二人の初のフットサル
休みのつもりだったのに。ゆっくり読書でもしながらリラックスタイムを過ごそうと思っていたのに。先週の地獄から回復するための大事な休息日だったのに。
「もー。往生際が悪いなぁ。良いじゃん別に。ちょぉっとお出かけするだけだよ」
「家でまったり過ごしてるとこに突然侵入される人間の気にもなってくれよ。あれ結構怖いんだからな」
前置きなく玄関の鍵が開く音がするってめちゃくちゃ心臓に悪い。強盗とか不審者とか、かなりリアルな恐怖感があるのだ。
ーーえ、なになにヤバい嘘だろおい。
訓練を受けていない普通の人間は、未体験の危機に追い込まれた時、意外と具体的な行動が取れないものだ。武器を手に取るとか、逃げ道を探すとかが頭に浮かばない。ただただ怖くて、身体が固まってしまう。
「ったくよぉ。何でお前らの趣味にまで付き合わされなきゃなんねぇんだよ。各自で勝手にやれよ」
もうおわかりだと思うが、俺は今ワクワク公園行きのバスに乗っている。小鳥遊をフットサルに連れ出すための餌にされたわけだ。久保が望に俺を連れてくるよう頼み、望もそれに賛成して小鳥遊を誘った。今晩は俺がフットサルを見に来るのだと伝えると、小鳥遊も参加すると言ったらしい。迷いのない即答だったそうだ。
ーーそう。わかった。行く。
フットサルがどんなものなのかという質問すらなし。
「何でなんだろうなー。コウちゃん、もしかして小鳥遊さん脅したりしてる? 普通に犯罪だよ? 面会とか行くのヤだからね」
「割とマジで言ってる風なのが腹立つな」
悪い意味で遠慮がない従姉妹だ。まぁ、一番悪いのは俺の信頼度の低さなのだが。だからと言って、生活態度を改めるつもりは一切ない。
「あの子の考えは読めねぇよ。同級生のお前らで無理なら俺なんてもっと無理だ」
小鳥遊霧子は特殊過ぎる。彼女の外見、性格、行動を常人のモノサシで計るのは不可能だ。自然、接し方も難しくなってくる。何か一つ扱いを間違えただけでも、小鳥遊はサッカー部の癌に変質してしまうだろう。集団行動を乱す存在というのはそれだけの危険を孕んでいるのだ。
これからサッカー部がまとまって行けば行くほど、小鳥遊という強烈な「個」は際立っていく。今はまだ「変わった人」くらいで済まされているが、これが「自分勝手な奴」に変わった瞬間、癌細胞が全身を巡り出す。全体が何をするにしても「自分勝手な小鳥遊」でワンクッションが入り、行動が遅滞する。その果ては、個々の不満が雪だるま式に増加した内部不和。チームは容易く空中分解する。
その最初の一歩目が今だ。桜峰サッカー部はこれまた難しい状況に立たされている。
ーーまぁ、俺はノータッチでいかせてもらうが。
深い理由はない。端的に面倒くさい。これはサッカーではなく人間関係の問題であり、女子高生の人間関係とか、完全に「触れるな危険」だ。そんな場所までコーチが出張る必要はないとも思っている。趣味と同じだ。各自でやれよ。
「今日も元気良いな、おい」
バスの窓に県立病院から漏れる生っ白い灯りが映る。あんまり見ていると病気になりそうだったので、バス停に降りるとすぐワクワク公園に足を向けた。ここに来るのは三度目だが、流石に運賃を払った。これで濃緑色のコートに綺麗な身体で入れる。少し歩くと見えてくる高いフェンスに閉塞感を感じるのは、おそらく俺だけだろう。照明でキラキラしたコート上では、見慣れた選手達が軽い準備運動をしていた。俺に気づいた選手達が挨拶しに来ようとするのを、手でシッシと追い払った。
「スタメンどーしよっか」
「俺に聞くな」
「コーチでしょ」
俺がベンチに座るなり望がホワイトボードを持ち出してくる。白いマグネットには竜、綾、カロなど、選手達の名前がマジックで書いてある。
「……小西、中沢、阿部、小鳥遊、仲村」
二ー二のボックス型
「公太郎くん! 今日はお手柔らかに頼むよ!」
「……あぁ、どうも」
坂田のおっさんが頭部をキラつかせながら声をかけてきた。仕方ないからこっちも立ち上がって会釈する。握手の流れになりそうだったので、わざとホワイトボードを手に持った。今日の試合相手は坂田のおっさんが率いるおっさんチームらしい。いい歳してBad Boyzというチーム名らしいが、バッドな部分もボーイズな部分も見当たらない。
「よろしくお願いします!」
すると望が俺を肘で押し退け、愛嬌たっぷりの笑顔で右手を差し出す。人に好かれる人間のお手本のような行動と表情だった。坂田のおっさんが俺に対してよりもずっとにこやかになる。おい、気をつけろよおっさん。その子こー見えてかなり裏があるぞ。心の中の忠告という無価値なプレゼントをしてあげた。
