サッカーの試合



 金曜日に無駄に体力を消耗させられたせいもあって、俺は土曜の正午過ぎに目を覚ました。か弱い女子高生の代わりに重たい荷物を持たされ、静かに食べようと思っていた「ことりちゃん」の晩飯も望に侵略された。小鳥遊に入部を勧めてくれたおばちゃんに、お礼と部の活動内容を説明するためだと言っていたが、蓋を開けてみればただの井戸端会議だった。おばちゃんと仲が良く、看板娘の小鳥遊が初めて連れてきた同世代である望は、何の関係もない常連客からも妙に可愛がられるようになった。


 ーー面倒くさい。


 これからは、望の従兄弟だとか、小鳥遊が入部したサッカー部のコーチだとか、そういう俺のプライベートな情報が客にばら撒かれていく。俺はただ飯を食いたいだけなのに、周りから薄っぺらい関心を持たれるのは本当にうざったかった。もう行くのやめようかな、と思う部分もあったが、「ことりちゃん」の立地と味の良さを捨てることはできない。


「あ、もしもしコウちゃん?」


「……お掛けになった電話番号は現在使われておりません」


「明日ね、河川敷で試合するから!」


「……お掛けになった電話番号は現在使われて」


「八時半にBコート集合! お弁当は私が作ってくるから気にしないでいいよ。スーツとは言わないけど、ちゃんとした格好でお願いね」


「お掛けになった電話番号は……」


「それじゃあね! 試合だよ試合! 遅れてきたらけつバットだから!」


 一方的に掛かってきた電話は一方的に切られた。ツー、ツーという無機質な音が俺のささやかな抵抗の無意味さをより強調してくる気がした。


 ーー六人でどうやって試合するんだよ。


 普通に考えて不可能だろ。望は選手として数えられないから、最低人数の七人にも到達していない。こんなサッカー部と試合してくれるチームとは、一体どんな連中なのだろう。どうせロクな奴らじゃない。

 ディフェンスはタヌキ娘一人しかおらず、遠藤とコーギー娘はミッドフィルダーとしてのタイプが全然違う。遠藤は真ん中でプレーさせたいし、コーギー娘はウイングだ。となると逆のウイングがいない。必然的に久保か小鳥遊しか残らないが、久保はフォワードだし、小鳥遊はサッカー始めて三日目。まともにボールを蹴ったのは一時間だけだ。


 ーーいや、なんで布陣を考えてんだよ。バカじゃねぇの。


 無意識のうちに戦術を立てようとしている自分に、やっと回転し始めた脳がツッコミを入れた。だから試合ができないんだっての。


「……はぁ」


 河川敷まではチャリで二十分くらいだから、八時前には起きないといけない。そう思って今からスマフォの目覚ましをかけておく。楽しみだからではない。面倒でたまらないが、歳下の従姉妹の望にけつバットなんて単語を使って欲しくないし、実行なんてもっとされたくない。あいつなら平気でバット持ってくるのが容易に想像できる。


 ーー弁当はいらないって、つまり午前じゃ終わらないのかよ。


 今日中にインフルエンザに罹らないかな、と本気で考えた。
















「おはようございます」


「ん、おはよう」


 ハスキーな声で挨拶されて、俺はタバコを消しながら振り返った。そこには、涼しげな半袖シャツを着た遠藤が意外そうな顔で立っていた。俺を見つけたこの子は、わざわざ道の端に自転車を止めてから挨拶に来たらしい。


「なぁ、今日の集合って何時?」


「え、九時ですけど」


「やっぱりかぁ」


 桜川の河口付近の河川敷には、色んなスポーツ施設が作られている。サッカーコートだったり、野球場だったり、陸上競技場だったり。その中でも、サッカーコートはAからCの三つのコートがあり、小さな大会や練習試合がよく行われている。俺がいるのは、Bコートを見下ろせる土手の上だ。すぐ近くには自転車で下りてこれる坂があり、遠藤はそこを通ってきて、階段に腰を下ろしている俺を見つけたのだ。コートと土手は三メートルくらいの高低差がある。


「その……、早い、ですね」


「望のおかげでな」


 集合時間の八時半になっても、部員は誰も集まっていなかった。真面目な彼女たちの全員が遅刻しているなんて考えられないから、これはおそらく望の策略だろう。三十分前にやって来た遠藤は素晴らしい。


