●15●「最後の戦い」

「"重力圧死グラビティ・プレッシャー"――終了クローズ


 マモンの断末魔が潰え、死んだことを確認し――刹那は"重力圧死グラビティ・プレッシャー"を解除した。

 ――馬の時のアレ。

 それは一週間前の、刹那と奏の初めてのコンビネーションだった。刹那が重力魔法で地上の多数の敵を拘束し、空から奏が敵を倒す連携。奏がそれを覚えていてくれたことに、刹那は嬉しさを感じていた。

 その感情のまま、奏の方を見ると――彼女は地面に膝をつき、肩で息をしていた。その足元にはおびただしい量の血が流れている。

 

「――奏!?」

「来るな!!」


 傍に近づこうとした刹那を、奏が手をこちらに向けて静止する。その顔は、壮絶だった。目から、鼻から、口から――身体中の穴と言う穴から血が流れており――決死の覚悟を決めた表情をしているのだ。

 彼女はその表情のまま、再び胸元からアンプルを取り出し――アンプル先を砕く。

 

「その身体――その薬の影響じゃないのか!? 無茶だ! またそれを飲んだら――」

「無茶でもやらなきゃならねぇんだよ。――テメェを殺すにはな」


 その言葉に、刹那の背筋が途端に冷える。

 そうだ。彼女は刹那を殺す気なのだ。ただそれが、後回しになっていただけで。

 そのことを意識した途端、刹那の右手が疼いた。右手の甲、五芒星の痕が眩いばかりの光を放ち――赤く明滅する。

 ――殺せ。

 明確な言葉が、刹那の耳に響く。

 ――殺される前に、殺せ。あの女を、殺せ。悪魔狩人デビルハンターを、殺せ。人間を殺せ。悪魔を殺せ。全てを殺し尽くせ……!!

 頑、頑と頭を直接殴るように、声が響く。余りの痛さに耐えきれず、右手を抑えながら――刹那が膝をつく。

 

「――始まったか。魔王の覚醒が」

「これが、魔王……!」

「そうだ。今にも爆発しそうだろう? 殺意と、破壊衝動が。それが魔王の力だ。今はまだ覚醒段階だからその程度で済んでいるが――いずれお前の意識も消えて、魔王の力に乗っ取られる。その前に、俺が殺してやる……!」

「――待ってくれ!!」

 

 アンプルを口に運ぼうとした奏を、刹那が静止する。右腕を抑えながら、苦悶の表情を浮かべながら――それでも奏の目を見て、口を開く。

 

「確かに魔王の力は強大だ。だけど、まだ何とか抑えていられる」

「それは覚醒段階――目覚めたての、起きたばかりの夢うつつ状態だからだ!」

「それでも! 今はまだ、抑えていられるんだ!」


 ドクン、ドクンともう一つの心臓のように脈打つ右手を地面に押さえつけながら――刹那は必死に訴える。

 

「奏。俺は生きたい。魔王にもなりたくない。また君と一緒に――ご飯を食べたいんだ。一緒に、阿久根神社に帰ってくれないか……?」


 刹那の問い。奏の瞳を真っ直ぐに見ての彼の言葉に、彼女もまた、彼の目を見返して、答える。

 

「……いいな。帰れたらいい。また一緒に帰って、お前とまた悪魔狩人デビルハンターが出来たらいい。――だがそれは出来ない。このままだと、お前が世界を滅ぼすことになる。――仲間の、お前がだ! 他の誰よりもそんなことを望んでいないお前に、そんなことをやらせるわけにはいかないだろう! ――だから、オレが殺す」

「――分かった」


 奏の答えに、刹那は右手を抑えながら――立ち上がる。

 

「奏の言い分は分かったよ。それでも俺は――生きたいんだ。だから――」

「ああ。互いの望みを同時に叶える手段は無い。だから――」


 黒金の外骨格に包まれた悪魔が、右腕を抑えたまま――巨大銃器の銃口を、黒の聖女へと向ける。

 

「戦おう。生き残った方が、望みを叶える」

「そうだ。オレ達には、もうその道しか残されていない――」


 言って、黒の聖女が、その手のアンプルを嚥下しようとした瞬間――

 

『待ったァァァ―――ッッッ!!』


 叫びと共に、鴉の群れが二人を包み込んだ。

 

 ●●●

 

