プロの現実



 遠藤がボランチに入ったことで、赤チームの攻撃が更に活性化した、なんて上手い話にならないのがサッカーである。遠藤とポジションチェンジしたのは竹内であり、全てにおいて奴の方がボランチとして優れていた。14番との連携などを含めても、チームとしての精度が上がるのは竹内がボランチの時だ。

 だが、遠藤にはボールを左右に散らせるという強みがある。仲村や久保にシンプルなパスが通ることで青チームのディフェンスが外に広がり、14番に余裕が生まれるようになった。ボールタッチの回数は減ったが、彼のクオリティーがより決定的なシチュエーションで発揮され出した。どうしても14番に頼りがちな竹内では出来ないゲームの組み立て方だ。一概にどちらが良いとは言えないが、14番を中心としたサッカーをする場合でも、いくつかのタイプがあることを竹内は知ったのではないだろうか。女子高生如きとの練習試合で得られた教訓としては、非常に大きい。


 ーー妙だ。


 試合は赤チームのワンサイドゲームになりつつある。その中で、俺は一つの違和感を感じていた。遠藤の問題が一旦の解決を見たことで、14番にフォーカスを当てれるようになってからだ。

 竹内と遠藤がパス交換をしながら相手の隙を窺っている。14番を止めきれない青チームは、途中からカウンター戦術にシフトしており、バイタルエリア付近でゾーンを組むようになった。裏のスペースがなくなったことで久保の有利性が消えた。ショートパス主体のサッカーになると、トラップ技術の低さが足を引っ張ってイージーなミスを連発してしまっている。また、仲村も複数の選手をドリブルでかわすことはできず、サイド攻撃が完全に沈黙。試合は膠着状態に陥っていた。せっかく遠藤がボランチに入っても、この試合展開では良さが引き出せない。赤チームの頼みの綱は14番のみとなり、「何とかしてください」的な雑なパスが放り込まれるようになった。今度は悪い意味で14番のボールタッチが増えていく。そしてその度に俺の違和感が強くなっていく。


 ーーまた。今度は二、三……いや、四回? 多すぎる。バランスもおかしい。


 正直、異常とも言える回数だった。彼の実力とは不釣り合いだ。


「望。14番の首振りの多さ、どう思う?」


「え? く、くび……首振り? そんなの意識してないなぁ。えーと、どれどれ……」


 俺以外の感覚も欲しかったので、望に話を振ってみる。訊いたのは14番の「首振り」についてだ。サッカーというスポーツにおける、最も基礎的で、最も難易度が高いオフザボールのプレー。


「なんか、鳥みたいにキョロキョロしてるね。アヤちゃんも似たとこあるけど、あんなにはしてないかな」


 望はサッカーを見る「眼」を持っている。隣でしっかりとした意見を言ってくれるので、非常にありがたい存在だ。そんな望も、やはり数が多いと思うのか。

 プロのサッカー選手が一試合でボールを保持している時間は、大体二分だと言われている。九十分の中で、たった二分だ。このデータだけを見ると、サッカーはボールを蹴る競技と言うより、ボールを蹴るための準備をする競技とも言い換えられる。では、ボールを蹴るための準備とは何か。一番基本的なことは走ることだろう。ずっとセンターサークルの上で停止していたんじゃサッカーにならない。

 そしてもう一つ、俺が個人的に重要だと思っているのが、情報収集、いわゆる首振りだ。周りを見て、誰がどこにいるのか、スペースの位置を把握する。情報は多ければ多いほど良く、新しければ新しいほど好ましい。一度見た場所でも、一秒後には状況が変化している。常に首を振り、周囲を確認する。

 サッカーが上手いということは、サッカーをする準備が上手いということ。その準備の一つが首振りだ。その点、14番はとにかく首振りの回数が多い。少しわかりにくい項目ではあるが、優秀な選手であることの証に他ならない。

 だが、それを踏まえた上で彼のプレーにはおかしな所がある。


「当然、首振りにも質がある」


 一度首を振って得られる情報の量は、選手によって差がある。十メートル先までしか見えない選手もいれば、五十メートル先まで把握できる選手もいる。味方の位置しか見えない選手もいれば、相手の位置、レフェリーの位置まで確認できる選手もいる。首振りは少し特殊なプレーだ。首振りの回数をX、選手の実力をYだとすれば、Xが高くなるほどYも伸びていく。グラフの線は斜め上に上昇していくものだ。だが、ある一点を境に、グラフは下降し始める。本当の実力者は、一回の首振りで得られる情報量が桁違いに多いため、自然と回数が減っていく。無駄が削られるのだ。俺の感じている違和感は、まさにそこだった。


 ーーあれだけの選手が、あんなチマチマ周りを確認するか?


