ゴールまでの道



 パスやドリブル、トラップだけが技術ではない。情報を読み取る力。これも一つの技術であり、極めれば大きな武器になる。天候、ピッチコンディション、相手の技量やクセ、得手不得手、用いてくる戦術。ピッチ内で生まれては消えていく膨大な情報を一つでも多くピックし、いかに有利に働かせるか。楠田公太郎は幼い頃からこの能力が傑出しており、彼が高い評価を受けていた一番の理由だった。だが、そんな彼でも確信を持てないものがあった。仲村あん子の人間性である。


 仲村は「普通のトモダチ」には上品で清楚な、いわゆるお嬢様だと認識されている。だがそれはブラフであり、彼女の演技に過ぎない。本来の仲村はかなり大雑把でいい加減な性格をしており、それでいて怒りっぽい。彼女は老舗和菓子屋の一人娘という立場を利用して、己の真の性格を巧みに隠蔽していた。そうした方が周囲が勝手に彼女の評価を上げてくれ何事もスムーズに進むし、何より喜んでくれる。「お嬢様」であることの旨味を存分に楽しむ。それが仲村あん子という少女だった。

 公太郎は仲村のそんな性格をまだ読み切れていない。それでも彼女のプレースタイルから薄々ではあるが当たりはつけている。


 ーーあのドリブルは性格が悪くないとできねぇ。


 相手を引っ掛け、騙し、手玉に取るようなドリブルをする仲村だ。ごく普通の人間がするプレーではない。それを理由に、公太郎はある意味では仲村を警戒していた。このチームで問題を起こすのなら彼女だろうということだ。

 また、同時に仲村も公太郎を信用していない。「親友」である遠藤綾が妙に懐いているからコーチとして迎えただけで、彼女自身はそもそもコーチを必要としていない。自分のやりたいことは自分の手でやり遂げる、それが彼女のモットーだからだ。場合によっては誰かに教わることもあるが、感覚でドリブルする彼女には理論的な指導など重要でない。そういう水面下の駆け引きが二人の間で現在も行われていた。


 事実、仲村はもし公太郎が遠藤の信頼を裏切るようなことをすれば、即座に攻撃に転ずると決めている。

 仲村の性格を理解する上で、最もわかりやすい事件がある。それは小学生時代、クラスの男子が遠藤綾を「巨人」と呼び、深く傷つけたことに端を発する。それを知った仲村は烈火のごとく怒り狂い、件の男子が大泣きして逃げ帰るまで罵り続けたのだ。

 この時、まだ幼く世の中を知らなかった仲村は、親友を傷つけた悪者を退治したような気分になっていた。だが、当然この事件は保護者間の問題にまで発展し、回り回って遠藤に余計な心労をかけさせることに繋がった。


 ゆえに仲村はこの事件を機に心を入れ替え、今のような回りくどいやり方を選択するようになっている。つまり、「攻撃をすること」という彼女の本質は変わっていない。

 あの事件から、仲村はさらに成長している。高校生になった彼女はもっとエゲツない攻撃方法をいくつも考えている。それ相応の用意はしてあるということだ。

 仲村は、まだまだ公太郎に真の信頼を寄せていないのだ。


 







 二本目の十五分は両チームに一つずつ変化があった。船川がメンバー交代を行なったのだ。ワントップだった8番の選手が退き、代わりに11番の選手が出てきた。これにより船川の陣形フォーメーションも三・二・二に変更され、より攻撃的になった。桜峰がボールコントロールにもたついているのを突くために前線のメンバーを増やし、また同時に、自分たち以外にパスを出さない森崎兄弟を抑え込みにきた。二人は中からガンガン突っ込んでくるため、外は捨てて中を固める狙いだろう。

 対して桜峰側は、選手達自身には変化はない。だが、SとRが低い位置に落ちてくるようになった。一本目の後半、ほとんどボールを触れなかったためだ。二本目は桜峰の選手たちにボール回しすらさせず、ボール奪取からシュートまでの全てのプレーを自分たちでやるつもりらしい。


 だが、それが船川の戦術に見事にハマってしまっている。ただでさえ前線からプレスをかけやすい三・二・二の陣形フォーメーションだ。そこにフォワードとトップ下であるSとRが勝手に下がってきてくれた。ディフェンスラインからすればこれほどやりやすいことはない。結果として、桜峰はボールをハーフウェーラインから向こうに持ち込めなくなった。

