次の試合相手
竹川南中サッカー部は、県総体の上位に毎年顔を出す強豪校だ。中でも、俺の一つ上の年代は頭一つ飛び抜けた強さを持っていた。一人一人の個人技が高く、とりわけワントップの先輩は、贔屓目なしに県内最高のストライカーだったと思う。そう言う選手達の個人技を活かした攻撃的サッカーは、他の県内チームを寄せ付けなかった。
その年、竹川南は新人戦、県総体、クラブチームも参戦するジュニアユース選手権をも制覇し、県内初の三冠を達成した。俺は二年時からスタメンに名を連ねていたから、先輩達に引っ付いて様々な大会に出場させてもらった。うちの県の代表にしては珍しく、全国でもいくつかの勝ち星を挙げている。
「うわー、お久しぶりっす! 卒業以来じゃないっすか!」
「あ、あぁ。そうだな」
「あぁ! でも、性格悪そうな目付きは変わらないっすね! 眼鏡かけてても即、ピンときたっす!」
数年ぶりに会う後輩は、なんだか異常に喧しくなっていた。身長がぐんと伸びているせいもあって、非常に暑苦しい。おかしい。昔はもっと落ち着いていたのだが。
「なんだぁ、帰ってきてるなら教えて下さいよ! 水くさいなあ!」
「なんでお前にいちいち連絡しなきゃなんねーんだよ」
「先輩後輩の仲じゃないっすか! そうだ、LINE交換しましょう!」
「いやだ」
「素っ気ない感じもまんまっすね!」
圧倒的に強かった上の年代に引き上げられる形で、俺が三年になった時の竹川南も結構強かった。新人戦とジュニアユースは優勝できなかったものの、県内勢にしては二十五年ぶりに全国総体の準々決勝まで勝ち進んだ。そんなチームの中で、竹内はスタメンを勝ち取った唯一の二年生だった。冷静なカバーリングとボディコンタクトの強さがウリのボランチで、その活躍はまさしく縁の下の力持ちと言えた。
だが、かつての冷静沈着な少年の面影はどこへやら、今では女子高生をナンパするような男になってしまっていた。それについてはがっかりと言うより、違和感の方が大きいわけだが、話が通じない相手ではないことは救いだった。
「それでキャプテン、この子らのコーチしてるってマジっすか?」
「……まぁ、一応は」
「はえー。そりゃまたどうして。キャプテンって人に教えたりするの好きじゃないっすよね」
「まぁ、成り行きというか仕方なくというか……」
そうだよな。当然、そこを突っつかれるよな。さらにそこからズルズルと遡っていけば、俺の今の状態にまで話が及ぶ。見栄やプライドどうこうではなく、単純に自分のことを話題にされるのが嫌だった。まさか知り合いに会うなんて夢にも思っていなかったから、これは結構困る。なんと返答すればいいのか窮していると、
「あの、私が頼んだんです」
「え?」
「私、コウちゃ……コウちゃんの従姉妹の八尾望って言います。うちのサッカー部、今かなり危ない状況で……」
「あぁー。なるほど、なるほど、そういうことっすか」
今の短い会話だけで「そういうこと」という理解に至れるとは思えないが、竹内なりに納得したらしい。
「だからというわけではありませんが、こんな風に話しかけられても困るんです」
「試合終わりで疲れてますし……」
久保と遠藤もすかさず援護に回り、二人してちょっとずつ後退している。
ーーだからもう話しかけてこないでください。
「てか竹内。お前市役所職員だろ。ナンパなんかしていいのかよ」
「あれ、なんで知ってんすか?」
「木村が言ってたのを思い出したんだよ」
木村は俺の代のワントップの選手だ。チーム一の秀才で、現在、東北の国立大学に通っている。彼とはごくごくまれに連絡を取り合っていて、そこでちらっと聞いたのだ。竹内は地元の進学校を卒業した後、進学ではなく就職を選択したらしい。
久保と遠藤、仲村、望。四人ともが竹内を軽蔑的な視線で見ていた。曲がりなりにも公務員が、市民、それも未成年をナンパとは、誰のどの目からみてもいただけない。どうやら竹内の横にいる奴も同僚らしく、取り繕った苦笑いをしている。
だが、そんな冷ややかな女子高生達を前にしても、竹内はまるで動じていない。黒々とした眉を嬉しげに上下させる。
