新入部員



 これから部活である。時刻は十七時。あと二十四時間が八尾たち桜峰サッカー部に残された最後の時間だった。その名はズバリ部活勧誘期間。仮入部期間とも呼称され、その間は学年に関わらずどの部活にも参加して良い。そして期間内、もしくは期間終了とともに正式に部活に入部することになる。だが、この期間は別の側面も併せ持つ。この期間の終了までに試合参加ができる部員数に達しなかった運動部は、自動的に廃部となるのだ。

 なかなか残酷な制度だと思うかもしれないが、実際、桜峰の歴史でこの規則が適用されたり、その危機に瀕したりした部は一つもなかった。サッカー部が最初の事例なのである。だからこそ、学校側は一件目から例外を作ることはできず、サッカー部に対する温情はかけられない。


「はぁ〜〜」


 八尾は百部ほど余ったチラシの山に頭を埋めていた。これは毎朝校門前で部員総出で勧誘活動をしてきた残骸である。一枚でも多くチラシを受け取ってもらおうと張り切って印刷したが、二枚目はともかく、三枚目を受け取ってくれる生徒はさすがにいなかった。一週間も毎朝チラシを配っていれば、すぐに全校生徒に配布することになる。そんな単純なところにも思考が回らないほど、彼女たちは追い詰められていたと言える。

 あと一人。あと一人でいいのだ。この際名前を貸してくれるだけでもいい。だが、進学校である桜峰の中で、部活に入らないことを選択するような勉強熱心な生徒がそんな無意味なことをするはずもなかった。この春に二、三年生が一気に退部したことも悪評になって流れてしまっていたのも痛い。


 今週から公太郎がコーチとして練習を見てくれるようになった。やる気マンマン積極的ではないが、彼なりに考えてやってくれているし、そのおかげで部員たちの士気も上がっている。サッカー部に良い風が吹き始めているのだ。何とかこの流れに乗って漕ぎ出したい。だが、部員が集まらなければ何もかもダメになってしまう。


「くそー。コウちゃんがイケメンだったらなー!」


 詮のないことを口してジタバタする。公太郎がグラウンドに来てくれた次の日に、何人かのクラスメイトが八尾に尋ねてきてくれたのだ。


 ーーあの男の人だれ?


 どんなキッカケでも良いから興味を持って欲しいと思っていたところだったから、「これは」と思った。だが、八尾があの男は自分の従兄弟だと教えると、そこで話は終わってしまった。女子高生とはゲンキンなもので、イケメン以外への食いつきがとことん悪い。

 実は公太郎はよく見ればそこそこの顔立ちをしているのだが、クラスメイトたちは気づいていない。また、それをいちいち説明するのもおかしな話だ。全ては目つきの悪さと似合ってない眼鏡とボサボサ頭のせいで、顔立ちそのものに目が行くまで関心を持ってくれない。それはとても損なことだと八尾は思っているが、あれは恐らくワザとやっている。公太郎は中途半端に興味を持たれて寄り付かれることを嫌っているからだ。


 もし。もし、公太郎が彼の姉と同じくらい見た目に気を使ってくれていたなら、もっと違っていたと思う。八尾のもう一人の従姉妹である「リョウさん」がグラウンドに現れていたら、桜峰はちょっとした騒ぎになっていただろう。

 だが、あの人はあの人で扱いが難しい。そもそも今は従姉妹なのか従兄弟なのか。その時々の気分や嗜好で服装や化粧、立ち振る舞いを変えるあの人は、一介の女子高生である八尾の器量で相手にできる人物ではないのだ。


「うぅ……」


 ホームルームが終わったクラスメイトたちは、部活に向かうなり下校するなり、各々の予定に従っている。部員勧誘に困り果てている八尾を気遣ってくれる者はいない。別に薄情だとは思わない。が、少しくらいは手を差し伸べてくれてもいいんじゃないか。例えば、この余りまくったチラシを一緒にシュレッダーにかけてくれるとか。


「八尾さん」


 そんなことを考えていた最中、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。八尾は咄嗟に、何だろう、ではなく、誰だろう、と思った。何だか聞き覚えのない声だったからだ。隣のクラスの子かな、そう思って顔を上げる。


