頭を使って練習しよう


 桜峰サッカー部の部員がとうとう八人になった。マネージャーの望を差し引いても、選手が七人いる。これはつまり、試合出場のための最低人数が確保できたということだ。本音を晒すと、俺はこのチームが公式戦に出れるようになるのはもっと先のことだと思っていた。早くても来年、新入生が入ってきてからの話だと。加えて、自分が来年以降もコーチを続けているかどうかなんて、イメージすらできていなかった。こんな不安定な臨時コーチの立場は、僅かな歪みで吹き飛んでしまうからだ。

 だが、実際はこうして試合出場に足る人数が揃ってしまった。公式戦、すなわちインターハイの県予選に出ることになる。そうなれば選手達だけではなく、コーチの俺もそれなりの準備をしなくてはならない。その最初の一日が今日だった。


 桜峰サッカー部の八人目、阿部翼。この少女が、この選手がチームに加わった意味は、途轍もなく大きい。戦術面の話をすれば、桜峰では数少ない守備的な選手だということ。久保、仲村、小鳥遊は攻撃的な選手で、相手のゴールに近ければ近いほど特色と強みを発揮する。遠藤は元センターバックの選手だが、フットワークの重さとスピードの無さを考慮すると、守備には不安がある。

 数的不利のチームはどうしたって守備的な戦術を取らざるを得ない。だと言うのに、桜峰には守備ができる選手が中沢しかいなかった。これがかなり頭の痛い問題だったのだ。

 だが、この阿部という選手は、これらの問題を一挙に解決できてしまいそうなほど、優秀な存在だった。組織的にも個人的にも防衛線を作れ、ボールを奪うプレーもゴールを守るプレーも同時にこなせる。特にフィジカルコンタクトは流石の強さで、ぶつかり合いで負けた場面を見たことがない。もちろんボールを扱う技術もあり、トラップ、ドリブル、パス、シュート、どれも高い水準のパフォーマンスを見せてくれている。まったく文句の付けようのない選手だった。

 ただ、面白いこと、驚異的なことが一つあって、


「あれだけの選手でも、うちの『王様』じゃないんだよなぁ……」


 阿部があらゆるプレーで「一番」なのかと言われると、決してそうではない。

 単純な足の速さ、スピードにおいては久保がぶっちぎりで優れている。さらに、あの選手はなかなかシュートが上手い。技術の高さというより、チャンスに物怖じしない精神的な強さが際立っている。これは良いフォワードの第一条件だ。

 また、ドリブル技術における桜峰のナンバーワンは仲村だ。フィジカル面での弱さはあるが、一人目だけではなく、二人目、三人目と突破できる技の多彩さとタイミングの取り方は眼を見張るものがある。

 そして、ボールを蹴ることの技術は遠藤が他の者を一歩、いや、二歩上回っている。キックの精度や使い分け、スペースを見つける眼力は本当に素晴らしい。

 全てのプレーを8点から9点で行えるオールラウンダーな阿部に対し、他の者はそれぞれの得意分野で10点、それ以上のモノを持っている。これが阿部が「王様」ではない大きな理由だ。まぁ、彼女自身の性格もあるが。

 突如現れた転校生がチームの何もかもを独占してしまう、という悪い流れは生まれていない。これは阿部の伸び代を作る上でも重要なことだった。


「はい休憩終わり。次いくぞー」


「うぇ〜〜」


「ちょ、ちょ。兄ちゃん早すぎん?」


「まだ三分経ってないでしょ!?」


「ね、ねぇ望、今何分?」


「……も、もももちろん、に……三分だよ〜?」


「ほら絶対経ってないじゃん!」


「鬼か!」


「うるせぇ俺の時計じゃ三分なんだよ」


 いつもやってるタッチ練習いじめの後、三分間の休憩を挟んで別メニューに入る。前のメニューの間に必要な準備は俺がやっておいたから、心置きなく次ができる。感謝されこそすれ、文句言われる筋合いはない。確かにまだ二分半も経っていないが、休憩している女子高生を見ても俺は全然楽しくない。もっと辛そうに、苦しそうにしているのを見る方が楽しい。だから次のメニューに移る。文句は言わせない。言ってもいいが、取り合わない。


