11.

 ……昨日から、これで何度目だよ……意識の無い暗闇から浮かび上がって来るの……

 そんなことを思いながら、僕は薄目を開けた。

 僕は運転席に座ったまま窓ガラスに右のほおをだらし無くべタッと付けた格好かっこうで気絶していた。

 助手席に居るクソ女が消滅してくれていたら良いのに……と思いながら、ゆっくりと左側へ視線を移した。

 女は、僕の鮭おにぎりを勝手に食べていた。

 なんなんだよ、こいつ……サイコパス映画に出てくる怖い人かよ。

 このままもう一度気絶して、現実逃避したかった。

「あ、起きた?」

 女が、おにぎりを口の中でもぐもぐさせながら、僕を見て言った。

 くそっ、こいつ僕に現実逃避もさせてくれないのか。

 僕は、あきらめて運転席に座りなおした。

 妙な姿勢で気絶していたから、体のあちこちが痛い。

「あのさぁ……念のために聞くけど、何で僕は気絶したんだ?」自分のうなじを揉みながら、僕は助手席の女にたずねた。

「その前に、なんか飲み物ちょうだい。おにぎり食べたら喉乾いちゃった」

「そこに、緑茶のペットがあるだろ」

「だって、これ、飲みかけじゃん」

 言いながら、女は例の銀色の光線銃みたいなものの先端を僕へ向けた。

 気絶する直前に全身をめぐった激痛を思い出し、しぶしぶ僕は運転席のドアを開け一旦いったん外に出て、後部ハッチへまわって荷室から二リットルのミネラル・ウォーターを取り、マグカップに水を注いで運転席まで持って行き、助手席の女に渡した。

 その間ずっと女に銃を向けられていたかというと、そういう訳でもない。

 自動車くるまの外に出たとき、そのまま逃げようと思えば逃げられたかもしれない。

 でも、この愛車ジムニーを置いていくわけには、いかない。

 女が余裕ブッこいてるのは、僕のそんな気持ちを見透かしているからだろうか?

 彼女は「ありがとう」と言ってマグカップを受け取り、美味うまそうに中身をゴクゴクと飲んだ。

 昨日の夜に僕が水を飲んで洗わずにそのまま自然乾燥させただけのマグカップだけど、知るもんか。

 水を飲み干した彼女は、僕を見て言った。「どこ行こうか?」

「『どこ行こうか?』ってどういう意味だよ」僕は聞き返した。

「うーん……どこでも良いから、どこかへ連れて行ってよ、っていう意味」

「その前に、質問が二つ……いや、三つある。まず一つ目。さっき僕を撃ったその銃……みたいなのだが……機械を撃つと内蔵されているコンピュータが停止して、人間を撃つと気絶する、のか?」

「うん。そうだよ。『弱』モードで、コンピュータなら三十分間停止して、人間、というか生物なら三十分間気絶する。『中』モードで、コンピュータなら一時間停止、生物なら一時間気絶。『強』モードなら、コンピュータは回路が破壊されて二度と動かなくなる。生物なら……」

「おい……まさか……死ぬ、っていうんじゃないだろうな」

「正解」

 危っねぇぇぇ……そんなもん、さっき僕に向けたのか? こいつ、正真正銘のサイコ女か?

 銀色の光線銃は、助手席に座っている女のももの上に置かれていた。

 いざとなれば、いつでも手にとって再び僕を狙い撃ちできるだろう。

 マジで、こいつ一体いったい何者なんだ?

「質問その二。お前、一体いったい何者なんだ?」

「そうだね。ここらでお互い自己紹介しておいた方が良いかも知んないね……私、サトミ。よろしく」

「何サトミだよ? 苗字は?」

「そこまでは、まだちょっと教えらんない。そっちは? 名前教えてよ」

「……猪狐狸いのこりケンゴウだ。イノシシにキツネにタヌキって書いて、猪狐狸いのこり。ケンゴウは、どうせ言ってもお前には難しすぎて覚えられねぇよ」

「失礼ね。まあ良いわ。それじゃあケンゴウくん、よろしくね」

 ケンゴウくん……か。

 年下のくせに馴れ馴れしい。

 ……いや、待てよ……こいつ、童顔だけど案外、年齢とし行ってるのかも……

 僕は、改めて、サトミと名乗る女の顔をマジマジと見つめた。

 そういう目線で見ると、二十代前半というには肌の張りというかツヤが……いまいち……

「お前、いったい何歳なの?」

「それが、三つ目の質問?」

「ああ、いや。いま急に気になっただけ」

「まあ、永遠の二十五歳ってことで。そっちは?」

「二十九歳」

「実際の年齢より若く見えるね」

「どうかな。『若く見える』ってのは、男にとっては必ずしも褒め言葉じゃない」

「へええ。そうなんだ。で、三つ目の質問は?」

「お前の目的は何だ? 何のために僕のジムニーを強制的に止めたり、僕を気絶させる? ただ移動手段が欲しいだけなら、さっき僕が気絶したときに、僕の体を車外へ転がして、ジムニーを奪うことも出来たはずだ」

