拮抗



 試合開始直後のSとRによる攻撃を凌いだ船川は、すぐに自分たちのサッカーを取り戻していた。船川はドリブル主体のチームで、よほどフリーな味方がいない限りはまずドリブルで仕掛けてくる。チームの戦術として、センターラインを越えてボールを受けた場合は必ずドリブルから入れと決められているのだろう。

 八人制サッカーはピッチが狭くなっているが、当然のことながら両チーム合わせて人数が六人も減っている。おかげで一人一人が「ボールを持つ」スペースは広くなっているのだ。


 ーーま〜たやられた。


 思わず半目になる。久保が守備する右サイドが突破された。センターフォワードの8番が縦ではなく横にドリブルしてきたことで、うちのキャプテンは自分のマークを見失った。久保とタヌキ娘の間のスペースにスルーパスを出され、パスを受けた選手にゴールエリアぎりぎりまでドリブルで抉られる。タヌキ娘がカバーに行くが、それによって中央がガラ空きになった。遠藤とコーギー娘も戻ってきているが、あまりに深いスペースにまで侵入されているので、二人とも後ろ向きに対応するしかない。これだとクリアが難しくなるし、マークを見失いやすい。一言で言えば大ピンチ。


「キーパー!!」


 相手ゴールに向かうパスをプラス、反対をマイナスと呼称するが、今回パサーが選択したのはグラウンダーのマイナスのクロスだ。中の相手選手に先に触れられれば間違いなく失点。だが、フラミンゴ娘がクロスボールに飛び付いて防いだ。


 ーーおいおい、ゴールほったらかしだぞ。


 フラミンゴ娘はクロスが上がる直前よりさらに前の段階でポジションを上げ、マイナスのクロスをキャッチしにいっていた。読み合いに勝ったと言えば聞こえはいいが、守るべきゴールを放棄して飛び出したとも言える。まぁ、あそこからプラスのクロスが上がってくる可能性は低いが、ディフェンダーに当たってコースが変わることだってある。それに飛び出したところで先に相手に触られたら意味がない。勝ちの目は薄い賭けだった。


「カロちゃんナイスキャッチ!!」


 望が大喜びで手を叩いて飛び跳ね、フラミンゴ娘はそれにサムズアップで応えている。いや、あれは褒めていいプレーかどうかは微妙なんだって。


「リュウ!」


 フラミンゴ娘がボールを抱えている内に、タヌキ娘が久保を呼びつける。さすがに十分間で二回も同じやり方で突破されたら怒る気持ちもわかる。だが、どうやらタヌキ娘は声を荒げているのではなく、ポジションの修正とやられた場合のカバーについて話しをしている。確かに、久保は裏をかかれた後も無意味にボールを追いかけていた。ドリブルする相手選手を背後から追いかけたって大したことはできないのだから、あの場合は素早くタヌキ娘のカバーや、マイナスのクロスをクリアできるポジションに戻るべきだった。タヌキ娘はそのことを伝えている。

 味方のミスや拙さに怒気を爆発させるなら誰にでもできる。だが、それはファンやサポーターの仕事であり、ピッチでプレーする選手たちには無縁であるべきだ。選手たちがすべき仕事は、ミスやズレを素早く修正すること。怒るなんてことに時間を割いて勝てるほど、サッカーは甘くない。選手が味方に対して怒っていいのは、周囲へのリスペクトを欠いた時と、下を向いてしまった時だけだ。闘う気持ちを持っているかぎり、同じユニフォームを着ている選手たちは仲間なのだから。


 それに、叱責なんてすれば互いのメンタルを悪くするだけだ。ミスをした選手は勝手に悔しがっているのだから、そこを周囲が突っつく必要などない。


 「気にするな、ほら行くぞ!」 それだけでいい。


「わかってるじゃねぇか」


 タヌキ娘ならそういう理屈的な部分も理解しているだろうが、あの行動の原理は性格だな。女子高生とは思えないほど老練だ。

 それに、今の桜峰はもっと深刻な問題にぶち当たっている。


「あ!」


「っ……! すみません〜!」


 コーギー娘から遠藤への横パスがズレた。キックミスをしたというわけではないのに、ボールはコントロールを失ってすっぽ抜けた。遠藤なら脚を伸ばせばギリギリ届く距離だったが、ディフェンダーがトラップ際を狙ってきているのを見て敢えてスルーした。自分が置いて行かれるくらいなら船川のスローインになった方がいいと判断したのだ。

