その日の前の日【二】

「そういえば、何しに来たんだっけ」


 デザートのバニラアイスとスフレを紅茶で食べ終わったメアが、だらけきった顔で言う。


「いいよもう、これ食べに来たってことで……」

「わーい!」

「メアは最初からそのつもりだったでしょ」


 昨日の事故は誰の職務怠慢でも不注意でもなく、皆の疲れから起きた不幸だったと思うことにした。僕がお父さんからこのダンジョンの運営を任されてからまだ一か月そこらしか経ってない。次に同じことが起きなければいいだけだ。本当は、明日からの配置もこの場所で考えたかったんだけどとてもそんな雰囲気じゃないし、またのんびり考えることにしよう。


「あら、それはだめよ」


思いもよらないところから静止がかかった。


「ルルコット?」


「実は私の『主人マスター』から今朝連絡があって。昨日のことがきっかけなんだけど」

「――お父さんから?」

「ええ」


 聞き返した僕に、ルルコットは頷いた。メアの表情が少し強張った気がした。


 ルルコットは僕に直接仕えているわけじゃなく、正確には僕の父、ゼノグレイフ・クレイジーハートに仕えていて、お父さんから僕の補佐を命じられている。それはセリナも同じだ。


「『思ってたよりうまくいってないみたいだから、なんとかしてほしい』って、ざっくり言えばそんな感じの話だったかな」

「そんな話、私は聞いてないけど」


 セリナさんが言う。二人は立場としては同じだけど、与えられた役割が違う。ルルコットは運営面での補佐、セリナさんは戦闘面での補佐。


「ええ、そうね。定期報告の時に上がった話だったから」

「――そう」


 淡々とお互いの領分を確認するやり取りが交わされる。今回はセリナさんの領分ではなかったらしい。


「昨日は別に兄は何も悪くなかっただろ。ちゃんと説明したんだよな?」


 リックが、少し強い語調で言う。うまくいってない、という言葉に反応したみたいだった。


「ダンジョンの運営履歴がそのまま送られるから、事実はちゃんと伝わってるわ」

「そうじゃなくて、分かんだろ。昨日のあれなんかは完全に俺のミスなんだから、それが全部兄貴のせいになってないかって話をしてんだ」

「それは私からはなんとも言えないわね」


「……は?」


「もちろん、細かい経緯は私から伝えてはいるけれど、分かるでしょう、リックフィル。ダンジョンで起きたことの責任はすべてダンジョンマスターにあるの」


「てめ――」


「リック、ルルコットが正しい」これ以上ヒートアップしないよう口を挟む。「気持ちはすごくうれしいけど、リックは悪くないよ。責任が僕とメアにあるのは変わらないんだから」

「え、私もなの?」

「当たり前でしょ。なに一人だけ逃げようとしてるの」


 お父さんからは共同経営としてダンジョンを任されているんだから、もちろん僕とメアの二人に責任がある。別に僕一人の責任でもいいんだけど、メアがこのまま何の自覚も持たないまま変わらないのはよくない。


「それにそこまで悪い話でもないんだから」

「どういうことだ?」

 まだ納得いってない様子のリックに僕は説明を続ける。


「お父さんからルルコットには『なんとかしろ』って指示しか出されていないんでしょ? 逆に言えばまだ僕たちで考えて対処する余地が与えられてるんだよ。ああしろこうしろ、みたいにはまだなってないってこと――合ってるよね?」


「ええ、そうね」


「え、なになに、よくわかんない」メアが会話に入ってきた。「パパに怒られない作戦があるってこと?」

「なんだ、そんな話があるなら協力するぞ」


リックもいつもの調子に戻ったみたいだ。二人とも論点が少しずれてるけど。


「怒ってるのは多分すでに怒ってるからそれはもうどうしようもないんだけど。とにかくこれ以上怒られないようにするためにどうすればいいかをルルコットが考えてくれたって話」


