異世界【四】
食事をとった時間は昼には早くブランチの時分だったが、十分すぎる量がディッシュプレートに盛り付けられていた。好物のスクランブルエッグとホットケーキを食べすぎたメアは案の定苦しそうにしていた。
「おいしかったー……うー……おいしかったー……うー……」
「新種のモンスターみたいになってるぞ」
ダイニングを出た俺たちは、アルワイズの二人の付き人に案内されながら城の廊下を歩いていた。いくつもの部屋が立ち並ぶ廊下を歩いて、三つほど角を曲がって扉を開けた先は、大階段の広間だった。おそらくこの城の正面玄関だろう。
「お待ちしておりました」
最初に見た時と寸分たがわない姿で、アルワイズが俺たちを待っていた。二人の子供達は今は側に控えてはいなかった。
アルワイズは深く一礼し、そして顔を上げた。
「ルルコット様よりご依頼をお受けしておりますので、私共の城の運営を見て頂き、経営にかかわる知見を深めて頂ければ、と思っているのですが――」
言葉遣いと調子が最初の状態に戻ってしまっている。あの後、また娘から説教でも受けたのかもしれない。メアのおかげもあってせっかく打ち解けたと思ったのに残念でならない。
「――その前にぜひ、この街をご堪能いただければと思っております」
「クレフ様、こちらを」
付き人が差し出したのは、ラバーで出来たリストバンドだった。その一部が太くなっている。こういったものを町で見かけることはあるが、控えめに表現して簡素な装飾品だ。少なくとも客人に渡すような代物ではない。
「私にもですか?」
シュナが言うように、それは全員分用意されていた。四本それぞれ色が違う。黒、緑、ピンク、白。
セリナが差し出された緑のバンドを手に取った。
「……少しだけ、魔力を感じる」
「はい、お察しの通り、魔法具でございます。装着された方の魔力を記憶する、魔紋認証の術式が組み込まれています。この街を歩くのに、必ず、必要になります」
アルワイズが答える。俺たちに危害を加えるつもりは無いはずだろうが、初見の魔法具を身に着けるのは少し躊躇われた。
「腕に、はめていただくだけで、自動で認証が行われます」
使い方の説明を受けたとしても、それを使うかどうかは俺の判断だ。
こういうものはメアが真っ先に手をつけそうなものだが、小さい頃に文字通り痛い目を見ているので魔法具と聞いては迂闊に手は出さなかった。シュナも俺の指示を待つかのようにじっとしていた。
俺は無言で黒のバンドを取った。
どちらの腕かは迷ったが、敢えて利き腕にした。ラバーを軽く引き伸ばしながら、右の手首に通す。
ぴろりろりろりん。
ポップな効果音が鳴った直後、電子音声が流れた。
ホールに響く少女の声。
『ようこそ、キャッスルへ! 本日は夜の十時の閉園まで、ごゆっくりとお楽しみください!』
「え、かわいい! なにこれ!」
リストバンドの太い部分がデジタルに点滅し、立体ホログラムがウサギの姿をしたモンスターがぴょんぴょんと飛び跳ねる様を映し出していた。それはしばらくすると消えた。
見たことのない種類のモンスターだった。合成種だろうか。
「私もやっていい!?」
キラキラした目でメアが俺の服の裾をきゅうと掴む。危険性を見るためにまず俺が試してみたが、今のところ別段異常は感じない。セリナの反応を見る限り問題はなさそうだった。
「あ、ああ」
喜んでピンクのバンドを取るメア。
「あ、あの、ご主人様、私も……」
禁止したはずの呼び方に戻ってしまっているシュナの待てを解除する。シュナは最後に残った白のバンドを取った。
「はあーあ、よかった」
途端、大きくアルワイズが息を吐いた。
「世界渡りで来られたお客様は魔力の波長が違うのか、たまに反応してくれない時があるんですよ。今回は魔紋認証の技術がある世界からいらっしゃったようでしたので多分大丈夫だろうとは内心思っていたのですが――いやあ、よかった」