「あの、荷物はあっちにまとめるんで……」


「俺のことは気にしなくていいから」


 AコートとBコートの間に桜川をまたぐ橋が架けられていて、その下に駐輪場がある。近くには三人がけのベンチが二つ、四セットずつ設置されていて、ここで試合するチームは大抵、あのベンチの一つに荷物を固める。日陰になっているし、自転車を乗り降りする人間がいつもどこかにいるから、屋外にしては盗難が起きにくい。

 すると、駐輪場に自転車を止めている望を見つけた。向こうもこっちに気づいて、悪びれもせず手を振ってくる。


「アヤちゃんおはよう!」


「おはよう」


「おい。お前が俺より遅いってどういうことだよ」


「ごめーん。炊飯器のスイッチ押し忘れちゃってて。朝になってから急いで炊いてたんだよ。でもほら、その分炊き立てだからさ」


「そうかそうか。じゃあ昼になったら炊き立てのお弁当が食えるな」


「それは……あ、いや、何でもありません」


 遠藤が俺の皮肉に気づいてちょっとだけ笑った。まぁ、落とし所にするには十分な成果か。


「それで、今日の試合相手はどこの素人集団だ? サッカーは十一人でするスポーツだって俺がきっちり教えてやるよ」


「おや、おやおや? コウちゃんは知らないのかな? 六人いればできるサッカーもあるんだよ?」


「……小学生とやるのかよ」


「あったりー!!」


 初めて「サッカー」の試合ができる望はテンションがおかしかった。そんなんだから米を炊き忘れるんだ。

 Uー12。小学生年代のサッカーは、数年前から八人制サッカーに移行している。より多くの子供たちがより多くボールに触れられるようにするというのが基本的な理念だ。人数の変化に応じてコートは大人用の約半分、交代制限なしなど、いくつかのルールも変更されている。そして、その中の一つにスターティングメンバーがある。普通のサッカーは、何度も言うように最低七人が必要だ。だが、八人制サッカーは六人でいい。さらに、片方が八人に満たない場合、できるだけ選手の人数を合わせようというものもある。試合開催のハードルを下げ、子供たちのプレーする機会を増やすことに繋げる狙いだ。

 確かに、小学生のルールなら六人の桜峰サッカー部も正式に試合ができる。


「フットサルの試合してくれてた坂田さんが船川サッカースクールの代表をしててね。結構前から誘われてたんだ」


「船川か……。昔は結構強かったとこだな」


「今も強いよ! 去年の全日の県代表なんだから!」


 JFA 全日本U-12サッカー選手権大会。毎年年末に行われている全国大会だ。小学生にとっての選手権みたいなもので、それに出れるということはこの辺りではかなりの強豪だ。まぁ、全国では一方的にボコられて帰ってきただろうが。


「それで、試合は何時からだ?」


「十時。けどお互い準備できたら開始するよ。あ、ユリちゃーん!」


 駐輪場にタヌキ娘が到着していた。向こうもこっちに気がついた。


「おはよーさーん!」


「おっはよー!」


「おい遠藤。望ちょっとテンションおかしいから、気をつけて見てやってくれ」


「わ、わかりました。望、私たちも準備しよう」


「おっけー!」


 ふわふわした足取りでベンチに帰っていく望を心配な気持ちで見送る。望は俺の隣に手提げ袋を置いて行っていて、中にはお重くらいの大きさの弁当箱が入っていた。朝からこれだけ作ってこれるのは凄いが、俺一人で食べきれる量じゃないぞ。晩飯に回すしかないか、と思いながらもう一度タバコに火をつける。これから小学生がわんさか集まってくる。それこそ夜になるまで吸えないだろうから、今のうちに煙を肺に溜め込んでおくのだ。

 白煙をくゆらせながら土のコートを見下ろす。コンスタントに試合会場として使われているだけあって、凸凹はなく、大きな石なども落ちていない。これならピッチ状況で選手が怪我をすることはないだろう。広さは大人用のコートを取れるだけあり、土手側にはゴールが二つずつ置かれている。大人用と子供用だ。大人用は難しいが、子供用なら数人いれば手で運べる。

