問題児のこれから


 味方のパスをカットするなんて、俺も初めて見る光景だった。俺だけではない。ここにいる全ての者がそうだろう。


 ーーねぇ。味方のボール取るのってダメなの。


 休憩中、小鳥遊は俺にそう訊いてきた。団体競技全てにおいて、味方の邪魔をするなんてあり得ない話だ。練習でライバルと鎬を削るのとは違う、正真正銘の妨害。それはあらゆるスポーツの前知識を持たない小鳥遊だからできた考えついたことだった。

 だが、この行いの真の意味は妨害ではない。小鳥遊は双子こそが「害」だと判断した。


「うわ、また!?」


 ゴールに背を向けてボールをキープしていたSが、Rに落としのパスを出した。それを小鳥遊が横からかっさらっていった。Rにプレッシャーをかけようとしていた17番を置き去りに、バイタルエリアに侵入する。そして、


 ーーマジか。


 つ、と顔を上げてゴールを見る。その動作につられ、二人のディフェンダーがシュートブロックに動いた。だが、小鳥遊は目線をゴールに向けたまま、左足のアウトサイドで仲村に横パスを出した。完全なノールックパス。


「あん、フリー!」


 ペナルティーエリアにギリ入った絶好の位置でどフリー。仲村はファーストタッチを縦に大きく蹴り出し、ディフェンスラインをひっぺがすことに成功する。だが、ここでまた躊躇した。シュートを打つか、クロスを上げるか。その致命的な0.5秒でチャンスは潰える。ミサイルのような速度で戻ってきていた2番にチャージされたのだ。2番の肩は仲村の肩甲骨辺りに当たったが、ファールは取られなかった。


「っ!」


 仲村は態勢を崩しながらも必死に2番に追いすがることで、何とかカウンターを防いだ。2番の蹴ったボールは仲村の脚に当たり、船川のスローインに変わる。


「おい! あんたまたっ……!」


 ピッチの中央ではSが小鳥遊に食ってかかっているが、小鳥遊はガン無視。Sなんて視界に入っていないかのように淡々と自陣に戻っている。いや、彼女には本当にSが見えていないのだろう。

 小鳥遊のプレーで、ピッチの空気がまた変わった。支配力を発揮していた2番の影が薄くなり、船川に動揺が広がっている。試合経験と人生経験の浅い小学生では、あと五分で修正するのは不可能だ。

 そしてそれ以上に、SとRは衝撃的な失望を味わっているだろう。プレーが再開されても、二人のディフェンスはどこかぎこちない。これまでディフェンスだけはチームプレーしていた二人だったが、それすらなくなった。本気で自分達以外が信用できなくなったらしい。連動のレの字もない無意味なチェイシングをし始めた。そのせいで余計にボールに触れなくなり、イライラが加速し、プレーが荒くなってはボールをロストする。わかりやすい負のスパイラルだった。

 残り時間五分。双子のどん詰まりの閉塞感が最悪の形で暴発した。


「マエ!」


 2番の横パスが17番に通る。Rのマークにあっていた17番はダイレクトでワンツーパスを出した。その振り切られた右足首を、Rのスパイクが強かに踏みつけた。更に、背後からスライディングしていたSのスタッドが17番の軸足を削り取る。レッドカード級のアフターファールが一秒間に二回起こった。


「がっ!」


 割と大人しかった17番が、箱が潰れたみたいな声で崩れ落ちた。蹲ったまま身動きすら取れなくなっている。


「おいおいおい!!」


「マエ!?」


「大丈夫か!? メディカル準備!」


 悲鳴のようなレフェリーの笛と同時に船川ベンチがどよめき、坂田のおっさんが血相変えて飛び出してくる。他のベンチメンバーやコーチ、観戦していた保護者も思わず一歩踏み出してしまうほどの危険なファールだった。


「ちょ、ちょっと大丈夫!? コウちゃん、私も行った方がいいかな!?」


「行ってどうすんだよ。座ってろ」


 錯乱した望がアワアワしながら俺に聞いてくるものだから、頭を掴んで止めた。俺達の位置からだと、17番が顔から落ちたのが見えた。Rの肩が当たったせいで、受け身を取れなかったのだ。


「おい! お前らホンット、いい加減にしろよ!?」


「裕也落ち着け! やめろって!」


「うるせぇ!」


 Rの胸ぐらを掴みかかった2番を、後ろに回った6番が羽交い締めにして止める。チームメイト同士で乱闘が始まりかけていた。他の選手達も顔を真っ赤にしてSとRにかかっていき、それを6番とコーチが必死に止めている。あの怒り方を見れば、SとRがいかに普段から荒れた振る舞いをしていたかがわかる。フラストレーションを溜めていたのはSとRだけではなかった。それがここで一気に噴火した。たった一人で何とか収めようとしている船川のキャプテンは大した奴だな。テレビカメラが乱闘に移り始めた時、


