双子の問題児
俺が一番不安なのは、やはり小鳥遊だった。彼女の浮世離れした感性は、集団競技であるサッカーをどんな風に感じ取っているのか。サッカーには勝つために必要な要素がごまんとある。シュート、パス、ドリブル、トラップ。これらが持つ意味の「理解」とチームメイトとの「共有」。どちらも小鳥遊には無い感覚だろう。
「大丈夫だよ! 昨日リュウちゃんがチャンピオンズリーグのハイライトDVD貸してたから!」
「そう言われてもなぁ」
それはそれで、サッカーはあの手のスーパープレーのみで構成されていると思ってしまったかもしれない。スーパープレーを目指すこと自体は間違いではないが、あれらは超一流選手がゴールを目指した結果、奇跡的に生まれた瞬間だ。極められた技術と高揚したテンションの集大成だ。「試合に勝つ」という悲願があればこそなのだ。
小鳥遊がスポーツの意義に染まれるかどうか、肯定的な確信ができない。失礼な話、ロボットを相手にしているみたいだった。
「……問題児は混ざってないのか」
俺と望はアップに勤しむ両チームを階段から見下ろしていた。選手たちはコートを半分ずつを使って、パスやシュートの練習で身体と心を温めている。練習試合とあって、どちらにも硬さはあまりない。だが、船川は十八人で、桜峰は六人でアップをしている。船川から出向してくるはずの二人はまだこちら側でプレーしていない。いきなりぶっつけ本番で試合をするつもりなのか。だが、それで上手くいくほどの技術は桜峰の選手にも船川の選手にもないと思う。
「だって、その二人もちゃんと船川さんに選手登録されてるんだよ。二人だけをこっちに来させるなんて、なんか仲間外れみたいじゃん」
「実際そうだろ」
代表に問題児と称され、他チームに矯正に放り込まれるのだ。チームに自分たちの居場所がなくなっているのは明らか。せめてもの救いは、まだ矯正できると思われていることか。それも無理だと判断されれば、二人は完全に要らない子になる。
だが、俺はそんな二人を全く哀れだとは思っていないし、こちらに預けられるなんて迷惑甚だしい。必然的に、俺の中での坂田のおっさんの印象は悪くなっていた。
だから、俺は十八人の中から件の二人を探してみたりはしなかった。それよりも桜峰の選手たちにしっかり気を割きたい。
ーー馴染んでるな……。
桜峰のアップは順調のようだった。ランニングとストレッチで軽く身体をほぐした後は、二人組になってボールの感触を確かめている。片方が手でボールを投げ、もう片方がダイレクトで出し手の胸に蹴り返すという基礎的なアップ中だ。遠藤とフラミンゴ娘が、タヌキ娘とコーギー娘が、そして久保と小鳥遊が組になっている。小鳥遊はインステップやインサイド、アウトサイドキックで正確にボールを蹴り返している。利き足かどうかも関係なく、右も左も精度は同じだった。
その他にもパス&ゴーの練習やシュート練習にも問題なく参加している。この中に一人素人がいます、と誰かに問題を出しても、小鳥遊だと答えられる人間はおそらくいない。
「っ!」
ペナルティーエリアに少し侵入した右四十五度の角度から、小鳥遊がシュートを放つ。矢のように鋭いシュートはフラミンゴ娘の手が届くことのない逆サイドネットに突き刺さった。
「あの子ホントに素人か……?」
「なんかもうよくわかんないよね」
小鳥遊は自分のシュートの行方を見ていない。シュートが決まるのは当たり前、みたいな。キーパーが取れない場所に蹴ればいいんでしょ、みたいな。ゴールにくるりと背中を向けると、縦パスを出してきた遠藤に「落とし」のパスをダイレクトで出した。意識してやっているのかはわからないが、遠藤が蹴りやすいように利き足側に優しいボールを落としている。連続しない一つ一つのプレーの精度は、もしかしたら桜峰で一番高いかもしれない。望が厳選した紺色の練習着が太陽の光を反射して輝いて見える。俺には俄かに信じがたい光景だったが、他の部員たちは昨日一日で慣れてしまったらしく、小鳥遊のプレーにいちいち驚いてはいない。
「よし、集合!」
「集合!」
船川のコーチらしき人物が太い声で集合をかける。久保もそれに合わせて声かけをし、部員たちをベンチに帰す。俺も土手から下りた。望は俺よりも先にベンチで選手たち用の水を準備している。
「身体に違和感がある奴はいないか? 少しでもあるなら早めに望に言うこと」