「久保、中沢は青ビブス。小鳥遊、阿部は赤。仲村、遠藤が無し。小西はキーパー。ピッチに入れ」


 ゴールから八メートル離した場所に縦十メートル、横八メートルの四角形のピッチを作ってある。そこに選手二人ずつを三組に分けていれる。


「ピッチの中は二対二対二だが、ボールを持ってる側は四、守備側は二の状態にする。最初は久保達が守備についてくれ」


 青が守備、赤とビブス無が攻撃。ピッチの中で三回以上パスを繋げたら、ピッチ内からシュートを打って良い。また、ダイレクトパスでのみスルーパスをピッチ外に出して良い。

 攻撃側がボールを奪われた場合、ボールを奪われた色の二人が守備に回る。この時、プレーは止めない。また、シュートを打って決まった場合は攻守はそのまま、別の場所からボールを入れてプレーを再開する。決まらなかった場合はシュートを打たなかった色が守備に回る。


「ボールがタッチラインから出たら、逆サイドからパスを入れる。小西、君はシュートをキャッチングできたら、今言ったルールに適したチームにスローイングなりキックなりでパスを出してくれ。できるだけ遠くの選手に頼む。わかったか?」


「はい。全然わかりません」


「……オッケー。休憩一分追加な」


 まぁ、曖昧なままでやられるよりは良い。こっそりホッとしているフィールドプレーヤー達に気を使ったわけでもないだろう。全員に説明したことをもう少し丁寧に説明し直して、練習を開始する。どうも最後までよくわかっていなかった感じだが、「なるほど。要するに全部止めれば良いんですね」と言われてしまえばどうしようもない。その通りだからだ。


「それじゃ、スタート。まずは一点取るまでやってみようか」


 俺は右サイドに立ち、望には左サイドに行ってもらう。ゲームの途切れを生まないよう、俺、望、小西、それぞれ三つずつボールを所持しておく。

 最初の攻撃は小鳥遊、阿部、仲村、遠藤の四人。特に何も言わなくても仲村が左サイドに、小鳥遊が右サイドに広がり、遠藤と阿部がボランチのような位置についた。

 この練習の狙いは、攻守の切り替えの早さを上げること。それも頭と身体の両方で、だ。本気のボールの奪い合いをしている中、自分の状況を正確に把握するのは案外難しい。守備側は誰(どの色)からボールを奪ったかによって次のパスコースが変わるし、奪われた側も、ボールを奪い返せる位置、ゴールを守る位置を素早く把握しなければならない。一度のターンオーバーの切り替えなら簡単だが、短い間に複数回、複数色同士の奪い合いが起こると、思考が混乱する。それを更に実際にプレーに移すとなれば、難易度が一気に跳ね上がってくる。

 細かいルールの一つ、パスを最低三本繋げるというのは、奪われた側が奪い返すための機会を作る意味であえて組み込んでいる。シュートに関しては小西を一人で練習させないために組み込んだ要素だから、そこまで重要ではない。ただ、シュートを打つ積極性と、決めるだけの技術の向上もおまけで期待している。かなり色々な要素を詰め込んだ練習内容なので、このチームにハマるかどうかは未知数な部分がある。選手達の様子をよく見ておかなくてはならない。


 最初にボールを受けた阿部が、素早い動きで小鳥遊にパスを出す。強豪校でハイレベルな試合を経験してきただけあって、パススピードが速い。受け手にも高いトラップ技術が要求される。それを小鳥遊は正確に右足側、ゴールに向かって止めた。久保がプレッシャーをかけてきていたのだが、物ともしていない。プレッシャーがある中でも前向きにトラップできる選手は貴重だ。

 久保が距離感を測って停止した瞬間、小鳥遊は左足でボールを縦に押し出す。と見せてボールを跨いだ。小鳥遊は上体だけを前に動かすように、ワンステップを踏んで止まった。始めから逆シザースを仕掛けに行っていたのではなく、自分の縦ドリブルに対して久保がしっかり付いてきていたから途中で変更した、というプレーだ。視界内の状況と身体の動きがリンクしているのだ。ボールを見ないドリブル、決定の直前変更、どちらも普通の選手が十年かけても身に付かないようなプレーだ。小鳥遊はその領域にたった二週間で到達している。目の前で起こっていることが、俺にはまだ現実のものとして信じられないくらいだ。

 開始三秒でハイレベルなプレーが立て続けに飛び出した。溢れるような才能の発露に息を吐きたくなるが、このプレーがゲームの趨勢に影響することはなかった。久保との一対一を嫌ったのか、小鳥遊は素直に阿部にバックパスした。阿部はそれをスルーした。久保、中沢の視線を裏切り、一気に裏のスペースへ。背後にいた遠藤がダイレクトでスルーパスを出そうとして、直前でコースを変えた。中沢がカバーに入ったのを視界の端で捉え、鋭角ではなく広角へ、腰を捻って仲村にパスを入れる。パター型の蹴り方では絶対にできない、遠藤だからこそ実現したプレーだ。