「待って」


 何のつもりか知らんが、久保が間に入った。遠巻きに様子を見守っていた桜峰の選手達も、キャプテンのまさかの行動に慌てて駆け寄っていく。

 

 ーー落ち着いてはいるみたいだが。


 馬鹿みたいに真面目で頭の固い、何より正義感の塊のような久保だ。SとRを怒鳴りつけにいったのかと思ったが、そうではなく、美しい瞳は静かだった。あまりに澄んだ空気に、沸騰していた選手はおろか、コーチ陣も黙って久保を見つめる。


「自分達が何をしたかわかってる?」


「……別に、ワザとじゃない」


「……お前な!」


「黙ってて」


 いきり立つ2番を、久保がピシャリとシャットアウトした。


「そうね。ワザとじゃない。でも、『こう』なってもいいや、と思った部分もあるんじゃない?」


「……」


「このままじゃ、本当に独りになっちゃうよ」


 哀しむような声は、土埃と風にのって俺のところにまで届く。やっぱり綺麗な声をしてるなと、ぽそりと思った。


「坂田さん!」


 収拾がつかなくなっていたピッチが、久保の行動で徐々に冷えてきた。おかげでストレスなく声を発せられた。土手の上からおっさんを呼ぶ。


「あの子大丈夫ですか?」


「いや、交代させるよ」


 コーチに支えられてベンチへ歩いている17番だが、激痛を感じている様子はない。あれだけ派手に削られたにしては運が良い。


「了解っす。じゃ、こっちも交代します。あの双子下げますんで」


「交代? なら他の選手を……」


「いや、交代なんで」


「あぁ……。そうか」


 ハゲてるわりには察しのいいおっさんが、鎮痛な顔で頷く。


「修一! 蓮二! 交代しろ!」


 そして、覇気のある声で双子を呼びつける。交代を告げられた双子は、一瞬だけ顔を強張らせて唾を飲んだが、素直にピッチを後にした。抵抗するかと思ったが、そこまでの異常性はないらしい。所詮はちょっと拗らせているだけの一般人だということだ。


 双子には十六人のチームメイトがいるはずで、また、ついさっきまでは桜峰の六人の選手達と一緒にプレーしていた。ピッチには沢山の仲間がいるはずなのに、双子には味方が一人もいなかった。船川には戻れず、桜峰のベンチにも座れない。どちらに混ざることもできないまま、ピッチ外に立ち尽くしていた。


「コウちゃん」


「ん?」


 5番が17番と交代してピッチに戻り、試合が再開された。桜峰は二人少ない状況で格上の船川と試合することになる。あと五分だが、何点取られるか見当もつかない。そんな危機的状況だと言うのに、望はピッチではなく、俺の顔を下から覗き込んでいた。


「あの子達に、何か言うことあるんじゃないの?」


「なんで?」


「だって、ラフプレーの罰でピッチから出したわけじゃないよね。コウちゃんの性格なら、勝手に潰し合ってくれてラッキー、くらいに思ってるでしょ」


「お前の中の俺ってそんな性格ひん曲がってるのか」


「違うの?」


「まぁその通りなんだけど」


 17番がいなくなったことで船川の組織力はかなり低下する。それだけ重要な役割を担っていた「汗かき役」だった。これで桜峰もちっとはマシなプレーができるようになる。だが、望が言いたいのはそういうことではない。


「……なんだか、見てて痛々しくなってきちゃったんだ。何とかならないのかな」


「ならないな」


 少なくとも、俺にはどうしようもない。だが、交代を指示したのは俺であり、選手にはその理由を知る権利がある。この双子も、あと五分は桜峰の所属だ。


「おい、お前ら」


「……」


「交代の理由が聞きたいならこっち来い」


 互いを伺うように視線を交差させた双子は、無言で土手を上がってきた。何故か俺と望の背後に立ったが、俺はわざわざ振り返ったりしない。


「交代の理由は、うちの8番が言ってたまんまだ。お前らがピッチにいると、勝てるもんも勝てなくなる。コーチさせられてるだけの俺だが、そんな奴らをピッチに置いてはおけない」


 セッティングされる全ての試合に勝利しなくてはならない、とは言わない。勝ち点さえ取れればいいという試合はW杯でさえ発生し、引き分け狙いの戦術を敷く場合もある。


 だが、勘違いしてはいけない。負けていい試合など一つたりとも存在しないのだ。


「お前達のしょーもない自己満プレーでシュートまでいけたのは、最初の二回だけだ。その後は効果的でないプレーをムキになって繰り返すだけで、何一つチームの役に立っていなかった」


