32.

 インテユニ人のトンネルを抜け、その一番奥にあった『渦状重力井戸』とかいう黒い渦巻うずまきにジムニーごと突入した僕らは、暗闇の中をどこまでも無限に落ちていく感覚に包まれた。

(落ちているのか、そうでなければ、逆に、上昇しているのか)真っ暗な車内でそんな風に思った。上下の感覚が曖昧だった。

 徐々に頭が重くなり、徐々に意識が薄れて……気を失った。


 * * *


 ジリジリと肌を刺す熱気と息苦しさで、目が覚めた。

 最初に目に入ったのは、車窓の外に広がる赤い荒野と、雲ひとつ無い真っ青な空、そして地上のあらゆるものを容赦なく照らす、熱い日の光だった。

 顔からみ出た大粒の汗が、喉を伝ってえりから服の中へ流れ込んだ。

 下着のシャツもパンツも汗でぐっしょり濡れていて不快だった。

 ほとんど反射的に、運転席のドアを開けて車外へ出た。

 真上からの強い日差しが、容赦なくりつける。

 それでも、サウナ風呂のような車内よりはだった。

 吸い込んだ空気は熱く、乾燥していた。

 レインコートを脱いで車内後部に放り投げ、シャツのボタンを外して前をはだけた。

 ときどき吹く乾燥した風になぶられ、汗で濡れた下着がみるみる乾いていく。

 僕は、自動車くるまの後部に回ってリア・ハッチを開け、2リットル・ペットボトルからマグカップに水をそそぎ、一気に飲み干した。

 本当は、ペットボトルに直接口をつけてゴクゴクとラッパ飲みしたいところだけど、そんなことをしたらペットボトル内の細菌の繁殖を加速させてしまう。

 生きる上で何よりも大事なのは水だ。大切にしなければいけない。

 助手席のサトミが「う、うう」とうなって、身動みじろぎした。

 僕は、マグカップを持ったまま2リットル・ペットをわきに抱え、リアハッチを閉めて運転席に戻った。

 サトミが目を開けて僕を見た。

 彼女の体に掛けられていた毛布を取って後部荷室に放り、代わりにマグカップを手に持たせてペットボトルの水を注いだ。

「かなりぬるくなっているけど……っていうか、ほとんどお湯だけど、とにかく飲んだ方がいい」

 僕の言葉にサトミがうなづき、カップの水を飲み干した。

 からになったマグカップに再度、水を注いでやり、ペットボトルのキャップを閉めてサトミに預け、ドアを閉めてエンジン・スタート・ボタンを押してみた。

 キュルキュルと少しだけ渋ってから、愛車ジムニーのエンジンが回り始める。

 メーターパネルの外気温計を見る。

 摂氏四十度を超えていた。

 ……道理どうりで暑いわけだ……

 エアコンの温度設定を最低にして、風量を最大にする。

 顔に直接冷風が当たるように、エアコンの吹き出し口の羽根を調節した。

 助手席を見ると、サトミが同じように自分の顔に風が来るように助手席側の吹き出し口の向きを動かしていた。

 最初は暑い車内と同じ温度だったエアコンの風が、徐々に冷たく、快適になっていく。

 ほっ、と息を吐く。

 やっと人心地ついた。

 あらためて状況を観察する余裕が出てきた。

「真っ暗なトンネルを抜けたと思ったら、今度は、見渡す限りの広大な砂漠の真ん中か……」

「なんか、アメリカ映画のロケ地みたいだね」

 サトミの言葉に、僕はうなづいた。

 子供の頃に見た古い西部劇のような風景だった。

 三百六十度どちらを向いても、地平線まで赤い砂の大地が続く。

 所どころに生えている緑色のものは、サボテンだろうか。

「なんか不思議な力が働いて、私たちアメリカ大陸まで飛ばされちゃったのかな? こういうの、ワープって言うんだっけ?」サトミが言った。

「ワープか……飛ばされた先はかもな……それとも次元の違う全く別の世界……異世界、とか」ナビゲーション・システムのボタンを操作しながら、僕はサトミに言い返した。

 しばらくナビをいじったあと、僕は「くそっ、ダメだ」と言って液晶を軽く叩き、あきらめ顔を作って運転席の背もたれに体を預けた。

「どうしたの?」サトミがいてくる。

「このナビ、狂っちまってる……液晶画面の地図によると、ここは東京なんだとさ」

 サトミがナビ画面をのぞき込む。「赤坂に、六本木に、青山……あはは、本当だ。何だか笑っちゃうね。こんな砂漠の真ん中が、東京だなんて」

 実際には、笑い事では済まされなかった。

 ナビが使い物にならないとすれば、いったい僕らは何を目指して何処どこ自動車くるまを走らせれば良いのか?

 あてもなく動き回っていても、いたずらに燃料を消費するだけだ。

 砂漠の真ん中でガス欠なんて、考えただけでゾッとする。

(もし此処ここが異世界だったとしたら、ナビが使えないのは当然だよな)

 そんなことを考えながら、無意識にガソリンスタンドを探していた。

 このデタラメな地図によると、最寄りの給油所は、左斜め前方三百メートルの所にあるらしい。

 フロントガラス越しに、左斜め前方を見た。

 ゴツゴツとした大きな岩があるだけだ。

 僕は、とにかくその岩まで行ってみようと思った。

 別にガソリンスタンドを期待した訳じゃない。

 岩の天辺てっぺんに登って周囲を見渡せば『何か』が見えるかもしれないと思ったからだ。

 例えば、町や村、文明の痕跡、あるいは飲み水をめる川、食料にできるような実のる木々……とにかく少しでも生きのびる可能性が増すような『何か』が見えるかも、と思った。

 ギアを入れ、クラッチをつなぐ。

 赤い砂漠を全地表面対応オール・テレインタイヤでき、サボテンを避けながら、僕は、三百メートル先の大岩を目指してジムニーを走らせた。


 * * *


 近づいてみると、その岩は予想以上に大きかった。

 高さ十メートルはあるだろうか。

 すそが末広がりの形をしていたので、登るのは簡単そうだった。

 岩の近くの日陰に自動車くるまを停め、エンジンを切って車外に出て、助手席のサトミに向かって、「この岩に登ってみるよ……」と言った。

「この岩に登ってみるよ……高い所から周囲を見渡せば、何か発見できるかもしれない」

「私も一緒に行く」

「え?」

「岩に登って帰ってくるまで、エンジンは切ったままにして置くんでしょ?」

「そりゃあ、少しでも燃料は節約したいからな」

「こんな暑い砂漠で、エアコンの切れた自動車くるまの中で待ってたら、干からびて死んじゃう」

「……」

「案外、なだらかで登りやすそうな形の岩じゃん。大丈夫だって。私も登れるよ」

 確かに、サトミの言い分にも一理あると思った。

「わかった。じゃあ一緒に登ってみよう」

 僕らは足場の良さそうな場所を探して、岩を登った。

 予想通り、天辺てっぺんまでは難なく登る事が出来た。

 そこで僕は、意外なものを発見した。

 大岩の向こう側に、

 ジムニーの位置からは、この大岩の陰に隠れて見えなかったんだ。

 僕は(助かった……)と思った。

 とりあえず、生き延びる確率が上がった……そう思った。

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