皆んなでフットサル
二vs二vs二のミニゲームはいい感じに白熱した。選手の組み合わせを細かく変えることで、連携や意思疎通も高められていると思う。だが、あまり長い時間はやらせられなかった。小鳥遊の集中が今までより早く切れたのだ。小鳥遊はサッカーと関わった時間の短さ、経験の浅さを類い稀な集中力で補っている。彼女はプレー中、他のメンバーとは比べ物にならないほど脳を回転させているのだ。そこにより一層の頭の切り替えを強いるこの練習は、少し負荷が大き過ぎたらしい。こまめに休憩を挟みながらの練習だったが、三十分ほどで限界を迎えた。平時の小鳥遊なら絶対にしないようなイージーなミスが起こるようになり、動きのキレも失われていった。
集中力を欠いた状態での練習など、疲労感が大きいばかりで効果が薄い。小鳥遊の限界が見えた時点でこの練習はひとまず切り上げた。
ーーここまでかな。
集中は一度切れるとそう簡単には戻らない。小鳥遊の様子を観察してみたが、回復の兆しは見られなかった。ならばいっそ、全体練習そのものを終えるのも一つの手だ。
「少し早いが、今日はこれで終わりにしよう。動き足りない者は各自でやってくれ。くれぐれも、クールダウンはしっかりな」
最後の一言は久保、仲村、小西に向けたものだ。この三人は好きなことに熱中するとすぐにそれ以外が見えなくなる。シュートの練習をしてました、ドリブルの練習をしてました、セービングをやってました、気がついたら夜十時でした、みたいな。練習ってのは日々の積み重ねが数ヶ月後、数年後に成果となって実るものだ。そのためには続けるための身体作り、ケアも大事で、クールダウン、休養が不可欠。この三人はそこをイマイチ理解してない節がある。
「コウちゃんはもう帰るの?」
「あぁ。特別見てほしいってのがあるなら考えるが?」
選手間の連携やチームの約束事の理解、応用力を高めるのが全体練習だ。それに対し、パスやドリブル、シュートなど限られたワンプレーを突き詰めるのが個人練習。技術が反復練習でしか身につかない以上、一つのことに没頭できる個人練習はとても重要だ。それ故に、選手達が練習の強度、効率を上げるために手伝いをして欲しいと言うなら、俺も無視はできない。
「あなた、そんなこと言いつつ帰る気満々じゃない」
「それはまぁ。腹減ったし」
無視はできないが、自発的に見てやろうという気もない。久保が呆れた様子でため息をついている。他の者も似たような表情だ。
ーー別に期待はしてなかったけど……。
どんなに期待されても、所詮は俺のアドバイスだ。効果なんてたかが知れてる。下手をすれば選手にマイナスになることを言ってしまうかもしれない。その責任を背負えるだけの余裕や誠実さは、俺の心にない。
「んじゃ、お疲れさん」
そろそろタバコが吸いたくなってきた。調子良さそうにプレーする選手達を見ていると、どうしようもなく胸が不快に疼くのだ。意識がふと途切れる度に感じる「過去」は、まだ俺を手放してくれそうにない。
「お疲れ様でした!」
背中にかかる声に鳥肌が立った。もちろん悪い意味で、だ。
「つーちゃーん」
「んー? あ、のぞっちおはよう」
「おはよー」
登校時、八尾は正門前で阿部の後頭部を見つけた。阿部の小柄な体躯は他の生徒に埋もれているが、プリンカラーがやはり目立つ。生徒達で溢れかえる通学ラッシュの中でも、阿部を発見するのはとても簡単だった。
ちなみに、桜峰女子高等学校は保護者の同意があれば髪を染めて良い。そのため茶髪金髪は当たり前で、上級生には赤や紫に近い髪色の者もいる。この自由さが桜峰の入試倍率が高い理由の一つだ。
「あのね、言うの忘れちゃってたんだけど、今日グラウンド使えないんだ。ごめんね」
「え、そうなの? 今日金曜だよ?」
土日に試合があるのに、と阿部は言っている。いつか公太郎が言っていたのと同じことだ。
「いつもは火曜か木曜が休みなんだけど、今週はちょっと特別でさ」
桜峰のグラウンドは広くなく、全ての運動部が同時に練習するのは難しい。そのため使用は持ち回りになっているのだが、人数の少ないサッカー部は後回しにされがちだった。今日は通常ならソフトボール部が休みなのだが、土日に複数の強豪校と交流戦があるらしい。だからグラウンドを譲ることになった。と言うか、譲らされた。
「じゃあ、今日休み?」
「あ、そうじゃなくてね、今日は皆んなでフットサルしに行こうってなってて」