「これは――神楽のカラス式神!?」

「叔父さん!?」


 突然のカラス式神の群れに包まれ、困惑する二人。

 鴉の群れはそのまま二人を――否、刹那を、その右手を包み込み――黒い符となって、貼り付いていく。

 符には陰陽術の無数の呪文・紋様が刻まれており――それだけでなく、アルファベットや十字架――聖法庁の法術の文字・紋様も刻まれていた。それらが光を放ちながら刹那の右手を、その右手の甲――魔王の痕を、その力ごと抑え込んでいく。

 

「これは……」

『クラリスさんの助けも受けて完成させた、魔王封印の符だ! これで永遠に――とはいかないけど。一日程度なら、魔王の力を抑えられる!』

「それが、どうした!」


 鴉の群れが全て符となり、刹那の右手に集まる。そこに、奏が大声を上げた。

 

「それで魔王になりません、なんて言うつもりか!? 一日しか封印が持たない上に――絶対に抑えられる、なんて確証は無いだろう!」

「ええ、その通りです」


 奏の声に応えたのは、いつの間に来ていたのか――おそらく先ほどの鴉の群れによる鳥遁の術だ――クラリスだった。

 彼女は奏に近寄ると、その手をぎゅっと握る。

 

「刹那さんの右腕を封じたのは、神楽さんの陰陽術と、私の法術の知識を合わせた――今までに例のない封印符です。何が起こるか、予想はつきません。私達の見立てでは、一日は持ちますが――それにも確証は持てません」

「そうだろう! なのに――何で協力したんだ! クラリス!!」


 奏が苛立たし気に叫ぶ。

 

「お前が協力した所で、刹那が魔王になるのは変わらない! そして魔王は、世界を滅ぼすんだ! 他の誰でも無い――|、予知・・したんだぞ・・・・・!! だから、オレは……!!」


 何かを耐えるように言いよどむ奏に、クラリスは優しく語り掛ける。

 

「今朝、新たな予知が見えました」

「――何だと? それで――魔王が世界を滅ぼさない、なんて都合の良い未来が見えたのか?」

「いいえ。新たな予知で見えたイメージ――それは、魔王によって世界が変わる、というビジョンでした」


 なんだそれは。訝し気な目でクラリスを見る奏に、彼女はしかし、真摯に言葉を続ける。

 

「世界が炎に包まれるようにも。あるいは世界の全てが破壊されるようにも。あるいは――世界の悪魔が、全て滅ぼされるようにも。そんな、あいまいなイメージでした。確かに感じ取れるのは、世界が今までとは違う"何か"へと変わる、ということだけ」


 そこでクラリスは、刹那へと振り返る。茫然と黒の符に包まれた右手を見つめる刹那に。

 

「刹那さん。私は、この予知の変化に――可能性を見ました。滅び一辺倒だった予知が、そうではなくなった。それは、貴方に世界を良い方向に返る可能性があるのだと、そう感じたからです。だから私は、神楽さんに協力し――その封印符を作成したのです」

「俺が、世界を変える……?」


 まだ現実感が無い、というように呟く刹那。そんな彼から、再び奏へとクラリスは視線を戻す。

 

「奏。私は、綱渡りでも――彼が魔王にならない未来にかける事にしました。彼も――何より貴女も死なない未来に。貴女はどうしますか?」


 そう言って、彼女は奏の手の中にあるアンプル――天使化薬へと手を伸ばす。

 

「このまま彼を殺しますか? それとも――貴女が、本当に望むのは、どんな未来ですか?」

「――――ッ!」


 奏はその問いに、しばらく唸ると――ばっとクラリスを跳ねのける。そのままアンプルを――戦闘服の胸元へと戻した。

 

「奏――」

「勘違いするな!」


 明るい表情で声をかける刹那に、奏は強い調子で静止する。

 

「今はまだ、お前が世界を滅ぼさないから――殺さないだけだ。もしその封印符が破れたり――あるいは他の要因で、お前が世界を滅ぼす魔王になったと判断したら、その時は――」

「うん。奏が、俺を殺してくれ」


 刹那の答えに、奏はふんっと一息つくと、そのまま屋上から降りる階段入口へと歩き始める。

 

「ちょっと奏、どこに行くの……!」

「決まってるだろ。これからアイツが魔王にならないように見張らなくちゃいけないんだ。――帰るんだよ、阿久根神社に」

「――ああ!」


 奏の言葉に、刹那が嬉しそうに答える。その姿は、茶髪にフード付き黒コート――彼の、人間としての姿に戻っていた。

 いつの間にか空は白み、夜が明けようとしている。冷たい朝の空気が、三人を包んでいた――。

 

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