異世界【六】

 いつの間にか、ゴンドラは円を描き切って、俺たちを元いた場所に連れて帰ってきていた。

 扉が開き、動くままのゴンドラから降りる。これまでのものとは違って、これは降りても両の足がしっかりと地についていた。


 大砲が炸裂するような爆発音と、夜空に浮かぶ様々な炎色反応を示す火の粉を目にしながら、俺たちは手を繋いだまま城への道をのんびりと戻った。

 辺りに響く低い轟音を耳にして思わず戦闘の構えを取った俺に、あれは『花火』と呼ばれる演出の一つだとシュナが教えてくれた。半日歩く間にシュナは随分この街に詳しくなったようだ。


 随分と昔に下りたように感じられる階段を今度は上りきると、槍を構えた二人の門番が俺たちを迎え入れてくれた。さすがにこの時間になると勇者たちを新規に受け入れていないのだろう。既にすべての勇者を退場させ終わっていて、後片付けと翌日の仕込みに入っている頃かもしれない。


 大階段の大広間に入ると、待機していたアルワイズの部下がすぐに寄って来て、食事か部屋への案内か、どちらがいいかと尋ねてくる。

 俺は食欲があまりなく、シュナはパークの中でいろいろと食べ歩いていたこともあって、部屋への案内を依頼した。


 歩き始めたところですぐに見知った顔に出会った。城に入ったタイミングで手を放していてよかった。


「あれ、今帰ってきたの?」


 メアとセリナだ。聞くと、しばらく前に戻ってきていて遅めの夕食をダイニングで済ませたところらしかった。


メアの帰りが早かったのは、気になったところだけ見て回ってすぐに帰ったせいだと分かった。セリナから、随分遅くまで何をしていたのかと聞かれたが適当にはぐらかした。メアの面倒を見てもらったお礼は忘れず伝えておく。


「これからお風呂に行こうと思ってたんだけど、シュナちゃんも一緒に行く?」

「行きます!」

「あれ、お兄ちゃんは?」

「行かん」


 メアの誘いを断ると、今度がセリナが口を開いた。


「一緒には、入らないの」

「入れるわけないだろ」

「そう、残念」


 セリナは本気なのか冗談なのか分からない。


 荷物をすべて収納した魔導書を俺が持っているのもあって、一度部屋に戻ることになった。

 階段を上り、城の奥の客室まで案内される。着いた部屋の入口は、案の定両開きの扉だった。あまり広い部屋は落ち着かないので好きではないのだが、迎えられる立場として余計なことは言うまい。

 リストバンドがそのまま鍵になっているというので、扉にかざす。

 錠が開く音がする。


「ベッド大きいやつかな!?」


 俺の脇をすり抜けて、メアが部屋に駆け込んでいった。


「……相部屋じゃないよな?」

「はい。一人一室、ご用意しております」


 案内人が俺の質問に律儀に答える。


「大浴場は、こちらの階段を一つ上がった先にございます。また、明日は朝の九時半よりタワーのご案内を予定しておりますので、その時間までには自室にお戻りになられますようお願いします。その他何かございましたら、室内の内線電話でお呼び出しください」


 そうして伝えるべきことを伝えた彼女はこの場を立ち去って行った。門番も付き人も、この城の住人はただ与えられた役割を忠実にこなすことだけを命じられているかのようだった。


「荷物だけ先に出してしまうか」


 部屋の中から、俺たちを呼ぶ声がする。入ると、クレアゴン市街の一軒屋のワンフロアより広いリビングが俺たちを待っていた。


「広いです……」


 シュナが見たままの感想を述べる。その通りで、無駄に広い。

 ガラス天板のテーブルの上に、魔導書が置かれていたが、その脇にも丸テーブルとサイドテーブルが一つずつ。L字型のソファーが一つ、肘掛椅子が三つ。それでもまだ、床には十分なスペースが存在していた。左奥に部屋が見えるのはベッドルームだろうか。反対側の壁には大画面のモニターが埋め込まれていた。