「いやいやいや。確かに俺は市職員っす。でも、それ以前に男なんすから! 可愛い子がいたら声をかける、名前を名乗る、連絡先を聞く、これ当然の務めっす!」
「お前……昔は、女なんてべつに、みたいな顔してたじゃねえか」
「そりゃそっすよ。あん時はキャプテン達とサッカーするのがめっちゃ楽しかったすから。他のことなんか二の次三の次っす」
ナチュラルに出てきたセリフを聞いて、久保の目がパァっと光った。久保の中の竹内は、鬱陶しいナンパ男からサッカー好きの同士にまで一瞬でランクアップである。大丈夫かこの子。オレオレ詐偽に引っかかるお年寄りだってもうちょっと慎重だぞ。
「それで、今はナンパが一番か?」
「っすね。あ、でも安心してくださいっす! キャプテンの教え子に手ェ出すなんて真似しないっすから!」
「教え子じゃない」
そんな親密な関係じゃないし、今後なりたくもない。
「まーその辺はどーでもいい。ほら、君らは試合後なんだからとっとと解散しろ」
数年ぶりの再会劇はこれで終わり。ナンパを止めに入るなんてドラマの主人公みたいなことをして、俺の疲労度はさらに増していた。声をかけただけじゃんと思うかもしれないが、その「声をかける」という行為だけでも十分に精神を削られるのだ。
「へぇ、試合すっか。どことやってたんすか?」
「小学生とだよ。船川と、高萩ってとこだ」
「あぁ、船川は強いっすよね。うちのチームにも、子供さんを通わせている人いるっすよ」
「チーム?」
「あ、はい。俺ら、桜峰市役所サッカー部なんす」
竹内が自分の心臓を親指で指差す。紺色のシャツにはSAKURAMINEという文字がオシャレフォントでプリントされていた。
「さっきまでスカイフィールドでリーグ戦してたんっすけど、相手が弱過ぎて。不完全燃焼だったんで、ボール蹴りにきたんすよ」
スカイフィールドとは、上桜地区にあるサッカー専用の競技場だ。全面が芝生なので、市総体やトレセンの練習会など「ガチ」の時に使用される。今は数年後の国体開催を見越して駐車場や観客席の増設をしているはずだ。
「桜峰市役所サッカー部?」
お次に目を光らせたのは望だった。この瞬間、俺は自らの致命的ミスに気づいた。
ーーやらかしたか!
大人のサッカーチーム。経緯やきっかけの印象はよろしくないが、桜峰女子サッカー部にとっては願ってもない出会いである。そして、それをみすみす逃すような望ではない。
「あの、桜峰市役所サッカー部って、かなりお強いですよね。確か、去年の全国自治体職員サッカー選手権でベスト8まで行ってたと思うんですけど」
マジか。てかなんでそんなの知ってんだ。
「あぁ、そっすね。うちには大橋さんがいるんで。あの人がいるうちは県内じゃ負けることはないっす」
「大橋さん?」
「七つ上の先輩で、昔リーガプロでやってた人っす」
「「リーガプロぉ!?」」
望、久保、俺。三人が仲良く声を合わせて叫んでしまった。リーガプロ。遥か海の向こう、ポルトガルの二部リーグである。日本で有名なリーグではないが、リーグのレベル的にはJ1と比べても遜色ない。大橋さんとやらは、文句なしでプロ選手級の実力者だ。海外では文化や言語の壁もあるわけだから、プロとして活躍する難しさは更に上がったはずだ。
そんなとんでもない人がどうして地方の市役所で働いているのか。俺がそっち方向に気を割いてしまったばかりに、
「あ、あの! よければ練習試合させてもらえませんか!?」
望にターンを与えてしまった。最悪の事態へと発展する。ますますヤバい。だが女子高生と試合しようとなんてするわけがな……
「はい。いっすよ」
いと思っていたのに、竹内が真顔で頷いた。その返答は、リモコン取って、に答えるのと同じくらいの温度だった。
「ちょ、おい! そんな簡単に決めていいのか!」
「大丈夫っす。うちのスケジュール管理、俺がやってるんで。ちょこっとねじ込んでやりますよ」
「いや、ねじ込んでくれなくていいから……」
「っ! ありがとうございます! お願いします! これ、私のケータイ番号です!」
バンザイしそうなほど喜んでいる望がスマフォ画面を差し出す。それに続いて久保もスマフォを取り出していた。
