えまーじぇんしー【七】
「何って、俺は言われた通りにやっただけだぜ、バンパイアバットを集めて、放っただけで、その他には何も……」
何か悪いことをしたらしいことを察したリックが、徐々に声を小さくしながら答える。
「ああ、やっぱり……」
泣きたくなる。
僕がリックにお願いしたのは、『今あるバンパイアバットの在庫を五か所に分けて配置して、すぐ放てる状態に準備しておいてほしい』という依頼だった。
そのはずだった。
リックは地属性の召喚魔法が使えるから、コノハさんが忙しくて手が離せない時にたまにこういうお願いをする。だけど今回は運搬を手伝ってほしかっただけで、起動までお願いしたつもりもなければ、一か所にまとめてなんて言った覚えもなかった。
「もしかして、全部?」
「全部だけど……なんだよう、違ったのかよぅ」
リックがだんだん小さくなっていく。部屋に入ってきたときはぴんと立っていた頭の耳が、今はうなだれるように垂れていた。
バンパイアバットは、吸血コウモリのモンスターだ。小型で、攻撃も耐久も低い。勇者達の組は、このダンジョンを入ってから出るまでに平均して十体、このバンパイアバットを討伐する。今回は延べ来場者数を最大百組で考えていたから、千体の在庫を確保していた。すでに半日以上が過ぎていること、また主格の在庫が切れたことで途中からは普段より多く出荷されていたことを考えても、少なく見積もって二百から三百の在庫があったはずだ。
それが、全部。
運ぶのは、召喚獣何体かに任せたとしても、三百全部のバンパイアバットの核に魔力を流して起動する作業は絶対必要になる。それをどうやったのか分からない。
リックに聞いてみる。
「こう、がばーっと」
聞いても分からなかった。
でもとにかく、何が起こっているかは、分かった。だからこそ。
「ああ、見たくない見たくない見たくない」
でも状況は確認しなくちゃならない。
画面を、切り替えた。
「――――」
メアの、声にならない悲鳴。メアはこういう『うじゃうじゃ系』は大嫌いなはずだ。黒く蠢く羽が、目が、それからバサバサと羽音が響く。飛びつくようにしてスピーカーの音量をゼロにしたメアはそのまましゃがみ込んで何も見ない体勢を取った。
「いや。だめ。ホント無理」
「このまま移動すると、今度は44番にぶつかりそうね」
ルルコットが冷静に進路を分析する。
確かに、進行方向には勇者の一団がいた。
「これもう災害のレベルだよ」
かわいそうに、二組の勇者はこの大群に飲み込まれたんだろう。単体では大したことがないモンスターでも、この物量ではどうしようもない。
「ごめんなさい」
リックが心底もうしわけなさそうな顔をして僕に謝る。
「あ、いや、リックを責めてるわけじゃなくって」
声に苛立ちと焦りが滲み出てしまったらしい。
責めて何とかなるならいいけど、ならないから、頭を切り替えて対策を考えなきゃ。
まっさきに考え付くのは、このブロックの隔離。問題が発生したブロックをダンジョンから切り離してしまう対処。でも廻廊が万全じゃない今はこの手が使えない。場が動かないなら、動かせるのは勇者か、モンスター。
僕が出て行って勇者を直接誘導するわけにもいかないから、さっきからやってるみたいに落とし穴や別のモンスターを当てて進行方向を調整するしかないんだけど、これだけ勇者の数が多いとどこかでシナリオが破綻しそうだし、何よりこの対処方法でバンパイアバットの移動スピードを上回ることが出来そうにない。
モンスターを止める簡単な方法は、起動したときと同じ魔力をもう一度核にぶつけて停止させる方法。
勇者が逃げた後のモンスターを再利用するためにコノハさんがゴーレムを使ってたまにやることがある。けど、今回のバンパイアバットはリックが起動してしまってるからリックの魔力で止めないといけないし、そんな繊細な魔力コントロールはリックに期待できない。そもそもこの数に対してはコノハさんでも無理だろう。