「え! フットサルやれる所なんてあるんだ! 凄い!」
「うん。ワクワク公園ってとこに人工芝のコートがあるんだ。だから良かったらつーちゃんにも来て欲しいんだけど……」
「行きたい行きたい! 僕フットサルなんて初め……あ、でもシューズ持ってないや……専用の要るよね?」
「あぁ、そこは心配しないで。なんとリュウちゃんがシューズを二足持ってるのです!」
「え、え、もしかして貸してくれるの? 僕なんかが借りていいの?」
「なんかって……。本当は昨日のうちに伝えたかったんだけどね。それでなんだけど、つーちゃんの連絡先教えて欲しいなって」
「あ、そ、そういえばそうだったね。え、えへへ。こっちに来て初めての連絡先交換だ……」
阿部が照れくさそうにはにかみながらスマフォを取り出す。転校して来てからこっち、阿部は積極的にクラスに馴染もうとしているが、どうにも空回りが続いていた。大都会の流行や有名店の話を聞きたがるクラスメイトに気の利いた解答ができないのだ。ファッションやメイク、グルメ、その辺の話が微妙に噛み合わない。完全に打ち解けるにはもうしばらく時間がかかりそうだった。
「あー、でも、やっぱり休みに関しては早くなんとかしないとなぁ。ていうか、そもそも休みを作っていいのかってのも皆んなで言ってるんだ。つーちゃん的にはどう思う?」
このチームの最終目標は全国制覇である。そんな遥か彼方、水平線の向こうを目指しているのに、休養日なんてものを作っていいのか、というのは選手達全員が抱える疑問、不安だった。それ故に、このタイミングでの阿部の登場は奇跡のような幸運だった。全国を肌で知る選手の生の声を聞けるからだ。
「んー。休養日自体はあっていいと思うよ。結局は質の問題だからね。その点で言うなら、桜峰の練習って結構キツいしさ」
「え、そうなの?」
「うん。人数少ないのもあるけど、休憩がかなりシビアにコントロールされてるから。それに練習の種類とか見てると、こうちっちは多分動きの量と質で人数差を補おうとしてる感じがする。一人一人が走り負けないことをチームの核にするつもりなんだよ」
ティーンらしい煌びやかな話題にはごにょる阿部だが、サッカーの話、特に渋めの話をさせると声質がどっしりする。
「全体とは別に個人にもそれぞれタスクを要求してるし。リュウっちなら裏への抜け出しとシュートの決定率、アヤっちならゲームの組み立てと安定感、とかね」
「へ、へぇ」
阿部の話に八尾は感心するばかりである。隣でずっと公太郎のチーム作りを見てきた八尾でさえ、ここまではっきりと公太郎の狙いを言語化できない。普通、感覚を言葉に組み立て直す際、不確定さや不明瞭さが混じるものだが、阿部にはそれがなかった。中沢や遠藤の持つサッカーI.Qとはまた次元の違う賢さが、彼女にはあった。そしてそれは、公太郎の持つ感覚によく似ている。
「それで、フットサルコートで何するの?」
「何って、普通に試合だよ。声かけてくれるフットサルチームがいくつかあって、今日はその内の一チームと」
練習試合をしてくれるかどうかと言うものは、チームの強い弱いとはあまり関係ない。結局は人と人との繋がりで、沢山の人と仲良くしていることが一番大切だ。サッカー場にいる人達と積極的にコミュニケーションを取り、情報交換をして、名前を覚えてもらう。そうして初めて、彼らが練習試合を組もうと思った時に桜峰の名前を思い出してもらえるのだ。その後、試合で桜峰の選手達が練習相手として認めてもらえれば、「次」のお声がかかる。桜峰の選手達のヤル気や実力は確かなものなので、試合を組めさえすれば次もある。いかにコネクションを広げるか、それがマネージャーである八尾の仕事であり、腕の見せ所だった。
「でも……し、試合かぁ」
すると、何やら阿部の表情が固くなった。
「負けたら、ダメだよね」
「うん? 大丈夫だよ。手抜きって訳じゃないけど、ただの練習試合だから」
お相手も「趣味」でフットサルをやっている人達だ。楽しさに重きを置いている。スポーツの楽しみ方は様々で、勝ち負けだけが全てではない。もちろん勝つに越したことはないが、勝利を得るためには捨てないといけないものも多く、彼らはそこまでの意識はない。だが、
「どんなチームと試合するの?」
阿部はそんなことを弱い口調で聞いてくる。試合をする相手チームが気になるのは当たり前のことだが、阿部の様子はそれとはどこか違う。有り体に言えば、ビクビクしている。