「これ、誰に渡せばいいの?」


 声の主は、手に持った薄い紙を、「入部届け」をひらひらさせながら、無表情で八尾を見下ろしていた。


 ーーあ。


 本当は八尾は声の主が誰だか知っていた。だが、その「声」が校内で聞けるとは思っていなかったから、一瞬誰だかわからなかったのだ。

 この光景を見て、クラスメイト全員が固まっている。彼女たちの目は同じ感情を映していた。


 ーー信じられない。













 練習行くのやめようかな、と本気で考えていた。コーチになってまだ三日程度だが、普通に面倒くさくなってきた。だって考えてみれば、毎日毎日、夕方から夜にかけて二時間強の時間を自分以外のために費やすのだ。それもボランティアで。大学生にもなればバイトなりサークル活動なりするのは当然といえば当然だが、それとこれとは違う気がする。俺だって決して暇ではない……ことはなく割と暇なのだが、その時間をアクティブに過ごそうと思うような精神構想はしていない。


「ふぅ」


 だが、俺のそんな思考回路は望にはお見通しだったらしい。朝と昼とついさっき、必ず練習に顔を出すようにとキツく釘を刺された。メール、電話、電話。全てを無視することはさすがにできず、ついさっきの電話に出てしまった。


 ーーにしても、何かえらく興奮してたな。


 電話口の望の声を思い返す。嬉しさ半分戸惑い半分といった感じで、もしかたら新入部員が見つかったのかもしれない。もしそうからば、もうしばらくは彼女たちのコーチであり続けることになるやも知れん。

 吸い終えたタバコを携帯灰皿に捨てた。もちろん校内では吸えないし、学校近くも未成年がウロウロしているから、あんまり近くでタバコを吸うのはよろしくない。校門から百メートル以上離れた所で最後の一本を吸っておいた。それじゃあ観念して校内に入るか、と思った時、向こうから駆けてくる望を見つけた。どの段階で俺を見つけたのか、大きく手を振っている。


「おい望! あんま走るんじゃねぇよ」


 望は激しい運動をすると呼吸困難や呼吸不全を起こす可能性がある。専門の医師の元でリハビリをする場合は構わないが、それ以外ではあまり運動をすべきではない。こちらから走って望の元へ向かう。


「こ、こ、こうちゃ、ん! 遅い、よ!」


「落ち着け。ほら深呼吸しろ。吸って、吐いて」


「ふー。はー。ふー。はー」


「……落ち着いたか?」


「う、うん。ありがと」


「んで、何でそんな急いでるんだよ。言っとくけど時間通りだからな」


「あのね、あのね! 新しく部に入ってくれる子がいるの!」


「あー、やっぱそうか」


 望たちの努力が実を結んだらしい。凄く頑張っているのは知ってたし、それが上手く行ったのなら良かったと思ってやれる。


「経験者じゃないよな」


「いいから来て来て! 会った方が早いから!」


「わかったから引っ張るな!」


 俺がそう言っても、望は俺の服を掴んで離さない。よほど嬉しいのだろう。だが、こんな状況はやっぱり注目されるので、勘弁してもらいたい。


 ーーん?


 校内に入ってから周囲に妙な違和感を感じた。なんだ? そう思って見回してみると、その理由はすぐにわかった。グラウンドの方を見ている生徒がたくさんいるのだ。それこそ、何だか不思議なものを見るような視線が四方からグラウンドに注がれている。


「お、来た来た!」


「こんばんは〜。お疲れ様です〜」


「コーチ! こんばんは!」


「はいはいこんばんは。で、何やってんだ。いつもならもう練習始めてるだろ」


 練習好きの彼女たちサッカー部員 が、練習時間になっても部室棟の前に集合している。全員が何だか戸惑っているように見えた。その様子に俺も疑問に近い感情が生まれる。このタイミングで彼女たちが戸惑っているのだとしたら、それは新入部員に対してなのは間違いない。だが、「戸惑う」というのはどういうことか。新入部員が実は、追い詰められて呆けた望の連れてきた猫や犬であったりするのか。


「あ……」


「……」


 一番に俺を出迎えてくれたのは遠藤だった。そのせいで、と言うのは可哀想なので、だからと言うが、彼女の背中で隠れていた新入部員をやっと確認することができた。


「ことりちゃんの、娘じゃねぇか」


「なんか色々ズレてない?」


 そこにいたのは、いつも冷たい無表情と無愛想でありながら、男性客を虜にしている、定食屋「ことりちゃん」の看板娘だった。


「どうも」


 相変わらず声に抑揚はなかったが、俺に向けて軽く会釈はしてきた。部員たちが練習着に着替えている中、彼女だけは制服のままだ。そのヒヤシンスのように洗練された姿に、俺は見惚れてしまった。人の造形を美しいと思ったのは、生まれて初めてだった。