「三回までなら、予備の動力炉でも廻廊を動かすだけの魔力をまかなうことはできると思うんだけど」
頭を悩ます僕に、ルルコットが声をかけてくれる。けど――位置が悪い。切り離すには最低でも五回、いや六回はブロックを動かす必要がある。それにすべてのバンパイアバットが一つのブロックに留まっているタイミングを狙う必要がある。一歩間違えば、大群を分断してしまってさらに状態を悪くしてしまうことにもなりかねない。
だめだ。
「お――」
「僕が止めてくるよ」
時間切れだ。
これ以上は、いたたまれなくなったリックが自分で何とかするとか行って部屋を出て行きかねない。
「今リック姉『俺が何とかする――』とかって言おうとしたでしょ」
メアが膝を抱えた姿勢のまま言う。
「こんなのお兄ちゃんに任しちゃえばいいじゃん。キモいもん」
「それを言うなら僕だって行きたくないよ」
キモいから。
「あら、私だっていやよ」
ルルコットがいつもの顔でそう言いながら、宙に指で円型の魔方陣を描く。
「だから俺が――」
「ダメだってば、どう考えても危ないよ」
慌てるリックを制止する。
その間に僕はマップの状態を再度確認する。勇者に遭遇するまであと3ブロック。
「一つ手前がいいかな」
「ええ」
僕がそうお願いすることをルルコットは分かっていたみたいだ。
返事をするのと同時に、ルルコットが転移の魔法陣を完成させた。
「あれ、そのままの姿で行くの?」
メアが聞いてきた。
「うん。なってる時間はできるだけ短い方がいいから」
「そっか、気をつけてね」
「何かあったら俺がすぐ助けに行くから――」
「危ないから来ないでってば」
リックに笑いかけて、魔方陣に手を伸ばした。
「じゃあ、行ってくるよ」
転送が始まった。
この感覚は、いつも慣れない。目の前が薄い青色で満たされる。それから体が縦に一度、大きく伸ばされるような感覚に襲われ、青色が滲むように濃くなった後、急に白い光に包まれる。前方に一回転するみたいに天地がひっくり返って、足が再び着く感覚がする。
視界が戻る。
「うえ、きもちわる……」
平気な人は平気みたいだけど、僕は酔う方だ。できれば、しばらく横になっていたい。
無理だけど。
「一分半くらいかな」
時間がない。
岩肌に包まれた、小さなドーム状の空間の真ん中に僕は立っていた。
静かだった。
壁から突き出るように生えている魔法水晶の明かりによって、辺りが橙色に照らされている。真正面と真後ろに、この部屋に入ってくる通路がある。後ろを進むと、ほどなく勇者の一団に追いつく。前の通路からは、もう少し待っているとバンパイアバットの大群が飛来するはずだ。あまりのんびりしてはいられなかった。
すう、と大きく息を吸い込んで、それから細くゆっくりと吐き出しながら、右の手を前方にかざし、そこに『
深い、黒の球体が、じわっと空間を裂いて生み出された。その表面には紫色の澱みが漂っている。真珠くらいの大きさから、それはだんだんと膨らんでいって、そして片手で掴むには少し大きいくらいで止まった。
「――やっぱり僕だとここまでが限界か」
小さな声で呟く。
単純な身体能力ではとてもリックに勝てないし、魔法の扱いはルルコットにかなわない。魔力の絶対量に関して言えば雷獣ディアフォールの足下にも遠く及ばない。ダンジョンの運営には自信が持てそうだったけど、それも今回の一件で挫けそうだった。
僕は意識的に集中を解いた。今作り上げた黒球が溶けて周囲に霧散する。その黒い霧は少しずつ糸のように束ねられて細く伸びていき、僕の体を繭のように大きくゆったりと包み込んでいく。視界が少しずつ黒で埋め尽くされる。そして間もなく、何も見えなくなった。
意識が、落ちる。
俺はゆっくりと目を開けた。
直前の記憶から、少し景色の高さが変わっていた。両の腕を大きく広げ、新しい身体の感覚を確かめる。少し骨が軋み、関節から空気の泡が潰れる小気味のいい音がした。まとわりつくマントを体の後ろに流す。