 チームの勝利に貢献するのが選手というものだ。だが、双子はそんな基本的なことすらできていない。そしてなお悪いのが、


「お前達がチームの勝利より自分達の自己満足を優先させたことだ。この時点でお前達は選手プレイヤーではなくなった」


 技術の拙さやプレースタイルの不一致ではなく、自分達の意思でチームプレーを放棄した。この罪は途轍もなく重い。


選手プレイヤーでない者が、ピッチに立てると思うなよ。あのほっそい白線から向こうは、お前らのお遊戯会場じゃない」


 こんな、自分で言ってて恥ずかしくなってくる「正論」など、負のドツボにはまっている双子には何の薬にもならないだろう。「チームプレーが大事」なんて今さら言われても、うざったいだけだ。事実、双子は納得のできない表情で俺を睨んでいる。だが、俺は説明の義務を果たしたし、こんなクソ生意気な子供のお守りをするつもりも一切ない。あとはそっちで勝手にやればいい。そう思っているのに、隣に座る望がそれを許してくれない。ぷぅぅと頬を膨らませて俺を見上げてくる。


 ーーちょっとコウちゃん他にもっと言うことあるでしょ出し惜しみしないでよ助けてあげてよできるでしょ億劫がるのはよくないよ。


 瞳だけでマシンガントークができるのを知ったのは初めてだった。まぁ、膝を擦りむいてビービー泣きじゃくる望を、俺がおんぶして家まで連れ帰った回数は数えきれない。目線だけで通じ合うこともあるだろう。大粒の涙をこぼしていたわりに、こいつはいつも俺の背中で眠っていた。結局のところ、お姫様はこいつで、俺は召使いなのだ。

 逆らえない俺は、仕方なく、捨てる三日前の歯磨きチューブみたいに無理やり言葉を絞り出す。


「ま、評価できる部分もある」


「……なんだよ」


「お前達は、一度たりとも周りに文句を言わなかった」


 望がくぃっと首を傾げて考えこみ、すぐに「あ」という声を出した。

 よくある話だ。ちょこっと上手い奴ってのは、すぐ勘違いしてチームの輪を乱す。自分が奉仕されるのが当然のことだと思い込み、敗北の責任を放棄するのだ。

 だがこの双子は、桜峰の選手がどんなに下手でも、どんなにミスをしても、一度も声を荒げなかった。怒鳴ることも詰ることも、否定することもしなかった。いい大人が平気でしているような低脳な暴挙を、この小学生達は絶対にしなかったのだ。


 ーー俺達のやることは変わらない。


 周りを信用していないゆえに生まれた精神性だろうが、それは選手としての重要な土台である。周りではなく、自らのプレーで試合を決定づける。これもまた選手が本来あるべき姿だ。

 それがまだ残っていたから、坂田のおっさんは双子を見捨ててはいないのだ。


「だからお前達は、まだ船川の選手として扱われている。あんな半端な場所でインターバルを過ごすんじゃなく、ちゃんと船川のベンチに座るべきだ」


 今しがた、レフェリーが試合終了の笛を吹いた。この瞬間から、双子は完全に桜峰の選手ではなくなり、船川の選手に戻る。本当は初めから船川の所属だったのだが、双子にとっては「戻る」という感覚だろう。

 当然、それは生半可なことではない。あれだけの悪質なファールをチームメイトにしてしまったのだ。ブチ切れていた2番はもちろん、ポジションを争う8番や11番は、もう受け入れてくれないかもしれない。双子もそれはわかっているから、動くに動けないでいる。すると、


「ちゃんと謝ろう? それしかできないけど、謝るってことが一番大切なことだよ」


  Rの手を、望が引いた。試合前に怒っていたことはすっかり忘れ、歳上のお姉さんになっている。昔とは少し違う従姉妹の姿だった。だが、Sが望の手を離した。まだ意地を張るのかと思ったが、違った。


「……俺ら二人で謝ってくるよ」


 Sはそれだけを言うと、Rを連れて船川ベンチへと歩いていく。


「……うん。それがいいね」


 望は無理について行こうとはせず、バイバイと手を振って見送った。そして俺の足元で、腰を落とさない体育座りをする。


「……やっぱりお兄さんなんだね」


「そうだっけか?」


「そうだよ」


「ま、どーでもいいわ。ほら、さっさとベンチあけるぞ」


「あ、そっか!」


 選手達も休むより先にベンチをあける。すでに到着し、アップをしていた三チーム目が船川と試合をするからだ。

 あの双子がこれからどうなるかは、わからない。そしてどうでもいい。桜峰というチームに混ざることで、何かを得たかもしれないし、もしかしたら落としたかもしれない。どちらにせよ、双子次第だ。

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