異世界【三】

 強い光が目に入る。人工照明ではなく、自然光だと分かる。

 そして光に慣れて、視界が戻る。

 

 屋内だ。

 

 どこかの部屋にいるらしかった。俺は辺りを確認する。

 ゴーレムを縦に五体は積み上げられそうなほど高い天井に、十六角形の巨大なステンドグラスがはめ込まれている。マーブルストーンかライムストーンが使われた壁の柱に挟まれるように、採光のためだけの窓が左右にずらりと並ぶ。

 ここが城なのであれば、この部屋はおそらく謁見の間だ。

 足元に敷かれた赤いカーペットの上に俺は立っていた。境界の一歩外側には、黒の式服に身を包んだ者達が両脇にそれぞれ二列、優に百は超えた数が堵列とれつする。皆一様に頭を下げていた。


 いつの間にか皆この部屋に着いていたようだ。メアは辺りを落ち着きなく見渡しているが、幸い言葉は発さずにいてくれている。



「――ようこそ。お待ちしておりました」



 前方に、一人の男が立っていた。


「私は、この城の経営者を務めております、アルワイズ・ブランシュタインと申します。以後お見知りおきを。今回の皆様のご滞在が快適でありますよう、この城を挙げて、おもてなしさせて頂きます」


 その細身の男は恭しく頭を下げた。


 赤の絨毯の上に立ち、白のタキシードに身をつつむその男は、支配者というより支配人という表現が似合う出で立ちだった。男の後方両脇に控える二人の長身の男も、アルワイズと名乗った男にならい、一礼する。


「セリナ・ディアフォールです。この度は、お招きいただきありがとうございます」


 急な事態に言葉を紡げない俺に代わって、一歩前に出たセリナが応答する。


「ご厚意に感謝し、我が主、クレフ・クレイジーハートより、献上の品がございます」


 男はセリナの声に反応し、俺の方を見た。青い目に、金色の髪。最初見たときには気付かなかったが、よく見ると目尻や頬にしわが目立つ。この世界での時間の流れ方は分からないが、それなりにとしを重ねているのだろう。


 敬語で話した方がいいだろうな。慣れていないんだが。変な言葉遣いにならないだろうか。脳内で、そんな細々こまごまとした心配をする。


「シュナ、書を」


 振り返り、小声で言う。びくっと肩を震わせ、緊張で固くなった表情のまま、抱えていた魔導書を手渡してくれる。


「クレフ・クレイジーハートです――貴殿のことはルルコット・ワイスワースより聞き及んでおります」


 あまり長い言葉を喋りたくはない。魔導書を開く。十二頁と十三ページの見開き。

 俺は二つの品を具現化した。


「こちらの献上品は――いずれも、私の世界で非常に珍しい品です。一つは、蜃龍しんりゅうの皮で作った羽衣。もう一つは、六なる魔導を織り交ぜて鍛え上げたスティレットです――お納めください」


 まずは噛まずに言えたことにほっとしながら、台本通り頭を下げる。宙に浮かべたままの献上品を、アルワイズに向かって差し出すと、お付きの二人がすっと前に出て受け取った。


 そのときだった。



「うっわ、すっげー!! どうなってんだそれ!?」



 突然、この場に全くふさわしくない声が上がった。


アルワイズのさらに奥、小さな少年が一人、カーペットの上を飛び跳ねながらこちらに走ってくる。

謁見の間だとは分かっていたが、そこに玉座が三つ並んでいることには気付けていなかった。正面から右の椅子には、一人の女性が座っていて、その少年を制止するような手を伸ばした仕草をしていた。残る二つの玉座は空席だった。


 三人とも、よく似た金色の髪。


「ああ、レット。ダメじゃないか大人しくしていないと」


 走り寄ってきた少年を脇に手を差し入れ抱え上げた。軽々と持ち上げたが、少年とはいえ腕を伸ばしたまま持ち上げるのは相当の筋力が要る。タキシードの下に隠れている腕はそう太くも見えなかった。