 すると、川上から河岸の車道を通って何台かの乗用車が走ってきていた。おそらくあれが船川サッカースクールの生徒を乗せた車だ。保護者が運ちゃんになって送迎してくれているのだ。当然のことだが、強いチームには上手い選手が多いし、上手い選手の保護者というのは熱心だ。ちょっとやそっとの距離なら嫌な顔をせず車を出してくれる。船川サッカースクールは隣の市のチームである。


 ーー車は四台。一台につき五人は乗ってるとして、二十人か。


 保護者の世話役というのは絶対に必要だが、一学年だけでそれだけの生徒がいるなら、チーム運営もやり易いだろう。

 さて、お相手はどの学年のチームを出してきたのか。六年生主体の一軍か、それとも二軍、三軍か。代表直々にフットサルの試合をしたことがあるのだから、こっちのレベルは知っている。それに見合ったチームではあるだろう。だが、俺は今の小学生のレベルなんて知らないから、今日の試合がどうなるかの予想すらできていない。とりあえずは体格を見て判断しようと、車から降り始めた小学生たちを観察する。数は十八。大きい者は百七十くらいありそうで、小さい者もみんなガッチリしている。よく鍛えられたチームだということは遠目からでもわかった。


 ーー坂田さんって、あのおっさんか。


 先頭の車の運転席から降りてきた中年男性に見覚えがあった。以前、久保にワクワク公園の使用料折半をごり押しされて、年甲斐もなくたじろんでいたハゲのおっさんだ。望と、知らないうちに到着していた久保が挨拶に行っているから、あの人が船川の代表なのだろう。強豪チームの責任者には見えないが、あれで指導は厳しい人なのかもしれない。

 望が俺の方に手を向けたのが見えて、タバコをアスファルトに押し付けた。おっさんに俺を紹介しているのだ。気づいているのにこの場に居座り続けるのはさすがに感じが悪過ぎるので、俺も渋々挨拶に行く。


「初めまして。桜峰サッカー部のコーチやらせてもらってます、楠田公太郎です」


 ーーちゃんと挨拶しなさいよ!


 望と久保が俺にだけわかるように睨んできていた。そんな目をしないでも、俺だって常識はある。初対面の歳上に対する話し方くらいは心得ているというのに。


「いやぁ、初めまして。船川サッカースクール代表の坂田です。君のことはよく知ってるよ」


「はぁ」


「この辺りの指導者で君の名前を知らない人はいないからね。本当に素晴らしいプレイヤーだった」


「そりゃどーも」


 げしっ、とふくらはぎを蹴られた。もっと愛想よくしろという望の攻撃だ。


「こっちは六人ですが、人数はどうしますか?」


 昔のことを持ち出されてきても俺にはどうしようもないので、さっさと話を変える。


「それなんだけど、桜峰さんに混ぜてもらいたい子が二人いてね」


「と言いますと?」


「まぁ、なんというか……。ちょっと拗らせている子たちでして。桜峰さんとプレーしたらきっと得るものがあると思うから、是非お願いしたいんです」


「二人ってことは、八対八で?」


「桜峰さんがそれでよければ」


「……久保、君らはそれでいいのか?」


 俺としては、何の理由があって無関係な問題児の面倒を見なくちゃならんのか、全く意味がわからない。こっちが人数足りてないからって、随分と下に見てくれるものだ。だが、俺はこのチームにおける決定権というものを持っていない。どんなに俺が面倒だと思っていても、


「構いません。少しでも公式戦に近い形でやりたいですから」


 久保が強い口調で了承してしまえば、オレは従うしかなかった。その後は特に発言することもなく三人の話し合いを傍観した。


「それじゃあ予定より少し早めに開始しよう」


「はい。よろしくお願いします」


 今日の段取りが決まった。しばらくすればもう一チーム参加して、三チームで回していくらしい。とりあえずは十五分を三本する。


「んじゃ、アップは任せた」


「えぇ。試合なんだからちゃんと見てよ」


「その日の調子でメンバー決めるわけでもないんだ。勝手にやってくれ」


「もー」


 俺はフィジカルトレーナーでもメンタルトレーナーでもないから、試合に臨む前の他人のチューニングなんてできない。できるようになろうとも思わない。

 俺はさっきの土手まで戻り、階段に尻を落ち着けた。眼下では、桜峰の部員たちが船川の生徒と協力してピッチを作っていた。

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