「寂しかったから……って理由じゃ、駄目?」

「え?」

 僕は不意を突かれて、思わずサトミの目を見つめてしまった。

 あわてて目を逸らして、フロントガラスの向こうを見た。

「まあ……あれだ……こんな世の中じゃ、確かに他の人間とは滅多に出会わないからな……僕だって時々は人恋しくなる」

「ときどき? 私なんて、ずっと人恋しかったけど」

「僕は、子供の頃から一人でいるのに慣れてたから……一人でいるのは、そんなに苦じゃない。孤独耐性が高いんだろう」

「へええ。なんかうらやましいね。そういう性格。持って生まれた人間の本性なんて簡単には変わらないから、他人の性格を羨ましいがっても仕方ないんだけどさ。だからこそ、お金よりも何よりも、強い性格で生まれてきた人が羨ましいわ」

「僕だって、そんなに強いわけじゃねぇよ。ただ、一人でいるのも悪くないっていう感性なだけだ」

「この町はね、もう誰も居ないの。みんな消えちゃった……もちろん町の全部を見てまわったわけでもないから、百パーセントの確信は無いけど、たぶん、もう私以外だれも居ない……そっちは? どこから来たのか知らないけど、ケンゴウくんの住んでる町には、まだ人が居る?」

「ああ……まだ、多少は残っていた。元々は、一千万人近くが住む大きな街だったから。それでも、僕の生活圏や職場の周辺地域に限って言えば、もう数える程度しか残っていないみたいだったけど」

 そこで、僕は気づいた。

「昨日の夜、この場所で大勢の人間が歩いているのを見たぞ」

「夜? じゃあ、それ、みんな幽霊」

「幽霊って……いや、しかし、そんな……」そんな気はしていたけど、あらためて他人からその言葉を聞くと、まさか、と否定したくなる。

「夜になると、この世界と別の世界のさかい曖昧あいまいになるんだ、ってパパが言ってた……『この世でありながらあの世・あの世でありながらこの世』みたいな空間になるんだって。朝が来れば、また元どおり別々の世界に分かれる……だけど、これから徐々に昼間でも『あの世』が『こちら側』へ侵食してくるようになるんだってさ」

 こいつのパパって、何者だよ……たぶん話し方からして、もう『消滅』しちゃってるんだろうけど。

「ねぇ、どこかに連れて行って」とサトミ。

「だから、どこかってどこだよ」

「だから、どこでもいいから、どこかだよ」

 僕は十秒間考えてから、め息をつきながらエンジン・スタート・ボタンを押してみた。

 何事もなく、エンジンが掛かった。

 サトミの言った通り、あの光線銃で打たれても一定時間が経過すると回復するのか……

 ナビを起動させてみた。

『Y県〇〇町』という表示。なんとなく、正常に表示されているっぽい。

 昨日の深夜に現れた『境界県きょうかいけん魔降利町まふりまち』ってのは一体いったい何だったんだ?

「なあ、サトミ」

「なに?」

「ここって、Y県〇〇町?」

「うん。そうだよ」

 サトミのパパとかいう人は『夜になるとあの世との境が曖昧になり、朝になると元に戻る』と言っていたらしい。

 ……つまり、朝になったからナビの地図が正常に戻った……って事か。そういう理屈なのか?

 昨日から続いていた『不安感』のようなものが、少しだけ軽くなった。

 人間、恐怖の対象に規則性があると知れば少しは安心するものだ。

 とりあえずこの町を出ようと決めた。

 別に、サトミに(僕に銃を突きつけながら)この町の外へ連れて行ってと頼まれたから、じゃない。

 もともと、あてのない旅をしばらく続けようと思って、キャンプ用具一式と一緒にジムニーに乗ったんだ。

 都市から都市へ、町から町へ、村から村へ。

 昨日は、西へ西へと自動車くるまを進めた。

「今日も西を目指すか」

「行き先、決めたの?」

「決めない……決めないまま、自動車くるまを走らせる。とりあえず、西へ向かう。それで良いか?」

「うん! 良いよ! どこへでも連れて行って!」

 サトミが、ニッコリ笑った。

 ドキッとした。

 僕は女の笑顔に弱いんだ。

 そんな笑顔を見せられると、光線銃なんかに関係なく、この女の言うことなら何でも聞かなきゃ、って気持ちになっちまうだろ。

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