 試合状況はすこぶる悪い。だと言うのに、SもRも未だに桜峰の選手にパスを出さず、意味のない、かつ勝手なポジション変更をし続ける。


 タヌキ娘がカットしたボールをRが拾う。外が空いているのに、Rはまたコーギー娘にパスを出さなかった。そのせいでカウンターのタイミングは消え、船川に追い込まれる。Rはあっさりとボールを奪われることはなかったが、それはそれで周囲のポジショニングが難しい。

 実はこの試合、コーギー娘はキーパーを除けば最もボールに触れていない選手だった。いつもパスをくれる遠藤がボールに慣れていないのと、SとRが独善的なプレーをしているせいである。


 ーーフラストレーション溜まりまくってるって感じだな。


 ドリブラーは、ボールタッチへの欲求が強い。遠藤はボールを持ち、パスを出すことに喜びを見出す。久保はシュートを打ってゴールを決めることが好きだ。二人のプレーは最終的にボールを離すことで完成する。だが、コーギー娘は違う。ボールを受け、ドリブルをすることが楽しいのだ。とにかくボールを触りたい。一秒でも長くドリブルし、一人でも多く抜き去りたい。


 それなのに、ボールに全然触れない。遠藤はともかく、SとRのプレーはコーギー娘には許しがたいものがあるだろう。


「あん!」


 ここでやっとコーギー娘にパスが通った。船川は中を固めているため、コーギー娘は広いスペースを持ってディフェンダーと一対一ができる。

 左サイドのコーギー娘が右足のアウトサイドでボールを押し出しながらドリブルを開始する。ステップのリズムを変化させ、ディフェンダーの重心を揺らし、一瞬ボールを大きく横に動かした。そのフェイントにディフェンダーは面白いように引っかかった。あとは足先で軽くコースを変えるだけで突破成功。コーギー娘の眼前に広大なスペースが生まれる。


「中!」


 この時すでに久保がゴール前に走り込んでいる。やはり他の選手とは段違いに速い。コーギー娘は迷わずキーパーとディフェンダーの間のスペースにグラウンダーのクロスを入れる。


「っ!」


 だが、久保にボールが渡る直前、17番にスライディングでカットされた。センターバックですら追い付けていない場所に蹴り込んだはずなのに、ミッドフィルダーである17番が戻ってきていた。


「悪くない悪くない! 続けよう!」


「はい〜」


 久保とコーギー娘が連携の感触を確かめ合う。コーギー娘は久しぶりにボールを触れた。だがこの程度ではイライラは晴れないだろう。SとRが自分にパスを出さない限りは。

 それにしても、船川は地元の強豪だけあってなかなか選手層が厚い。8番は前線でボールをキープするドリブラータイプで、交代で出てきた11番はガンガン裏のスペースへ抜け出していくタイプだ。右サイドにいた6番がツートップに上がったことで、二本目は縦への鋭さが増している。


 ーーなるほど。これならSは完全にお払い箱だな。


 8番と11番に比べればSの方がパワーがある。だが、圧倒的な差ではない。8番と11番ワントップ争いをさせればまだまだ伸びるだろうし、そもそもプレーの相性がいい。ツートップを考えるなら絶対にこの二人だ。コンビネーションに難のあるSをピッチに立たせる意味がいよいよなくなってくる。Rは船川のミッドフィルダーの中では技術が突出しているため使い所はあるが、やはりコンビネーションの悪さが足を引っ張る。それならば、


「17番の子、本当によく走るなぁ」


 絶対にあの17番の方がいい。望が感心して呟いたように、とにかくよく走る。技術面はまだまだ拙いが、危険なスペースを発見するのが早く、そこへ駆けつけるだけの走力もある。攻撃でも積極的に味方のフォローに回っており、他の選手はかなりプレーしやすいはずだ。ボールを奪われてもすぐに17番がファーストプレッシャーに行ってくれるため、安心して勝負ができている。

 おそらくだが、あの17番はつい最近試合に出れるようになった選手だ。あの子の台頭がSとRをベンチに座らせた。SとRが拗らせたのが先か、17番が出場したのが先かはわからない。船川の内情を知らない俺には後者の方があり得そうだと思える。チームプレーに徹する17番と、逆に兄弟の個人プレーに拘るSとR。単純に対照的で、面白味のない人間関係だな。