「それ、どうなってんだ!?」


アルワイズに抱えられたまま、落ち着きなくはしゃぐ。


「こら、レット――すみません、大変な失礼を」

 支配人のわたわたとした様子を見て、逆によかったと安堵する。

「いえ、構わないですよ」


 正式な儀式としての挨拶の場が用意されていることは、来る前にルルコットから聞かされてたものの、実際どれくらいの時間堅苦しい空気が続くのかと俺は気が気でなかった。


「どしたの、どれが気になるの?」


 それはメアも同じだったらしい。レットと呼ばれた少年に調子を合わせる。


「それ! おれもやりたい!」


 元気よく指差したのは羽衣でも剣でもなく、俺のこの魔導書だった。どうやらこれはこの世界にないものらしい。好奇心の塊のようなきらきらとした目で見つめられ、メアがひるむ。


「あー、それはむりかなー」


「なんでだよ、ちょっとくらい触らせてくれてもいいだろ?」

「触ってもいいけど、君が同じようにはできないの。これはおに――えっと、パパの魔力にしか反応しないように出来てるから」


――パパ?


「なんだ、そっか」

「お、いい子じゃん」


 少年は聞き分けよく引き下がった。

 アルワイズは大人しくなった子供を下ろしながら言う。


「なるほど。『魔紋認証式』が組み込まれているのですね。確かに、見たところ金庫の役割も果たすようですから、誰にでも開けられるようでは困りますね」


アルワイズが一人納得する。聞きなれない言葉だった。


「ああ、そうだ、『魔紋認証』で思い出しました、あなた方にまずお渡しするものが――」


「お父様」


女性の声がして、アルワイズがはっとした表情を見せ、言葉を止めて振り返った。


「初対面の客人を前に、対応にいささか無礼が過ぎるのではないのですか?」


 残る玉座の一つに座っていた彼女が今は立ち上がっていた。深紅のビロードのドレスを着たその姿は、どことなくメアと重なる。年は元の姿の俺と同じくらいだろうか。背は彼女の方が少し高く見えた。


「ああ、フィンの言う通りです――」


 娘の言葉でアルワイズがまた最初の調子に戻りそうになったのを、慌てて止めにかかる。


「いえ、いいんです、お気になさらず。アルワイズさんがよければですが――しばらくお世話になるのですから、お互い気兼ねない方がいいですし――」


 慣れない言葉遣いで、俺は舌が絡まりそうになる。


「いえ、いえ。そういうわけにはいきません。あの橋を渡り切られたのですから、さぞかしお疲れのことでしょう――ああ、そうでした、お食事の用意も整っておりますので、もしお腹がお空きでしたら、このままダイニングの方に御案内させていただければと思うのですが、いかがでしょう」


 二、三言会話し、だいたいアルワイズという男の性格がわかってきた。


 俺が苦手なタイプだ。


「行く! ちょうどお腹空いたなーって思ってたんだ」

「こら、メア」

「おに――パパがさっき気を遣わなくていいって言ったんじゃん」

「お前にじゃない」


 そういえばメアが丁寧な言葉遣いで話しているのを、俺は聞いたことがなかった。単純に話せないんじゃないかと思う。


 そんな俺とメアの短いやりとりを聞いていた少年が笑った。


「おれと似てるな」


「え、私?」


「おれもよく『おとなしくしてなさい』ってお父さんに怒られるから。落ち着きがないんじゃない?」


 少年が笑いながら言った直後、奥から弾けるような声が飛んできた。



「こらレットさっきから! お客様に失礼じゃない!」



 深紅のドレスの裾を豪快にまくり、膝まで晒した状態で高座から短い階段を下りて歩いてくる。さっきまでの上品な佇まいがその迫力に少し薄められ、年相応の女の子に見える。


 失礼と言うかメアに関してのそれは事実なので怒ってもらう必要もないのだが。


「うわ、やっべ」


 レットが一転、目を見開いて青い顔になった。


「おねえちゃん、かくまって!」


 レットはメアの後ろに回って、背中にしがみついた。頭一つメアより小さいレットは、ちょうどメアの肩越しにフィンを覗き見る格好になった。


「おねえちゃ――よ、よし。おねえちゃんが守ってあげる」


 あ、何か火が付いたな。


 迫り来るフィンと呼ばれた女から、レットをかばうように立ちはだかるメア。さっきから何も言わずにただ立っているだけのセリナは、成り行きを楽しんでいるかのようだった。 メアのすぐ前まで来て彼女は止まった。