 太ったことで運動量が落ちているとしても、それを補うための方法が首振りになるとは思えない。14番は実力に対して、首振りが多すぎる。そして更にもう一つが、


「左側ばっかり見てるね。リュウちゃんサイドから攻めたいのかな」


 回数の偏り。望が言う通り、14番は左にばかり首を振っている。首の回転で届かなければ、わざわざ身体の向きを変えることも少なくない。それはまるで、


 ーー左側だけが見えていないみたいだ。


 こんな俺でも、高校時代にプロと試合をしたことがある。強豪校の翔鳳には超高校級の選手が何人もいたが、それでも勝つことはできなかった。個々人の瞬間的な勝負では勝てた場面もあったが、助っ人外国人選手や、チームの顔を担っている選手には格の違いを見せつけられたものだ。

 14番の上手さは、俺が実際に体験してきたプロ達に十分比肩する。それでも彼は引退を選んだ。何か、実力以外の理由があったと考えるとすれば、それはやはり。


 中央突破は難しいと判断したのか、14番がサイドに出てきた。左タッチライン際でボールをキープしていた仲村のフォローに行く。二対二の盤面、仲村は14番にパスを出す。と見せて縦に切り込む。元プロ選手を囮に使うという贅沢極まりないフェイントだ。仲村と対峙していた青チームのサイドハーフも、14番に意識を向けていたため突破を許してしまった。今日の試合、仲村が初めて綺麗にドリブル突破できた瞬間だ。だが、相手サイドバックのチェックも早い。すぐに捕まえ、充分な距離をとって時間を稼ぐ。このままサイドハーフと二人で挟みこむつもりだ。だが、仲村は珍しくすぐにボールを放した。並走していた14番にシンプルに預ける。ワンツーパスを狙ったわけでもない。二対二の局面をもう一度作り出すつもりだ。相手のボランチと、プレスバックしてきている小鳥遊にインターセプトされないように、自然と速く強いパスになった。すると、


「え」


 14番がトラップをミスした。左のインサイドで止めようとしたボールが、フッと腿まで浮く。致命的ミスというほどでもないし、その後の左足でキックすると見せかけたクライフターンでディフェンダー二人の間を縫ったのだから、ある意味フェイントの一部にはなった。誰にでもミスはあるものだし、久保ならあの程度は三回に一回はやらかしている。だが、彼の実力で起きるようなミスとは到底思えない。

 これはいよいよ、俺の仮説が現実味を帯びてきた。


「ラストワンプレーでーす!」


 望がそう言った直後、小西のパントキックがあらぬ方向に飛び、タッチラインを割った。キーパーが蹴り出して試合終了ってのはよくあるパターンだが、小西は別にそれを狙ったわけではないだろう。単純にミスだ。あのパントキックの下手さは早いとこ何とかしないとマズい。

 桜峰の選手達は全員が肩で息をしている。格上相手の試合は体力の損耗が激しい。この後は桜峰vs市役所になる予定だが、できて一本か二本だろう。


「小鳥遊。大丈夫か?」


 中でも最も辛そうなのが小鳥遊だ。顔や態度には表れていないが、プレーを見ればよくわかる。ワンプレーごとのボールタッチが減ってきていた。難しいことや複雑なことができなくなっているのだ。


「……まだ大丈夫」


「ふむ」


  口元に垂れるアクエリアスを、グイと袖で拭う小鳥遊。けんけんをするように、右の爪先でコツコツとグラウンドを突く。誤魔化しや嘘を言う性格ではないから、気持ち的には本当に「まだ大丈夫」なのだろう。気にかけておくべきではあるが、もう少しやらせてみようか。


「他はどうだ? 脚が攣りそうとか目眩がするとかはないか? あるなら言えよ」


「私はないわ」


「大丈夫です」


「私も〜」


「もちろん私も」


「……ウチも」


「なら、まぁ良し。さて、と」


 ここからは桜峰と市役所の勝負だ。向こうから二人貸してくれるとは言え、戦力の開きは覆しようがない。


「あの、コーチ。14番の人……大橋さんを止めることってできますか」


「え、あぁ、無理。ムリムリ。絶対ムリ」


 遠藤の質問に大雑把に返答した。何かを断言できるというのはなかなか気が楽な行為だ。


「同じピッチに立ってたんだ。彼我の実力差は体感してるだろ。ありゃ、どうしようもない」


 小西を除く五人が束になっても突破される。そもそも、常識的に考えて一人相手に徹底マンマークできるのは最大で一人までだ。間接視野やフォロー、マークの切り替えとか、戦術がないわけではないが、それを成すには相応の練習がいる。

