大人気ない元プロ選手

日曜日。俺が自宅を出たのは正午を過ぎてからだった。桜峰サッカー部が心待ちにしていた練習試合に遅刻した、わけではない。お相手の市役所チームが昼からではないと集まれなかったのだ。公務員で休日が安定しているとは言え、「日曜日」の午前中から出てくるのは辛かったらしい。これには非常に助けられた。俺は木、金、土曜合わせて七時間しか寝ていない。これで朝から試合ですなんて言われていたら、ちょっとバックれ案件だった。

 午後一時、薄い雲のおかげで日光は弱く、運動に適した天候だった。船川と試合したBコートの隣、Aコートは、すでに桜峰の部員達の手によってピッチが完成されている。ラインマーカーで引かれた真っ直ぐなタッチライン、ズレることなく設置されたゴール。それだけで彼女達のやる気と期待が見て取れた。


「お、キャプテン。ちゃーす!」


「あぁ」


 最初に俺を見つけたのは、相手チームのスケジュール管理者であり、かつての後輩である竹内だった。適当極まりない気の抜けた挨拶をされたが、不思議と嫌悪感はなかった。奴には、悪意や嫌味な感情は備わっていない。黒々とした眉が綺麗なハの字になっている。だが、この期に及んでキャプテン呼びは恥ずかしい。昔のことを引き合いに出されれば出されるほど、今の俺がいかに不甲斐ないか痛感させられるからだ。


「いやー。ピッチ準備してくれてありがたい限りっす。こーいうの面倒がる人多いっすから」


「まぁ、うちは試合してもらう立場だからな。これくらいは」


 「うちは」と言ったが、俺は会場準備には一切関わっていない。


「それで、そっちは何人来てくれるんだ?」


 休日だからチーム全員が揃う、とはいかない。それこそプライベートもあるし、何より、女子高生との試合を組まれて気合いが入るような大人は少ない。その程度の相手と試合をするくらいなら、家族サービスや別の趣味に時間を使うだろう。


「十人っす。後から二人来るかもしれないっすけど、まぁ期待薄っすね」


「集まってくれるだけ助かる。なんせこっちは六人だからな」


 土手の上から桜峰の選手達を眺める。先週のBコートとは違い、Aコートの周囲には土手と河川敷を繋ぐ道がない。階段もA、Bのコートを分かつ橋の下にしかないから、いちいち上り下りするのが面倒な場所だった。土手は斜めになってはいるが、ところどころに石とかが埋まっていて危ない。

 試合を、というか選手をよく見るためには、高い所から見下ろすのが一番いい。だが、ここからでは選手達に指示を出しづらい。今日は俺のポジショニングも難しい日だった。


「こんにちはー!」


 すると、望が橋の方から駆け寄ってきていた。もちろん俺ではなく、市役所チームの代表に挨拶をしに来たのだ。


「今日は試合組んで下さってありがとうございます! よろしくお願いします!」


「いやーなんのなんの。仲良く楽しくやりましょっすよ」


「日本語おかしいぞお前」


 おい市役所職員それでいいのか。桜峰市民から苦情とか来ないのか。


「それじゃキャプテン。十分後に試合開始ってことで」


「あぁ。胸貸してやってくれ」


 竹内は、ゆるーい雰囲気でボールを蹴るチームメイト達の元へと下りていった。ハーフコートをいっぱいに使って、九人、竹内を加えると十人の大人達がウォームアップをしている。


「うーん」


「どうした?」


「あ、コウちゃん居たんだ。うわ、クマ凄いよ大丈夫?」


「今の今まで俺に気づいてなかったのか……。あと、クマは大丈夫だ。死ぬほど眠いだけだ」


「いや、大橋さんって人がどこにいるのかわかんなくてさ」


 スカートを撫でつけながら、お尻は下ろさずに膝を抱える望。ダンゴムシみたいだ、と、ちょっと失礼なことを考えてしまった。


「試合になればわかるだろ」


 市役所チームの選手達を観察する。下は二十代、上は四十代くらいか。確かに、元プロの存在感を放っている選手はいない。


「んじゃ始めまーす! 集まって下さーい!」


 竹内がピッチ中央で召集をかける。そこには市役所チームだけではなく、桜峰サッカー部も含まれている。竹内を中心に円になった十六人。最初にチーム同士で軽く挨拶をした後、何やらミーティングを始めた。そして、


「ん……? 混ぜるのか?」


「うん。市役所さんはいつもそうなんだって」


 桜峰vs市役所ではなく、お互いの選手をごちゃ混ぜにした二チームで試合をするらしい。俺から見て左手のコートには、青いビブスを着た小西、中沢、小鳥遊。右手には赤いビブスの遠藤、仲村、久保。丁度よく三、三に分かれている。