これが相部屋だったとして、何の苦もない。


「お兄ちゃん、こっちだってば! 早く!」

 呼ばれるがままにベランダへ向かう。


「おお」


 街の景色が、ここから一望できた。パークとやらが閉園したせいか、さっき見た景色よりも明かりが少なく暗く見えた。


「あれ? なんか反応薄いね」


 柵に身を乗り出したメアがこちらを見て言う。夜風がその髪を撫でていた。


「さっき見たからな」

「さっき?」


 メアが何かを不審に思った顔をする。


「ご、ご主人様、ほらはやく荷物、荷物出してください!」

「ああ、そうだった」


 背後から急かす声がして、俺は室内に戻った。


「っ、ちょっと、お兄ちゃん!?」


  ◆


 三人が部屋から出て行ったあと、俺はしばらくソファーに座って体を休めていた。


 窓を閉め切ると、一切の音が遮断された。久しく味わっていなかったこの静けさは、俺の心をやわらかく包み込んで安らぎを与えてくれた。


 壁にかかっている絵画の一つは、この城の鳥瞰図だろうか。正面から見たときは左右対称に見えていたが、縦に横に、実際は縦横に伸びる複雑な構造をしていた。初めてこの城に来た人は地図なしに歩くと同じところに戻って来れなくなりそうだ。


 ふと、近くのテーブルの上に、メニューブックのようなものが置いてあるのが目に入った。

 手に取り、開いてみる。

 レストランと変わりない食事のメニューが記載されていたそれはまさにメニューブックだった。最後の頁に、必要な際は電話しろと案内があった。そういえば朝食の案内がなかったが、ここから頼めということだろうか。食欲が無いためこれ以上眺めている気になれず、冊子を閉じてテーブルに戻す。


 今さら部屋を出る気分になれなかったので、大浴場には行かずに自室のバスルームを使うことにした。

 ようやく椅子から立ち上がる。


 そしてまだ腕にはめたままだったことに気付き、リストバンドを外した。

 今日半日ほど過ごしただけだが、支払いから人物照合、鍵の役割まで果たすこの魔法具は非常に便利だ。


「『魔紋認証』と言っていたか」


 この仕組みは俺の世界でも使えるかもしれない。シャワーを浴びながら、俺はその構造に考えを巡らせていた。


 今日使いながら、大体の仕組みは分かった。


 まず、最初にこれを渡されたときに、誰にどの色を渡すかは最初に決められていた。俺たちは手渡されたものをそのまま手に取っただけだ。

 それから、俺は魔力の流れを見ることはできないが、感じることはできる。最初に腕にはめたとき、微量ながら俺の体から魔力を吸い取った。そして鍵を開けるときや支払いをするときにこれをかざすときも、俺から魔力を吸い取る。

 最初に手にはめた時だけ、魔力の波長が長く、その後はずっと短い波長が流れた。


 これらの情報から考えられるのは、このリストバンド自体にいくつか種類があるということだ。それぞれに異なる機能が与えられている、と言い換えてもいいかもしれない。


 どこかの部屋の鍵を開ける機能。支払いを不要にする機能。所有者が特別待遇者であることを示す機能。

そして悪用を防止するために、リストバンドは初めて着用された時に所有者の魔力を記憶する。リストバンドが使用されるたびに、記憶されたの魔力と使用者の魔力を照合し、一致すれば、リストバンドが持っている機能のいずれかを果たす。


「……ルルコットか」


 シャワーの湯を止める。


 普通に頼むのであれば、ルルコットが最適だ。俺が書いた設計通りに、何の問題もなく似た魔法具を仕上げてくれるだろう。

 ただ。


「それだと今までと何も変わらないからな」


 これまでは頼む以前に探すこともしてこなかったが、魔法具の制作が得意な配下が少なくとも一人くらいはいるだろう。コノハの配下だけでも十数人といるらしいから、まずそこをあたってみるのも悪くない。

 