ーーナンパは迷惑なのでしないでください。連絡先は教えません。でも試合はしてください。連絡先も教えますから。
怖いもの無しの女子高生らしい厚かましさだった。俺だったら苦笑いに頬をヒクつかせながら連絡先を交換するところだ。だが、竹内はニコニコしながらアドレス帳に数字を打ち込んでいる。女子高生の連絡先を手に入れた事実にいやらしく笑っているのではない。ヤル気のある若人を応援してあげようとする年長者の微笑みだった。
「……」
後輩がただのしょーもないナンパ野郎ではなかったことがわかったからか、俺は彼女達の約束を止めることはできなかった。せいぜい腕を組みながら鼻呼吸するくらいだ。
「はい、土日ならいつでも。でも人数が……」
「それはこっちでも調整できるっすから。無理にフルメンでしなくてもいいっすよね」
「それは、すごく助かります。それじゃぁ、また。はい。ありがとうございます」
大手企業のベルトコンベアばりにスラスラと予定が決まっていく。コミュ力ってこういうことを言うんだろうな。自分のやりたいことと、相手にやって欲しいことをいかにスムーズに伝えられるか、なのだろう。
「オッケーっす。じゃあ、また。キャプテン、来週の日曜、お願いするっす」
「……了解」
この子達の相手をしてくれてどうもありがとう、と言うべきなのだろうが、それができるほどの体力はなかった。ちくしょう余計なことしやがって、なら言えそうだが、そんなの今更である。
「今度飲みに行きましょーね! 俺が奢るっすから!」
「行かねーよ」
後輩に奢られてたまるか。それに、俺は酒が好きではない。酔うとまず先に気持ち悪くなってしまうタイプだった。だからタバコを吸い始めたまである。
手を振る竹内を渋い顔をしながら見送った。ボールを蹴るのはやめて、他のチームメイト達と予定の調整をするらしい。最後まで一言も発さなかったツレが運転する車で帰っていった。
「やったねコウちゃん!」
「イェーイ、て感じでハイタッチ要求してくんな」
「えぇー。だって市役所さんと試合できるんだよ? めっちゃラッキーだよ!」
「お前らは、な」
俺は全然ラッキーではない。来週の日曜も潰されたのだ。
望、久保、横で話を聞いていた遠藤と仲村も、思わぬ試合相手が現れてくれてホクホク顔だ。今日一日の疲れも忘れて、嬉しそうに市役所チームの強さを語り合っている。元プロ選手と会えることも楽しみで仕方ないようだ。
「……てなわけで、日曜また試合なんだが、いいのか?」
四人の会話から半歩離れた場所にいる小鳥遊に聞いてみた。
「いいよ」
「いいのか」
こちらもさらっと返事された。本気でそう思っているらしい。ワクワクしている様子でもないが、俺のように休日が潰れたことを残念がっている風でもない。ただ、口元を片手で隠して片目を閉じた。アクビをしたのだ。この子も一応は疲労を感じているのだとわかって、少し安心した。
「よし。じゃあ、また日曜に向けて練習頑張りましょう」
「うん。カロとユリにも早く教えてあげないと」
「二人とも喜びますね〜」
このままだとずっとペチャクチャくっちゃべってそうだな。女子ってのは本当にお喋りが好きだ。仲良きことは素晴らしきかなだが、それでいつまでも居残られると、俺が家に帰れない。
「おい。試合も取り付けたんだから、さっさと帰れ。帰って風呂入ってストレッチして飯食って早く寝ろ」
「お風呂が先なんですか〜?」
「汗かいたままだと風邪引くんだよ」
疲労状態が長いというのは、怪我をしやすいということだ。一日の疲労をその夜のうちに回復することも、訓練によって習慣づけられる。俺はそういうつもりで言ったのだが、
「コウちゃん。女の子にお風呂うんぬんの話するのはどうかと思うの」
望が人差し指をチッチと振りながらお説教かましてきた。隣の遠藤も眉をハの字にして笑っている。久保と仲村もあまり好意的な目はしていない。
「うるせぇ。とにかく帰れ」
ーー子供が帰らないと、保護者が帰れないんだよ。
ナンパを横から止めてしまったのだ。今日のうちは保護者でいないといけないだろう。
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