二章 その日の前の日
その日の前の日【一】
「それでは反省会を始めます」
「はい」
いきなり手が上がった。
「はい、メア」
「食べていいですか」
「……はいどうぞ」
僕の答えを待たずに
「んー、美味しい」
僕たちは今、クレアゴン市街のカフェの店内にいた。
あの最悪の日から日付が変わって、今はお昼時。結局まだモンスターの在庫補充が間に合っていないから、動力炉や廻廊のメンテナンスもかねて今日はダンジョンの運営を停止している。
「ありがと」
ちょうどグラチネスープを運んできたネネカさんがメアに笑いかける。オニオンとチーズの香りがふわっと漂う。
「ごめんね、急に」
「いいのよ、めったにないルルコットのお願いだもの」
カフェ『ブルーハーモニー』を経営するネネカさんは、ルルコットの昔からの知り合いだ。二十人は入るだろう店内に、今は僕たちだけしかいなかった。
「お昼は予約の方もいらっしゃらなかったしね」
大通りに面した大きな窓は、レースのカーテンを引いて太陽の光だけをふんわりと採り入れている。店内の壁はライトアイボリーが混ざったやわらかな白で塗られていて、テーブルや椅子などの調度品はウッドを基調にした落ち着いた色合いで統一されている。
この街で押しも押されぬ人気店だ。
「ありがとう」
五人だけでの貸し切りを快く受け入れてくれたネネカさんに僕からも改めてお礼を言う。そもそもお昼は予約を受け付けていないから、予約の方なんているはずもなかった。ネネカさんは心安らぐ微笑みを投げかけてキッチンへと戻っていった。
リックとメアは楽しげに話しながら食事に夢中になっている。反省の色は見えない。
「決めたのは僕だからいいんだけどさ……」
諦めてスープスプーンを手に取り、冷めないうちに口に運ぶ。美味しい。
「そういえばコノハちゃんは?」
リックと話していたメアが急に僕の方を向いて聞いてきた。
「呼んだんだけど、ダンジョンが止まってる間にやっておきたいことがあるって言われて、断られたんだよ」
「せっかくの休みなのに仕事してんのか」
「息抜きも大事なのにね」
息を抜きっぱなしのこの二人にはもう少し仕事の空気を吸ってほしかった。
「今日、この場所なのは、どうして」
まだ一口も手を付けていないセリナさんが
「たまには気分を変えようと思って。ほら、お城のダイニングだと窓もないし」
ダンジョンは地下にあるから、必然的にどの部屋にも窓はない。時間帯によって魔法照石の明るさが変わるようにしているから時間感覚が完全になくなってしまうことはないけど、ずっとダンジョン中にいるとなんとなく気が滅入ってくるのも確かだ。
「――そう」
納得していない様子だった。
言葉を付け足す。
「えっと、最初にも言ったけど、昨日の振り返りをやりたくて。普段は戦略室とかでやるのはそうなんだけど、昨日はトラブルも多かったから、あんまり暗い雰囲気にならないようにって思って」
主に、リックとディアフォールのフォローのためだ。もしかしてメアも気に病んでいるかもしれないと思ったのは思ったけれど、カップに直接口をつけて幸せそうにスープを飲んでいる様子を見ると完全に杞憂だった。
「――そう」
セリナはなんとなくその雰囲気を感じて、逆に居心地を悪くしてるのかもしれなかった。
「食べながらでいいんじゃないかしら。それとも、何か気になることでもあるの?」
「いや……そうする」
ルルコットのフォローもあって、ようやくセリナさんはカトラリーを手に取る。
セリナ・ディアフォール。
椅子に座っているから目立たないけれど、この中で一番背が高い。食事の時はさらさらのブロンドの髪を頭の後ろで一つに束ねてまとめている。身体の細さと胸の大きさを強調するような白のワンピースを着ていて、その見た目や少し自信なさげな口調からは、あの姿になる想像が全くつかない。
ディアフォール一族は雷煙の峡谷『ヴェリドレイ』にある神殿の守護を司る。セリナの祖父は、その一族の長を務めている。
バンパイアバットの一件を片づけた後も、いくつかのトラブルに見舞われた。中でも僕が一番驚いたのは、雷獣ディアフォールが戦闘で失敗を起こしたことだった。
「あ、それ真ん中のソースつけて食べると美味しいんだよ」
「そう」
無邪気なメアのアドバイスに、セリナさんの固かった表情がほんの少しほぐれた。
ディアフォールは、ちょうど僕がバンパイアバットの群れを片付けたのとほぼ同じタイミングで、誤って一人の勇者を倒してしまった。
勇者が倒れると、手の甲に刻まれた誓約の
あの時は大部屋にいた三十二人がメリムハルト王都まで飛んで行ってしまった。
「このあとリメリーさんのところに行こうと思ってたんだけど」
「ええ、いいわよ」
小声でルルコットに話しかけると、二つ返事で承諾してくれた。
「いいにおいがするぞ」
リックがキッチンの方を見ながら言う。
間もなくネネカさんがメインの料理を運んできてくれた。
「「おおー」」
メアとリックの声が重なる。
二人が頼んだのは、チキンのハーブグリル。パリッと焦げ目がついたチキンの皮目が香ばしく、またそれがハーブのさわやかな香りと合わさって、食欲を強く刺激する。
僕は左隣に座るメアのグラスに水を注ぎ足してあげた。
「んー――」
フォークを口に運んだメアが、心底幸せそうな声を上げた。
「このパリパリがうめえ」
「わかる! それでお肉もしっとりじゅわっとおいしいの!」
二人できゃっきゃと盛り上がっているところに、ネネカさんが僕たちの分も運んできてくれた。
「ごめんね、あの子たちの方が食べるのが早かったから、先に出しちゃった」
「さすがネネカね。あの子たち、待てない子たちだから」
ルルコットが笑って小声でネネカにささやく。仕事中にはなかなか見ないお茶目な表情だった。
「――きれい」
セリナさんがお皿の上で白に輝くソースを見て感想を言った。ほとんど独り言みたいに呟いたけど、僕にはちゃんと聞こえていた。
僕たち三人が頼んだのは
「なんか貸し切りをお願いしたのが本当に申し訳なくなってきた……」
「あら、どうして?」
ネネカさんがエプロン姿で僕のグラスにお水を注いでくれながら聞く。
「今日はどうしてもってルルコットにお願いしてもらったのに、なんか普通の食事会になっちゃったし……」
「あら、そんなこと? 私は、食べてくれた人が喜んでくれれば、それでいいって思っちゃうかな」
ふふっ、といたずらっぽい笑みを浮かべるネネカさん。
「いい雰囲気のお店ですね」
セリナさんが話しかけた。あまり外では他の人と関わろうとしないから、珍しかった。
「ありがと。お味はどう?」
「おいしいです」
セリナさんをここに連れてきたのは今日が初めてだったけど、よかったと思った。
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