18.

 砂利を敷いてならしただけの駐車場に戻って来た。

 僕はリモコンキーでドアロックを解除し、後部ハッチを開けて、左右にある後部座席用のハンド・グリップに紐を渡し、濡れたタオルを掛けた。

「サトミも、ここに濡れたタオルをければ良いよ。濡れたままにしとくと、すぐくさくなるからな」

「うん。ありがとう」

「ついでに使用済みのパンティも干して良いぜ」

「……」

 僕のギャグにサトミは黙り込んでしまった。

 黙り込んだだけじゃなくて、じゃっかん怒ってるオーラが出ている。

 彼女の顔を見ると、表情は能面のように冷たくて、しかも片方の眉がピクピクしていた。

「じょ、冗談だよ。冗談」

「あのね、ケンゴウくん……私たちって、まだ、そういうセクハラ・ギャグを『いや〜ん、ケンゴウくんの、えっちぃ』とか笑って受け流せるような関係じゃないと思うの」

「う、うん……」

「そういう関係でもないのに、女子に向かってそういう事を言うのって、最低だと思うの」

「う、うん……ごめん……」

「暗黙の了解として、どこまで踏み込んで良いかの一線を設定するのは、あくまで女子の方であって、男子はその一線を越えないように細心の注意を払うべきだと思うの」

「ごめん……」

「ドゥー・ユー・アンダスタン?」

「イ、イエス・マム」

 なんか、急に、気まずい空気がジムニーの周囲に漂い始めた。

 ……何もそんなに怒らなくても。

 だいたい、お前、さっき『キスして欲しい』的な雰囲気漂わせてなかったっけ?

 さっきのあれ、そういう意味じゃねぇの?

 それとも、あれ単なるブラフだったの?

 分かんねぇな、こいつの挙動は……

 そのとき、温室の方から『ブロロン、ブロロロロロ……』っていう、ちょっと懐かしい感じのエンジン音が響いて来た。

 音の方を見ると、ブリテッシュ・グリーン(別名メタリック抹茶まっちゃ色)のオープンカーが、温室へ続く砂利道をゆっくりとこちらへ向かって来るのが見えた。

「うぉっ! MG-RV8だっ!」

 思わず興奮してしまった。

 マツダのロードスターよりも小さなMGBという古いオープンカーの車体を延長して、無理やりレンジローバーの4リッターV8をブッ込んだという、これぞダンディの極みのような変態スポーツカーだ。

 古いプッシュロッド式V8特有のドロドロした排気音を出しながら近づいて来るそのオープンカーに乗っていたのは、なんとカフェ〈富士桜亭ふじざくらてい〉のマスター(本名パッパラ・メレンゲ・モケッモッチョさん)だった。

 喫茶店のカウンターに立っていた時のバーテンダー・スタイルから、チェック柄のハンチング帽にツイードのジャケットという、これまたダンディの極みのような英国紳士スタイルに変身していた。

 マスターはMGを砂利の駐車場に入れて僕らのジムニーの隣に停車させ、「やあ、さっきは、どうも!」とニッコリ笑いながら手を挙げて、僕らに挨拶あいさつした。

 なんとも気さくで人懐ひとなつっこい笑みだった。

 喫茶店で見せた『あくまでプロフェッショナルとして、お客さまとは適切な距離感を保ちます』式の微笑みとは、正反対な感じだ。

 オープンカーの運転席に座るマスターに対して、僕は「どうも」と返し、「MG-RV8ですか? すごいですね!」と、彼の自動車クルマめた。

「ははは……私の唯一の趣味ですよ」マスターはMGのエンジンを切り、ドアを開けて降車しながら言った。「ようやく仕事を引退リタイアできたんで、これから愛車コイツと全国をまわろうかな、なんて思いましてね」

「良いですね……では何年くらいお仕事をされてたんですか?」

 僕は、『では』という言葉を『この温泉カフェでは』という意味に使ったつもりだった。

 でも、それに対して、マスターは意外な答えを返して来た。

「まあ、だいたい五千年くらい、ですかね?」

 僕とサトミは答えの意味が全く理解できず、頓狂とんきょうな声を上げた。

「ええっ?」

「えっ? それ、どういう意味ですか」

「ああ、いやいや、誤解しないでください」マスターが手を振って否定する。「喫茶店の話じゃありませんよ……喫茶店経営は、まあ、パート・タイムみたいなものです。私の本業は……〈記憶する者〉です」

 ……ますます分からない。

 僕らの困惑顔を見たマスターが、補足説明する。

「この宇宙における知的生命体の発生から滅亡までを、静かに観察し『記憶する』……それが、私たちの任務です……任期は大体だいたい五千年。およそ五千年前に、私は前任者からこの仕事を引き継ぎ、今さっき後任者にそのバトンを渡し、こうして晴れて自由の身になった、という次第ですよ」

 なんか、やけに話が壮大になって来たな。

 僕は思い切って、気になっていたことをマスターに質問してみた。

「あ……あの、マスターって、やっぱ、『宇宙人』なんスか?」

「うーん……」マスターは数秒間考えて、こう答えた。「地球の生命体じゃない、って意味では、そうかも知れませんが……『この宇宙』の何処どこかで生まれた訳ではありません……この宇宙には、あなたたち地球人以外に知的生命体は存在しません……それどころか、地球を除けば、この宇宙に、どんな原始生物も存在しません」

「地球以外に生命は存在しない? それ本当ですか? じゃ、じゃあマスターは一体いったいどこから……」

「この宇宙とは別の世界から来ました……異次元、並行世界、事象の向こう側……まあ、何と呼んで頂いても結構ですが、要するにからです……〈異世界人〉とでも名乗っておきましょうか」

「……はぁぁ」

「……ふぇぇ」

 僕もサトミも、気の抜けたような声しか出てこない。

 話の内容が壮大過ぎて、にわかには信じられない。

 でも、僕もサトミも、あの宇宙人……いや〈異世界人〉……の姿を間近に自分の目で見ている。彼が光に包まれ一瞬のうちに人間の姿に〈擬態〉したところも見た。

 なら、彼の言った事も信じるべきなのだろうか……

「では、そろそろ……」マスターは再びMG-RV8に乗り込んだ。「お二人ともお元気で。縁があったらまた何処どこかで会いましょう」

 マスターは砂利の駐車場でMGを切り返し、鼻先を出口へ向けた。

「あの……」そのマスターに、僕は思わず問いけた。「僕ら人類を襲っている、この〈人間消滅現象〉って、いつかは収束するんですか? 消滅する恐怖におびえないで生きられる日って来るんですか?」

 マスターは動き出したMGをまた停車させ、しばらく僕の顔を見つめ、そして言った。

「それは誰にも分かりません……少なくとも私には分からない。私に分かるのは、〈異世界〉から来た私自身は〈現象〉の影響を受けないという事だけです……あなたたち地球人だけが〈現象〉の影響を受けて消滅するのです……この〈現象〉が収束する日は来るのか……それとも地球人の最後の一人が消えて無くなるまで続くのか……解決策はあるのか……それらの問いのどれにも、私は答えられません。我々はただあなたたちを観察し記憶するだけの傍観者に過ぎません……では、さようなら」

 オープンカーが再び動き出した。

 MG-RV8は『ブロロロ……』というV8特有の排気音を響かせながら県道を曲がり、どんどん遠く小さくなって、あっという間に景色の向こう側へ消えてしまった。

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