あなざーだんじょん【五】

「いったあああああ――っくない! あれ、なにこれぶよぶよしてる?」


 落ちた先には、スライムを固めて広げたウォーターベッドのようなマットが敷いてあった。


「大丈夫そうだな。シュナも、大丈夫か?」


 俺の膝の上に抱えたシュナに聞く。こくこく、とうなずく。もじもじと体をよじって俺から離れた。

 落ちているバングルを拾って、渡してやる。

 それなりの高さを落ちてきたはずが、幸い全員に怪我はなさそうだった。不安定で立つことすらおぼつかないマットから降りる。


「手を貸そうか?」

「要りません」


 自分の格好を忘れているのか、足を大きく開いてマットから下りる。紺のミニスカートが捲れ上がっている。俺は何か言おうか逡巡した結果、目を逸らすだけにした。


「本当に、信じられない……なんなんですかあなたたちは」


 何が起きたかは分からないが、なぜかフィンまで下に落ちてきていた。


「なんなんだとは俺が聞きたい。まずどこだここは」

「お城の地下ステージ。ここだけは昔のままなんだって」


 城自体がダンジョンだった時のままということか。


 確かに、景色は俺たちのダンジョンとよく似ていた。人工照明ではなく辺りを岩肌に埋め込まれた魔導照石が照らしているところも同じだ。

 問題は、地下単体で完結する施設じゃなく、城としてのダンジョンの一部がここだったという点だった。あまりいい予感はしない。


「で、それをなぜメアが知ってるんだ」

「なんでって、お兄ちゃんはそれで止めに来たんじゃなかったの?」

「あの、急いでいたので、事情は説明してなかったんです」


 今の話でなんとなく事情が掴めた。


「フィンが私たちのダンジョンをバカにしたからだよ」

「してません」


 噛みつくように会話に割って入ってきた。距離は離れたままだ。


「私は、あなた自身の能力に疑問を持っただけです」

「そんな言い方じゃなかったじゃん。 『私が守ってるダンジョンなんてたかがしれてる』って――」

「そんな言い方はしてません! それを言うならあなたこそ、この城なら一人で踏破できるなどと言い捨てたじゃないですか!」


「それは言ったけど」


 言ったのか。


「ご主人様、止めなくていいんですか」


 シュナが小声で俺に聞く。


「もう少しだけな」


 言い合いのうちはまだ大丈夫だ。

 感情がぶつかっている方がお互いの言い分が分かりやすくていい。


「別にダンジョンをバカにしたわけじゃないし。私ならできるって言っただけだから」

「普段戦場には出ないと言っておきながら」

「それはお兄ちゃんが出撃させてくれないだけだもん」


 本当に最初だけ、メアが出ていた時期はあった。


「――そういえば」


 フィンが議論をやめて俺の方を見た。


「なぜお父様のことを『お兄ちゃん』などとふざけ――くだけた呼び方をしているのか不思議でなりませんでしたが」


「ああ。この姿なら見たままだな」

 気付かれていないはずもなく、もう隠していてもしょうがないだろう。

「親子じゃなくて兄妹だよ」


「普段こんな喋り方でもないからね、お兄ちゃん」

「それは、どういうことですか?」

「メア、それは言っていいとは言ってない」


 その話をしてしまってはもう隠し事の一切がなくなってしまう。主に、というかすべて俺の個人的なところになるのだが。


「いいじゃんもう。隠すようなことじゃないんだし」


 結局俺はメアを止められず、フィンが聞くままにすべてを説明してしまった。

 とてもいたたまれない。


「えっと……クレフさん、は、元の世界では本当にダンジョンマスターで、それも同時に五十以上の組を受け入れることができるほどの規模を運営していて……」


セリナの針が無ければ、立ってすらいられなかったかもしれない。


「でもその年齢と見た目ではとても信じてもらえないだろうから、魔法で姿と性格を変えていたと……」



 そういうことですか?


 はい、そうです。



 こんな辱めを受けるくらいなら、初めからちゃんと元の姿で来て自分の口で全てを説明すればよかったと思えてきた。



「そうですか……」


 フィンが神妙な顔をしているが、考えていることは手に取るように分かる。まさかそれだけのために、と思いながらも実際この姿のダンジョンマスターが来れば一通り疑ってかかるだろうと自分の中で思考を巡らせているのだろう。


「そういうわけだから別に何か悪いことしようとしてたわけじゃないし。完全にフィンの勘違い」


「こら、メア。元はと言えばお前が不用意に挑戦めいた発言をするからこうなったんだろうが」


 俺自身の、主に身体的な事情からの都合は一旦棚に上げる。


「いえ、ミルメアの言う通りです。私が早とちりをしたばかりに、クレフさんもシュナさんも巻き込んでしまって……」

「あれ? ねえなんで私だけさん付けじゃないの?」


 メアの指摘は取り合わず、フィンに言う。


「そこをフォローされると隠していた手前、俺が申し訳なくなるんだが――と、そういえばどうしてフィンまで落ちてきたんだ?」

「ごめんなさい、それは私が……」


 シュナが黒と白のゴーレムを連結させて俺とメアを引き上げようとしたとき、部屋の方では支えとして例の扉の鎖を掴んだらしい。それが見事に壊れて、その衝撃で鎖のスイッチを一緒に掴んでいたフィンが巻き込まれて落ちてきてしまったという。


