異世界【五】

「うわああああああああああああ!!!」

「きゃああああーーーー!!!」


 何度目の悲鳴か、覚えていない。

 声が枯れそうだ。

 今は、この世界で列車を空に走らせることを思いついたやつを絞め殺してやりたい気分だった。


「バカか。バカの集まりなのか」


 地面に降り立った今も、まだ宙に浮いている感覚がする。俺の世界でも円型の路線を周回する列車はあるが、超速でどこの目的地にも止まらず二、三分で元の場所に戻ってくる屋根無しの列車はない。熱力でも蒸気でも魔力でもなく、高所から落とすだけの原始的な力技の手法で、これほどまでのスピードを生み出す技術は、一周回って驚嘆に値する。


「うあー、気持ち悪」


 ベンチに腰掛け、空を見上げる。


 いい天気だった。

 親子連れが多いこの街で、魔族の気配はほとんど感じられなかった。

 

 カラフルな風船を手にはしゃぐ子供からは欠片ほどの魔力しか感じられず、そしてそれは子を連れた親の方も同じで、メアどころかシュナの足元にも遠く及ばない。ポップな音楽に紛れて、親子の会話が聞こえてくる。勇者はもとより、近くの町で商人としてやっていくことすら危うい程度の実力でタワーに挑戦したいなどとのたまうのは、一周回って驚嘆に値する。


「うあー――」


「ご主人様! お飲み物です」


「あー……――ありがとう」


 すっかりバンドの使い方に慣れたシュナが近くの店でアイスティーを買ってきてくれた。セリナの針のせいで好みまで変わっているのか、今はシロップもミルクも入れる気になれなかった。首を正面に起こして、ストローに口を付ける。氷が涼しげに鳴る。


「……なんだそれは?」

「アップルキャラメルスカッシュです!」


 満面の笑みで緑の液体をすするシュナ。


 アップルでもキャラメルの色でもないが大丈夫なのかそれは。そしてスカッシュってなんだ。感想がいくつか浮かぶが声に出す気力は無かった。


シュナは俺の横にすとんと腰を下ろした。


「えっと、あと乗っていないのはですね、――」


 この街の地図をどこかで手に入れたシュナは、いっぱいに広げながらあれこれとランドマークらしき印を指差し、楽し気に話しかけてくる。なんとかドラゴン、サンダーなんとか、サイクロンなんとか、などと暴力的な固有名詞が並ぶが、一つとして俺の記憶に残らない。


「……歩き疲れてないのか。休まなくて大丈夫か?」

「はい、大丈夫です!」


 夕方にはまだ少し早い時間だった。

 何かを胃に入れる気分にはなれなかったので食事はまだ当分先でいいが、しばらくこうして座って休んでいたかった。

辺りを眺めていると、どことなく、大人の男は他の人種と比べて疲労感を色濃く漂わせているのが分かってきた。戦いに参加できる者に対して作用する闇の結界魔法が辺りに張られているのかもしれない。なるほど、パーティーを戦闘前に弱らせる手法は俺も考えつかなかった。『招かれざる者イングラータ』への対策として検討する価値はあるかもしれない。


 俺の目の前、少し先の開けたスペースで、謎の管楽小隊が結集し路上演奏を始めた。人が次第に集まるが、演奏者が聴衆からお金をもらっている様子はなかった。チケットもなければ、投げ銭の入れ物も周囲には見当たらない。彼らはどうやって生計を立てているのだろうか。


 そんなことを考えている内に、シュナは一通りの話を終えたのか、地図を閉じる。折りたたんだ地図はいつの間にか手に入れていたウサギのウエストポーチにしまった。


「ご主人様、では行きましょう!」


 すべてのランドマークを踏破する使命に駆られているシュナは俺の手を取りベンチを元気よく立ち上がった。俺の座っていようとする慣性系の力はシュナの加速系の力にあえなく負ける。


 何が少女をそうさせるのか。


 メアもすごい勢いでこの街に消えていったが、『魅了チャーム』系の結界魔法が織り込まれているからなのかもしれない。

 残念ながら、オーバーライド時ならまだしも今の俺にこれだけの範囲を覆う大魔導を破る実力はない。


「次はどこに行きたいんだ」


 とはいえ、一度許可した以上、翻意することは俺自身の矜持に反する。

 体の火照りを伝える少女の小さな手をはぐれないように握り返す。


「はい、あっちです!」


 かわいらしい笑顔でスキップするように次の目的地に向かうシュナに、今は主従が逆転したかのごとく俺はただ従うのみだった。


   ◆


 次に再び俺が足を休めることができたのは、丸々四時間経ってからだった。日頃の運動不足もあって、俺の心はただ疲れたとしか言わなくなっていた。


 すっかり日は沈んで、ようやく最後の目的地に俺たちはいた。

 これは絶対最後ですとシュナが言い続けて、そしてその通りになった。


「おお――」


 フラットシューズを履いたまま、ひざで椅子の上にのぼって、シュナが感嘆の声を上げた。

 城から見た、あのゴンドラの中だ。

 二人でいっぱいになるこの狭い空間は、ゆっくりと持ち上げられていく。円の頂点に至るまではまだまだ時間がかかりそうだったが、今でもすでに城とタワーを除いて既に何よりも高い位置に来ていた。