 一本目も終盤に差し掛かっていたが、桜峰の選手たちはまだボールの軽さに順応できていなかった。小学生が使うボールと高校生が使うボールは大きさと重さが全然違う。小学生の使う4号球は周囲63.5〜66センチ。対して中高生が使う5号球は68〜70。重さは最大で100グラムもの差がある。数字で出されても分かりづらいかもしれないが、実際に手で持ってみるとびっくりするくらい別物だ。


 桜峰の選手たちは軽すぎるボールにキックの感覚をズラされ、パスミスやトラップミスが多くなっている。本人たちの思っているよりずっと強いパスになってしまったり、コースから大きくそれてしまったりがとにかく目立つ。

 これがフットサルなら、ボールの違いよりもピッチの広さに意識が行って無意識的にキックの調整もできる。だが、「サッカー」である以上、どうしても自分たちの今の感覚との齟齬に対応しきれていない。そういう部分も考えると、小学生との試合はやはり生産的ではない。小学生が5号球を蹴るのは難しいため、どうしてもこちらが合わさなければならない。だが、それだとボールの感覚に慣れるまでに時間がかかり過ぎるし、慣れたところでこの試合が公式戦と同じ強度とは言えない。


 笛が大きく二度吹かれた。一本目の十五分が終了。


「お疲れ様! 水はこっち、あと冷やしたおしぼりあるから欲しい人は使ってね!」


 一足先にピッチ横に下りていた望が選手たちの世話を焼く。あの小さめのクーラーボックスにはおしぼりと塩飴、あと氷が入っている。


「二人も遠慮せず使って」


 そして船川と桜峰の両方のベンチから離れた場所で給水しているSとRに手招きする。


「いらない」


 だが、Sが冷たい声で拒絶した。温和な望でもそろそろ我慢の限界になりそうだ。ムッとして頬を膨らませ、珍しく無言になった。


「まぁほっとけ」


 あの二人に関わろうとしても無駄だ。それに桜峰側にミスが連発したせいもあって、一本目の後半はほとんどボールに触れていない。その辺も余計に二人を苛立たせている。


「……コウちゃんからみんなに言うことある?」


 望の声は低かった。俺に八つ当たりするのはやめて欲しい。


「別にないかな。とにかくボールに慣れないことには技術以前の問題だ」


「オフザボールの動きとか、守備とかはどうですか?」


 遠藤が聞いてくる。水を飲んでいた久保が隣で肩を揺らした。自分の所から攻められているのをわかっているのだ。


「いや、ない」


 だが、やはり俺から言うことはない。タヌキ娘がピッチの中で修正を図っているし、これは練習試合だ。外野があーだーこーだ言うよりも選手たちに頭で考えさせた方がいい。


陣形フォーメーションはそのままで行こう。てか君らなんで立ってんだ座れ」


 短い間隔の試合だろうとインターバルはしっかり休む。休めない選手は良いプレーはできないし、夏場や長丁場のトーナメント戦では戦えない。


「遠藤、タヌキ娘」


 桜峰も持ち運びができる折り畳みベンチを部で所有しているが、自転車移動する部員たちでは運べない。ゆえに選手たちは斜めになっている土手の端に直接腰を下ろすか、近くの階段に密集して座るしかない。思い思いの場所で休息を取っている選手たちの中で、俺はチーム内で最も理性的な二人を呼んだ。


「小鳥遊はどんな感じだ?」


 外から見ている分には、これと言って違和感がなかった。だが、俺にはそれが不気味でしょうがない。サッカー始めて三日目の素人が試合に出て、しかも溶け込んでいる? どう考えてもおかしい。

 この十五分間で小鳥遊がボールを触ったのは八回。特別なチャンスを演出するようなことはなかったが、かと言ってボールを奪われることもなかった。だいたいが近くにいる遠藤か久保にパスを出して終わっているだけで、プレー自体は至って平凡なものなのだが、それは異常なことだ。


 まず、素人というのは絶対にボールのあるところに集まってくる。どこでパスを受けていいかわからないし、パスを受けても何もできないからだ。よって自分からボールに触りにいく。そして触ったとしても相手ゴールに向かって蹴るか、ボールをただ足元に置いて停止するくらいしかできない。

 だが、小鳥遊は違った。ボールを受けるためにマークから離れたり、ディフェンダーに張り付かれているSよりも、サイドでフリーな久保にパスを出していた。サッカーのことは何にもわかっていないはずなのに、彼女は状況を見て「判断」をしていた。