「いえ、謝ることはありません。むしろ、私の方こそ、すみませんでした。あなたまで巻き込んでしまって……」


 何度もシュナに頭を下げる。確かに見た目だけで言えば、それこそシュナが一番幼かった。


「それより」


 今こんなことを聞くのも、とフィンが口ごもりながら前置きをした。


「さっきの魔人は召喚魔法でしょうか? 別の世界の人がこちらで呼べるとは知りませんでした。以前にいらっしゃった召喚士の方は『精霊と話ができない』などと言って召喚がままならなかったという事態があったので」


「あ、はい。えっと……」


 シュナがまた困ったように俺の顔を見たので、一つ頷いてやる。


「――正確には私たちの世界では召喚ではなく魔導錬成という分野に分類されます。召喚はどこか別の世界から魔人や精霊を呼んで来ることを指しますが、魔導錬成では生命を与えるのは魔導士の仕事になります。なので、召喚士が召喚できない場合でも、魔導錬成で使い魔を使役できる場合があって、こちらの世界の理の下では、たまたまそうなったんだと思います」


「魔導錬成、ですか。こちらには無い言葉ですね……」


 フィンは何とか理解したらしい。

 メアは半分も理解していないだろうことが表情と態度に見てとれる。


「召喚士の召喚は召喚される側の都合に合わせなければならないのに対して、魔導士の魔導錬成の場合は、魔導士自身の実力によるところが大きい、ということでしょうか」


「はい、それであってます」

「それでは、時間制限なども自分である程度コントロールできるのですよね?」

「はい」


「では、落ちる直前にその魔法を解いたのは、なぜですか」


 フィンの声が少し大きくなった。


「結果的に下にマットが敷いてあって助かったというものの、なぜ使い魔をそのまま出しておこうとしなかったのですか? あれだけの距離を落下しては生身の方が危険だとは思わなかったのですか?」


 落下の順番はフィンがいちばん最後だった。ゴーレムの上に乗っていたシュナが落下の途中で消したのがよく見えていたんだろう。



「それはご主人様が――」

「あ、確かに。お兄ちゃんはなんで消せって言ったの?」


 メアには聞こえていたらしい。


「あのままだと俺たちが潰されるだろうが」

「あ、そっか」

「そ、そういうことだったのですか!? あなたは、自分たちが助かる可能性を上げるために、少女を犠牲にしようとしたのですか!?」


「なんでそうなるんだ。下が石畳じゃないことは分かってたんだから、ゴーレムに挟まれるほうがよっぽど危ない。それにシュナは落ちる前に俺が抱え込んだだろう」


 シュナが小さく頷いた。


 万が一を思って、落下寸前にグラビテの魔法でシュナを引き寄せておいた。


「お兄ちゃんそういえばなんで私じゃなかったの」


「メアは大丈夫だと思ったから」


「信・頼・感!」


 フィンは、まだ納得してくれていなかった。説明するのが段々面倒になってきた。さっさとこのじめじめとした地下から出たい。


「それは言い訳です! マットは落ちた後に分かったことでしょう!?」

「落ちる『前』に分かってたんだよ」


 正確には落下中にだが。

 落ち始めた瞬間、重力魔法で周囲の落下を和らげた時と同時に、俺は下向きに零號と六號の魔法をミックスしたものを放射していた。


「魔法素子を当てると物体の表面が、微小にだが、変形する。その変形量をまた別の魔法素子で計測することによって硬さを推定した」


 ゼリー上の非常に柔らかい物体が下に控えていることはそれで分かっていた。後は、俺たちの総重量と加速度を加味して耐えきれるだけの強度かを計算すればいい。


「そ、そんな説明を今されても困ります。後付けかもしれないじゃないですか――そうです、後付けに決まっています! そんな計算、落ちながらのあの一瞬でできるわけないじゃないですか!」


「よくわかんないけど、お兄ちゃんならできるんじゃない?」


 ただの足し算と掛け算で与えられた数字から一つの答えを出すだけだ。そんなものよりも不規則に動く勇者と廻廊の操作パターンの最適な組み合わせを考える方がよっぽど難しい。


そしてそう言われると今後はシュナの方が気になった。俺は指示しただけだが、判断したのはシュナだ。


「よくあの状況で判断したな」


 何も聞かなかったのは切羽詰まっていたからだろうが、命令とはいえフィンが指摘した通りシュナからすればゴーレムの背中に乗り続けている方が安全に違いなかった。明らかに危険と分かっている状況で安全装置を平気で外すような真似をシュナはしたわけだ。


「ご主人様の命令でしたので」


 聞かないという選択がなかったという。


「えらいねーシュナちゃんは。あ、私だったとしてもお兄ちゃんの言うことちゃんと聞いたからね?」



 俺が跳べと言ったのを二人とも無視した記憶があるのだが。



 まあ、過ぎたことはいい。


 話してばかりいても仕方がない。

 このぶよぶよしたマットがある部屋から出る道は一本しかないので、まずはそこから抜けていくか。

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