船川の本気とまさかの発想
先にピッチに出てきた赤い選手達を見て、望がすっと目を細める。
「船川さん、またメンバー変えてきたね。8番の子が戻ってきてる」
「5番を下げた。11と8でツートップにするつもりだ。おそらくこれが船川のベストメンバーだろうな」
前にタイプの違うフォワードを置くことで攻撃の幅を広げ、中盤は17番の走力とサイドの選手の技術で安定を図る。船川はよりアグレッシブな二・三・二の陣形フォーメーションになった。
ポジションや組み合わせでチームの「色」は微妙に違ってくる。そして、その微妙が本当に大きい。カバーリングが一歩早いとか、パスコースが三十センチ広いとか、それだけであらゆる攻撃と守備の強度が変動する。これまでの船川は言わば1.5軍。このチーム相手にどこまでできるかが桜峰の標高を決定付けることになるだろう。
ーー2番と3番のポジションも入れ替わってるのか。
船川はこれまで、文字通り「練習試合」をしていたわけだ。
何ができて何ができないのか。それをより明確にするために、選手達のポジションをいじっていた。選手数が多いチームだから可能な鍛え方だ。
逆に、個性が強すぎる桜峰はかえってポジションチェンジをし辛い。自分達の長所を活かせないポジションになると、一気に戦力が下がってまともな試合にならなくなる。サイドバック的なポジションに入った久保が突破されまくっているのが良い例だ。
そして実際、船川は二本目までとはまるで別チームだったかのような怒涛の攻撃を展開してきた。
ディフェンスラインの2番がドリブルでサイドを駆け上がる。右サイドに張る6番と、少しポジションを落としてきた8番とでトライアングルを作り、2番に二つのパスコースを用意した。17番がカバーに入っているので、攻撃の作り直しもできる。今までの船川にはなかった組織的な攻撃。
2番が右足のアウトサイドパスで6番に預け、一気に裏のスペースに走り込む。中沢はそれを目で追うのみに留めたが、その瞬間に8番へ斜めのパスが入った。6番にプレッシャーをかけていた仲村が2番を意識し、縦のコースを塞ぎにいったところを突かれた。8番にはボランチの遠藤が付いているが、パスを出した6番が即座にサポートに入り、落としのリターンパスを受ける。するともう一人のフォワードの11番も裏へと走り出した。中沢のカバーに入っていた久保の前を通り過ぎ、視界を閉じる。
「逆サイ!」
中沢が叫んだ時には、左サイドの一番奥にいた9番がどフリーになっていた。遅れて小鳥遊がプレッシャーにいくが、
「あ!」
するっとかわされた。小鳥遊は腰を落とし相手を外に追いやるように態勢を半身にしていた。素人とは思えない整ったプレーだ。だが、やはり素人であるという事実は事実として存在した。9番は特別なフェイントはしなかったが、ドリブル速度を一気に上げることで小鳥遊を突破してみせた。
どんなに優秀なディフェンダーでも、相手にプレッシャーをかけ、適正な距離感を掴んだ瞬間は停止する。そのまま突っ込んでいけば簡単にかわされるからだ。だが、その一瞬の停止状態に加速されると、身体の反転が遅れる。そのタイムラグを少しでもなくすためにはラダーによる細かいステップ練習や、経験から導き出す「カン」が必要だ。だが、残念ながら小鳥遊はそのどちらも持っていない。
「……」
髪を煌めかせて振り向く小鳥遊は焦ることも悔しがることもしていないが。
ーーこれは、やられる。
11番と8番がプルアウェイをしながらゴール前に入ってくる。プルアウェイとは一度ボールから離れるように走ってディフェンダーを引きつけ、自分が走り込むスペースを作る動き方だ。パスコースを作るための動き方でもあるから、フォワードをするなら絶対に必要な技術と言える。強豪船川のツートップを任される11番と8番は当然身につけており、この場面でもやってくる。その結果、中沢がファーサイドにつられてしまった。久保と遠藤がニアに戻ってきているが、
「ニア、2番!」
小西がコーチングしたが、もう遅い。攻撃の起点となった2番が大外からニアに走り込んできていた。どうしてもボールホルダーの9番を見てしまう久保と遠藤は、背後の2番が見えていない。クロスが上がる直前に2番が二人の前に突っ込んできた。そこに小学生らしからぬ正確なクロスが入ってくる。
「シッ!」
2番がニアサイドでヘディングシュート。こめかみでコースを変えただけのヘディングだったが、ニアサイドにポジションを取っていた小西の逆をついた。ボールは小西の左の中指を弾いてゴールネットを揺らす。それは試合が始まった二分後のことだった。船川ベンチと土手の保護者達が歓声を上げる。
ーーなるほど、船川のエースは2番か。
俺は勘違いをしていたらしい。いや、これは俺の見落としだ。八人制サッカーへの理解の乏しさを浮き彫りにされた。普通のサッカーでは九十分の試合でもシュートを打つのは三、四人だ。だが、八人制サッカーではほぼ全員がシュートを打つ。ピッチが狭いゆえに、スタート位置に関係なくどの選手も攻撃参加ができる。つまり、必ずしもエースを前に配置する必要はない。むしろマークの緩い後方からスタートした方がパワーを持ってプレーができる。
これは試合前に俺が久保と仲村に指示したそのまんまの戦術だが、俺は真の意味で理解していなかった。
ーー俺が時代遅れの知識で導き出す戦術なんざ、「当たり前」のことってわけだ。
船川の攻撃は2番を中心に回り始めた。更に、ピッチのあらゆる場所でトライアングルを作る組織的なプレーが攻撃をより重厚にしている。こちらが何とかカットしたりブロックしたりしても、すぐにこぼれ球を拾われてしまい、いつまで経っても船川の攻撃が終わらない。
「アヤ! いっこ落ちてきて!」
「だね!」
一旦ボールが外に出たことで、中沢と遠藤がポジションを修正する。中沢が一人で守っていた中央にボランチの遠藤を落とし込むつもりだ。
だが、それでは問題は解決しない。今すべきなのはゴール前を固めることではない。
「こ、コウちゃん! なんか船川さんの雰囲気変わってない!? 突然強くなったみたいな……」
「だな」
「そんな落ち着いてないで……って、あぁ! また突破された!」
仲村が2番にぶち抜かれた。追いすがって横からショルダーチャージをしたが、ポップコーンのように軽々と吹っ飛ばされてしまった。三本目にしてフィジカルの差が表出化してきている。女子と男子では筋肉の質や骨格の太さがまるで違う。桜峰は船川より三歳年上だが、そんなものでは意味がない。
ーーお姉さん、大丈夫? ごめんなさい、痛かったですか?
なーんて訊いてくるわけもない。同じピッチで戦っている以上、男も女も関係ないのだ。
「あぁ!」
仲村は肩から転がった。手脚を捻るような転げ方ではなかったが、あれは結構痛いぞ。望が横に置いてあるメディカルボックスに手を添える。
「あん、カバー!」
だが、可愛らしく転がっていられる余裕などない。すでに8番と2番のワンツーで右サイドをズタズタに切り裂かれている。ゴールラインと平行に2番がドリブルしてくる。中沢がクロスのコースを切ったが、その背後ではバイタルエリアがガラ空きになっていた。バイタルエリアとはペナルティーアーク付近のスペースのこと。ここで相手を自由にさせてしまうと、失点の危険がぐんと高まる。そして、今の桜峰はバイタルエリアにまで選手を戻らせられない。船川のスピードに付いていけないのだ。
「裕也!」
2番がバイタルエリアにいる9番にゴロの優しいパスを送る。打ちごろの最高のラストパスだ。9番も迷うことなく右脚を振り抜く。カーブのかかったシュートは逆のサイドネットへと飛んでいく。が、
「くっ!」
小西が右手一本、パンチングでかき出した。さらに11番が狙ってくるが、それも小西が何とかボールに飛びついて防いだ。
「あっぶな〜! ほとんどやられてたよね」
「あぁ。ありゃ小西様様だな」
横っ飛びで倒れた後の立ち上がりが早かった。小西一人で一点を稼いだ。
俺は桜峰の選手達の表情を観察する。さすがに全員が動揺を隠せない。船川のあらゆるプレーのギアが二つ三つほど上がった。二本目ではこちらが押せていたのに、いきなりこれだけの劣勢に立たされればそう思ってしまうのも仕方ない。
だが、これは完全予想外の事態とも言い切れない。船川は昨年の県チャンピオンだ。となれば、県選抜、地域選抜レベルの選手が複数人いるのは当たり前のこと。弱小女子サッカー部の一年生が互角以上に戦えるかと問われれば、そんなのは不可能だと誰しもが答える。
確かに、ピッチ内のドリブル技術は仲村が最も優れているし、キック精度は遠藤が、足の速さは久保が一番だろう。だが、一芸だけで強豪と渡り合えるようになるほど、サッカーは甘くない。
仲村のマークはきつくなり、パスを受けることすら難しくなってきた。受けれても身体のぶつけ合いに負けて上手くボールがコントロールできない。
遠藤と久保も同様。前からガツガツこられてトラップすらままならなくなっている。
桜峰の攻撃はほぼ崩壊した。時折ボールが繋げても、SとRが関わってくると簡単にロストしてしまう。船川はそこを見逃さず、さらに攻勢を強めてくる。エースである2番がノッてきた。17番を上回る運動量でピッチを縦横無尽に駆け回り、あらゆる面で桜峰を圧倒している。何とか対抗できているのは中沢だけだ。
「こりゃ本格的に邪魔になってきたな」
「え?」
「あの双子だよ」
ここで久しぶりに桜峰がボールを奪った。左サイドの9番が先程と同じプレーで小鳥遊を抜きにきたのだが、二度目は通用しなかった。9番が加速した瞬間、小鳥遊も加速。相手とボールの間に身体を滑り込ませる。先程、どの距離感でスピードアップされたかを覚えていたのだ。一度見ただけでタイミングを見抜くとか、どこのフィクションだ。
「霧子!」
即座に遠藤がフォローにいき、バックパスをもらう。だが、奪われた9番が素早い切り替えでファーストプレッシャーをかけてくる。小鳥遊へのパスコースは消え、中沢や小西も狙われている。下手に繋ごうとすれば、また高い位置でボールを奪い返される。それだけはあってはならない。
「お願い!」
遠藤は即断。前線で張っていたSにロングボールを送る。
はっきり言って、桜峰の選手達もSとRにはパスを出したくない。一度預けてしまうと絶対に返ってこないし、二人だけでは攻撃は成立せず、シュートすら打てない。桜峰に飛び入ってきた異物は、完全に癌になっていた。それでも、今はSのキープ力に頼らざるを得ない。
「修一だ!」
「囲め!」
だがすぐに潰された。双子がボールを持てば、他の選手をマークしなくていいのだから。
「くそ!」
そして結局は何もできないままにロストした。Rがフォローに行っていたが、数センチのパスコースすら作らせてもらえなかった。ここ数プレーは双子間のパス回しすら繋がらなくなってきた。そんなレベルにまで悪化しているのに、SとRはまだ自分達以外にパスを出さない。
歯をくいしばるSがファーストプレッシャーに行く。すると、もたついていた17番からあっさりボールを奪えた。今は2番が前線に残っているから、実質二対二。三本目初めての「チャンスになるかもしれない」シチュエーションだ。
「シュウ!」
RがSを追い越していく。下手に時間をかけるべきではないと判断した速攻だ。ただ真っ直ぐ走るのではなく、Rもプルアウェイをしながらディフェンダーから離れる。Sはそこにパスを出すが、
「っ!」
「な!」
背後から伸びてきた脚にカットされた。17番のスライディングだ。そのままボールを脚に巻き込みながら立ち上がったが、そこをSが狙い、再びボール奪取に成功する。17番をフィジカルで弾いて転がしたのだ。だが、その時にはすでに船川は全員が守備に戻ってきていた。17番が稼いだ時間は五秒にも満たなかったが、強豪の走力にはそれだけで充分だった。
「立て直そう!」
「サイドにいるよ!」
遠藤がフォローに入り、久保が呼ぶ。だが、
「……蓮二!」
この期に及んで双子はパスを出さない。三本目の十分に差し掛かったタイミングだ。ここまで一方的に押し込まれ、ワンサイドゲームになっていた。桜峰はこのファーストチャンスを何とかモノにしたい。だが、パスが出てこない。
「外にいるってば!」
とうとう久保の語気が荒くなり始める。
「うるさい!」
Rが叫んだ。センターサークル付近で二人に囲まれながら、無理やりSに斜めのパスを通す。17番の股下を抜いたパスはさすがの技術だ。だが、それも当然船川が読んでいる。
RからのパスはSに通らない。
小鳥遊がカットしたからだ。
「なっ!?」
「え!?」
ほんの僅かだが、ピッチに関わっている全ての人間の思考がフリーズした。
Sがスルーしたわけではない。Rと小鳥遊のパスコースが被っていたわけではない。今の小鳥遊のプレーは、明らかにパスカットを狙ったプレーだった。
味方のパスを横取った。ほぼあり得ない状況に対し、硬直の壁にぶつかることなく思考を進められたのは小鳥遊と、予め聞かされていた俺だけだった。
「久保!」
だから久保の名を呼んだ。俺の声を聞いたか聞かずか、次に覚醒したのは久保だ。Sからボール奪取するために船川のディフェンスラインは上がっていて、統率がぐちゃぐちゃだ。これなら簡単に裏を取れる。
加速した久保へ間髪入れずに小鳥遊のスルーパスが通る。キーパーと一対一になった久保がファーサイドにゴロのシュートを放つが、ポストに当たって枠外に逸れていった。
「あ……」
この時になってやっと、選手達に呼吸が戻った。
小鳥遊のプレーに一番驚いていたSとRが最も遅かったが。
「お、おい! なんなんだよあんた!」
「ふざけてんのか!?」
二人して怒気を撒き散らしながら小鳥遊に詰め寄っていく。
そんな子供達相手に小鳥遊が取った態度と声音は実に冷え冷えとしたものだった。
「しゅーとが打てない」
「あぁ!?」
「あんたらがボールに触ると、しゅーとが打てない。だから、持たせる理由がない」
「何を言って……」
「はっきり言うけど、邪魔」
「な、んだと……」
小鳥遊はくるりと回れ右をして、自分のポジションに戻っていく。その清廉可憐な背中は、子供達にそれ以上の言葉を与える気はないようだった。
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