「あの、コーチ! 来てくださってありがとうございます」
「どういたしまして。見学するだけだからな」
「はい」
やる事もないのでマグネットでパチパチ遊んでいると、アップを終えた遠藤がいの一番に駆け寄ってきた。こっちが困るくらい嬉しそうにしている。ショートレイヤーの髪先が汗の雫で濡れている。大人びた外見の遠藤も、中身は十五歳の少女だ。歳相応にはしゃいだり、笑ったりする。その対象を俺にされるのは迷惑と言えなくもないが、それを拒絶するほど冷徹にもなれない。彼女の周囲には一筋縄ではいかない性格の者ばかりなので、無条件に「少女」でいられる相手は少ないのだろう。
「急に呼び出してごめんなさい。埋め合わせはちゃんとするわ」
次に挨拶しに来たのは久保で、いつもより態度がしおらしくなっている。俺は久保が嫌いだが、これはこれで調子が狂う。埋め合わせという素敵な言葉も聞けたことだし、ここからは嫌々やらされてますオーラは出さないようにしよう。試合前の最後の給水をさせつつ選手達をベンチに座らせた。俺は人工芝に片膝をついて彼女達に目線を合わせる。
「阿部、小鳥遊。ボールの感触はどうだ? 小ささよりも軽さがネックになると思うんだが」
まずは一番気になる部分を確認しておく。ボールやコートの大きさの違いで生まれる感覚のズレ。サッカーの時よりもプレッシャーが速かったり、より繊細なボールタッチ、ステップを求められたりする。フットサルはサッカーと似てはいるが、実際は全くの別物。その点を意識レベルで間違えないで欲しかった。
「大丈夫」
小鳥遊が小西から水筒を受け取りつつ答える。この子なら多分こう言うだろうと思っていた。コートやボール云々より、むしろ照明の明るさの方が気になっているらしい。時折目を隠すように手で庇を作る。
「阿部は?」
「だいじょぶだよ。思ってたよりもずっと楽しい」
「なら良し」
選手達の顔を見回しても、体調の悪そうな者はいない。
「んじゃ、これスタメン。文句不満があるなら言ってくれ。全部無視するから」
「いやいや、無視するんかーい」
「それ、言う意味あるんですか〜?」
「ある。言いたいことを言える空気感は大事だ」
それを俺の人間性で構築するのは不可能なので、選手達から積極的であってもらわなくてはならない。これは小鳥遊霧子という課題を解決する糸口にもなる。逆に爆弾の導火線にもなり得るのが恐ろしい部分だが。
「え、あれ?」
スタメンよりも俺の嫌味な話し方に少女達の批難が集まる中、とぼけた声をあげた者がいた。
「僕、スタメン?」
阿部だ。
「そうだが?」
「あ、ホントですね〜。む、綾さんを外すんですか〜」
阿部以外の者もやっとホワイトボードに目を向けるようになった。仲村が何やら言いたげに目を細めたが、それ以上は喉元で留めた。外された久保と遠藤を含め、他の者も特別なリアクションはしない。不思議なことに、この編成に一番反応したのはスタメンの阿部だった。過剰とも言えるほどに。
「僕、チームに入って五日だよ? そんなすぐ試合に出て良いの?」
「良い悪いで言えば良いだろ。上手い選手から先に試合に出るのは当たり前のことだ。そこに異を唱える奴がいるなら俺はもう帰るぞ」
もちろんそんな奴はいない。全員うんうんそりゃそうだと頷いている。それに小鳥遊がメンバーに入っていることを考えれば、フットサル初経験の者を優先したことに気づくだろう。だが、阿部はまだ粘る。
「いや、そのさ。僕フットサルの試合も見たことないし。最初は外から見て感じを掴みたいかなぁっと……」
「ふむ」
言っていることはわからないでもない。そして、言っていないことがあるのもわかった。
「なら、代わりに遠藤入ってくれ。戦術とかタスクとかは特にない。好きにやってくればいい」
「「はい!」」
元気よく返事をした後、それぞれが望からビブスを受け取ってコートに入って行く。仲村が髪のお団子を整え、小鳥遊はビブスの前後ろを確認する。中沢がシューズの紐を結び直し、遠藤は手の甲で額を拭った。一番最後に小西がゴール前を陣取って、チームが臨戦態勢になる。おっさん達も反対側のコートで陣形を組み、試合開始の準備が整う。
「それでは十分でいきまーす。スタートぉ!」
望の声掛けで試合が始まった。ストップウォッチを押した音が隣から聞こえてくる。二つの二人がけベンチに、右から望、俺、久保、阿部が座った。女子高生三人がとにかく細いので、ベンチには余分ができた。
