あなざーだんじょん【四】

 地下の薄暗い空間にずっといたせいか、肩と、気も少し重い。そう長い距離を歩いたわけでもないのに、階段が多かったせいだろうか体の節に軽い痛みが断続的に走っている。

 連絡をそれぞれ自分の部屋に戻って待つことになったため、今は靴を履いたままベッドの上にあおむけに寝転んでいた。昨晩と違い、両腕を思いっきり伸ばすことができていた。


「少し余計なことを言ってしまった気がするな」


 やることもないので、地下での出来事を振り返って反省していた。


 俺の想像の域を出ないが、アルワイズがダンジョンを廃する決心をした理由は、分かる。気持ちが分かるといった方が近いかもしれない。


 一方でまだフィンの想いがいまいちよく分かっていなかった。

 

 ダンジョンを捨てる、勇者と相対する役目を放棄するということは、魔王を裏切るということだ。俺の場合で言えば文字通り自らの親を裏切るに等しい。実際に誰に仕えていたかは知らないが、主君に対してフィンが底知れぬ忠義を持っていたとすれば、その背徳感たるや、窺い知れない。


 だが話を聞く限り、そういうわけでもなさそうだった。


「俺が考えても仕方がないことなんだがな」


 根が深い、家の成り立ちなどに関わるような話であれば、俺が介入してどうこうできるものでもない。


 そして、大人びた物言いをするせいで忘れてしまったりするが、フィンはまだ子供だ。

 実際は深い理由なんてなく、実はもっと単純な悩みだったということもあるかもしれない。

 そんなことを考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。


「アルワイズが戻ってきたかな」


 軋む膝を押さえながら立ち上がる。

 ドアを開けると、いきなり誰かに掴まれた。


「ご主人様――」


 シュナだと分かり、振り払いかけた腕と咄嗟に発動しかけた魔法を収める。

 蒼白な顔をしていた。

「――どうした」


 俺の腕をひっぱって急に走り始めたシュナについていきながら聞く。


「メアさんが、フィニーアさんと喧嘩して――」

「ああ」


 経緯はともかく、状況は分かった。

 それ以上聞くことはせず、まずは現場に向かうことを優先した。


 上に大浴場があると案内されていた階段を駆け下りる。質感のいいカーペットが、今は足を絡め取る障害でしかなかった。そんなに長い距離を追跡できるのかと心配になったが、口論が聞こえてきたので特定は容易かった。 声の方へ向かうと、一部分だけ異質な風体の壁が現れた。マーブルストーンとステンドガラスの窓に挟まれるように、レンガで立てつけられた荒い造りの壁。木ごしらえの扉が、少しだけ開いていた。


 俺はわざと音を立てるようにして扉を開け、中に入った。


「っ、誰!?」

「お兄ちゃん!?」


 二人が身構えてこちらを向いたその部屋は、見ただけでそれとわかるような倉庫だった。

 全体の広さは俺がこの城で与えられた部屋と変わらないくらいに思えるが、壁に押し重なるようにして並べられた木製のラックや戸棚、それから辺りに雑然と置かれたガラクタがこの部屋をとても狭く見せていた。


 二人が立っていたのは、複雑な刺繍が輝く正方形の絨毯の上で、そこにはなぜか物が乗っていなかった。

 部屋の奥には錆び付いた鉄格子のはめられた扉があり、無数の鍵と鎖で封じられていた。


「びっくりしたー。シュナちゃんが連れてきたの?」

「ああ。お前たちはこんなところで何をしてるんだ」


 メアの方は思っていたより冷静だった。フィンの方はすっかり熱が上がってしまっていた。


「お、にい、ちゃん!? あなた、お父様に対してそんな呼び方をしているの!?」


 何に対してかよく分からない怒りを発散させている。


「だってお兄ちゃんだもん」

「メア、やめろ。これ以上事態を悪化させるな」


 この二人は相当に相性が悪い。とりあえずメアだけでも部屋に戻そうとする。


「やだ。このまま引き下がれないもん」

「事情は後で聞く。いいから下がれ」



 頭痛がする。



 どんなやり取りがあったかは知らないが、この場から引き離すのが得策に思えた。


「お父様の言うことは聞いておいた方が身のためよ。あとで言う通りにすればよかったって、後悔するのは目に見えているから」


「はあ!?」

 フィンの言葉で、メアに完全に火が付いてしまった。


「ふざけないで、何言われたって別に関係ないから。いいからさっさと開ければ?」


 開くとは、そこに見えている扉のことだろうか。厳重に施錠されているそれはどう頑張ってもさっとは開けそうになかったが、開いたら開いたで面倒なことになるだろうことは容易に想像がついた。


