パター型と看板娘
「パター型?」
パター型。その名のごとく、ゴルフのパターのように真っ直ぐ後ろに足を振り上げ、軸足と蹴り足の角度を九十度にして蹴るキックだ。軸足をボールの真横に置き、爪先は蹴る方向に向ける。モーションのあらゆる要素がガチガチに「固定」された蹴り方。
「今でもあんまり知られてないがな、パター型には結構色々と欠陥があるんだよ」
日本でパター型が多く普及している理由はいくつかある。だが、それらは全て実戦では真逆に働くのだ。
「確かに、爪先を蹴りたい方向に向けることで、狙ったところに正確にボールは転がる」
ヒヤシンス娘からボール受け取り、わざとパター型で蹴る。俺が経験者だからということもあるが、ボールは一直線に望へと転がった。
「だが、軸足がボールの真横にあることと、爪先が蹴る方向に向いていることのせいで、身体が向いている方向に『しか』蹴れない」
軸足側へ蹴ることを表、蹴り足側へ蹴ることを裏というのだが、パター型はこの二つの蹴り分けが非常に難しい。
「考えてみりゃ当たり前だよな。ボールの真横に軸足があって、真後ろから振りかぶるんだ。そんなやり方で表に蹴ろうとしたら、ボールは軸足に当たってしまう。そして裏に蹴ろうとすれば、自然とガニ股になるしかない」
なら、結局は蹴りたい方向に身体を向けることになる。だが、それだとディフェンスにバレバレだ。ここに蹴ってくると分かれば当然コースを切ってくるし、上手いディフェンダーなら敢えてコースを開けておいて、蹴られた瞬間に動いてインターセプトする。そして蹴り分けが難しいから、そういうディフェンスの動きを見て咄嗟の判断でパスコースを変える、なんてこともできない。
「で、無理にコースを変えようとすると、言ったようにガニ股になったり膝が変に曲がったりして、故障しやすくなる。加えて、真横にあるボールを蹴ることで蹴った後の体重が後ろに残り、パス&ゴーがしにくい」
パター型は狙った方向に正確にボールが転がる。だが、それだけだ。狙った方向にしか蹴れない、故障の危険が高まる、次のプレーへの移行が遅れる。どれを取っても致命的な欠点だ。
では、何故そんな蹴り方が普及してるかと言うと、やはり指導者がパター型唯一の利点である「正確にボールが転がる」ことを優先してしまうせいだ。試合でさっさと使うためには、できるだけ正確なキックができる方がいい。小学校低学年レベルでディフェンスとの駆け引きを要求することはないし、故障の心配もしない。プレースピードも遅いから、蹴った後の動き出しも考えなくていい。初心者を教える指導者が見るのは、その子の数年間だけだ。カテゴリーが上がれば上がるほどパター型の問題点は表出してくるが、それに気づくことはない。
だが、これは一概に指導者側だけの責任とも言い切れない。何故なら、指導者たちも初心者だった頃に同じ指導を受けているからだ。自分たちが教わったことを、善かれと思って子供たちに教えているに過ぎない。
「だから、最初は正面にボールを蹴ることよりも、説明したフォームを意識してくれ。そもそも、真正面を狙ってボールを蹴ることなんて試合中にはほとんどない」
パター型で練習すれば、狙ったところに蹴るという「五十点」まではすぐに到達できる。だが、駆け引きや判断、パススピードなどが要求されるようになってからの伸びが一気に悪くなる。七十点までならともかく、九十点、百点のプレーができるようになることはない。
「あ、理屈っぽくなってしまったな。難しくなかったか?」
ハッとなって我に返った。日本サッカーの欠点なんて素人が解説されても、全然ピンとこないだろう。さらに、ヒヤシンス娘はサッカーにあまり興味がない。グダグダ言われて嫌になってしまったかもしれなかった。
「大丈夫」
だが、ヒヤシンス娘は表情を変えずにそう言った。女子ってこういう男の蘊蓄を嫌がるものだと思っていたから、今回はそれに当てはまらなかったようで安心した。俺のせいで出だしから失敗してたら世話がない。
「狙った場所に蹴るには、体幹の捻りで調整するのがこの蹴り方なんだ。だから慣れるまでは難しいと思う」