軽く汗を拭いている選手たちに確認しておく。僅かな感覚のズレが大怪我に繋がる。選手の状態を見るのも指導者の務めだ。だが、部員たちに出会ってまだ日が浅い俺には、彼女たちの本調子がわからない。しばらくの間は申告してくれないと判断できないのだ。
「大丈夫です」
「問題なーし」
「同じく〜」
「絶好調です」
「多分」
それぞれの返事に誤魔化しも我慢もなさそうだ。
「私も、大丈夫よ」
久保もそう言ってポニーテールを黒いゴムで結び直す。淡いレモンのような薫りがふわりと舞った。
「よし。後は……」
船川の問題児とやらがどんなものか。まだ出てこないのかと思って向こうのベンチに目をやると、小学生にしては長身な男の子が二人歩いてきていた。どちらもイライラした様子で、不満を隠そうともしていない。二人とも蕁麻疹が出てるみたいに執拗に首筋を爪で引っ掻いている。
「わ、男前」
「ですね〜」
口笛を吹いたタヌキ娘の感想にコーギー娘も頷いた。なんかちょっと嬉しそうだ。
「双子だ……」
望と久保が同時に呟いた。
「ちっ」
「……」
輪になっている桜峰の一歩外で、二人は止まった。背後から坂田のおっさんが慌てて走ってくる。
「こら、まだ話は終わってないぞ!」
「俺らそっちのチームじゃないし、聞いても仕方ないっしょ」
「同感」
声変わりをしていない小学生特有の高い声だったが、口調は針のように鋭かった。親よりも歳上の代表相手にタメ語の時点で、この二人がいかに問題児かは察せられた。
「あぁ、桜峰さん、今日はこの子らのこと、よろしくお願いします。この子が森崎修一、こっちの子が森崎蓮二です。二人とも六年生です」
一向に挨拶も自己紹介もしようとしない二人を見かねて、坂田のおっさんが二人のプロフィールを説明する。
件の問題児は、まさかの双子だった。二人は見分けがつかないほど瓜二つで、違いと言えば互いの練習着の胸にSとRの文字があることだけだ。どちらも長過ぎる黒髪が目にかかっていて鬱陶しい。年相応の声とアンバランスな大人びた刺々しい雰囲気で、狼のような少年たちだった。誰も寄せ付けようとしていない。
「面倒くさそうなの持ってきやがって」
一応は聞こえないように呟いた。
「代表。もう戻っていいよ。話すことなんかないっしょ」
「いや、お前たちな、きちんと挨拶を……」
「今さっき代表がやったじゃん」
Sがうざったそうに頭をかき、Rがスパイクで土のグラウンドに文字を書いている。取りつく島もなさそうだ。
「坂田さん。いいですよ。後はこっちでやりますんで」
「……そうかい?」
坂田のおっさんがこれ以上ここにいても、話は進まないだろう。ならさっさと帰ってもらって、こっちのペースでやるべきだ。それに、俺はこの問題児たちを相手にするつもりなどさらさらない。
「俺がフォワード、蓮二がトップ下だから」
すると、Sがえらく上から目線の口調で自分たちのポジションを宣言した。ここ以外ではプレーしないぞ、という強いプライドを感じる。ガキんちょが粋がりやがってとも思ったが、ポジションに拘りがあるのは悪いことではない。特に、トレセンやチーム発足段階などの場ではいかに自分たちの良さをアピールするかは選手としてのキーポイントだ。それはこの瞬間にも言えることで、変に遠慮されるよりよっぽど良い。だが、これからチームメイトととして同じピッチに立つ久保たちからしてみれば、この身勝手さは見逃せないわけで。
「えっと、修一くんと蓮二くんだっけ。得意な場所でプレーしてもらうのは構わないんだけど……」
歳下の態度とは思えない傍若無人ぶりに、桜峰側はどう対応していいかわからなくなっている。それでも久保が気持ちを立て直してコミュニケーションを図ろうとする。が、
「あのさ。俺ら、あんたらには別に期待してないから」
Sが冷たく拒絶した。
「なんでか知らないけど、俺らあのハゲにスタメン外されてて、今日はチャンスなんだよね。次の大会出るためにも、今日に懸けてる。だからせいぜい足だけは引っ張らないでよね」
「行こうぜ」
「あぁ」
そしてトドメの一撃で完全に度肝を抜かれた。
「えぇ……」
望が脱力した身体から発した呟きが、桜峰の選手の心情を物語っていた。試合前の挨拶もなく勝手にピッチに入っている二人をただただ傍観する。小鳥遊が唯一目をそらしている、というか気にもせず水筒のコップにアクエリアスを注いでいた。コポコポという可愛らしい音が妙に大きく聞こえた。
ーー怒るかな?