 試合が動いた。遠藤が横パスをインターセプトしたのだ。17番の横パスを完全に読んでいた。このプレーを生み出したのは、一つ前の小鳥遊のディフェンス。船川のセンターバックから17番にパスが繋がった瞬間、あえて中を開けてプレスをかけた。17番から見れば中のスペースが空いてチャンスに見えただろう。だが、実際は小鳥遊の背後に遠藤が控えていた。見えない所からディフェンスが出てこられたらどうしようもない。上手い選手であるほどそういう「見落とし」は少なくなり、まるでピッチを上から見ているようなプレーをするが、17番にそれを求めるのは酷というものだ。

 ピッチ中央での横パス失敗は大ピンチを招く。出し手と受け手の二人が一気に置いていかれた。


 遠藤はパサーだが、いつもツータッチ、スリータッチでプレーしているわけではない。必要、有効であればドリブルも選択する。そのキープ力やスピードはまだまだだと言わざるを得ないが、そこに至るまでの判断が早いため、数メートルの前進でもチャンスになる。この瞬間も遠藤はドリブルを選択した。背後から付いてきているマーカーの進行方向を塞ぐように斜めに駆け、同時にディフェンダーの意識を自分に集中させる。

 この時、右サイドの久保が遠藤を追い越した。遠藤の身体の向きとは逆の位置からのスタートだったが、遠藤はわかっている。そして、そこに到達するまでの最短距離も。


 ドリブルをする遠藤が、ぽん、とボールを止めた。自身は走り抜け、ボールは置き去り。誰もいないスペースでボールだけが心細そうに停止している。いや、違う。


 ーーリュウにパスを。


 これでもかと分かりやすいメッセージ付きのボール放置。そこに走りこむのは、ボール奪取のきっかけを作った小鳥遊だ。遠藤に並走せず、追い越そうともしなかった選手が、しっかりとメッセージを受け取っていた。この刹那、確かに二人の間にコミュニケーションがあった。共にゴールに向かっている仲間だから分かり合える、奇跡の瞬間。


「っ!」


 船川のディフェンス三人は遠藤の斜めのドリブルに意識が向いていた。更にボールだけが止まったことで、走り抜ける遠藤とボールに注意が二分する。後ろから走ってきた小鳥遊は視界に入ったとしても、絶対に久保は見えていない。

 そのセンターバックとサイドバックの間を小鳥遊のパスが突き抜ける。それはただ速いだけでも、隙間を通しただけでもない。裏のスペースでしっかり久保が追いつけるように加減され、調整されたスルーパスだ。


 ーーアレをサッカー始めて三日目で通すのか。


 決してイージーではない。八人制のピッチは裏のスペースが狭く、パスコースとパススピードはかなり限定されている。その数ミリ単位の微調整を、小鳥遊は見事にやってのけた。

 久保がペナルティーエリアぎりぎり外でボールに追い付く。ここでのトラップは簡単だ。ただ前に置けばいい。トラップが下手な久保でもできる。


 ーーそうじゃない。


 そうじゃない。俺は知っている。久保は確かにトラップが下手だ。だが、それはディフェンダーやスペースを必要以上に意識している時だけで、無理に足元に止めようとするから、失敗してきた。

 久保は「シュートを打つ直前のトラップ」だけは、上手い。


 久保はゴールに向かってボールをトラップしなかった。若干外向き、自分の右脚側にボールを置く。そうすることでキーパーがボール側に寄り、


 ーー逆のサイドネットへの道が開く。


 トラップ以外の無駄なプレーは一切しない。おそらくだがキーパーの位置もほとんど見ていない。ストライカーは、ただひたすらに右脚を振り抜くだけでいい。

 小細工なしのシュートは、的を射抜くかのようにサイドネットに突き刺さった。


「っ!!」


 練習試合だろうと関係ない。久保は渾身のガッツポーズで息を吐いた。ポニーテールが躍動する姿は見惚れるほどに美しかった。


「やったぁ!」


 隣で望が叫んだ時、俺はSとRの表情を見ていた。コーチの仕事は情報収集。喜ぶのは選手と観客に任せておけばいい。


 Rは腰に手を当て、小さく息を吐いていた。

 Sは拳を握りしめて歯軋りををしていた。


 この瞬間、二人が自分達の状況を理解していることを、俺は把握した。


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