スパイクを買おう
小鳥遊は地味な革財布に十万円も詰め込んできていた。相場を知らないというのではない。プロの料理人であるおっちゃんのポリシーによるものだ。
ーー道具にかける金を惜しむな。一番良いものを使え。
「ことりちゃん」のカウンター席が抜群の座り心地なのは、このポリシー故だった。
「まぁ、十万は大袈裟だけど、四、五万円はかかるかも」
「マジか。最近のはそんなに高いのか」
「品数が少なくて、あんまり選びようがないんだよ」
俺と望、そして小鳥遊はバスに揺られていた。窓際に小鳥遊、隣に望が座り、通路を挟んで俺。向かっているのは、かつてこの辺りで地域最大を謳っていたショッピングモールだ。今は隣県にもっと大きなのが出来て三番手にまで後退したらしいが、それでもこのショッピングモールに来れば大抵の物は揃う。映画館と漫画喫茶が併設されていて、娯楽施設の少ない田舎の中心地点にもなっていた。休みの日になれば暇を持て余したティーンが意味もなく集まってきて、よく自転車の盗難が起こっている。
「久しぶりに来たな」
桜峰高校前のバス停から乗って二十分ほど。何人かの乗客と一緒に降車した。週末だと言うのに、無駄に広い駐車場は半分ほどしか埋まっていなかった。ゴミゴミしてるのは嫌いだからありがたいが。
「こっちだよ」
「逆じゃねぇか?」
「お店の位置変わっちゃったんだ」
中学の頃、俺もここに入っている大型スポーツ専門店に何度か来たことがある。都会じゃサッカー専門店なんて珍しくもないが、桜峰には存在しない。実は街はずれに一軒だけあったのだが、そこも俺が小学校を卒業する時に閉めてしまった。サッカー人口が増えているとは言っても、田舎は少子化が進んでいる。大した産業も観光地もない桜峰市はその余波をモロに食らってフラフラなのだ。
「小鳥遊さんはここ来たことある?」
「初めて入る」
「やっぱりね。フフン。私はもう驚かなくなってきたよ」
「わけわからんとこで威張るな」
小鳥遊は当然のように街の中心地であるショッピングモール初来店だった。店内の照明の明るさに目を細めながら望に言う。一階は殆どが女性用ファッションの店で、化粧品やアクセサリー、ブランド物の服が過度な華々しさで並んでいる。たくさんの女性店員と女性客が楽しそうに笑いながら商品について語っていて、ところどころに疲れた様子のお父さんや彼氏らしき男が座っている。広い通路の中央に置かれたベンチに座っている全員が男性客で少し笑えた。
「ねぇ」
「うわぁ」
「綺麗な子……」
そして、小鳥遊はそんな女性たちの目をすぐに商品から引ったくった。一瞬でショッピングモールが彼女のランウェイに様変わりしてしまっている。小鳥遊はそんな視線は気にもしていない、気づいてもいないが、俺も望もビリビリ感じて、正直一緒に歩いているのが嫌になりそうだった。
「た、小鳥遊さん、ここだよ!」
俺はこっそり距離を取ったが、優しい望はそんな酷いことはしない。小鳥遊の手を取って目当てのスポーツ専門店に連れて行く。
「なんか、色々変わっちまってるな」
「でしょ」
移転した店舗先に立つと、寂寥感が込み上げてきた。広々とした店頭にはウェアやシューズ、帽子など、ランニンググッズばかりが並べられていた。レジ横のガラスケースの中には、数年分のお年玉では買えないくらいのウォッチやサングラスが尊大な顔つきで居座っている。
店の中心地帯も同じような商品、ほとんどがランニンググッズで埋め尽くされていた。店内の間取りは俺が通っていた頃とは大きく様変わりしている。昔は一番多かったのが野球用品で、次にサッカー用品。その隣にバスケやバレーなどの他のスポーツ用品が置かれていて、その半分以上が子供向けだった。だが、今は子供向けの商品は店の隅っこに追いやられ、大人向けの商品が七割以上を占めている。大人の健康、運動がテレビや雑誌でクローズアップされるようになってから、その手の商品が爆発的に増えた。金を稼ぐのは大人。金を払うのは大人。そして大人の方が数が多い。ならば、店の売り上げを伸ばすためにはどうすればいいかなんて簡単だ。
サッカー用品のコーナーは、俺が通っていた頃の三分の一程度にまで縮小されていた。