「Bad Boyzって地元のフットサルチーム。大人の男の人のチームなんだけど、そこまで強くないよ」
「へ、へぇ」
強いチームと試合をするのが嫌なのかと思って言ってみたが、そう言う反応ではなかった。相手チームそのものを意識しているわけではなさそうだ。阿部が何に過敏になっているのかわからなくて、他にも色々と説明しようとした時、
「二人ともどうしたの? こんなところで止まってたら危ないよ」
後ろから声をかけられた。振り向くと、黒いシューズケースを右手にぶら下げた久保がいた。左肩にかけているのもアディダスのエナメルバッグで、学生カバンを持っていない。その出で立ちは、学校に勉強をしに来ているのではなく、サッカーをしに来ている感じだった。
「あ、リュウちゃんおはよう。今ね、つーちゃんと今日の試合相手について話してたんだ」
「あぁ、そうだったの。それなら、はい、これ。後にするつもりだったんだけど、今渡しておくね。サイズは合うと思うわ」
右手のシューズケースは阿部のために持ってきたものだったらしい。中にはサイズ二十二センチのフットサルシューズが入っている。久保が二足持っている内の一足だ。買い物に行った時たまたまセールをしていて、良い機会だと思って二足買ったそうだ。早いサイクルでスパイクやランニングシューズを履き潰す久保は、同時に二足買うこともしばしばある。足のサイズが大きくなるわけでもないから、買い置きをしても別に損はないということだ。
「あ、ありがとう。使っちゃって大丈夫?」
「もちろん。翼が参加してくれるの、私も嬉しいから」
阿部の存在は二つの意味で戦力増強に繋がっている。一つは実力の問題。あらゆる技術に優れている彼女ならば、フットサルでも素晴らしい活躍を見せてくれるだろう。そして、交代要員ができたこと。フットサルは非常にハードなスポーツだ。これまでは久保、遠藤、中沢、仲村の四人で交代なしのプレーだったが、遠藤や仲村などは試合の終盤にほとんど動けなくなってしまうことも多々あった。
「交代選手が一人いるだけでも全然違うもの」
「だね。ぜぇぜぇ言ってる状態で良いプレーするのって難しいもん」
久保の目線に促される形で八尾と阿部が歩き出したが、再び阿部が止まった。
「ん? どうしたの?」
「え、いや、ウチのチーム、僕除けて六人いるよね。交代要員がいないっておかしくない?」
「あ、あー」
阿部にはまだ話していないことだった。
「それは……その、ね。小鳥遊さんが、コーチが来ない時は練習に来ないの。フットサルは基本、練習休みの日にするから。だから五人でやってたんだ」
「えぇ? 何で?」
「プライオリティの違い、ってコウちゃんは言ってたなぁ」
元々、小鳥遊の入部は彼女の意思ではなく、両親の言い付けによるものだ。彼女には下地となるヤル気がそもそも存在しない。だからなのか、小鳥遊はコーチである公太郎がいない時は練習に参加しない。だがそれは、小鳥遊が練習を嫌がっているとか、好かない人間がいるとかではない。小鳥遊は練習時は常に真剣だし、部員達との関係性も良好だ。ただ、小鳥遊霧子という一風変わった少女が何を思っているかは謎に包まれたままで、誰もその解答に辿り着けていない。唯一確かなのは、彼女が部活動を第二以下の優先順位としていること。それ即ち、他の部員との「意識」に大きな隔たりがあるということだ。
「それ、良いの? 新参の僕が言うのなんだけど、チームとして大丈夫?」
桜峰サッカー部は、たった七人の足並みすら揃っていない。正にチームを壊滅に追い込みかねない欠陥だった。それには皆んな気づいている。だが、
「わかってる。でも、これはあの子の私生活にも関わる問題だから、もうしばらく様子を見るつもりなの。気になるかもしれないけど、今は私に任せて待ってもらえないかな」
阿部の瞳を真っ直ぐ見つめて言った久保の言葉に、弱々しさはなかった。ならば充分信頼できる。
「まぁ、リュウっちがそう言うなら。僕もまだここに慣れきってないしね」
「うん。ありがと」
久保と阿部が同時に笑った。阿部はまだ桜峰サッカー部に入って間もないが、久保の誠実さや責任感の強さはよくわかっている。危険な問題だが、久保になら任せられると思うのだ。
「というわけで、望に一つ頼みがあるんだけど……」
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