「キャプテーン!」


 久保と同じチームになった竹内が何か叫んでいる。


「三十分計ってくれませんかー?」


「あ、はーい! 私が計りまーす!」


「お、ならお願いしゃーす!」


 レフェリーがいない(俺は絶対にやらない)ので、試合はセルフジャッジ。ピッチは八vs八用に少し狭く作っている。


「では三十分、開始します!」


 望が最近買った笛を高らかに吹いた。肺活量不足の音は、もしかしたら逆サイドまで届いていないかもしれない。我ながら気が利かなかったと反省して、次からは俺が笛を吹くと言ったら、普通に「嫌だ」と言われてしまった。


 ーーいちいち洗うの面倒くさいじゃん。


 年頃ってのは暴力的だ。















 市役所チームは、一言で言えばかなり大人気なかった。体格で劣る女子高生達に対して、非常にキツくプレッシャーをかけている。市役所チームの選手と女子高生とでは、同じチーム内でもフィジカルコンタクトの回数があからさまに違っていた。つまり、女子高生達は、「ボールの奪いどころ」にされているのだ。その中でも、コントロールの拙い久保と、判断の遅さが目立つ仲村が特に狙われている。今も、サイドでパスを受けた仲村が大人二人に囲まれた。フィールドプレーヤーは七人だから、一箇所に二人でプレッシャーをかけるというのはある程度のリスクがある。だが、彼らは躊躇しない。奪いどころを一度定めてしまえば、徹底的に潰しきるつもりだ。


「うわ……」


 右足でボールを引っ掛けながらドリブルしようとした仲村に対して、市役所チームの青8番が右足をかける。ボールを挟んで蹴り合う形になったが、そうなれば当然、大人の男の方が有利。仲村は脚の付け根ごと跳ね上げられた。一切の手加減が感じられないプレーに、望もちょっと引き気味だ。


 ーーおいおい。ナイソクやるぞ。


 これは内側側副靱帯の略。内側側副靱帯とは膝や肘の内側にある靭帯のことで、膝下が外側に持っていかれた、弾かれた場合に損傷する。サッカーにおける膝の靭帯系の負傷としては、これが最も多い。俺も二回ほどやったことがあるが、短くても一、二週間は練習できなくなる。基本的には単独で負傷するケースが多いが、今回の仲村のような、ボールを互いに蹴りあった瞬間などの接触プレーで起きることもある。

 全国自治体職員サッカー選手権ベスト8。何となくや、惰性でプレーして辿り着ける領域ではない。試合前はダラダラしていた市役所チームだが、彼らの肉体、精神には勝つためのプレーが染みついていた。息をするように相手の穴を突いている。


 ーー相手を間違えたかな?


 実力差があり過ぎる。当たり前だが、先の船川とも比べ物にならない強さだった。早めに切り上げないと怪我人が出るかもしれないとすら思ってしまう。だが、


「……!」


「おお!」


 三・三・一のワントップにいた小鳥遊が、縦パスを受けようとポジションを下げた。ゴールに背を向けた状態なので、当然ディフェンダーが張り付いてくる。ターンするのはもちろん、トラップすら難しいシチュエーションだ。並の選手ではまず間違いなくボールをロストする。だが、小鳥遊は己れが「並」でないことを見事に証明してみせた。

 小鳥遊は転がってきたボールを右の爪先でちょんと浮かせて軌道を変え、ディフェンダーの腰の右横を通した。小鳥遊自身は左向きに反転しており、ディフェンダーの左横をすり抜ける。いわゆる「裏街道」のトラップバージョンだった。市役所チームの選手達も思わずうなっている。

 腰の横というのは、脚を高くあげることでしかボールをコントロールできない。だが、腰の真横まで脚をあげられる柔軟性と、肉体を動かす反射速度の両方を有している選手はそうそういない。小鳥遊のこのトラップは、コントロールさえ正確ならば、ディフェンダーは絶対に反応できないプレーだった。


「サイド!」


 一人かわした小鳥遊の前には広いスペースがある。ドリブルで数タッチ運び、ディフェンダーが中にカバーをしてきたタイミングでパス。フリーになったサイドの青5番にボールが通る。だが、タッチライン際をドリブルで駆け上がっていこうとして、ディフエンスに戻ってきた久保にボールを蹴り出された。十メートル近くあった距離を一息に詰められるとは思っていなかったのだろう。ドリブルを大きくしたのが仇になった。


