19.

 高原の真ん中に建つ温泉施設と大温室を後にして、僕らは再び青のジムニーを駆って、県道を西へ西へと移動した。

 その日、正午までは良く晴れていて、山間やまあいを流れる五月の爽やかな風が温泉上がりの肌に心地良かった。

「五千年のあいだ……」サトミの声は、独り言のようでもあり、僕に問いかけているようでもあった。「五千年のあいだ、ひたすらこの地球の文明を見続けて記憶し続けるのって、どんな気分なんだろうね」

 僕はジムニーを運転しながらサトミをチラリと見た。

 助手席の窓から入る風が、サトミの髪をゆるく揺らしていた。

「どんな気分なんだろうなぁ」彼女の問いに対し、僕は鸚鵡返おうむがえしで答えるしかなかった。

「五千年前っていうと、日本はまだ縄文時代だっけ?」とサトミ。

「多分そうだったと思う」

「縄文時代にこの世界にやってきて、それから平安時代やら戦国時代やら明治維新やらをずっと一人で見つめてたのかな」

「えらく大雑把な五千年史だな……でも、まあ、あのマスターの言葉を信じるなら、そうかもな」

「周りの人間が生まれて、成長して、老いて、死んでいくのをただ傍観するだけなんて……それを五千年間も続けるなんて、私には無理だわ」

「彼らは人間じゃないからさ。我々人間に対して同族意識とか感情移入とかを持っていたとは限らないだろ。あんまり気にしてなかった可能性もある」

「そんなものかな。私は、子どもの頃に飼ってた犬が死んだ時は悲しかったけどな」

「僕も、飼っていたカブトムシが死んだ時は悲しかったよ。一週間後には、もう忘れてたと思うけど」

 僕はナビの画面を『待機モード』に設定して時刻だけを表示させていた。

 液晶を見ると、もうすぐ昼だった。

 どこかで昼飯を食べて……それから早めに寝場所を探さないと。

 僕は、気になっていた事をサトミにたずねてみた。

「なあ、サトミ……サトミの町は『夜になると〈この世〉と〈あの世〉の境界が曖昧になる』って言ってたよな」

「……うん。パパの受け売りだけど」

「それで、幽霊たちが町を彷徨うろつくようになる、とも」

「うん」

「あいつらって、危険なのか?」

「よく分からない。パパも『可能性としては、どちらも有りる。どちらとも言えない』って言ってた……私たち生きている人間とって有害な存在なのか、そうでないのか、今はまだ分からない、って」

「やはりけられるものなら、避けた方が良いか」

 しかし、どうすれば、あの不気味な奴らに遭遇しないで済む?

 僕は、さらに質問してみた。

「サトミの町って、いつからなっちゃったんだ?」

「夜中に町の通りを幽霊が彷徨うろつくようになったのはいつか、ってこと?」

「そう。それと、ナビの表示が変になる件」

「ナビのことは良く分からないけど、幽霊が出始めたのは一年前くらいから、かな……その頃には、もう私の町にほとんど居なくなってた……ケンゴウくんの所は? ケンゴウくんって〈首都〉から来たんでしょ? そっちには〈幽霊〉って出なかったの?」

「何しろ広い都市まちだし、僕の知ってる範囲なんて、ほんのごく一部でしかないけど……昼だろうと夜だろうと幽霊なんて見たこともない。このジムニーのナビが狂ったこともない」

「そっかー……じゃあ、地域によって差があるんだね」

「そういう事になる……サトミの親父さんは『これから徐々に昼間でも〈あの世〉が〈こちら側〉へ侵食してくる』って言ってたんだろ?」

「うん。言ってた」

「つまり『幽霊現象』は徐々に進行する、って訳だ」

「そうだと思う」

「『人間消滅現象』に加えて、〈この世〉と〈あの世〉の境界が無くなる『幽霊現象』か……俺ら人類も踏んだり蹴ったりだな」

 僕は、もう一つ気になっていた事をサトミに確認した。

「あらためて聞くけど、お前、なんで僕の自動車くるまに乗せてもらおうなんて思ったんだ?」

「えっ?」

「ああ、いや、つまり、だな……自分の自動車を運転して町を出なかったのは何故なぜか、ってことを聞きたいんだ」

「私、マイカーとか持ってないし」

「ええ? だって地方都市ってクルマ社会だろ? 電車とか公共交通機関が発達してないから、老若男女、んな自分の自動車クルマを持つのが普通じゃん……じゃあ運転免許は?」

「免許も持ってないの。私、引きこもりだったって言ったでしょ。反射神経とかもトロいし。教習所に通って教官と二人きりで自動車に乗って色々言われるのとか嫌だし。別に免許なんて無くても良いやって思ったんだ……生まれてこのかた、運転席に座った事もなければハンドルを握った事もない」

「でも、それじゃ不便だろ?」

「そうでもない。どこか行きたい所があればタクシーを呼べば済む話」

「外出するたびにタクシー呼んでたら、金が掛かってしょうがないじゃん」

「引きこもりだったから、そもそも自動車くるまを運転してまで行きたい場所なんて無かったし。車を持つための諸経費を考えれば、タクシー使うのとトントンか、むしろタクシーの方が安いくらいかも」

「まあなぁ。駐車場に保険に税金、車検等の維持費。燃料に、エンジン・オイルその他消耗品。確かに出費はバカにならんわな」

「私のパパってお金持ちだったからタクシー代含めて、お小遣こづかいは沢山たくさんもらってたの」

「お前の親父さんって、何やってた人なん? その奇妙な光線銃みたいなのの発明家で……〈幽霊現象〉とやらにも詳しくて……おまけに娘にタクシー使わせ放題の大金持ちなんて」

「うーん……そのうち話すよ。今は言いたくない……どっちみち、もう〈消滅〉しちゃった人だし」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る