今から少し嫌になった。
この姿から戻った後は、いつも強い無力感にさいなまれる。そして、強い苛立ちを感じる羽目になる。
落差が大きすぎるからだ。
「さっさと終わらせるか――」
長く伸びた髪を乱暴にかき上げ視界を確保する。
先程と同じように『六號』の魔力を右手に束ねる。一秒足らずで俺の半身を覆うほどの直径に膨れ上がった。蒼い波形が表面に浮かび上がる。
羽音が間もなく聞こえ始める。高音の鳴き声が耳に煩い。当初の思惑から外れて、消し飛ばしてしまいたい衝動に駆られる。
固く結んだ歯がぎりっと軋む。かざした手の平を閉じると黒球は沸騰するような反応を見せ、それから小指の爪ほどの大きさにまで圧縮された。
一呼吸。二呼吸。
群れが姿を現し、この空間に入る直前。
「貫け」
俺は練り上げた魔力を真っ直ぐに解き放った。
黒球から鋭い光線が放たれ、俺の右の拳の先から通路で蠢くバンパイアバットの群れの中へ、何匹かの個体を貫通しながら、ただただ静かに吸い込まれていく。
そして、殺到したバンパイアバットが、わっと部屋全体に広がろうとしたところで俺は拳を解き、指を鳴らした。軽快な音が岩壁で反響し、羽音に重なる。
刹那、黒線を中心に辺りの景色が歪む。
細く伸びた黒の光線が円柱のように膨れ上がり、一瞬でバンパイアバットの大群を呑み込んだ。
そして最後の一匹が黒に包まれたのを見届けてから俺は無造作に腕を下ろした。
画面の電源が落ちるように、ぶつん、と真一文字に黒が結ばれ、黒は消えた。
「……あっけないな」
たった、これだけのこと。
静けさを取り戻した部屋で佇む俺はひどく空虚を覚えた。身体は些かの疲労も感じていないが、あまり長くこの姿でいたくはない。左手を垂直に払い、空間を切る。その軌跡に黒く細い線が五本伸び、直線的に何度も折れ曲がりながら俺の体を包み込んでいく。視界が少しずつ黒で埋め尽くされる。そして間もなく、何も見えなくなった。意識が、落ちる。
僕はゆっくりと目を開いた。
何も持たない僕の、唯一の才能。
オーバーライドと呼ばれるこの力は、未来の僕の姿と力を、今この時に引き寄せる。それがどれくらいの未来なのかは、僕にはわからない。それが本当に、僕の姿なのかも。
なぜかいつも、この力を使った後は、今の僕が頑張っているすべてが何の意味も持たないと言われてるように感じられてしまうから、それが苦しい。
また泣きそうになるのをぐっとこらえて、伏せていた顔を上げる。とにかくこれで、リックがこれ以上責任を感じることはなくなった。それはいいことだ。
気を取り直して、残りの勇者の組に最高のシナリオをプレゼントすることだけに集中しよう。ルルコットも夜には廻廊が復活すると言ってたし――
『すごかったね、さすがお兄ちゃん!』
部屋中に声が響いた。
あんまりに突然だったので、一瞬何が起こったのかの理解が遅れた。
「――いやちょっと、何やってんの!?」位置を把握している隠しカメラの方を向いて叫ぶ。メアがモニタールームでマイクを使ったんだ。「勇者に聞こえたらどうすんのさ!?」
『大丈夫だよ、ちゃんとマップで場所確認してるから』
「そういう問題じゃないから」
せめて最寄りの勇者達から二ブロックは離れていることを願う。ルルコットが側にいるなら多分大丈夫だと思うけど。
『かっこよかったよ、お兄ちゃん』
「いや、見てなかったでしょ」
うじゃうじゃとバンパイアバットが群がる映像がメアの正視に耐えたとはとても思えない。
『う、ほら、声とかが』
「そういうのいいから。で、なに?」
メアがこんなわけわかんないことを言うときは、何か他に言いたいことがあるときだ。
『え、えっとね? 実はまたトラブルが』
頭が痛くなる。
今度はなんだよもう……。
「ルルコット、戻して……」
今日はまだしばらく休めそうになかった。
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