「わあーーー!!」


 喜びという単一の感情を、こうも多様に表現できるものかと俺は感心していた。


 ゴンドラはさらに高度を上げていく。飛翔の魔法に馴染みがない俺たちが普段これほどまでの高さに至ることはない。五號、つまり風の魔法を得意とする魔法使いがいないからだ。


「メアさんもこの景色を見たんでしょうか」


 月明かりに共鳴するように、街の明かりが辺り一帯を幻想的に浮かびあがらせていた。

いつか精霊の泉で見た景色に、似ているようで、遠い。木漏れ日が彩る青々とした風景とはまた違う、眩さの陰にどこか物憂さを孕むその景色に俺はいつの間にか目を奪われていた。


 ふと、シュナが体の向きを変えた。


「……ご主人様、そっちに行ってもいいですか?」


 この乗り物の中で立ち上がることはなんとなく危ない気もしたが、強く断るほどでもないので頷いて少し脇に寄る。シュナが空いたスペースに移動しようと立ち上がり、そのせいで少しゴンドラが揺れる。わずかな揺れではあったが、シュナはバランスを崩し、支えようと手を伸ばした俺の膝元に倒れ込む。


 窓の外の景色から、他のゴンドラが消えた。


「――ご主人様」


 跪いて俺を見上げる格好になったシュナが、そのままの体勢で口を開いた。


「あ、あの! 今日は、私のわがままを聞いてくださってありがとうございました」

「…………どうした急に」

「え、普通にお、お礼です」


 抱き起こされるように立ち上がったシュナは、俺の横に座り直した。

 横顔からは表情がはっきりと読み取れない。

 

 わがままかと言われればそうかもしれないが、普段コノハと俺の城を支えてくれている配下の、滅多にない頼み事を聞かないという選択肢はなかった。


 むしろ、お礼というのであれば本来は俺が皆に伝えるべき言葉なんだろう。


「そういえば、シュナの他にもコノハの補佐役がいたはずだが」

「はい、みんなで十四人です」

「そんなにいるのか!?」


 思わず声が大きくなる。まったく認識していなかった。


「五人くらいじゃなかったか」


「交代しながらなので、一度には確かにそれくらいです」


 常に同じメンバーがいると思っていたが、違った。モニタールームでボタンやスイッチを操作するのと違って実際に体力と魔力を消費するのだから、休みなく毎日働き続けるのは確かに大変だ。


「顔を全然知らないな……」


 事実、昨日まで俺はシュナの顔と名前も知らなかった。


「私たちはみんなご主人様のことは知ってますよ」

 シュナが笑う。

「――ああ、すまない」


 自分のダンジョンのことは全て把握しているつもりだったが、思い上がりも甚だしい。誰がいるかすらも分かっていない俺が、よくここまでやれてきたものだ。


「え、ど、どうしてご主人様が謝るんですか」


 すぐに笑顔が曇り、心配そうな表情になる。シュナは俺の苛立ちにも似た後悔の念を理解できていないらしかった。


 現場の人材配置については、それぞれに任せっきりだ。配下が必要であれば、俺が工面することもあるが、それぞれ自分で探してきてもらっている。セリナは不要だと言っていて、確かリックは一人か二人付けていた――この記憶すらおぼろげなのがますます俺を苛つかせた。ルルコットにはダンジョン設備のメンテナンスや調整、居住区画の清掃含めた維持管理、経理などなどを任せているので、いったいどれくらい抱えているのか想像もつかなかった。


「ダンジョンの責任者である俺が、何も把握できていなかったことに気付かされた。俺は、何も知らないでいることに対してこれまで無頓着過ぎた」自らの苛立ちを隠さずそのまま口にする。「これまでもそうしてくれていたかもしれないが、これからは何かあればすぐに俺やコノハに教えてほしい。不満に思っていることや、改善できそうなこと、課題感、何でもいい。ああ、そうだな、俺が定期的に現場に出るのがいいか――」


「ご主人様」


 珍しくシュナが俺の言葉を遮る。気付けば、右の手がそっと包み込まれるように握られていた。


「ご主人様は、先生やメアさんからお聞きしていた通りの人でした」


 急に何を言い出すかと思えば。そういえば、昨日そんな話をしたような気もする。


「どんな話を聞いているかは知らんが」

「言っちゃダメと言われているので言わないですけど」


 言えないのか。


「でも、ご主人様がみんなのことを考えていないというのは、絶対違うと思います」


 ここで一度言葉を区切った。そして息を吸い、シュナはまた言葉を紡ぎ始める。


「今日だって、ご主人様は私に一度も命令せずに、ずっとわがままに付き合ってくれました。昨日初めて会った私みたいなただの見習いにもこうして優しくしてくださるのですから、きっとご主人様はいつも、私たちのことを考えてくれているんだと思います。それも、ご主人様が意識していないだけで、私たちはちゃんと覚えています。だからみんな、ご主人様についていきたいって、言うんだと思います」


 言い切ったシュナは、俺から目線をはずさないままでいる。澄んだ瞳を見ていると荒れた俺の心は次第に落ち着いていった。


 少なくともシュナの中で相当に俺が美化されていることは分かった。


「……俺にはよくわからないな」


 かといって強く肯定するのもはばかられたので、ぼんやりと言葉を返す。


 俺には本当のところはどうかは分からない。分からないが、心は少し軽くなった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る