問題児の実力
船川サッカースクールのユニフォームは赤だった。鮮やかな赤のシャツに威圧的な黒のパンツ。金色で象られた背番号には、県内王者の堂々たる風格があった。アップ着から伝統のユニフォームに着替えた八人の小学生たちは、全員が
対する桜峰サッカー部はユニフォームではなく、各々の練習着の上に黄色いビブスを着ただけだ。桜峰の校則で公式戦以外ではユニフォームを着てはいけないらしい。おかげで先にピッチに入っているSとRに望がビブスを届けに行くことになったのだが、
ーー俺は10番。蓮二は7番しか付けないから。
と言われ、慌てて引き返してきた。選んだわけではなく10番を着ていた小鳥遊が、望に頼まれて8番のビブスに取り替える。
「番号って何か意味あるの?」
あまりにワガママな小学生の振る舞いだったが、小鳥遊も望も怒りはしなかった。そんなことに思考を割くより、小鳥遊のささやかな疑問に答えることを優先したい。
「一概には言えないんだけどね。1番は正ゴールキーパーが付けて、2番から5、6番はディフェンダーが付けることが多いんだ」
「それで、10番はエースが、7番はテクニシャンが付けることが多い。1番から11番までがスタメン」
「ふぅん」
小鳥遊はピンとこないようだが、背番号というのは非常に大事だ。番号にはそれぞれの意味や格式があるし、このチームのこの背番号と言えばあの選手、というような代名詞にもなる。有名選手が別のチームに移籍した際にわざわざ背番号を明け渡すなんてことも珍しくない。
「でも、今日はビブスだし、練習試合だからあんまり深く考えなくていいよ。楽しんでプレーしてきてね」
「……うん」
楽しんで、という部分もよくわからないらしい。小鳥遊はまだサッカーを楽しいとは思っていないのだ。それが今日の練習試合でどう変わるかも、とても大切なことだ。楽しくなければ続かないし、勝ちたいとも思わなくなる。
「整列するよー!」
久保がSとRに何度か呼びかけたが、最後まで戻ってこなかった。まるでピッチにしがみついているみたいに、二人でボールを蹴り続けている。久保はため息をついて六人だけでピッチ入場の挨拶をすることになった。
「お願いします!」
「「しますっ!」」
桜峰の選手と船川の選手がハーフウェーラインを挟んで向かい合う。一番背が高いのは遠藤だったが、平均身長は船川の方が高い。タヌキ娘が著しく平均を下振れさせているためと、船川が小学生にしては大柄な選手が多いためだ。
久保と船川の6番がジャンケンをしてエンドを決める。どうやら久保は負けたらしく、桜峰側のキックオフで試合が開始するようだ。久保たちは試合前の円陣を組もうとしているが、SとRが参加しようとしないため、結局は組まないままになった。
「それじゃあ始めます!」
船川のコーチらしき壮年の男性が、キックオフの笛を高らかに吹いた。
「始まったよ!」
興奮した様子で望が言う。俺と望は階段から観戦している。ピッチ全体を俯瞰で見渡せるここはありがたい場所だった。船川の保護者たちも土手の上から子供たちの試合を見つめている。
Sが笛と同時にRへバックパスした。船川の選手たちは強豪の名に恥じない素早いプレスを仕掛けてくる。それに合わせて遠藤が横へ、タヌキ娘が斜め後ろへ動いてRからのパスコースを作った。両サイドのコーギー娘と久保も遠藤かタヌキ娘にパスが渡ることを見越してやや低めのポジションを取る。
Rはファーストタッチで右サイド、遠藤がいる方へ身体を向けた。船川のファーフトプレッシャーだった8番がその動きにつられてパスコースを消しにきた。
「お」
それを、Rは足裏でターンすることで綺麗に剥がした。一瞬の身体の方向転換だけでディフェンダーを交わしたのは見事だ。だが、船川は17番が進行方向で待ち構えていた。わずかにRからボールが離れたところに脚を大きく伸ばしてカットを狙ってくる。その瞬間、Rはつま先でボールを小さく突ついてディフェンダーの股下を通し、身体を入れ替えてみせた。開始五秒で二人抜きだ。
このプレーに意表を突かれたのは船川だけではない。まさかドリブル突破を仕掛けるとは思っていなかったのは桜峰も同じだ。全員がRよりも低い位置にポジションを取っている。結果的にシチュエーションは二対六だ。攻撃に参加できるのはSとRだけであり、久保とコーギー娘は遅れて攻め上がることになる。
普通ならここは一旦待つのが正解だろう。二対二、二対三ならまだしも、六人相手に仕掛けるのは無謀すぎる。ほんの数秒間ドリブルを緩めれば、俊足の久保はもちろん、コーギー娘だって間に合う。