どんなスポーツでも、最初は面白くなかったりする。遊びでやって楽しかったから本格的にサッカー教室に通い始めたが、いざやってみると退屈で辞めてしまった、なんて珍しくない。初心者にはどうしたって基礎を学んでもらわないといけないが、基礎練習というのは地味で単調になりがちだ。それを楽しいと思ってもらうには、初心者側の心持ちだけに任せてはいけない。
「よし、次はこのコーン目掛けて蹴ってみてくれ。的当てだ」
だから、練習内容を短時間で変えていく。キックができるようになるという目的はそのままに、色んなやり方を試してみる。中には本人に合った練習もあるだろうし、「やり方」のパターンを教えておけば個人練習の幅も広がる。
俺は自分の隣に、高さ五十センチくらいの赤いコーンを置いた。ヒヤシンス娘からは五メートルほど離れているから、ボール拾いは俺がする。拾ったボールはヒヤシンスのそばにいる望に返す。ついでにトラップ練習をさせる手もあるが、まずはキックに集中してもらいたい。キックとトラップ、どちらを優先するかは指導者によると思うが、俺はキックを優先させた。
ゴツッ。
ガッ。
ゴン。
ガッ。
ーーおいおい。
ヒヤシンス娘は四回連続でコーンに当ててみせた。人に蹴るのと場所に蹴るのとでは感覚が違うからやらせてみたのだが、望にパスしていた時とは打って変わって、全て正確に当ててきた。
「もうちょっと強いキックしてみようか。好きなやり方でいいぞ」
四回のヒヤシンス娘のキックは、コーンに当たっても大して跳ね返らない程度のスピードだったから、球拾いしている俺も楽だった。だが、この程度のキックは彼女には手緩かったらしい。
すると、ヒヤシンス娘が久方ぶりに口を開いた。
「どれくらいの強さで蹴っていいの?」
「え、あー。そうだな」
正確であることは大前提だが、強いキックが蹴れるならそれに越したことはない。速度調整もキックの上手さの内だ。
かつて中田英寿は、受け手が追いつけない速度のパスを出しまくってチームメイトのレベルアップや意識向上を促したらしいが、それに戸惑う者も多かったと言う。
つまるところ、受け手が次のプレーに移行しやすいパスこそが良いパスなのだ。針の穴を縫うようなパスも、目にも留まらぬ速さのパスも、受け手が止めれなければ意味はない。要するに、キックの上手さとパスの上手さは別物であり、ただ闇雲に強いキックを練習すればいいと言うものではない。
「そうだな、とりあえず君ができる最大限の強さで蹴ってくれ」
だが、俺は敢えて精度よりも強さを要求した。単純に、初心者よりも上級者の方が強いキックを蹴れるものだ。今のヒヤシンス娘がどれだけのキックができるのか。それを把握した上で精度を高めていこうと思ったのだ。
この時、俺はヒヤシンス娘のキックがコーンに当たることはないだろうと踏んだ。俺が教えたキックの特性の一つに、踏み込みがあまり必要ないというのがある。それは上級者にとっては非常に利点なのだが、初心者には強いキックをする障害になるのだ。
大して強いボールは転がってこない。なおかつ、正確性も失う。誰しもが思い浮かべる当たり前の光景を想像した。
約一秒後、俺の常識がコーンと同時に吹っ飛ばされた。バコン! と言うコーンの悲鳴に、サッカー部だけでなくソフト部や陸上部も反応する。
「こ、コーンがぁ!」
グラウンドに望の悲壮な声が響いた。少ない部費をやりくりをしている望にとっては、備品全てが我が子のようなものだ。そんな大切なコーンが、砕けてしまったのではないかと思うほどの勢いで後方に飛んでいったのだ。叫びたい気持ちもわかる。
コーンを吹っ飛ばしたのは、ヒヤシンス娘が蹴ったボールだ。的のど真ん中を打ち抜いたボールは彼女の足元に戻って行こうとして、途中で止まった。
「あ、ごめん」
この子も謝るんだなと、そんなどうでもいいことが頭をよぎった。備品を心配する望とは違って、俺は何が起こったのかよくわかっていなかった。
すっかりロンドではしゃいでいた五人が、何事かとこっちを見ていた。
あの後、ヒヤシンス娘はインステップキックを数回で習得し、インフロントキック、アウトフロントキックまでも自在に扱えるようになってしまった。二十メートル離れた俺の足元にカーブをかけたボールをピタリと通してしまった時は、感動よりも目眩を覚えた。僅か一時間程度の練習で、遠藤に匹敵する精度のキックを身につけてしまったのだ。