 店以外でヒヤシンス娘を見たのは初めてだったが、望と遠藤が言うように、確かに彼女は美しさは抜きん出ていた。飾りっ気のないジーパンとTシャツとエプロンにも魅力はあったが、やはり女子高生の制服というのは男からしたらブランド物の服よりもインパクトがあった。

 彼女は、ヒヤシンス娘は、桜峰女子高等学校における彼女の容姿は、ちょっと他の生徒たちとは一線も二線も画している。


「あー、えっと」


 いつまでも目を奪われている場合ではない。部員たちが何故か戸惑っていた理由もわかった。何故この子がサッカー部に入ろうと思ったのかが分からないのだ。ヒヤシンス娘の学校生活の様子は俺も少しばかり聞いている。店の手伝い以外のことに興味を持たない彼女が、どうして部活動に参加しようと思ったのか。


「えーと、体験入部ってことかな?」


「いや、入部」


「あ、そう。それはまた、どうして?」


 部員たち、ヒヤシンス娘を除いた部員たちが頷く。この質問したの俺が最初かよ。今まで何やってたんだ。


「栄が、高校では部活しろってうるさくて」


「さかえ……あ、おばちゃんか」


 実の母親を名前呼びだった。


「あの、お店のお手伝いはいいの?」


 横からおずおずと質問したのは望だ。


「いい。手伝いばっかしてないで他のことに時間使えって言われたから」


「普通逆じゃね」


 つまりは、娘を心配したおばちゃんが理由ということだ。まぁ、親からしてみればヒヤシンス娘の行動や言動は不安にも思えるだろう。だが、一見めちゃくちゃにも思える彼女の理由、動機は部員たちにはとても納得できるものだったらしい。戸惑い成分が薄れ、少しずつ「天の助け」とすら思える新入部員を歓迎する空気に変わっていった。

 ヒヤシンス娘の入部のおかげで、サッカー部は廃部の危機から脱したのだ。ギリギリの滑り込みである。今頃になって感慨が湧いてきたのだろう、部員たちが一様に安堵の表情を浮かべていた。


「入ってくれて本当にありがとう。私は久保竜子。一応キャプテンってことになってるわ」


 そして久保が部員たちを代表して感謝の言葉を述べる。両手でヒヤシンス娘の手を取り、固く握った。握り返されてはいないようだが、久保はそんなこと気にしていない。それだけ喜んでいるからだ。


「私たちの名前はどれだけわかりますか〜? 私たちは小鳥遊さんのことは知ってますけど〜」


「八尾さんと、遠藤さんだけ」


 おい、一秒前に自己紹介した久保は、と思ったが、おそらく言わなくてもわかるでしょ、ということだろう。


「そんなら自己紹介からやな。うちは中沢百合子。ゆりって呼んでや」


「私は仲村あん子です〜」


「小西カロリーナ。皆さんからは親しみを込めてカロ子と呼ばれています」


 今度は誰も驚かなかった。本当にカロ子と呼ぶようになったのだろう。


「小鳥遊霧子。よろしく」


 一人一人がヒヤシンス娘と握手をかわす。


「それじゃあ、練習始めましょうか。小鳥遊さんはどうする? スパイクなら貸せるけど……」


「すぱい、く……」


「先輩たちが置いていったり、サイズが合わなくなったりしたのが部室にあるんだ。大丈夫。ちゃんと全部中まで洗ってるから、綺麗だよ。小鳥遊さん、足のサイズは?」


「二十二」


「二十二ならいくつかありましたよ〜。足に合うのを選べますね〜」


「ソックスは……流石に貸せんな。あ、でもアヤは予備の持っとらんかったっけ」


「ロッカーにある。小鳥遊さん、あげるから動きやすい服に着替えてきなよ」


 部員たちは新入部員に早速練習参加してもらおうとしている。サッカーがスポーツとして市民権を獲得した現在は色々と「装備」がある。その内の一つがスパイクであり、ソックスだ。より運動に適した靴と、レガース着用を基本とした怪我の防止としてのソックス。この三つが鉄板だろう。だがまぁ、サッカーなんてボールさえあればどこででもできる「遊び」なのだ。これらが絶対に必要不可欠だというわけではない。


「八尾さん」


 部員たちが着々と新入部員を取り込もうとしている中、その当人が望に話しかけていた。


「うん? どうしたの?」


「すぱいくって、なに?」


 その発言を聞いていたのは、望と俺。そして、キャプテンの久保。予想の斜め上の出来事に、三人して固まってしまった。


 ーーこれは、まさか。


 三人の中で最初に頭が働いたのはおそらく俺だ。まさか、と思ってヒヤシンス娘を観察し、その目を見ることで、俺の予想が的中していることを察した。

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