●8●「彼女の理由」

 夕飯が終わって。神楽は夕飯の食器洗い、クラリスは少し早めのお風呂へ。

 刹那と奏は今のテーブルに胡坐で向かい、食後のコーヒーを飲んでいた。

 明日は魔王戦争当日。クラリスの予知でも、今夜は悪魔が見つからず――明日に備えて、神楽のカラス式神による夏樹市全域索敵のみを行い、四人は身体を休めることにしていた。

 

「……おい刹那。ちょっとツラ貸せ」


 少し手持ち無沙汰になっていた刹那に、コーヒーを飲み終えた奏がそう声をかける。

 刹那は手馴れた様子で分かった、とコーヒーを急いで飲み干し、彼女の後を追った。

 

 ●●●

 

 夕食後から、深夜の悪魔狩りに向かうまでのちょっとした時間。

 その時間に、奏とちょっとした戦闘訓練を行う。それが、刹那のこの数日のスケジュールとなっていた。

 

「"変身"」


 神社の境内。月明りだけが照らす暗がりの中で、黒金の異形の悪魔が姿を現す。

 それに対峙するように、黒の戦闘服に身を包んだ奏が現れる。

 

「――シッ!」


 言葉も無く、奏が刹那へと殴りかかる。ジャブジャブジャブジャブフックジャブフックジャブストレート。そんな彼女の連撃を、刹那は避け、受け、時に拳を返しながら受け止めていく。

 これを休憩を挟まず三十分。それが彼らの日常となっていたのだが――今宵は少し違った。

 

「――奏、まだ、やるのか?」


 一時間を超えても、奏の拳は止まらない。むしろ鋭さを増している。刹那は息を上げながら、なんとかそれに喰らい付いていく。ジャブジャブフックジャブジャブジャブフックフックストレート。何度か腹や頭に拳を喰らいながら、それでも奏の拳は止まらない。

 

「――オオラァッッッ!!!」


 渾身のストレートが叩き込まれる。刹那はクロスした両腕で何とかそれを受け止める。衝撃が全身を貫き、彼の足元の砂利がはじけ飛んだ。

 はぁ、はぁ、と肩で息をしながらそれっきり動きを止めた奏。普段とは違うその様子に、刹那はつい問うてしまった。

 

「奏、何かあったのか?」

「――明日は魔王戦争本番だからな。絶対に阻止しなきゃならねぇ。そのために準備は出来るだけしといた方がいいだろう?」

「だからって、こんな無茶をしたら――」

「無茶でも何でも、やらずにはいられねぇンだよ!!」


 突然の奏の叫び。焦燥、というにはじっとりと熱い感情に満ちたその言葉に、刹那は口をつぐんでしまう。

 

「――悪いな。街の悪魔はあらかた狩って、残りは雑魚ばかりのはずで、こんな風に焦る必要なんかないハズなのに――明日には魔王戦争が起こる、って思うといてもたってもいられなくなって」

「――魔王戦争に、何かあるのか?」


 刹那は思う。彼が今まであった中で、奏は最も悪魔へ殺意を向けている悪魔狩人デビルハンターである。――異常、とも言えるほどに。そんな彼女が、魔王戦争に対し並々ならぬ感情を向けているのはこの一週間ほどで分かってきた。

 奏と魔王戦争に何があったのか。問わずにはいられなかった。

 

「――どこにでもあるつまらない話だがよ。オレの故郷は、魔王に潰されたんだ」


 冷え切った声で、奏が口を開く。

 

「この日本の、どこにでもある普通の街だったよ。オレはそこで普通の子供をしていた。いつもと同じ明日が来るって、根拠も無く信じてた。――だけどあの日。一匹の魔王が現れて、街を焼き尽くしたんだ。当然、当時は魔王だの悪魔だのってのは知らなかった。だがオレは見た。街の空に浮かび、街を焼き尽くすように炎を吐いて飛ぶ、十二枚の翼を持つ巨大な異形の存在を」


 ギリリ、と奏が拳を握りしめる。

 

「街は全部炎に包まれて、焼き尽くされた。オレの父さんも、母さんも、妹も――友達も、知らない人も、皆。生き残ったのはオレ一人だった」


 後から聞いた話では、奏一人だけが炎に焼かれることなく無事だったらしい。まるで、神に護られたかのように。――それは事実なのだろう。聖女としての神の加護が、彼女の命を救ったのだ。

 

「生き残ったオレは誓った。悪魔は殺す。全員殺す。魔王は特に殺す。アレは生きていてはいけない存在だ。絶対に死ななければいけない存在だ。だからオレは――悪魔狩人デビルハンターになったんだ」

「…………」


 奏の吐露を、刹那は受け止めきれずにいた。彼女自身はどこにでもある話、なんて言うが――その憎悪は、容易に"分かる"なんて言えない熱さがあった。

 彼女の中の悪魔への憎悪は、きっと消えることが無い。今も燃え盛っているのだろう。普段、普通に過ごしているように見えても――その炎は消えることなく彼女を追い立てるのだ。悪魔を殺せ、魔王を殺せと。

 だからこそ、刹那は問わなければならなかった。悪魔に対し、それほどの憎悪を持っているのなら。

 

「――どうして、俺を殺さないんだ?」


 半分とは言え悪魔である刹那自身を。何故、奏は生かすのか。それどころか、仲間だなんて言うのか。彼女の過去を思えば、いつでも殺したっておかしくはないのに。

 刹那の問いに、奏は牙を剥くような笑みを浮かべる。まるで威嚇するように。

 

「――お前はオレに命を預けてくれた。オレを助けてくれた。そういう奴は、仲間だ。だから殺さない」


 だがな、と彼女は言葉を切る。笑みを消し、無表情の顔で、言葉を続ける。

 

「お前がもしも悪魔として人を殺すことになったら。オレは躊躇なくお前を殺す。仲間であっても、だ」


 忘れるな、と言い。奏はふぅと一息ついて、住居の方へと戻り始めた。

 その背中を見ながら、刹那は複雑な思いを抱いていた。

 仲間だから、殺さない。だが悪魔になったら、殺す。愚直で、それでいてどこか捻くれた感情。そんなモノを向けられたのは、彼の人生で初めてだった。

 彼はそのことに戸惑いながらも――どこかその戸惑いさえ心地よいモノに感じていた。

 仲間という絆であり。殺意という感情であり。それほど強い思いを、彼女"も"持っていたからだった。

 そんな思いを感じながら、刹那もまた、彼女の後を追い、住居へと戻るのだった。

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