 悲しくも喜ばしいことに、俺は一般人だ。もしやと期待して聞かれても、奇策なんて思い浮かばない。だがそれでも、俺の仮説が正しければ付け入る隙もある。

 そう思っていたが、14番が試合相手になることはなさそうだ。竹内と二人、こっちの助っ人になるべく、向こうからに歩いてきている。


「キャープテーン!」


「キャプテン言うな」


「いや、俺の中ではキャプテンは一生キャプテンなんで。キャプテンをキャプテン以外の呼び名で呼ぶことなんてないっす!」


「うるせぇな」


 何か知らんが上機嫌の竹内だ。ニカニカ笑う坊主頭の表面に朝霜のような汗が輝いていて、見ようによっては綺麗だ。だが、女子高生達のものならまだしも、むさ苦しい眉毛男の汗を凝視したくはない。それに、


「俺らが混ぜてもらうんでー!」


「よろしくお願いします」


 竹内の隣にいるのは、元リーガプロの選手、大橋氏。どうしても目が向いてしまう。だが、せっかく注目してみても、お腹が出ている以外これと言って特徴がない。身長は遠藤と同じくらいで、肉体的な強靭さはなかった。海千山千の猛者が集う海外リーグで闘っていたとは思えない「普通さ」だ。


「よろしくお願いします」


 何故かもう一度言う。朗らかでも、にこやかでもない。外見も含め、人間的な特徴もあまり無い人物だった。強いて言うなら、屋外スポーツをしている割には色が白い。動物に例えるならばアザラシかな。瞳が円らなのだ。流石にアザラシ男とは呼べないが。


「よろしくお願いします。私、マネージャーの八尾望って言います。で、こっちの目つき悪いのがコーチの楠田です」


 望は俺を紹介する時には枕言葉のように「目つきが悪い」をくっつける。別に気にしてるわけじゃないが、改めて言われると面白くない。


「リーガプロでプレーされていた方とチームを組めるなんて、凄く嬉しいです!」


 疲労の色が見えていたサッカー少女達だが、大橋氏がやってくると途端に元気になった。実際に彼のプレーを見たことで、尊敬の念が強まっている。このまま握手会でも始まりそうな雰囲気だ。だが、


「いやぁ、はは。困ったな。そんな大したものでもないんだよ。僕が入った時はチームは三部にいたんだ」


 大橋氏が苦笑いする。女子高生達の雰囲気に本気で困っている様子だ。首筋を人差し指で掻いている。


「二年目に二部に上がったんだけど、まともにプレーしたのは半年だけで、三年目の終わりには引退してさっさと日本に帰ってきたくらいだし」


「でも半年間で七得点三アシストだったんすよね?」


「あ、おいおい。お前がまたそうやって言うから、勘違いされるんだぞ」


「事実じゃないっすか」


 七得点三アシスト。リーグの前半戦だけで叩き出したのなら、凄い数字だ。


「じゃあ、どうして……」


 「元プロ選手」という肩書きに無条件に興奮していた女子高生達も、一つの事実に気がつく。

 大橋氏は、プロになることはできても、プロで居続けることはできなかった。華やかなようで、とても残酷な世界がそこにはある。

 だが、当然疑問は残る。活躍を聞く限り、大橋氏がチームの中心選手であったことは間違いない。前半戦だけなら得点ランキングに入っていてもおかしくない記録だ。だと言うのに、彼は出場機会を突然失い、引退を余儀なくされた。


「もしかして、『目』ですか」


「ん、あぁ。そうだよ。よくわかったね」


 質問と言うよりは独り言に近かった俺の声を、大橋氏は聞き取った。ほぅと息を吐きながら、左目に手をやる。


「左目がね、何故か視力を失っていったんだ。最初は騙し騙しやってたんだけど、流石に難しくてね。チームも治療費を出してくれてたんだけど、結局は治らなかった。今じゃ一切見えてない」


 俺の予想が当たった。かと言って大喜びできるものでもない。大橋氏は、視力の低下は原因不明なのだと付け加える。

 いきなり始まった暗めの過去話に、女子高生達がしーんと黙ってしまった。大橋氏がバツが悪そうにしている。こういう状況が予想できたから、プロ時代の話をしたくないのだろう。その考え方は、少しだけ俺と似ている。だが、明らかに違うのは、俺は自分が情けなくなるから話したくないだけで、誰かの心情を慮っているわけではないと言うこと。

 そして大橋氏の次の一言で、その差は明確なものとなる。


 ーーでもね。僕は……

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