「シュナ、ゴーレムを呼べ」

「え、え?」

「許可する。メアを連れて帰る」

「え、でも……」

「早く」

「は、はい!」


 シュナがバングルを腕から外した。


「お兄ちゃん! だめ、お願い。シュナちゃんも、だめだから」


 メアが言う。


「また! あなたはさっきから――」


 フィンが怒気を孕んだ声を上げる。その口は開いたまま途中で止まった。


 足元が、徐々に沈んでいた。


 よろめき、倒れそうになるが、踏みとどまる。景色に歪みはなく、絨毯にも異常はない。



「ご、ご主人様、体が……」



 シュナが言うので自分の手を見るが、違和感はない。よく見慣れた手だった。



 さっきまで感じていた体の痛みと頭痛が収まった。



 シュナがさっきよりも近く感じる。

 ああ、そうか。

 そういうことか。


「――ルルコットの魔法が解けたか」


 ここに来る前に掛けてもらった変身トランスの魔法が、解けた。

 俺は元の少年の姿に戻ってしまっていた。


「あれ、戻っちゃった?」

「そういえばここに来る前日からかけていたんだったか。それを思うとむしろ長いくらいだが」

 ディアの針の方の効果は、まだ残っているらしい。


「な――いったい、なにが」


 事情を知らないフィンが一人うろたえている。俺だってアルワイズが急に子供になったら驚くだろう。


「別の世界から来た、お客様が、ダンジョンマスターが、少年に……?」


 目を白黒させているのが少し面白いが笑っていられる事態でもない。


「どうするかなこれ……」


 フィンへの説明もそうだが、そもそも体が戻らない限りはどうしようもない。 ルルコットにもう一度頼むという選択肢がないので、セリナにダメもとで依頼するか、持ってきた薬品から調合できるかを試すかだ。魔導書は部屋に置いたままだ。


「ディアに言いに行く?」

「そうだな。場合によってはアルワイズにも伝えなきゃならないかもしれない」


「『場合によっては』とはどういうことですか!? だ、騙してたんですか!?」


 言い方が悪かったのか、俺のその言葉にフィンが反応した。

 偽っていたのは事実だが、そういう風に言われては素直に頷けない。

 目の前で起きている出来事を何かしらの思考回路で理解しようとした結果だというのは分かるのだが。


「今すぐ! 事情を説明してください! あなたみたいな者が、子供の身分で、お父様を騙して何をしようとしていたかを白状しなさい!」


 瞳の色と形状が変化しつつあった。竜化の兆候だ。


「そう言われてもな」


 そもそもが、俺の元の、つまり今のこの体では、訪問先の相手がまともに取り合ってくれないのではと心配したことから始まっている。

――今もフィンに子供と言われてしまった。


 フィンからすれば確かに目の前の大人が子供になってしまったのだから、そう表現したくもなるだろう。年齢で言えば俺もフィンも変わらないと思うんだが。


「――話せることもないんだが」


 とかく事情としてはそれだけなので、何かを企んでいるわけでもなく、白状しろと言われても話せることもない。

悩ましいのは、本当の事情を話しても納得してもらえるかが分からないことだ。


「そうですか。それではここから出すわけにはいきません」


 見ると、さらに二三歩離れた位置、扉のちょうど真横の壁にフィンが立っていた。出口から反対側、部屋の奥の厳重な方の扉だ。


「ミルメア、と言いましたか。それがあなたの本当の名前かは知りませんが。先程強気でいられたのは、嘘がばれないと思っていたからではないのですか?」


「嘘とか、意味わかんないんだけど」


「私には、今のあなた方では無事に出てこられるとはとても思えませんが――」


 フィンが扉の横、錠前へと伸びている鎖に手を掛ける。



「――それでは、さようなら」


 その鎖を思い切り引っ張った。金属の擦れる音がすると同時に、錠前と反対側、壁から伸びている方が一段前にせり出し、がごんと何かが動作する音が下の方で鳴った。


 足元が、今度は一気に沈んだ。


 絨毯に隠れた床が抜けたらしい。

 その中心から順に重みで下へと吸い込まれている。

 俺とメア、それからシュナが絨毯の上に足を置いている。

 フィンは扉に近づいたことで領域から逃れていた。


 開いた穴は隠れて見えないが絨毯より一回り小さいらしかった。


 即座に重力操作の魔法を放つ。俺の影が周囲に伸びる。対象を絨毯の四方に固定し落下の速度を和らげるが、魔力が全く足りないことを直感する。


 二秒ともたない。


「お兄ちゃ――」


 伸ばされたメアの手を払う。

 絨毯の一番中心にいて装備も重たい俺は誰よりも沈むのが早く、もう間に合わない。


「跳べ! 外に!」


 メアを絨毯の外――抜けた床の穴の外から逃がそうとする。シュナも外枠の近くにいる。

 あと一秒あれば十分だった。


「もう、お兄ちゃんのバカ!!」

「ご主人様!!」


 二人がゆっくりと沈む俺の方に飛び込んでくるのが目に入った。



――このっ――バカか。



 一度払いのけたはずの手が、俺の手をつかんだ。


 重力操作の効果が切れる。方形の影が消えて、俺たちの体は重力に従って真っ直ぐに落ちていく。


「来て! ライラ、レイラ!」


 シュナが手に持ったバングルを宙に放つ。

 光の粒子が集い、白と黒のゴーレムが顕現した。


「メアさん、手を!」

 

 俺の目にはもうさっきまでいた部屋の床が下から見えるだけだった。

 メアは逆さまになりながら、両手で俺の腕を掴み叫ぶ。


「無理、足!」


 良い判断だ。片手ではとても俺を支えきれない。

 白のゴーレムはメアの右足をしっかりと掴んだ。

 俺の体が落下を止めた。

 

 が、それは一瞬のことだった。


「嘘――」


 上の方でフィンの声がした。

 

 バキン、となにか固いものが壊れる音が聞こえて、俺たちは悲鳴とともに深く、深く落ちていった。

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