「もう」


 ルルコットが頬を膨らませた。かわいい。


「ちゃんと自分たちで考えないとダメじゃない」

「えへへー、ルルコットにお願いするといつも何とかしてくれるからお兄ちゃんが甘えちゃうんだよ」

「メアに言われたくないよ! それにこれは甘えてるんじゃなくて頼ってるって言うの」


 もしかして甘えてしまってるのかもしれない、と少し思ってしまったけれどメアの手前そうは言えないし、言わない。


「それで? あなたの案というのは」

 セリナさんが聞く。


「私だけの案でもないのだけど。『研修』に行かせるのはどうか、って。今朝お母さまともお話しして」

 ルルコットの言う『お母さま』は、トレイシー・クレイジーハート、つまり僕とメアの母のことだ。


「研修?」


 メアが聞き返した。


「そう。どこか別のダンジョンマスターのところで勉強させてもらうの」

「お、そういうことなら協力できるぜ! 俺の地元にもいくつかダンジョンはあるからな、さっそく知り合いに頼んでみる」

「ちょっと待ってリック。あの辺りは一回もう見せてもらってるしさ」


 逸るリックを一旦制止する。このダンジョンの運営を任される直前のタイミングに、いくつかの実地を回らせてもらっていた。もちろんそこに、今リックが紹介してくれようとした拠点も入っていた。


「あう、そうだったっけか」

「あ、いや、一回で十分勉強できたかと言われればそうでもないんだけど、ほら、リックのところだといろいろ気兼ねなく聞けるのはいいんだけど、あまりに近い関係だから緊張感が薄れちゃわないかな、とか逆の心配もあったりするし」


 あからさまに落ち込むリックにフォローの声をかける。


「そうね。新しい気付きが欲しいから、運営方針が大きく違うところがいいんじゃないかしら。それに、実はお母さまから外交もこのタイミングで学ばせたい、と言われてるのもあるの。その意味でもできるだけ『外』の環境がいいわ」


 外交。考えたこともなかった。


「外って、あるの、そんなとこ」


 メアが聞く。確かにそうだ。そもそもこの世界のダンジョンはすべて魔王であるゼノグレイフ・クレイジーハートの支配下にある。つまり、みんな僕のお父さんの知り合いになる。自分でいうのもなんだけど、そんなとこに行って僕が甘やかされないわけがない。

「ええ。もちろん。世界は広いのよ?」

 

 その広い世界がすべて僕のお父さんの支配下にあることを心配してるんだけど。


「なあにルルコット、どこに連れて行こうとしてるの?」


 教えてよー、とメアがせがむ。心当たりがない僕も同じ気持ちだった。


「隣の世界に、私の個人的な友達がいるの。ちょうど最近、お城を新しくしたところだから見に来ないかって言われてて」


「隣の、国?」


「国じゃなくて、隣の世界。これだと主人の影響も気にしなくていいでしょ?」


「ああ、そういうこと」


 セリナさんはタネがわかったとこで興味を失ったようだった。セリナさんほどの立場だと何度も経験があるんだろうけど、僕もメアもまだ世界を渡ったことはない。

僕たちが今いるこの世界とは別のことわりに支配された世界が、同じ時間軸上にいくつも存在している。それぞれの世界は互いに干渉し合わないから、本来交わることがない。けれど、別の世界が存在していることをお互いに認識して、そして波長を合わせて繋ぐことができれば、互いに渡り歩くことができるようになる。


言葉にすると簡単に聞こえるけど、世界渡りは国中の魔導士を集めて行ったとしても成功する保証のない儀式になる。


「え、私も行っていいの?」


 そしてメアは細かいことは気にしない。


「ええ、お母さまにはちゃんとお話を通してあるから。というより、どちらかというとこれはお母さまに頼まれたことね」


「そうなんだ」


これまではずっと連れてってくれなかったのに、とメアが口を尖らせる。お父さんもお母さんも、別の世界に用事がある時は、決して僕たちを一緒に連れて行ってくれなかった。


「世界を渡るのに体が耐えられないからね。僕たちがそれだけ成長したってことだよ」

「そうなのかな? お兄ちゃん私成長した?」


 嬉しそうに言うメア。残念だけど精神と身体に関しては僕に言えることはない。


「でもさすがにちょっと不安だな……」


ルルコットやセリナさんは何度か渡ったことがあるみたいだけど、僕もメアも世界を渡るのは初めてだ。


「お兄ちゃんがいれば大丈夫だよ」

「僕も行ったことないんだからね」こればかりはまたルルコットに頼ることになるけど仕方ない。「それに、僕たちが隣の世界に研修に行ってる間のダンジョン運営もなんとかしなきゃいけないし……」