 繰り返しになるが、俺には小鳥遊が不気味だった。凄いと褒めたり、感心したりするよりも、恐ろしさに似た感情ばかりが湧き上がってくるのだ。


「うーん、まぁ普通の選手やな」


「だよね。それはそれでおかしいんだけど」


「兄ちゃんなら気ぃ付いとると思うけど、あの子、リュウが裏取られそうになった時にパスコース切ったり、カバーに入ったりしとったんや。ちょっと凄ない?」


「プレッシャーかける時とか普通に外に追い込もうとしますし、私が連動しているかどうか確認してます。自分一人でディフェンスしてもボールが取れないことがわかってるみたいで……」


「……いよいよ恐くなってくるな」


 サッカーへの理解は素人以下でも、勝つための戦術や技術がすでに頭に入っている。センスと呼ぶより他にない。


「小鳥遊」


 階段の三段目に脚を伸ばして座っている少女の名前を呼ぶ。水筒のスポーツ飲料を直飲みしていた小鳥遊がふっと顔を上げた。その拍子に口の端から水滴が垂れて、ビブスに小さなシミを作る。そんな何気ない仕草ですら美しい絵画のように変貌させるのがこの少女だった。


「やってみてどうだった? 何か感想があれば聞かせて欲しいんだが」


「特にない」


 やっぱそうか。


「なら、試合中はどんなことを考えていた? 久保のサイドから突破されるのを何回か防いでただろう」


「しゅーとされなければ点が取られないと思って」


「思って?」


「あっちの方でボールが縦横に動いてたから、止めた」


「ふむ」


 つまりこの子の思考は、「負けないこと」から出発している。負けないためには点を取られない、点を取られないためにはシュートを打たせない、シュートを打たせないためにはゴールに近づかせない。負けることから徐々にプレーを逆算していき、それをできるだけ早い段階でストップさせようとしているのだ。その結果、久保の裏を取られないようなポジションを取っていたということ。


「じゃ、次の十五分はどうやったら点を取れるかを考えてみてくれ」


「点?」


「あぁ。あと、攻めを失敗して失点する、という状況は考えなくていい」


 多分この子はカウンターの存在も把握している。だからそこは排除する。


「わかった」


 どうやって攻めたらいい? とは聞いてこなかった。この子の頭が何を考え出すのかは俺には想像もできなかったが、だからこそ月並みなアドバイスをするより、この子のセンスに任せた方がいいはずだ。


「二本目始めます!」


 審判が笛で再開を合図する。


「よし、行こう」


 久保が気を引き締め直すようにポニーテールをくくる。まぁ一本目の出来からして気合も入るだろう。


「なぁ兄ちゃん」


「ん、どうした?」


 選手たちがピッチに出ようとしている中、タヌキ娘が一人残って俺を見上げていた。ちょっと不満そうに唇を尖らせた表情は、誰がどう見ても小学生だ。この時、何故この子の瞳が大きく見えていたのか、間近で見てようやくわかった。黒目が大きく、それでいて本当に真っ黒なのだ。


「ずっと気になっとったんやけど、リュウとかアヤみたいに苗字で呼ぶのと、うちやあんみたいに呼ぶのとの違いってなんなん?」


「あぁ、それか」


「あぁ、それか。じゃない! タヌキ娘ってなんやねん! 乙女に付けていいニックネームちゃうやろ!」


「いや、ニックネームじゃなくて名前を覚えるまでの仮名みたいなもんだ」


「ってことは、うちとかあんの名前は覚えとらんと?」


 さすがに俺もそこまで馬鹿じゃない。この子の苗字くらいはちゃんと把握している。俺がつけるニックネームは、名前と顔が一致するまでの間の繋ぎだ。なのでそろそろ普通に苗字で呼ぼうと思っていたところだった。

 だが、せっかくの機会だ。ここで発破をかけてやろう。


「印象的なプレーを見せてくれれば、そりゃ当然覚えるさ。俺がUー15に参加した時なんか、十五分で二十人以上を覚えたしな」


「……」


 タヌキ娘の額に青筋が入った。実際にはそんなもの入ってはいないのだが、そんな雰囲気だった。


「よーしわかった。この十五分で覚えさしたる。みんな行くで!」


「はいはい」


「ユリさん頭はいいけど単純ですからね〜」


「私はフラミンゴですから不満はありませんが、今の言葉を聞かされると心境も変わってきます」


 やる気を漲らせるタヌキ娘を先頭に、選手たちがピッチに戻っていく。その背中の一番最後に小鳥遊が加わった。


「コウちゃん人が悪いよ……」


 俺の性格と思考を一番よくわかっている望が隣でため息をついている。


「士気が上がったんだからいいじゃねぇか。


「そうかなぁ」


 そうだ。だってそれもコーチの仕事だろう?

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