「な、なによ」


 何も言わないフィンを前にして少し腰が引けているメア。

 普段見せることのないそんな様子に、不覚にも可愛さのようなものなどを感じてしまう。


 一通りメアを睨み付けて、ようやく口を開いた。


「レット。こっちに来なさい」


 フィンはメアを無視し、肩越しに弟に言った。


「やだ」


 メアが間にいるせいか、強気の応答をするレット。


「来なさい」


「ちゃだ」


ふざけて答える弟に、フィンがカッとなったのが分かった。


「レット、いい加減にしないと――」


 ドレスの露出した背中から、赤黒い鱗に覆われた塊が皮膚を突き破るようにして隆起する。その塊が次第に大きくなったかと思うとごうと炎を放ち、翼となって解き放たれた。


 話には聞いたことがあったが、見るのは初めてだ。


竜翼りゅうよく――たぶん、火竜の血」


 さっきまで興味がなさそうだったセリナが物珍しさに口を開いた。この世界での呼び方が同じかは知らないが、おそらく似たようなものだろう。


「竜って――危なくないんですか」


 さっきまでずっと大人しくしてたシュナが、剥き出しの魔力にあてられてか俺の手を不安げにくいくいと引く。


「そうだな、シュナは少し下がろうか」

「クレフ様、私じゃなくてメアさんが」

「メアは大丈夫。それに――」


「フィン。無礼はどちらですか」


 音もなく移動したアルワイズが、炎に包まれた竜翼を白の手袋がはめられたその手で掴み、力づくで抑え込む。


「ほら」


 本当に危なければ俺が止めたが、メアが炎でダメージを負うはずもなく、あえて俺が手を出して外交問題に発展したなんて日にはルルコットに何をされ――何を言われるかわからない。


「――お父様」


 青が赤混じりになり、瞳が縦に細く割れた目をした彼女は、とても不服そうだ。


「……あれマジこえー」


 レットが掴んでいたメアの服を放す。


「おねえちゃん、ありがとな」


 メアはもう聞いていなかった。客人に頭を下げなさいと叱るアルワイズと「でもレットが」と駄々をこねるフィンの二人の間に、何の遠慮もなく割って入っていった。



「すごいそれ! どうやって出すの? 私にもできる!?」



 ともすればさっき危害を加えられそうになったことはもう忘れているだろう。そういえばメアも竜翼を見るのは初めてか。普段こうして外に出かけることがない分、今日はいつにも増して舞い上がっていると見える。


「いや旅行か」


 あれだけ念を押したはずなのに。


「誰、あの子連れてきたの」


「俺です、すみません」


「うわ、硬――あ、でもあったかい! 生きてるみたい!」


 生きてるんだよ。


「シュナ、ちょっとあれ止めてきてくれ」


「いくらご主人様の命令でも私には……」


 アルワイズに炎を沈められた後の翼を、何のためらいもなく素手で気の向くままに触るメア。


 ふれあいパークか。


 竜の目が、今は猫の目に見えなくもない。フィンが怒りと困惑と照れがブレンドされたような、何とも言えない表情をしていた。


「もっかい、ね、もっかい広げてみて!」

「おねえちゃん、すげえ……」


 レットが無駄に尊敬のまなざしで見つめていた。


「俺じゃなくてメアに刺した方がよかったんじゃないか」


 セリナのあの針は、一度に一人にしか使えない。


「少しだけ後悔してる」


 しばらく見ていたが、そろそろアルワイズが本当に困り始めたので介入する。興奮しきったメアを引きはがした時、猫目の彼女になぜか俺が思いっきり睨まれた。


 アルワイズも俺も、とりあえずお互いひとしきり頭を下げ合った後、部屋で一度休まれてはどうかと案内された。だがメアの強い希望もあったので、当初予定されていた通りダイニングへの案内をお願いすることにした。魔導書だけこのタイミングで預けておく。


 お互いに、印象深いファーストコンタクトになった。

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