だが、Rは待たなかった。船川のスリーバックのセンターと右サイドの間にスッとSが入りこみ、縦パスを引き出す。Sは斜め後ろからきたパスを前向きにトラップし、二人の間に無理やり身体をねじ込んだ。セカンドタッチでボールをチップして浮かせ、伸びてきた二人の脚をかわす。身体まではかわせず、Sは二人の腰と脚に両側から引っ掛けられて転倒したが、審判が笛を吹いてファウルだと示す。SとRは、二人だけのコンビネーションでペナルティーエリアぎりぎり外のフリーキックを獲得した。
「……う、上手いね」
「まぁ。小学生にしては」
望の感嘆の声は微妙に不満の色が混じっていた。表に出していなかっただけで、内心ではSとRに痛い目に遭って欲しかったのだろう。
だが、残念ながら望の期待は外れた。確かにSもRも個人としてはなかなか上手かった。と言うより、自らの持つセンスを身体に染み込ませている。
ボールを晒せばディフェンダーが食いついてくる。食いついてくれば股下が開く。股下が開けばコースをずらすだけで抜ける。
人と人の間に入ればパスが受けやすく、ディフェンダーはマークが付きにくい。挟んでくるならチップでボールを浮かせればいい。
これら全ては理屈で説明できる。だが、実際にプレーに移すだけのセンスを持つ選手は少ない。SとRはそれができるようになるまでの練習をしているし、それができることを互いにわかり合っている。二人は相応の評価を得ていい選手だった。
試合開始早々、得点の匂いがする良い位置のフリーキックを得た。遠藤がSとRに何か話しかけに行ったが、二人は追い払うような仕草で対応している。二言三言だけ話して、遠藤はボールから離れていった。ボールを後ろ手に持って離さなかったSとRがキッカーを務める。
ーーSは左利きか。
二人が分かれて助走を取る。ゴールまでの距離は十四、五メートルで、船川は三人の選手がボールから七メートル離れた位置に壁を作っている。久保が壁に加わろうとしたが、遠藤がジェスチャーで何か指示を出してやめさせた。シュートのこぼれ球に反応できるようにコーギー娘と一緒にディフェンスラインに混ざらせる。
船川は四人のディフェンダーの最終ラインを、壁に合わせて形成していた。
審判が笛を吹いてキックの許可を出す。それと同時にSがキックモーションに入った。が、通り過ぎる。Sの影に隠れていたRが壁の上、ニアサイドにシュートを放つ。
「おおっ!」
保護者たちから響めきが上がった。カーブのかかったシュートはポストぎりぎりに飛んだが、船川のゴールキーパーが横っ飛びで掻き出したのだ。正確なフリーキックとキーパーのファインプレー。なかなかハイレベルな攻防だった。
「惜しい惜しい!」
久保が明るく声をかける。だがRは小さく舌打ちしただけだった。そのままコーナーフラッグに歩いていく。コーナーキックも自分が蹴るつもりだ。
コミュニケーションが取れずに苦い表情をしている久保がニア、それに比べて落ち着いている遠藤がファーサイドに入った。そして遠藤が小鳥遊と会話し、ペナルティーマークの真上に立たせる。コーギー娘はこぼれ球に、タヌキ娘はカウンターに対応できるように低目のポジショニング。
セオリー通りなら、一番高さのある遠藤をターゲットにするだろう。船川も遠藤を警戒してマンマークが一人と、走り込んできそうなスペースに一人を配置している。久保へのマークと小鳥遊へのマーク。ニアとファーのゴールポストのカバーに一人ずつ。そしてカウンター用にペナルティーエリアの外側に一人。そして。
ーーショートコーナー。
キッカーのRのすぐ近くにSがいる。そこへの対応に一人。
コーナーキックだと言うのに、Rは助走を取ることすらしなかった。中にクロスを上げる素振りを一切見せず、Sへのショートパスを選択する。
「ライン!」
船川のキーパーが叫び、ディフェンスラインを押し上げる。ニアポストにいた選手が素早くプレッシャーをかけに行く。あの出だしの早さから見るに、予め読んで準備していた。一秒でも早く数的不利を消しに行く。
それでもまだ二対一だ。その隙にパスを受けたSが中へドリブルを仕掛ける。同時進行でRがSの背後をぐるりと回り込み、ペナルティーエリアの角付近にまで走る。
SはアウトサイドでRにパスを出す。ふりをするシザース。一人で突っ込む。だがプレスをかけにきた二人目にコースを消された。スペースを塞がれて囲まれる。Sが左足を振りかぶった。このタイミングでクロスを上げるのか?