 在庫についてはすでに発注しているから問題ないとして、イベントの告知は今のうちにいくつか準備しておく必要がある。一番の問題は勇者達のシナリオ誘導だ。廻廊の操作からモンスターとの遭遇、宝物プライズの出現率のコントロール、ボスとの戦闘演出まで全部うまくやってもらわないと――


「あら、それは心配ないわ。二人が行ってる間は私が面倒を見るから」

「良かった、ルルコットがみてくれるなら」


 かつては四つの神殿を領域テリトリーとして抱えてきたルルコットに任せられるなら何も心配はなかった。


「だから安心していってらっしゃい」


「って、え、あれ? ルルコット来ないの?」


「ええ。それがどうかしたの?」


 どうかしたどころの騒ぎじゃない。


「ルルコットの知り合いなんでしょ!?」

「そうだけど、私はこの前もう見てきたから」

「そんな観光地みたいに言わないで」

「それにもう先方にはお伝えしちゃったもの」

「え、なんて」

「私の主人マスターが改めてお伺いするのでよろしくお願いね、って」

「ルルコット、ホントそういうのだめだから……」


 隣の世界と個人的なつながりを持てるような魔導士は、この世界に数えるほどしかいない。少なくとも僕は自分の親とルルコットぐらいしか知らない。


 そんなルルコットの主人マスターって、それもう魔王そのものだよ。


「なんか、大変そう」

「全然行くつもりなさそうだけど、ルルコットが来ないんだったらセリナさんには来てもらうことになるからね」



「え?」



 キョトンとした顔をするセリナさん。


「そうね。さすがに私とセリナのどちらもついていかないわけにはいかないから」

「ルルコット、それは、冗談がきつい」セリナさんがイヤイヤモードに入った。「これを主人マスターとして連れていくなんて、向こうの主に合わせる顔がない」


 今僕のことを『これ』って言ったなセリナさん。


「確かに。お兄ちゃん、風格がないもんね」

「まあ、背が低くて声が高いのは兄のトレードマークみたいなもんだからな」

「何気にみんなひどいこと言うね。それに、それを言うならメアだってそうでしょ」

「え? 私は『べんきょうさせてもらいにきました!』って言えばいいだけだもん」


 悔しいけど自分の立場をちゃんとわかってる。


「そうね、せっかくの勉強なんだからあと一人くらいは連れていくのがいいかしら」

「お、俺行くぞ!」

「ルルコット、まだ話は終わってない」


 リックの挙手にかぶせるように、セリナさんが食い下がって言う。


「なあに、見た目の話? 気になるんだったら変えればいいじゃない」

「あ――なるほど」


「え、いやだよ!?」


 セリナさんがルルコットの言葉に一瞬納得しそうになったので慌てて止める。オーバーライドの話をしているのなら、僕は絶対にいやだ。


「クレフ、そうしよう」


「いつにも増して強い目だね、セリナさん」

「よっぽどこの姿のお兄ちゃんを連れていきたくないんだね」

「……メア、そんなひどいこと言ってもやらないのはやらないからね」

「心配しなくても、変身トランスの魔法は出発する前に私がかけるから大丈夫よ」

「それって、別に中身は変わらないんじゃ」

「セリナさん、中身まで否定しないで……」

「ええ、変わらないわ。ちゃんと外交のお勉強をして帰ってきてもらわないと困るもの。そうそう、言葉遣いも気を付けなきゃダメよ?」

「確かに、あの姿で『僕』はカッコつかねえよな」

「この姿じゃダメなことは確定なんだね……それに言葉遣いってそういう意味じゃないでしょ」

「今のお兄ちゃんもちゃんと好きだよ?」

「棒読みのフォローありがとう」


「じゃあ、みんな急いで準備しなきゃ。出発は明日の十時なんだもの」



「「「「え!?」」」」

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