 斜め後ろからのパスに対し、仲村は右足でカットイン気味に持ち出す。ペナルティーエリアに侵入したタイミングで、逆側のサイドネットを狙ってシュートする。内回転のかかったボールが低弾道で飛翔する。だが、小西は読んでいた。身体を横に倒しながら余裕を持ってキャッチした。


「切り替えて続けろ!」


 俺の指示を聞いたか聞かずか、小西はスローイングでボールを入れ直す。シュートを打った仲村はビブス無しで、組んでいるのは遠藤だ。そのため、次の守備は赤ビブスの小鳥遊と阿部に変わる。スルーパスを出したまま一番奥にいた遠藤にボールが届く。すると、そのトラップ際を阿部が狙っていた。元々近い位置にいたというのもあるが、仲村がシュート態勢に入った時には、既に守備ができる場所に移動していた。この練習では「シュートのこぼれ球」を考える必要がない。自分とは違うビブスの選手がシュートを打ち、決まればそのまま。決まらなければ守備につくことになる。阿部はそれをしっかり先読みしていた。遠藤はプレスを躱すため、阿部から遠い側、左足でトラップする。が、逃げ切れなかった。厳しいチェックに遭い、奥へ隅へと追いやられる。キープ力の乏しい遠藤が、対人能力の高い阿部を相手に不利な状況に追い込まれた。必然的にその結果は、


「ナイスきりっち!」


 同じ色であり、唯一左サイドに残っていた仲村への苦し紛れの縦パス。だが、そこには小鳥遊がカバーに入っていた。小西が投げたボールが空中にあり、阿部がファーストプレスで左サイドに追い込もうとしている時点で久保へのパスコースは消えていた。ピッチの中央にいた中沢へのパスの可能性も、阿部の守備能力で削り取られている。そうなれば、遠藤の「逃げ道」は仲村へのパスしか残されていないのだ。

 とは言え、縦パスをインターセプトした小鳥遊も、身体がピッチの外に向いている。これでは必ずしも有利な状況とは言えない。それを、


 ーーやるかな、とは思ったが。


 小鳥遊はすぐにヒールパスでボールを落とした。そこには遠藤を置き去りにした阿部が走りこんできている。仲村が必死に付いていこうとしているが、阿部は中沢へパス。フリーな中沢も難しいことはせず、優しいボールを裏のスペースに落とした。ワンツーの要領で阿部が抜け出し、キーパーと一対一になる。


「よし!」


「っ!」


 無理をすることも奇をてらうこともなく、正確にゴロのシュートをニアサイドに打ち切った。小西も反応し切れず、一点目が入る。


「よーし。オッケー。これで大体わかっただろう。プレー中も常に先読み。しっかり頭を使ってプレーしよう」


 ゲームの一本目から満足度の高いプレーが連続して生まれた。これで一気に全員の頭に良い意識が叩き込まれる。その感覚を選手達に浸透させるために、少しの休息を取る。俺はその間に、この練習の不足点を考える。シュートをキャッチした小西がどれだけの早さでスローイングするかによって、次の攻撃の難易度が変わる。時間をかけすぎれば守備側がポジションを整えてしまい、切り替えの練習にならない。逆に早すぎても、守備陣形の構築が圧倒的に間に合わず、攻撃側の練習強度が落ちる。


 ーーゲームスタートのパスを供給する俺と望、特に小西の判断で練習効率が変わってしまうのは、何とも綱渡りな気がするな。


 この練習では、外にいる俺達の力量も問われるということだ。俺はその点ではまぁ大丈夫だろうが、望には少し難しいかもしれない。技術とか判断力の話ではなく、単純にキック力が足りないのだ。望が強く速いパスを遠いサイドまで届かせるのは無理だ。練習そのものにも改良点があるのが明白となった。

 どうすればもっと良い練習ができるのか。見つけるためには、何度も何度も、できる工夫をしながら繰り返すことが必要だ。


「このままの布陣で再開しよう。今度は時間でいくぞ」


「はい!」


 ただ、その時間は教えない。ストップウォッチを五分に合わせる。


「よし。スタート」


 二本目が開始された。効果や狙いはともかく、選手達はこの練習を気に入ってくれたらしい。厳しいプレーに息を乱しながらも、自然と顔がほころんでいる。

 少女達が辛そうにしているのが一番愉快だが、そんな表情も、まぁ嫌いではない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る