アルワイズが緊迫した表情で俺たちを見つめていた理由がわかった。今は緊張が解け、緩んだ顔をしていた。
メアとシュナは俺と同じようにバンドをはめて、跳ねるウサギモドキを見てきゃっきゃと喜んでいた。メアはまだ分かるが、シュナがこういうのが好きなのは意外だった。
「それで、このリストバンドは一体……」
「ああ、そうでした、それでは、ご案内します」
この城の正面玄関の大扉。左右一枚ずつをそれぞれ付き人が両の手で押し開く。ごっ、ごっと鈍く低い音を響かせながら、外の光を受け入れて少しずつ世界を見せていく。
大扉が、開ききった。
雲一つない青空の下に、虹色のあざやかな世界が広がっていた。
「すっご、何これなにこれ!!」
「わあ――」
アルワイズの言う『街』とは、この一帯全てを指すのだろうか。そわそわしたメアが勝手に駆け出して行ってしまわないように、肩を掴んで抑え込む。この調子だと、もしかしたらシュナも押さえておいた方がいいかもしれない。
『航りの門』からやってきた俺たちには分からなかったが、この城は階段を上って入ってくる造りになっているらしく、今は街全体を見下ろす位置にあった。
眼下には、遠くにあっても明らかに奇異と分かる建造物が乱立しているのか見える。
船が、大きな振り子に揺られて空を飛んでいる。
馬車の群れが、テントの下でコマのようにぐるぐると回っている。
巨大な風車のような建造物には、その骨組みの先に色とりどりのゴンドラが括り付けられ、それがゆっくりと回転しているのが見える。
列車は元いた世界にもあったが、線路が宙を捻じ曲がりながら走っているのは見たことがない。そして今その線路に車体が走るのが見えた――猛スピードで、あろうことか、屋根がない。乗客は当然のごとく悲鳴を上げていた。
何もかもが非現実的な空間の中で、コミカルな曲が流れているのが不気味に感じた。
「ああ、そういうこと」
セリナが呟く。
どういうことか俺にはさっぱりだ。
「シュナ、待て」
何に惹かれるのかが分からないが、シュナがうずうずしていたので念のために命令で従えておく。絶望的な顔をしたシュナが振り返って俺の顔を見た。
「これが、私の、ブランシュタイン・キャッスル・パークです!」
どん、と一歩前に出て両腕を広げ、声高に宣言する。アルワイズのしたり顔を初めて見た。
そして後の言葉はほとんど俺の耳に入ってこなかった。
「そのリストバンドはこの街、もとい、このパークのフリーパスです。特別に、すべてのアトラクションのエクスプレスチケットも備えつけておりますので、一切待たずにお楽しみいただけます。また、フードやドリンクについても、お代を頂くことはありません。そちらのリストバンドをお会計時にかざして頂くだけで、VIP認証が通過し決済が完了します。もちろん、何かお品物を御所望の際も同じようにショップのレジでそちらのバンドをかざして頂くだけでお持ち帰り頂けます。荷物になるかと思いますので、スタッフにお声かけ頂ければ、こちらの城、皆様のお部屋まで、お運びいたします。どうぞ、お気兼ねなく、ごゆっくりとお楽しみくださいませ」
何を言っているかほとんど理解できなかったが、続くメアのセリフは理解した。
「全部タダってこと!? やった、リックにおみやげいっぱい買って帰れるね!」
タダなのに買って帰るとは、いかに。放っておくと根こそぎさらって帰りかねない。
「メア、さすがに限度が――」
「いえ、いえ。ルルコット様のご紹介ですから、これくらいのおもてなし、させて頂かないわけには参りません」
ずい、と近づいて、アルワイズが言う。近い。儀礼的で形式ばったあの調子でいられるのもつらいが、今のこの高いテンションもなかなかくるものがある。