試合はおっさん達がオフェンスに一人を残し、三人がゴール前で守備陣形を築く状態で始まった。それは以前俺が南条GFC相手に取った作戦と近いやり方だ。プレッシャーはかけず、中沢と遠藤に自由にボールを回させている。この状況でこの二人がボールを奪われることはあり得ないから、見ている分には安心だ。まだ始まったばかりだし、焦って雑になることはない。
するとここで右サイドの小鳥遊が下がってボールを受けた。遠藤からのパスを左足の裏でトラップ。間合いを詰めてきたディフェンダーを意識しつつ足裏でボールを撫でて動かし、中へ侵入していく。ディフェンダーから遠い左足でドリブルしているため、相手は脚を出せない。だが、数メートル進んで突破口はないと判断したらしい。進行方向にいた仲村にボールを預けた。その後、小鳥遊は仲村とポジションチェンジする形で縦へとフリーランで抜けていった。小鳥遊が元居た場所には遠藤が入っており、仲村のパスコースは確保されている。
それはまさに、「フットサル」のプレーだった。小鳥遊は今日の今日までフットサルのフの字も知らなかったはずなのに、既にゲームに順応しきっている。それも、ただ上手いだけじゃない。きちんと流動的な動きで味方のフォローにも回っている。その光景は、俺をゾッとさせるには十分の破壊力があった。
俺が二十年かけて築いてきた常識は、わずか数日で小鳥遊に破壊されてしまった。「できるはずがない」ことをあの子はできてしまう。外から見ているだけでも鳥肌ものなのだから、同じコートでプレーをする選手達はもっと悍ましい衝撃を感じているに違いない。
「それで? 小鳥遊にフットサルさせて、そこからどうしたいんだ?」
誰もが小鳥遊のプレーに目を吸い寄せられる中、久保竜子は他とは違う視線でピッチを見つめていた。眉根に寄せられた皺は深く、表情は険しい。右膝を支えにつかれた頬杖で口元を隠しており、久保の真意は読み取れない。だから訊くしかなかった。
「それを見極めてるの。私、思っちゃったの。あの子をどうするかなんて、きっと周りが考えても無意味。だから、私があの選手とどんな関係でいたいのか。それを見つけようと思って」
「ふぅん。そうきたか」
「まぁ、答えなんてほぼ決まってるようなものなんだけど。ほら見てよ」
「あ? ……うげ」
坂田のおっさんのシュートをキャッチした小西が、前に残っていた小鳥遊へスローイング。小鳥遊はバックステップで左サイドに広がりながら、右足の甲でボールを止めた。足に吸盤がついているような美しいトラップだった。それに対し、ディフェンダーは間合いを詰めてしまった。小鳥遊は脚を出してきた相手をダブルタッチでかわし、縦へ突破する。これで残る相手はあと一人。とうとうペナルティーエリア内での一対一に持ち込んだ。
ディフェンダーがシュートコースを塞ぎにかかる。だが、小鳥遊は止まらなかった。そのまま突っ込み、左四十五度の位置に入り込んだタイミングでシュートを打つ、ことはしなかった。振り切ると思われた左足は直前で停止し、シューズの裏でボールを止めている。そしてボールを引き戻し、左足のインサイドで右脚の後ろを通すノールックのバックパス。その先には、遅れて駆け上がってきた仲村がいた。
「フリーだ!」
おっさん達は女子高生の走力についていけていない。どフリーの仲村は右のインサイドでダイレクトシュート。キーパーの手の届かない左上に落ち着いて決めきった。前半五分に桜峰が先制する。
久保と俺が同時に溜め息をつき、そして互いに睨み合った。真似するな、と言うことだ。だが、久保はすぐに視線をコートに戻して言う。
「あのスピードでドリブルしながら真後ろが見えてるのよ? もはや異常よ、異常」
「……そこは同意するよ」
俺達は外から見ているから、どの選手がどこにいるかはわかる。もちろん仲村がフリーなのも見えていた。だが、まさかそこにパスが出てくるとは思ってもいなかった。それだけ小鳥遊のプレースピードは速かったし、背後を把握するのは難しいことなのだ。もし仲村にパスが出るとしても、一度ストップしてからだと思うのが普通だ。そういう常識を、軽々と越えていくのが小鳥遊という選手なのだ。
この「選手」とどうなりたいのか。どんなプレーをしたいのか。久保はそれを探しているのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます