好調に進む桜峰
久保と遠藤、コーギー娘が喜びの輪を作る。三人が笑顔を弾けさせてハイタッチを交わす。すると、遠藤が振り返って小鳥遊を呼んだ。パスを出した位置で止まっていた小鳥遊も、歩いて三人の元へ向かう。喜んでいる風はなかったが、あの輪に入っていったことに意味があると俺は思う。
「いやー、アヤちゃんは流石だね! 見えてるエリアが違うよ!」
「ま、そうだな」
あの一連のプレーを指揮したのが誰かは望もわかっている。ボールを奪った瞬間、遠藤にはゴールまでの道が見えていたはずだ。
二本目は中盤に差し掛かった段階だ。先制したのは、これまでずっと攻め込まれていた桜峰だった。サッカーとは不思議なもので、立て続けにチャンスをふいにすると少しずつ流れが相手に傾いていく。点を取れないことに攻撃側が焦るからか、点を取られないことに守備側が自信を持つからか。十一人対十一人という多人数のスポーツだというのに、何故チーム全体のメンタルが同質化していくのかはわからない。まぁ一番の要因は遠藤がボールの感覚に慣れたことだろう。やっと攻撃の指揮棒が振れ始めた。ここからは通常のプレーに関係のないミスは減っていく。
そうなれば。
「アヤ逆サイ!」
「ユリフォローして!」
「足元にください〜!」
桜峰の攻撃は活性化されていく。ボール感覚のズレと双子の性格の衝撃で弱くなっていた「声」が溢れるようになってきた。桜峰の選手達の数少ないストロングポイントの一つが、「要求」することだ。チームメイトへの消極的な遠慮がない。それは私生活での仲の良さと彼女達の性格によるものだろう。
仲が良いこととプレーの息が合うことは別の話だ。無目的にプレーしていると、互いのサッカー観の違いでやりたいことにズレが生まれ、溝になっていく。それを埋めるためにはしつこく自分の考えをアピールし、要求し、擦り合わせていくしかない。桜峰の選手達はそれができている。故に遠藤は久保へのパスをスペースへ、コーギー娘へのパスを足元へと蹴り分けられ、受ける側もそのための動き出しや準備ができる。
桜峰というチームが動き出した結果、それは船川のチーム力を上回るようになった。
遠藤がボールを持った。その瞬間に右サイドの久保が裏のスペースへ走り出す。久保の前に放り込むことさえできれば、少しくらい雑でも攻撃が成り立つ。遠藤は右脚を振りかぶってキックする、手前でボールを持ち替えた。17番が脚を出してくるのを読んでいた。左脚でコーギー娘へと繋ぐ。
やっとボールに関われるようになったコーギー娘は遠慮しない。再び一対一を仕掛け、そして突破した。船川はドリブル主体のチームだから、ディフェンダー達はドリブルへの耐性がついているはずだが、コーギー娘の方が上手だ。一瞬ボールを足から離れさせ、相手が食いついてきたところをダブルタッチでかわした。この「晒す」というのは非常に難しい技術なのだが、コーギー娘はそれを武器にしている。これには素直に感心させられる。自らのパーソナルスペースを完璧に把握しているのだ。余程のセンスと練習がなければ、ここまで身に付けることは難しい。
だが、相変わらず突破した後のことはあまり考えていないらしい。Sへクロスを上げるか、もう一人抜くかを迷った。
ーー遅い。
クロスを上げるなら今のタイミングしかなかったし、突破を選択するなら最初から迷うべきではない。そして、もし迷ったのなら一旦停止すべきだ。アイディアも無いまま自分から縦にズルズル行ってスペースを消すより、選択肢を多く持つためのスペースを確保すべきだ。
結果、二人に囲まれた。船川は全員が戻ってきて中を固めたため、数的不利もない。ゴールラインとペナルティーエリアが90度に交わるほぼ真上でコーギー娘がボールを持つ。
「あん!」
遠藤がフォローに入る。コーギー娘がペナルティーエリアにそってバックパス。をせずにターン。ゴールライン上で突破を図るが、ディフェンダーにコースを消されてしまう。というところまでコーギー娘は読んでいた。左足の足裏でボールを引きつけ、右足のインサイドで再び縦に抉るふりをしてアウトサイドで切り返す。チップぎみで浮いたボールが二人のディフェンダーの間を抜ける。あとは無理矢理身体を割って入らせ、二人抜きを成功させた。
「凄い!」
望が叫ぶ。そのタイミングでコーギー娘はすでにシュートを放っていた。ゴールエリアの角付近からのシュートはニアサイド、キーパーの手を弾いてゴールに捻じ込まれた。先制点の三分後に追加点。コーギー娘はシュートの勢いそのままにくるりと回転すると、右手の人差し指を振りながらハーフウェーラインに向かって走る。俺が思っていたよりずっと鬱憤が溜まっていたらしい。迎えてくれたタヌキ娘とハイタッチをかわす。
大きな二点目が入った。単純に実力差を見せつけた、という程ではないのだが、三人をごぼう抜きされたというのは船川の選手達にとってはダメージだ。凄いシュートを決められるより、完璧なスルーパスを通されるより、ドリブルで突破されることが一番実力差を痛感させられるものだ。
だが、さすがと言うべきか、船川は受け身に回らなかった。強豪ゆえのメンタリティーと、ドリブルで仕掛けるという戦術は選手達に後退の思考を与えない。めげることもしょげることもなく攻撃を仕掛けてくる。桜峰は二点を奪ったが、まだ主導権を握れない。もちろんその最たる原因は、
「外いるよ!」
「っ!」
Rは久保にパスを出さない。一人で右サイドを持ち上がる。Sがボールを受けに行くと見せかけてディフェンダーの背中に回った。Rがそこへスルーパスを出す。だが、それは容易くカットされた。ディフェンダーは完全に読んでいるし、そもそもコースがなさすぎた。初めからノーチャンスなのだ。SとRが独りよがりなプレーをする限り、桜峰が完全優位に立つことはない。
「くそ!」
Sがボールを奪い返しにいく。が、もう追いつけない。ボールを受けたのは17番だ。失点シーンのミスが頭に残っているのか、ターンはしなかった。ツータッチ目でサイドの選手にパスを流す。パスを受けた6番もダイレクトでタッチラインと並行の縦パス。前線の11番を走らせる。これでセンターバックのタヌキ娘を外へと釣り出した。中にはカバーに入った小鳥遊と、遅れて戻ってきている久保。素人の小鳥遊がカバーリングをしている点についてはもういい。そういう子なのだと受け入れる。
「ファー!」
ニアはボールに近いサイド、ファーは遠いサイド。フラミンゴ娘が小鳥遊にコーチングしてポジションを修正させる。
ーーニアは自分が止める気か。
別に間違いではないのだが、セーフティではないよな。勝負所ではないゴール前の攻防など存在しないが、今は賭けに出るほどのシチュエーションではないだろう。ゴールキーパーが飛び出すというのはそれだけハイリスクなのだ。
ーーとにもかくにも、勝負するのが大好きってことか。
練習試合だろうと、選手達は心が擦り減るようなプレッシャーと闘っている。だが、フラミンゴ娘は笑っていた。それはもう楽しそうに。普段は何を考えているのかよくわからない少女だが、ピッチの上では非常にわかりやすい。
さぁ来い。クロスを上げてこい。フォワードはニアに飛び込んできてみろ。どっちがこようと止めてみせる。
フラミンゴ娘がスリルを楽しんでいるだけなら、コーチである俺は彼女を外さなくてはならない。ゴールキーパーというポジションはそれだけ責任重大なのだ。チームの「在り方」に一本芯を通すためには、常に冷静で力強いキーパーが必要不可欠になる。ゴールマウスを任されている以上、最もセーフティで、最も積極性なプレーが求められるのがキーパーだ。
だが、フラミンゴ娘は飛び出すことを選択した。ファーはチームメイトに任せ、ニアは自分が制する。これが最もセーフティなプレーだと信じている。なら、俺はその「勝負」を尊重する。それで負けることもあるだろう。失点することもあるだろう。だが、真に修正すべきは「勝負するという選択肢」ではなく、「どうやって勝負に勝つか」である。
「キーパー!」
11番はタヌキ娘を振り切ることはできなかったが、無理やりクロスを上げてきた。タヌキ娘がきっちりコースを限定していることと、フラミンゴ娘が前に出ていたことが結果的に功を奏した。フラミンゴ娘は相手フォワードの前で危なげなくボールをキャッチした。
「カウンター!」
そして即座に前線にボールを供給する。ハーフウェーライン付近に残っていたSにパントキックでパスを送る。が、それは失敗した。中央にいたSとは掛け離れた場所にいた相手のサイドバックにボールが渡る。
「あちゃー。カロちゃんパントキック苦手なんだよね」
「あちゃーですむか」
パントキックは手に持ったボールを地面に落とすことなくキックするプレーで、これには大きく分けて二種類のキックがある。
一つはボールを身体の正面に落とし、真っ直ぐ縦に脚を振る欧米型。
もう一つは身体の横にボールを落とし、ボレーのように横からキックする南米型。現代サッカーではプロのゴールキーパーはほぼ全員が南米型のパントキックをする。南米型はボールの弾道が低く味方がトラップしやすいのと、高い精度のキックができるためだ。
だが皮肉なもので、南米型はかなり練習しないと思ったところにボールが飛ばない。フラミンゴ娘はどうやらそれらしい。ボールの上側を叩き過ぎて、低い弾道どころかゴロのキックになってしまったのだ。
「一歩間違えば即失点だぞ」
「でもカロちゃんはあの蹴り方しかしないんだよね。カッコいいからって」
「……あぁそう」
このチームの選手達は本当に独特だ。ある一点のみなら全国レベルの実力を有していると思えるが、そこ以外はことごとく平均かそれ以下だ。褒めていいのか怒っていいのか、大してサッカーの造詣が深くない俺には判断ができない。南条GFCの時はなんとかなったが、対応力の高いチームにはすぐに見破られ、通用しなくなるだろう。久保や遠藤、コーギー娘は特に一点のみが傑出しており、そこを抑え込まれると多分手詰まりになる。
そういう意味では、SやRの方が選手として幅が広い。まぁ、こいつらは自分からそれを狭めてしまっているわけだが。
ーーこれで六回目。一本目の十五分から数えれば十回目。
久保のパスを受けたSが船川のセンターバックの4番と一対一になったが、突破できずボールを奪われた。Rが近くにいない以上、ドリブル突破しかないと4番は読み、そしてその通りになった。抜いてくると読んでいる相手をかわす技術はSにはない。というか、ないのが普通だ。
SとRのボールを奪われる回数がどんどん増えてきている。奪われ方も悪い。一対二で奪われたとか、あと一歩でチャンスになる場面で勝負に負けたとかではなく、ごく普通の局地戦で負け始めた。
だが、それでもSとRは桜峰の選手にパスを出さない。久保が裏のスペースへ走っても、遠藤が攻撃の立て直しを要求しても。コーギー娘に至ってはパスはこないものと考えて奪われた後のプレーに気を回している。
これはいよいよダメだな。SとRにボールが渡ると、チームの歯車が一気に狂う。水面に投げ込まれた石は波紋となって他の選手達に広がっていく。攻撃が噛み合わなくなってきて、守備の時間が増えていく。そしてやはり久保のサイドから崩され出した。
だが、試合時間は十五分。完全に船川に流れが傾く前に二本目が終了した。これがもし四十分だったなら、二つか三つは危険なシーンがあっただろう。
「あんちゃん凄い! あのドリブルどうやったの!?」
ベンチ(土手)に戻ってきた選手達に望が水筒を手渡ししていく。やっぱり話題になるのはコーギー娘の二点目だった。
「うーん。まぁその場の思いつきですね〜」
「まぁ、あの状況で突破しようとする選手はそうそういないわね」
「でも私にボール戻すつもりは一切なかったよね。気をつけないと表情でバレるよ」
「確かにそうですね〜。参考にします〜」
ダベってる暇があったらささっと座れと思ったが、楽しそうにしていたので言わないことにする。
「で、どうや兄ちゃん。うちの名前は覚えた?」
すると、塩飴をガリガリ噛み砕きながらタヌキ娘が訊いてきた。うちの守備はどーだったよと言わんばかりの顔つきだ。
「あぁ、覚えたよ。中沢百合子に仲村あん子。そんで、小西カロリーナ」
なんか「子」ばっかりだな。小鳥遊も久保もそうだし。
「せやろせやろ」
中沢が満足そうに何度も頷く。
「それでコウちゃん。皆んなにアドバイスはある? てかあるでしょ出し惜しみしないで言ってコーチなんだから仕事でしょ」
「畳み掛けんな」
一本目はともかく、二本目を見た後なんだから言うことはあるでしょ、と望が目で訴えてくる。だが、
「いや、ない」
「えぇ……」
「本当に、ないんですか?」
久保が呆れた様子で脱力し、遠藤は少し不安そうにしている。
「まだ三十分だぞ。それだけで効果的なアドバイスができるような能力はねぇよ」
俺は名監督でも敏腕スカウトでもない。
「自分らのやりたいようにやればいい」
「なら私はもっとたくさんボールをキャッチしたいです。ペナルティーエリアくらいまで出ていいですか」
「いいわけねぇだろ。八人制のピッチだぞ」
ーー何をどう考えればそういう思考になるんだよ。
小西のとんでも発言は見過ごせないと、久保と遠藤と中沢がなだめに行く。すると、思いもよらない方向から声をかけられた。
「ねぇ」
「ん、ん? あぁ、どうした」
小鳥遊が指差す。その先にいるのはSとRだ。どちらのベンチにも入らず、二人で静かに休憩している。
「サッカーってさ……」
そこから飛び出してきた質問に最初は度肝を抜かれたが、なるほど、この子ならそういう疑問を抱いても不思議じゃないか。
「別にいいぞ。反則じゃない」
「わかった」
小鳥遊は水筒のコップにアクエリアスを注ぐ。一本目の後は一杯しか飲んでいなかったが、今は二杯目に口をつけた。
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