36.

〈六本木村〉の集落を抜けて、僕らのジムニーは、砂漠の上に車輪のあとが残っているだけの、道とは名ばかりの道を進んだ。

 しばらく砂漠の中の道を行くと『溜池ためいけキャンプ場はこちら』という木の看板が見えた。

「あの婆さん、耳は遠いし頭のほうも少し怪しかったけど、少なくとも嘘はいてなかったわけだ」と言いながら、僕は『こちら』と書かれた矢印の方へハンドルを切った。

「言い間違えたのは、ガソリンスタンドのお爺さんだったのかもね。本当は『溜池ためいけキャンプ場』なのに、間違えて『湖のほとりのキャンプ場』って言ったのかも」とサトミ。

「そうかも知れない」

「今夜は、そこで泊まるつもり?」

「うーん……実際にその場所へ行ってみない事には何とも言えないけど、良さそうなキャンプ場だったら、そうするつもりだよ。サトミはいやかい?」

「正直言って、気が乗らないなぁ……だってさ、きれいな水をたたえた湖畔でキャンプっていうなら楽しそうだけど……溜池ためいけでキャンプ、って、なんかイメージ悪くない?」

「まあね。溜池イコール沼、っていう先入観みたいなものはあるかも」

「でしょ? 溜池っていうと、なんかコケみたいな緑のブヨブヨしたものが、いっぱい浮いていて、水が濁ってくさいってイメージ」

「周囲には沼地の植物が鬱蒼うっそうと茂っててな」

「そうそう……そんで、とか訳の分かんない変な虫たちがブンブン飛び回ってるの……ああ! 嫌だ、考えただけでも鳥肌が立ってきた」

「そんな、大げさな」

「もし、そんな変な場所だったら、素直に引き返して別の宿泊場所を探そうよ」

「分かった」

 そんなことを話している間にも、ジムニーは砂漠をどんどん進んで、木の柵が左右に伸びる場所へ近づいて行った。

 道と柵が交差する場所には『切れ目』があって、その横に小さな看板が見えた。

 何と書いてあるかは小さくて分からなかったけど、たぶん、あそこが『溜池キャンプ場』だろうと思った。

「柵の向こう側が見えないね」サトミが言った。

「きっと、柵のところを境に、向こう側は下り坂になっているんだよ。だから地面の陰になって見えないんだろう」

 さらに進み、柵が近づいてくる。

 思った通り、看板には『ここより溜池キャンプ場』という文字と、一泊の使用料金が書いてあった。

「シャワー使い放題だって。良かったぁ」サトミが安心したような顔になった。

 自動車乗り入れ可、とも書いてある。

 いよいよ柵の向こう側が見えてきた。

 思った通り、柵の内側は、結構キツい下り坂になっていた。

 ……驚いた……

 目の前に、があった。

 直径は……よく分からないけど、たっぷり五キロくらいはあるだろうか。

 その巨大クレーターの真ん中の一番低い場所に水がたたえられ、空の青を反射して光っていた。

 この壮大な地形にも驚かされたけど……さらに驚かされるのは、クレーター内部の植生だ。

 荒涼とした赤い砂漠の中にあって、このクレーターの内側にだけは青々と草が茂り、木々が枝を伸ばしている。

「すげぇ」思わず感動の声が出た。「さすがに、これは……きれいだな」

 サトミも目の前の景色に心を奪われたようだ。

「そうか」僕の頭に、ひらめくものがあった。「ここは溜池なんだ」

「ええ? どういう意味? ぜんぜん溜池って感じじゃないよ。どう見ても湖じゃん……やっぱ、ガソリンスタンドのお爺さんが言っていた『湖のキャンプ場』が正しかったんだよ」

「そうじゃない……そうじゃないんだ……ここは溜池なんだよ…………六本木に、青山に、赤坂…………僕らが元いた世界じゃ『溜池』っていう地名はかろうじて駅名なんかに名残なごりがあるだけで、住所としては別の呼び方に変わっちゃてるけど、多分たぶんこっちの世界では今でも土地の名として使われているんだ」

「ふうん……つまり『溜池』っていう地名の場所に『湖』が出来ている、って訳ね。ガソリンスタンドのお爺さんも、雑貨屋のお婆さんも、どちらも間違っていなかったわけだ」

「そういう事になるね」

 僕はジムニーを徐行スピードまで落とした。

 柵の切れ目を通過し、外輪山部分から急な坂道をクレーターの底を目指してくだっていく。

「このクレーターみたいな地形って、どうして出来たんだろうな」僕は、ジムニーの速度が上がり過ぎないようにギアを選択しながら言った。

「さあ……」サトミが首をかしげる。「クレーターって、どうやって出来るんだっけ」

「僕も良くは知らないけど……火山の噴火とか、隕石の衝突とか?」

「何にせよ、大災害だね」

「あとは……強力な兵器が使用された、って可能性もあるんじゃないのか?」

「嫌だ、怖い」

 ベンチレーターから吹き出る風の温度が、急に一段下がった。

 ……エアコンの冷却効率が良くなっているのか?

 助手席でサトミが自分の二の腕をさすった。きっと、彼女にとって、今のエアコンの風は冷たすぎるんだ。

 外気温計を見る。

 摂氏二十度を指していた。

 クレーターの外の砂漠が摂氏四十度だったから、クレーター内に入る事で一気に二十度も気温が下がったことになる。

 これだけ外気温が一気に下がったのであれば、エアコンの熱交換効率が良くなって当然だ。

 僕はエアコンを止め、窓を少し開けてみた。

 爽やかな風が車内に入ってきた。

 サトミも助手席の窓を少しだけ開けていた。

「気持ち良いね」窓から入ってくる風を顔に受けながら、サトミが言った。

 爽やかな風だけでなく、木々に停まっている小鳥のさえずる声までが、車内に入ってくる。

 灼熱の砂漠の中にあって、このクレーターの内部は丁度ちょうど良い快適な気温で、豊かな水があり、木や草がしげり、鳥が飛んでいる……

「オアシス、ってこんな感じなのかな」思わず、そうつぶやいた。

 比較的急な坂道を下り切って、クレーターの底に着くと、そこから先は案外、平坦な土地が広がっていた。

 つまり、この巨大なクレーターは、中心部まで急な坂が続く『すりばち状』というよりは、広く平らな底面を持つ『おぼん型』の地形をしているのだった。

 相変わらず土の上のわだちでしかない未舗装の道の先に、ログハウス風の建物があった。

 ログハウスは、クレーター中央の湖から程よく離れた小高い場所に建てられていた。

 あれがこのキャンプ場の管理棟だろう……と当たりを付けて、僕はログハウス目指してジムニーをゆっくりと進めた。

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