 ぐしゃと乱暴に髪にタオルを当てながらバスルームから出ると、メアがベッドに寝転がっていた。

 俺と目が合い、悲鳴を上げる。


「きゃわっ!」


「……なんでいるんだ」

「なんでまた服着てないのお兄ちゃん!」

「いや、ここ俺の部屋だから」


 そもそもどうやって入った。

 俺がさっきまで考えていた仕組みでは、メアのリストバンドでこの部屋の鍵は開けられないはずだ。もしかして俺の考えていた機構に誤りが――


「鍵開いてたよ。不用心なんだからお兄ちゃん」


 単に三人が出て行った後に閉め忘れていただけだった。


「なんでいるんだ」


 ベッドルームに置いてあった濃いベージュのバスローブを体に巻く。メアも白のバスローブを着た格好だった。隙間から、ふとももの肌色がのぞく。


「私の部屋、お兄ちゃんの部屋より小さかったんだけど」

「そうだろうな」


 向こうからすればあるじしもべの関係なんだから同じ格式の部屋は用意できないだろう。


「ベッドもこっちの方が大きい」


「部屋、代わるか?」

「なんでそうなるの?」

「なんでそうならないんだ」

「こんな広い部屋で一人で寝るの、落ち着くわけないじゃん」

「めんどくさいな」


 メアの寝転ぶベッドに腰かけ、髪をまた乾かし始める。


「こっちの世界はどうだ。何か面白い発見はあったか」


 背後のメアに声をかける。ぎし、とスプリングが軋む音がした。


「さっきお風呂でシュナちゃんとディアと話してたんだけど」

 タオルを奪い、膝立ちの姿勢になって俺の髪をぐしゃぐしゃとやり始めるメア。

「どうした」


 昔に俺がメアの髪をこうして乾かしてやったことはあるが、逆をされたのは初めてだった。


「夜、観覧車乗ってたって」


「かんらんしゃ?」


「とぼけたってだめ、シュナちゃんから聞いたんだから」


 とぼけるもなにもその言葉に耳馴染みが無い。聞くと、あの巨大な円型の骨組みに支えられたゴンドラのことをそう呼ぶらしい。


「ああ、あれか。あれが一番マシだったな」


 一日歩き回って疲れた足が少し休まったひと時だった。他は精神を削る狂った機械ばかりだった。


「――ふーん」

「メア、やってもらってなんなんだが、少し力が強い」


 そもそも頼んですらないんだが。髪を乾かすというよりマッサージのように指圧で頭を握り潰される感覚がする。


「私のことはほったらかしだったのに」

「一人で勝手に走っていったからだろ」


 俺が全速力のメアに追い付けるわけがない。


「連絡もつかないし」

「だからセリナをつけたんだ」


 どうせこの世界で使えないだろうからと通信機は元の世界に置いてきていた。


「ディアも不満そうにしてたんだからね」

「セリナが?」


 それは悪いことをした。というかそれはメアのせいでもあるんだが。


「お兄ちゃんはシュナちゃんを甘やかしすぎ。明日からはもっとちゃんとしなさい! はい、乾いた! おしまい!」


 もふっとタオルを俺の後頭部に投げつけて、メアはベッドに倒れ込んだ。そのまま布団を首までかぶる。

ちゃんとしろとは雑すぎて何をどうすればいいのか全く分からないが、もっと構ってほしいと言っていることだけは分かった。


投げつけられたタオルをバスルームに戻し、ベッドに入ろうとするとメアが俺の入るスペースを空け布団をめくってくれる。


「広いから二人で寝ても全然狭くないね」


 楽しそうに言い、俺にもう一つの枕を渡す。


「二人でこのベッドで寝るより一人で自分のベッドで寝た方が絶対に広いはずだ」


メアの部屋のベッドがどの程度の大きさだったのかは知らないが、この半分以下のサイズだとは考えづらい。


「枕二つ用意されてたんだから二人で寝てくださいってことなんだよ」

「そういう意味じゃないから。メアの部屋にも二つあっただろう。固さが違うから好きな方を選べってことだよ」


「え、そうなの!?」


 電気を消す。


 まどろみの中、メアが布団の中で俺の腕を絡めとった感覚がするが、そのままにして俺は眠りに落ちた。

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