何度も言うが、俺はあの二人など眼中にない。だから何を言われようがされようがつとめて平静でいられる。だが、果たして部員たちはどうだろう。割と強気な性格の少女たちが揃っているし、ブチ切れて文句でも言いに行くかもしれない。
「あちゃー。凄いのきたなぁ」
「ですね〜」
「連携できるかな……」
だが、タヌキ娘もコーギー娘も落ち着いていた。遠藤はすでに試合のコントロールを考えているし、フラミンゴ娘も特に怒った様子もなく膝にサポーターを装着している。
「意外と大人しいな。腹立たないのか?」
「腹立たんことはないけど、まぁ小学生やし?」
「多少は大目に見てあげないといけませんからね〜。それに結構イケメンですし〜」
「やな。もうちょい顔が悪かったら怒っとったかもしれんけどな」
「世の中不公平だな」
実に女子高生らしい理由だった。
「ちょ、ちょっと! そんなマッタリしてちゃダメじゃない! あの子たちチームプレーできるの!?」
キャプテンの久保が
「まぁ、元々ぶっつけですし。あんまり考えても仕方ないです。感覚でやればいいかと」
「キーパーなんだからもうちょっと知性的なことを言ってよ……」
これまたフラミンゴ娘のらしい考え方に、久保も脱力する。桜峰にはあの二人の性格を問題だと捉えている選手はいないようだった。器が大きいと言えばいいのか、それとも考え無しと言えばいいのかは微妙なところだ。だが、チームをコントロールする立場の遠藤が不安そうな顔はしていないから、まあ大丈夫だろう。
「じゃ、ポジションだな。どうする?」
「……もういいわ。あなたが決めて」
久保も観念したらしい。
「じゃ、タヌキ娘がセンターバック、左にコーギー娘、右に久保」
「え」
「リュウさんがサイドバックですか〜?」
部員たちが今日一番の驚きを発している。久保がフォワード以外でプレーするなど想像したこともなかったのだろう。だが、これには俺なりの理由がある。
「ピッチが狭いからな。久保を前に置いといても旨味がない。なら前にスペースを確保したポジションでスタートしてもらった方がいいはずだ。だから、久保もコーギー娘もサイドバックというよりはサイドハーフだ。攻撃になれば遠慮なく駆け上がれ」
小学生用のピッチは、縦の長さが大人用の半分くらいしかない。ロングスプリントによる攻撃が仕掛けにくい。それにSがフォワードに入るなら、最初は様子見でもいいだろう。
「その分運動量は増えるが、たったの十五分だ。最初からギア入れていけよ」
高校女子サッカーは四十分ハーフだ。今日はその半分にもならない時間しかプレーできない。ぼやぼやしてるとすぐにタイムアップになる。
「サイドの二人の前にスペースを作りたいから、遠藤と小鳥遊はボランチ気味。遠藤はサイドにボールを散らして攻撃を組み立てろ」
「はい」
遠藤が力強く頷いた。
「で、小鳥遊。君はたくさんボールに触ることだけを考えればいい」
「わかった」
小鳥遊の飲み込みの早さは天才的だが、試合はこれが初めてだ。わからないところや上手くいかない部分はたくさんあるだろう。まずはそれを味わってほしい。
「相手が小学生だからってしょーもない手加減や消極的なプレーはするなよ。全力で勝ちに行け」
「「はい!!」」
選手たちが鋭い声で返事をする。
桜峰サッカー部にとって初めての「サッカーの試合」だ。
ーー景気良く勝ちに行こうじゃないか。
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