「うわ、全然スパイクねぇじゃん」
昔は棚一面、五十を超えるスパイクがあったのに、今では二十あるかないか。大人用と子供用合わせてだから、選べる数はさらに限られてくる。レディーススパイクなどあるわけもなく、子供用から選ぶしかない。値段は安く済むが、自分に合ったスパイクが無いと非常にプレーしにくいし、危険だ。
「どう? 気に入ったスパイクあるかな?」
最近のスパイクは派手な蛍光色か、逆に地味な黒一色かのどちらかに寄っている。前者はプロが履いているのと同じカラーで、テレビで目立つために敢えて派手な色にしている。そして後者は、そういう目立ち方を嫌う客向けだ。顧客の細かい好みに合わせにいくより、売り手側から選択肢を狭めていく戦略なのだろう。
「ちょっと待て。先にちゃんと足のサイズを測ってもらった方がいい」
「二十二だけど」
「足長だけじゃなく、足幅と足囲もだ。足に合ったスパイクじゃないと怪我しやすい。店員さんを呼ぼう」
早速スパイクに手を伸ばしている望を制した。こういう店は頼めば必ずサイズを測ってもらえる。タダなんだから絶対にやってもらうべきなのだ。だが、頼もうにも肝心の店員さんがいない。わざわざ俺がぐるっと店内回ったのに、一人も捕まらなかった。人件費削ることばっか考えすぎだぞ。
結局、この広い店舗の中で、レジとその近くに一人ずついただけだった。女性の店員さんを選んで測ってもらうことにする。
「では、まずは靴下を脱いでいただけますか」
ベンチに座る小鳥遊の前に、店員さん、大田さんが膝をつく。小鳥遊は言われるままに紺の靴下を脱いだ。素足になると余計に脚の長さが伝わってきて、何となく目をそらした。いかん。望に気づかれた。
「足型は、ギリシャですね。ではそのまま楽にしていて下さい。足長が二百五ミリ、ワイズが、百九十九のC。左右も……ほぼ同じです。では、今度は立って測りましょう」
大田さんが慣れた様子で小鳥遊の足を測っていく。専用の測定器でやると早いし正確だ。
「立った状態だと、足長が二百九ミリ、ワイズは二百三。こちらもCです。今は夕方ですから、多少のむくみもありますね。普段は何センチの靴を履かれてますか?」
「二十二です」
「なるほど。それだと結構ゆったり気味ですね。スポーツをされるのであれば、一つ小さい二百十五の方が良いかと思いますよ」
やはり測って正解だった。サッカーは数ミリ以下の繊細な感覚でプレーする。足に合っていないスパイクを履けばそれだけ不利になる。
「あ、あの」
「はい?」
望が手を挙げた。
「足長とかワイズって、何なんですか?」
「あぁ、足長は単純に足の大きさ。ワイズは、ここですね。親指の付け根から小指の付け根までをぐるっと一周したサイズのことで、甲の高さを測る基準になります。お客様の場合、ワイズはCでしたので、他の方と比べるとかなり細いですね」
「それっていわゆる、日本人特有の、幅広・甲高じゃないってことですか?」
「そうなりますね」
やっぱりなぁ、という望の表情。日本人の足の特徴は幅広・甲高。悪く言えばずんぐりむっくりとでも言い表すのだろうか。小鳥遊がそれに該当しないことを確認して、納得しているのだ。だが、
「ですが、最近ではそういう特徴はなくなってきてますし、統計的には日本人は幅広・甲薄だと言われてますよ。よろしければお客様も測ってみましょうか?」
「え、いいんですか?」
「もちろんです」
靴下を履き直している小鳥遊の隣で、望もサイズを測ってもらうことになった。そして実際、望もサイズこそ違えど、小鳥遊と同じ幅狭・甲薄だった。まぁ要は小さいのだ。
「お二人とも特別変わった部分はありませんから、サイズさえ合えばどこのメーカーでもお好きに選んでいただいて大丈夫だと思います。えっと、そちらのお兄さま、は……」
「俺はイイっす。付き添いですんで」
「あ、そうですか。でしたら、また何かありましたらお気軽にお呼び下さい」
可愛らしい女子高生にニコニコしながら接客していた大田さんだが、俺に対しては少しぎこちなかった。この二人と俺の関係性がよくわからないのだろう。兄ではないし、弟ではないし、絶対彼氏ではないし、父親でもない。なら、一体誰なんだろう?
