周りがどう思うかなんて、生まれたときから決まっています。今言った通り、私の血は――」

「父親と母親から受け継いだ血でもある。その事実に何よりの価値を置くものがいるということだ」

「っ、それは、詭弁です」


 そう言ってフィンが口をつぐんだ。


(――――――――)


 俺の耳にだけ聞こえるくぐもった声が、徐々に大きくなり、そしてはっきりとした輪郭を持つようになる。


「……あなたとは、話が合いません」


 フィンが俺から目を逸らす。


「ああ、今の話はもし俺がアルワイズと全く同じ立場だったらの話だ。俺がフィンの立場なら、また違う考え方をする」


「どういう意味ですか。あなたはさっきから、回りくどい話ばかり――」


「確かに俺たちの世界は、色んなルールに縛られている。目に見えない世界の理と言い換えてもいい。だがフィンの言うそれは、違う。自分で自分を縛りつけているだけだ」


「何を……私をバカにしているんですか?」


「簡単なことだろう。そもそもダンジョンの中で戦うことだけがすべてじゃない。たとえばフィン自身が別の地でダンジョンを運営することでも貢献できる。不完全な魔法核の技術を完成させることは、戦力増に大きく寄与するはずだ。他のダンジョンに生産技術支援を行うのはどうだ? あれだけ巨大な施設を作り上げた技術力が役に立たないとは思えん。やれることは山ほどある」


「そ、そんなこと、それは私の立場だったらという仮定が成り立っていません! 何も知らない部外者のあなたの妄想に過ぎません。できることできないことを知らずに好き勝手言ってるだけでしかありません!」


「これだけ言っても分からないなら――仕方ないな」


 できれば、この手は使いたくなかった。

 だが、フィンが俺の言葉を一切まともに取り合う気が無いのであれば、こちらとしてはこうするしかない。

 使えるものは、全て使わせてもらおう。

 そもそも、こんな代物をこんなところに落としていた方が悪い。


「な、何ですか。私は何をされたとしても――」



「フィンのその、父親の助けになりたいとずっと悩んでもがいている気持ちは、俺には痛いほどに伝わった」



 一瞬、俺の言葉を理解できずに固まるフィン。

 それから顔が見る見るうちに赤くなった。


「かつては戦うことでその役割を果たせていたが、今となってはダンジョンタワーの運営ですら力になれていない自分に、苛立ちを感じているその気持ちも、痛いほどに伝わっている」



「な、あなた、ちょっと!」



 フィンが飛んで降りたばっかりの吊り天井を、今は大股を広げて何とか一生懸命登ろうとしている。


「アルワイズがフィンを戦場から離しておきたがる気持ちも理由も分かっていて、それはそれですごく嬉しく感じるものの、そう思ってしまう自分が嫌になってしまう、そんな気持ちも痛いほどに伝わっている」



「や、やめなさい! やめて、ホントに、お願い、やめてください」


 足が天井にかかってようやく登って来れそうだった。

 それでも俺はやめない。

 イヤリングを介して聞こえてくるフィンの本音を、俺の口からぶちまけ続ける。



「ダンジョンの守備では役に立っていなかったレットがダンジョンタワーの運営ではしっかりと役目を果たしていて、そんな小さなことに嫉妬してしまう自分の心が嫌になる気持ちも痛いほどに伝わっ――いたい」



 仰向けに押し倒された。


「やめてって言ってるじゃないですか!」


 倒れた俺に馬乗りになり、涙目で胸倉を掴むフィン。


「どうして、あなたは、私の心をっ――」


こうして見ると年相応のただの女の子にしか見えない。


「なんだ、そうだったんだー」


 声だけで、メアが今どんな表情をしているか分かった。

 フィンが俺の上で、追い詰められた小動物みたいな顔になった。


「フィンはパパが大好きだから、頑張って何か力になろうとしてただけだったんだね」

「くっ――うう」


 メアの言うことは事実だ。そしてそれは娘の行動としては何一つ間違っておらず、素晴らしいことですらある。

 それなのに、指摘されたフィンはこの上ない辱めを受けたような表情をしている。


 この辺りにしておくか。


「まあ、なんだ。思っていることがあるんだったら、ちゃんとお父さんに言って話し合った方がいい。それでも解決できないことがあれば、俺たちが助けになるから」


「……はい」


 存外、素直に頷くフィン。


「あの、そろそろ、ご主人様の上から降りていただけませんか」


 静かな口調で、おずおずとシュナが割って入ってきた。その表に見せている顔とは裏腹に、心の声はかなり荒れていた。


 今のフィンの着衣は乱れ、息も上がっていて、客観的に見て良くない状態になっていた。


「す、すみません」


 俺の腰が軽くなる。

 体を起こし、場には静寂が戻ったが、俺の耳に聞こえる声はやまない。このまま聞いていたい気もあったが、このままだと心の平穏に支障が出てきそうだった。俺が聞いてはいけない三人の声も既にいくつか聞こえてきていた。特に、シュナの心の声は、聞こえても聞こえないフリをした。


「よし、じゃあ、先に進もう」


 押し倒されたときに落としてしまった魔導書を拾い上げ、仕切り直すように言った。

 皆が吊り天井からゴーレムの背を使って降りている間にポケットからイヤリングを取り出し魔導書の空いている頁に放り込んだ。


 声は聞こえなくなった。

 これは――危険なアイテムだ。


 宝物プライズとしてこんな代物が配置されていたとはとても思えない。勇者の落とし物か、魔族の遺品か。いずれにせよ、戻ったらこの地下ダンジョンの管理者であるアルワイズに渡すと決めた。


「お兄ちゃん、何してるのー。早く来ないと置いてっちゃうよー」

「こら、俺の指示なく勝手に進むな」


 メアに呼ばれ、俺も続いて下に降りた。

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