そうではなかった。腰を大きく回し、クロスと見せかけてバックパス。そこにいるのは当然Rだ。緩く落ちてきた絶好のボールに遠慮なく右脚を振り抜いた。だがシュート自体は正確性を欠き、ゴールの遥か上に飛んでいった。
この時点で、俺を含む桜峰側の全員が気がついた。
この二人は、自分たち兄弟以外にパスを出す気がない。
ーー問題児、か。
なるほど、こりゃ大した問題だ。坂田のおっさんが二人をスタメンから外すのも当たり前だろう。
船川のゴールキック。ピッチが狭いのもあるが、ロングボールはこちらのペナルティーエリア近くまで飛んできた。船川の三・三・一の
「オッケー!」
タヌキ娘が競り合う。タヌキ娘の方が二十センチ近く低い。だと言うのに、普通に競り勝った。それもただ頭で弾き返すのではなく、近くにいた遠藤に胸でパスしやがった。キックの瞬間にボールの落下地点を正確に予測し、誰よりも先んじて前に出たのだ。それに加えて競り合う8番を腕でガードし、落下地点に入らせていない。頭ではなく胸で落としたのも好判断だ。ちょっと痛そうにはしていたが。
「外!」
ピタリとトラップした遠藤がノーモーションでサイドのコーギー娘にパスをさばく。
左サイドで一対一。当然迷うことなくコーギー娘がドリブルし速度を上げる。右足のアウトサイド、インサイドとボールを動かして内側のスペースを作り、Rへ横パス。ワンツーをよこせとディフェンダーを振り切って走る。
Rはコーギー娘の前、ディフェンスラインの裏にスルーパスを出す。とみせかけて左足の裏でボールを引き、軸足の後ろを通してターンした。この瞬間、ディフェンスラインがコーギー娘のカバーのためにボールサイドへスライドした光景がRには見えたはずだ。そして、その逆サイドで久保が手を挙げている。
ーー私が決める!
だから寄越せと久保がアピールする。だが、Rはゴール前にポジションを取っているSにクサビのパスを出した。Sはゴールに背を向けていたが、トラップする直前にペナルティーエリアに侵入する素振りをみせ、ディフェンダーの意識を後ろへ引かせた。これによってマークが少し離れた。自分で作り出した一瞬のシュートコースを狙って、Sが振り向きざまに右脚を振り抜く。
「ナイス!」
だが、ボールがゴールへ翔けることはなかった。船川の17番がスライディングでブロックしたのだ。渾身の振り抜きで放たれたシュートはハーフウェーライン近くまで弾かれていた。
「前田ナイスカバー!」
「サンキューサンキュー!」
船川ベンチが盛り上がる。17番は心底嬉しそうな笑顔でベンチに親指を立てる。そして少し血が垂れている膝を払って立ち上がった。
17番はセントラルミッドフィルダーの選手だ。この一連のプレーの始まりである遠藤のマークについていたのが、最終ラインにまで戻ってきていた。開始五分程度で運動量を褒めても仕方ないが、よく戻ってきていたのも事実だ。
17番がスローインのディフェンスに入ろうとする。その時、Rの口が動いたのを俺は見た。おそらく、当人たち二人を除けば、気づいたのは俺と坂田のおっさんだけ。
ーー調子に乗るなよ。
SとRが、憎しみのこもった瞳で17番を睨みつけていた。
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