20.

 昼十二時を過ぎた頃から急に雲行きが悪くなって、温泉を出発した時には青一色にわたっていた空が、見る見るうちに厚い雲に覆われていった。

 気がつくと、僕らのジムニーは深い森の中の一本道を走っていた。

 森の中に川が現れ、一本道は川にかるコンクリート橋になり、川の向こう側へ渡ると、また深い森の奥へ奥へと続く一本道になった。

 橋を渡ってしばらく走った頃、ポツリ、ポツリ、空から雨粒が落ちてきた……と、次の瞬間、目がくらむほどの閃光、そしてジムニーの車体がビリビリと震えるほどの轟音。

 助手席のサトミが「ひっ、かみなり!」と声を上げた。「ち、近くに落ちたんじゃない?」

「そうだな……稲妻が光って、音がするまでほとんど時間差が無かったから、たぶん、そうだと思う」

 特大のかみなりが落ちた直後から、雨足が一気に強くなった。

 屋根の鉄板に雨が当たる音がうるさく車内に響き、フロントガラスを流れ落ちる水が視界をさえぎって、ワイパーを目いっぱい動かしても三十メートル先さえハッキリとは見えなくなってしまった。

 ジムニーを停車させた。

 何か、既視感のようなものがあった。

 視界をさえぎる雨と……橋……だって?

 あわててナビの起動ボタンを押す。

 液晶画面に表示されたのは、縦に走る一本の道路。それだけ。

 縮尺変更ボタンを押して、広域表示にしてみる。

 いくら表示範囲を広くしてみても、いま僕らが居る森の中の一本道以外、何も表示されない。

(昨日の夜と同じだ。あの時は霧が、今は豪雨が視界をさえぎっている……そして橋……狂ったナビ)

 僕はジムニーのハンドルを何度も切り返して車体の向きを百八十度転換させ、森の道を逆方向へ引き返した。

「どうしたの?」サトミのたずねた。

「昨日の夜と同じなんだ……サトミの親父さんが言うところの、〈この世〉と〈あの世〉の境界が無くなる〈幽霊現象〉だ」

「ええ? だって、まだ、お昼になったばかりじゃない」

「親父さんは『〈現象〉は徐々に進行している、いずれ昼夜関係なく発生する日が来る』って言ったんだろ? そして……〈現象〉の進行度合いが場所によって違うとしたら……」

「つまり、この森は〈現象〉の進行が早くて、昼間でも〈あの世〉と〈この世〉が入り混じっていて、私たちはその中に迷い込んでしまった、って事?」

 サトミの問いに、僕は無言でうなづいた。

(とにかく引き返すんだ……心配ない……一本道なんだ……逆方向へ走れば、いずれは、さっきの橋に戻る。橋を渡って、さらに進めば森を出られるはずだ)

 激しい雨。絶え間なくり返される落雷の閃光と音。

 高速で往復するワイパーが、フロントガラスを流れ落ちる大量の雨水をぬぐう。

 あせる気持ちを抑えて、僕はジムニーをゆっくりと走らせた。

 ナビを見る。

 相変わらず、縦に伸びる一本道だけが表示されている。

「おかしいな」という僕のつぶやきに、助手席のサトミが反応して顔をこちらへ向けた。

「どうしたの?」とサトミ。

「さっき橋を渡っただろ?」

「うん……」

「それから、しばらく一本道を進んで……ジムニーをUターンさせて……いま僕らは、もと来た道を戻っているはずだ」

「……」

「それなのに、いつまでっても、橋に辿たどり着かない……本来なら、とっくに橋を渡っていなきゃ駄目なのに……」

「道に迷ったってこと?」

「一本道だ。ありえない」

「じゃあ、どういう意味よ」

「分からないんだ……けど……例えば、時空間が歪んでいる、とか」

「何、それ」

「だから、分かんないって言ってるだろ」

「怒った風に言わないで」

「……ごめん」

 燃料計を見た。まだ充分に残っている。

(でも……永久にこの森から出られないとしたら?)

 いつかはジムニーも動けなくなる。

 積んである水や食料も、いつかは無くなる。

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