ーーああ言うのを天才と呼ぶのだろうか。
俺には他人の才能の有る無しなんてわからない。とんでもない奴だと思っていた選手が大学サッカーを二カ月で辞めたり、視界にも入れていなかった奴が今ではプロのスタメンを勝ち取っていたりする。才能なんてものは目に見えないし、手で掴めるものでもない。ましてやそれの塊である天才なんて存在を、俺ごときが見つけられるわけがないのだ。
だがそれでも、あの子が普通ではないことだけは確かだ。店の手伝いをするからと帰って行った背中を、部員たちは未知の生物を見つけたみたいな目で見送っていたし、俺もそうだ。一日経った今も、受けた衝撃が心臓の鼓動を速くしていた。
ーー今日は買い物に行くので、コウちゃんもそのつもりでいてください。
望から届いたメールを睨む。ヒヤシンス娘の用具を放課後に買いに行くつもりらしい。そこに何故か俺もカウントされている。買い物くらいお前らで勝手に行けよ。
と思っていたのだが、これならつまり練習見に行かなくて良いんじゃね? と思い直し、了承の返信を送った。毎日毎日コーチさせられていては、俺の自由時間がなくなってしまう。これを機会に、指導者にだって休みが必要なことをちゃんとわかってもらおう。講義に出たり出なかったりする俺ですら指導というのは大きな負担になる。日々の授業と部活の顧問を両立している教師は凄い。中学時代の顧問の先生は、七時からの朝練と放課後から十九時半までの練習を毎日見てくれていた。あれは本当にありがたいことだったのだと、この歳になってわかった。
今日の講義は午前からの三コマだけだったので、出席だけはしてきた。教授が真面目に喋っているから、俺もゲームしたり友達と談笑したり(友達はいないのでしたくてもできない)はしなかったが、寝ないようにすることばかりに気を割いていた。大学の講義というのは強制されない分、興味がないと本当に面白くない。教授はこの分野のどこが面白くて専攻したのだろうと疑いたくなる。好きなものを語ったり説明したりする時って、普通はもっとイキイキしてるものじゃないのか? 念仏唱えるみたいな口調で教科書を音読されてもちっとも楽しくない。
勉学とは別の理由で疲れた俺は、腹を満たすために「ことりちゃん」へと向かう。大学からチャリで二十分かけてアパートに戻り、駐輪場に置いて徒歩へと移った。
「ちわーす」
「らっしゃい」
十四時ギリギリの「ことりちゃん」は空いている。客は俺だけで、おばちゃんもいなかった。
「焼き魚定食お願いします」
「あいよ」
「ことりちゃん」の厨房を預かるおっちゃんが、渋い声で注文を取ってくれた。おっちゃんの特徴は見るからに職人気質な難しい顔と、干上がった毛髪だ。あまり客と喋ったりせず、黙々と美味い料理を作り続ける。客が俺しかいないから、何となくカウンターに座って、おっちゃんと向かい合うことになった。
「……霧子はやれそうかい」
「まだなんとも」
「そりゃそうだ」
唐突におっちゃんが話しかけてきたが、俺は別に驚かなかった。会話をするのは多分三回目。どれもおっちゃんが前置きもなく話しかけてきたのだが、俺とおっちゃんは間の取り方や言葉選びが似ているようで、窮屈に感じたことは一度もない。その分長く続くこともなく、二言三言で終わる。
娘をよろしく頼むよ、とか。
任せてください、とか。
そんなことはお互い言わない。ヒヤシンス娘はそういう少女ではないし、俺もおっちゃんもそんな柄じゃない。そもそも、おっちゃんは可愛い一人娘を、ただ飯を食いに来てるだけの若僧に託すつもりなど一切ない。それに俺だってあんな規格外な少女の相手をさせられてたまるものか。
「お待ち」
「いただきます」
料理人と客はそれ以上でもそれ以下でもなく、その後は会話もなかった。空になった皿と七百五十円ちょうどをカウンターに残して、俺は店を出た。早朝は霧が出ていたらしいが、そんなものはとっくに晴れている。
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