「先ほどバンドの方からも案内がありましたが、当パークの閉園は夜の十時です。実際の経営の詳細をお話しさせていただくのと『ダンジョン』を体験いただくのは明日に時間を取っておりますので、本日は、当パークをごゆっくりとお楽しみください。お戻りの際は――」
アルワイズが、背後を振り返った。俺たちもそれにならう。
まだ、驚かされることがあったとは。
「こちらの、『ダンジョンタワー』を目印に戻ってきてください」
城の背後に、天に昇る巨大な塔がそびえ立っていた。
窓の数がそのまま階数を示しているなら、五十を優に超えている。
あらゆるものに圧倒されながら、押し寄せる情報を整理するだけで精いっぱいだ。
感想を端的に表現するのならば、「思っていたのと全然違う」だ。何もかもが。
「もうすぐ一時になりますので、まもなく午後の部の『勇者様』達がいらし始めます。私はこれよりそちらの対応に務めますので、皆さまをご案内できず恐縮ですが――」
「はい、大丈夫です! それじゃ行ってきます!」
俺の手の力が緩んでしまっていたのか、メアが隙をついて城の階段を駆け下りていく。
「あ、おいメア――すまない、セリナ」
俺ではメアのスピードに追い付けない。もう階段の一番下に着いて、おそろしい数の人が溢れる『パーク』とやらに姿を消すところだった。
「――はあ」
あからさまにため息をつくセリナ。
バリッと縦に稲妻が走り、一瞬で姿が消えた。
それを見たアルワイズが驚いていた。
「あの方は、
また聞きなじみのない言葉だ。俺はだんだん疲れ始めていた。
「こちらの世界ではそんな名前が付いてるんですね」
「ええ、地域によって色々呼び名はありますが――失礼しました。少し、驚いてしまいまして。それでは、私はこれで戻りますので、クレフ様もどうぞ、当パークを心行くまでお楽しみくださいませ」
そう言い残してアルワイズは二人の付き人を連れて城の中へと帰って行ってしまった。
「楽しめと言われてもな……」
この奇妙な世界で何を楽しめばいいというのか。
そういえば、もうすぐ勇者の案内が始まると言っていたか。俺がいる世界と同じで、衛兵がダンジョンへの入場規制をかけている時間があるのだろう。
ダンジョンタワーと呼ばれたその塔に入るには、この階段を通る他に道はなさそうに見える。このダンジョンに挑むこの世界の勇者がどの程度の力を持っているかが分からない以上、突っ立っている俺を何かと間違えて戦闘でも始められでもしたら、大変困る。万が一この世界で俺が倒されでもしてしまった時に何が起きるかは考えたくもなかった。
とにかく場所を移るのが賢明に思えた。
「ああ、そういえば部屋があるとか言っていたか」
アルワイズには悪いが、何も『パーク』に入らなければならないということはない。「世界渡りの疲れが残っていて休みたい」などと言えば、おそらくこの時間からでも部屋を開けてくれるだろう。
メアはセリナに任せておけば大丈夫だ。
「……戻るか」
――ぐっ。
大扉へ進もうとしたが何かに引っかかり、歩を止める。まさかこの姿になって自分のマントを踏むはずは――
「――シュナ」
忘れていた。
シュナがうつむいたまま、俺のマントを両手でしわが出来るほどにぎゅうと掴んでいる。
「ど、どうした? 何かあったのか」
「ご主人様……お願いです……お慈悲を……」
泣きそうな声で――いや、もう泣いているのか――シュナが俺にすがる。
「な、なんだ。どうした」
コノハさんから魔導召喚士としての彼女の話は行く前に聞いていたが、ひとりの女の子としてどんな子なのかまではさすがに聞いていない。
「――せてください」
何を言っているのかが聞き取れない。
俺はしゃがんでシュナに目線を合わせる。
「――お願いですから、シュナをいかせてください」
目に大粒の涙を浮かべて懇願するその
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