「コウちゃんの言う通り、サイズ測ってよかったね。小鳥遊さん、良さそうなのから試し履きしてみてよ」
「……」
ーー別にどれでもいいって感じだな。
小鳥遊はデザインに頓着がない。だからおっちゃんの言い付け通り、一番高い値段のものを手に取った。それでも子供用なので、八千円くらいだ。安いものだと三千円以下のもある。黒のアシックスで、スタッド(ポイント)は丸型で、HG。断っておくが、ハードゲイではない。
「裏のスタッドの形で動きやすさが変わってくるんだが、まだそんな段階じゃないだろう。HGは硬い土用のスパイクだから、部活するなら合ってるんじゃないか?」
スタッドは丸型、ブレード型、トライアングル型、ミックス型の四種類があり、それぞれ特徴がある。
当たり前だが、サッカーは走ってプレーするものなので、靴裏のスタッドは重要だ。丸型は足への負担がかかりにくく、耐久性に優れている。ブレード型は瞬発的な動きに向いていると言われ、トライアングル型とミックス型は丸型とブレード型の中間的な性能とでも言おうか。だが、小鳥遊はそこまでプレーの特徴が出てきてはいないし、おそらくだが、この子はオールマイティなプレイヤーになる。スタッドの形よりは、どんなピッチに対応しているかに重点を置いた方がいいだろう。
HGは硬く乾いた土用、FGは天然芝、AGは人工芝。小鳥遊が一番プレーするのはどう考えても乾いた土のグラウンドだ。
「これはそうなの?」
「商品名の後ろにアルファベットで書いてあるからな。それでいいなら、あとは足に合うかだけを確認すればいい」
望が久保から借りてきたソックスを小鳥遊に渡す。実際にプレーする時と同じ条件で履いてみないとわからないからだ。小鳥遊がスパイクに履き替えた。立ってみろ、と俺は目で促す。
「踵は収まってるか?」
「うん」
「爪先はどうかな。指が動くくらいの隙間がないとダメなんだよ」
「ある」
「靴紐結んだ時に窮屈だったり、ぶかかったりしないか?」
「してない」
「ならそれでいいだろ」
お買い上げだ。女の買い物は長いものだが、小鳥遊はそうじゃなかったから非常に助かる。俺はベンチで項垂れていた男どもの隣に座らなくて良さそうだ。
「じゃ、あとは練習着だね」
洗濯を回せるように上下と靴下二着ずつ、スパッツやアンダーウェア。あとはレガース(すね当て)を買えば終わり。この辺はサイズを細かく測る必要はないし、小鳥遊が例のごとく適当にパパッと選ぶだろう。と思っていたのだが、何故か望が突然活発になった。
ーー小鳥遊さん、小鳥遊さん。これこれ! これ着てみて! あ、やっぱりこの色似合う! あ〜でもこっちも捨てがたいなぁ。お、お? これも似合うね!! あー、なんでも似合うって罪だわー!
望の小鳥遊をマネキンにしたファッションショーが始まった。吊られているウェアの全てを小鳥遊に当てたり、実際に制服の上から着させたりしている。シャツやハーフパンツ、ソックス、店にある商品全部を使って最高のコーディネートを目指すつもりだ。俺にとっては死ぬほどどうでもいい時間なのだが、小鳥遊が黙ってマネキン役をしていて、さっさと帰るぞとは言いにくい。もしかしたら小鳥遊もオシャレ? を楽しんでいるのかもしれない。下手に急かすと望に怒られるし。
「よーし。まぁこんなものかな!」
結局、望が満足したのはスパイクを選んでから一時間が過ぎた頃だった。途中から付き合い切れなくなった俺は、二人から見えないところのベンチに避難していた。スマフォアプリのオセロをダウンロードして、世界のプレイヤーと何十戦も戦い、勝率七割を達成した。だが、最後の方はすっかり飽きて惰性でポチポチやってただけなので、望と小鳥遊がレジに商品を持っていく時にアプリも消した。
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