「うわ〜。小鳥遊さん、やっぱり天才じゃない?」


「かもな」


 小鳥遊のファーストプレーで、桜峰の選手達の雰囲気が変わった。あまりの実力差に積極性を失いつつあったのが、少し自信を取り戻したのだ。それはまた、「私だって負けられない」という気持ちの表れでもある。そうやすやすと素人に追い抜かれるわけにはいかない。

 チームにアクセントをつけることができる小鳥遊のセンスは、大人と混ざっても抜きん出ていた。それはつまり、ピッチの上では年齢など関係ないということに他ならない。


「裏!」


 久保が裏のスペースへと走り出す。赤の7番が顔を上げたと同時の、完璧なタイミングだった。そしてそこにしっかりパスが通る。ペナルティーエリアの二メートル外で久保が追いついた。その位置だと、キーパーは出れない。だが小西も落ち着いており、安易に飛び出したりはしていない。


「後ろ!」


 久保の背中にコーチングが行く。スルーパスを読んでいた中沢が身体を寄せてきていた。久保の速度を知っている中沢は、パスに対する走りっこをするのではなく、ペースダウンを余儀なくされるトラップ際を狙っていた。斜め後ろからのスライディングタックル。久保はバランスを崩し、シュートを打てない。中沢の脚は先にボールに触れているので、ファールでもない。だが、


「このっ!」


 左肩から転倒しながらも、久保は右脚を伸ばして無理やりシュートした。体重移動がたまたま上手くいったおかげで、ボールは右のサイドネットへと鋭く飛んでいく。

 ゴールが決まった。かと一瞬思ったが、小西はそれを右手一本でパンチングした。コーナーキックへと変わる。


「おぉ〜!」


「ナイスシュート! ナイスキーパー!」


「なかなかやりますねぇ!」


 大人達が本気で拍手していた。短いプレーだったが、少女達の攻防は充分見応えがあった。三人のストロングポイントが活きたプレーだった。

 そしてコーナーキック。ゴール前に遠藤が上がってくる。百七十六センチの彼女は、ピッチ上で三番目に大きな選手だった。線の細さは否めないが、競り合うことはできる。


「……」


 だがそれは、俺が遠藤に求めているプレーではない。ごちゃ混ぜの試合はもう半分が終了しているというのに、遠藤だけが良さを発揮できていなかった。それは彼女のプレーが市役所チームに通用していないとか言う以前の問題によるものだ。遠藤は自分から、自分の良さを消すプレーをしている。どうしたもんかと思っていると、


「う〜ん」


 横の望がまた一人で唸りだした。


「ねぇコウちゃん。大橋さんって、やっぱりあの人だよね?」


 望は赤の14番の選手を胡乱げに見ている。


「あぁ。合ってると思うぞ。なんだ、自信無さげだな」


「……だって、圧倒的に凄い! みたいなプレーが無いんだもん。上手いのはわかるけどさ」


 リーガプロでプレーしていたという、市役所チームの絶対的エース。その人は今も試合に出場しているはずだが、望ははっきりと特定できないでいるらしい。感じるものはあっても、確信が持てない。

 大橋さんと思しき赤の14番は、これまで目立った活躍をしていない。身体的に優れている要素も見当たらず、むしろ、ぽっこりと膨らんだお腹に目がいく。高さと速さも、これと言って「元プロ」を感じさせるものがない。だが、


 ーーまただ。こりゃ遊ばれてるな。


 前線に張る14番は、ポストプレーに徹していた。ディフェンスラインと中盤の間のスペースに顔を出し、攻撃の中継地点となっている。

 ポストプレーヤーというものは、常に厳しいマークにさらされる。攻撃の起点を潰すのは当然のことだからだ。この試合で言えば、中沢がその役割を担っている。だが、中沢のディフェンスの全てが効果を発揮できないでいた。

 中沢とサイドバックの間のスペースに14番が入り込んだ。そこに鋭い縦パスが入る。はっきり言って、動き出しにスピード感はなかった。外から見ている分には、何故フリーになれているのがわからないほどだ。だが現実に、14番はフリーになっている。身体を半身にすることで前を向き、ボールをコントロール。吸い付くようなトラップでボールを左足の前で止め、


「あ!」


 左から右へのダブルタッチ。そのワンプレーだけで、中沢はマークを剥がされた。

 速いわけでも、特別なフェイントを仕掛けているわけでもない。タイミングだけでディフェンダーの重心移動を上回っている。あの中沢がまるで付いていけていない。そして、センターサークル付近からの、


「え!?」


「なっ!」


 ロングシュート。小西は久保の抜け出しを警戒して前に出ている。ボールはその頭上を優雅に越え、ゴールネットを優しく揺らした。


 ーー上手すぎて、逆に目立っていない。


 どんなプレーも涼しい顔でこなす小太りのフォワードは、はっきり言って圧巻だった。

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