問題ばかりの選手たち


 むしゃくしゃしたので、タッチ練習を三周やらせてやった。回数は慣れと成長に合わせて増やそうと思っていたのだが、そんなの知るか。目には目を。攻撃には攻撃を。嫌がらせには嫌がらせを、だ。罰ゲームを導入していないだけ優しいと思え。


「コウちゃん大人げないよ」


「大人げないのは大人の特権だからな」


「被扶養者のくせに」


 望の的確なボディブローが刺さる。この手の攻撃は後から効いてくるので、球数くらってはダメだ。


「パスはボチボチだな」


「えー。皆んな上手だと思うけどなー。コウちゃんイジワルで言ってる?」


「意地悪じゃねぇよ」


 評価に私情を挟むほど落ちぶれちゃいない。俺の落ちぶれ方はそれとは少し違うからだ。

 タッチ練習後の半死半生の状態から何とか回復したサッカー部員たちは、グラウンドをめいいっぱい使ってパス練習をしていた。五人で広がって、動きながらパス交換をしている。

 久保のロングパスがやや右に逸れながらもコーギー娘へと飛んでいく。距離にして三十メートルと少しくらいか。シチュエーションによってはロングパスとは表記されないギリギリの距離だろう。コーギー娘の足元でワンバウンドするチップキック気味のパスであり、受け手からするとトラップし辛いボールだ。中途半端に膝や胸の高さまでバウンドされると厄介なので、コーギー娘は敢えて前に踏み出してトラップした。バウンドの瞬間に膝を被せるように足に当てることで、ショック吸収がしやすい。結果としてボールがやや身体から離れすぎたが、いい判断だったと思う。コーギー娘はツータッチ目をすることなく、別の角度で手を挙げているタヌキ娘へのパスを選択した。


「あ! すみません〜」


 だが、そのパスが見当違いの方へ飛んでいってしまった。


「すみません〜!」


 コーギー娘は高めのロングボールではなく、低い弾道の速いパスを狙った。ゴロのパス、ではない。地面スレスレを擦るように一直線に伸びるボールだ。


「あのパス難しいんだよね」


 望がうんうんと二度頷く。サッカーにおける難しいプレーはいくつもあるが、コーギー娘がやろうとしたキックもその内の一つだ。

 これは分類的にはインステップキックに該当する。インステップキックは本来は直線的なパワーと速度を重視したもので、主にシュートや大雑把なロングパスなどで使われる。だが、この特殊なインステップキックは、味方への正確なボール供給を狙ったキックなのだ。


 このキックの特徴は、脚はあまり振りかぶらず、膝下のみの振り幅でミートさせることにある。さらに、普通よりも軸足とボールの距離を離し、身体を軸足側に傾かせる。そして蹴り足の膝をボールに被せるようにし、蹴り足そのものは斜め上から振り下ろす形でキックする。

 こうすることにより、ボールはフワフワと浮くこともブレることもなく、低く真っ直ぐに飛翔し、掠るように地面に触れることで加速していく。僅かにバックスピンがかかっているため芝生のピッチと特に相性がよく、ボールは伸びていくのにトラップはしやすいという見ている側にも爽快感を与えるような美しいキックだ。


 だが、望が言うようにこのキックは非常に難易度が高い。軸足の置き所、ボールに触れる角度や位置、さらには身体の向きや力加減など、様々な要素を完璧にこなさなければ、狙った方にボールが飛ばない。また、さきほどから「蹴り方」を長々と説明してきたが、それは「基準」であり、選手によって最もやり易い「蹴り方」はまるで異なる。

 「ただ狙った場所に蹴る」というだけを目指すにはあまりに難しく、手間がかかる。さらには、コントロールのしやすいインフロントキックやインサイドキックで充分代用が効くし、むしろそちらの方が使い勝手が良く、必要とされるシチュエーションが多いという現実。試行錯誤と試行回数と反復練習が馬鹿みたいに必要なのに、使い所が難しいという、ちょっとどうかと思うキックなのだ。

 

 では何故そのキックをコーギー娘がプレーしたかと言うと、単純に俺がやれと指定したからだ。久保がやったようなループ気味のロングパスと、インフロントキックを使った回転のかかったパス、そして、コーギー娘が挑戦した低い弾道のパス。試合でよく使うキックの技術向上が狙いだが、部員のキックの上手さを見る意味もあった。

 また、このパス練習には、三つの制限を設けてある。一つ、一番近くにいる選手にパスをしないこと、二つ、同じ選手にパスを返さないこと、三つ、自分の欲しい方向を出し手がわかるように示し、動きながらパスをもらうこと。先の二つは練習強度を上げるためと、最後の一つは試合を想定するためだ。試合中のプレーは走りながら行われる。足元にぴったりとボールがくることよりも、追いかけながらだったり、後退しながらのトラップにより重点を置くべきなのだ。


「リュウ行くよー!」


「ダメダメ! 被る被る!」


 また、一つではなく二つのボールを使ってやらせている。周りをよく見てタイミングを合わせることも重要だ。


「おお」


 その時、飛燕の速度でパスがグラウンドを駆け抜けた。それは俺が指定した最も難しい種類のキック。ボールはコーギー娘とタヌキ娘の間を抜け、まるでゴムに繋がれているかのようにぴたりとフラミンゴ娘の足元に収まった。


 ーーすげぇな。


 このパスを出したのは、他でもない遠藤だ。それもマグレではなく、さきほどから同じ精度のボールを何回も蹴り続けている。更に、全てのパスはスペースに動き出している受け手の足元に供給されており、受け手の走る速度とボールの速度を完璧に合わせているのだ。

 はっきり言って、ここまで精度の高いキックができる選手は遠藤の他に見たことがない。何人もの代表クラスの選手のプレーを間近で見てきたが、遠藤のキックは彼らにすら勝る正確さだ。ことキックにおいて、遠藤は信じられないレベルの選手になっている。


 ーーこれは化けるかもしれない。


 遠藤は現時点ではスタミナが足りない。ずっとセンターバックをしてきたから、中盤を走り回る経験をしたことがないのだろう。運動量と、そしてスピード。この二つが大きな課題だが、それさえクリアすれば、かなりの選手になれる。高さがあるのも魅力的だ。フィクションや素人は努力によって練磨した技術を重要視しがちだが、現実問題、やはりスポーツというのは生まれ持った肉体の強さがモノを言う。どんな名監督でも、選手の身長を伸ばすことはできないからだ。


「望、そろそろ休憩入れよう」


 フラミンゴ娘が目安である二十本目のパスを出した。


「それはいいけど、なんで自分で言わないの? あ、もしかして照れてる?」


「違う。俺は毎日来るわけじゃないんだから、練習のペースを見るのはお前の役目だろ」


 キャプテンの久保には練習の統率やモチベーションの維持はやってもらわなくちゃならないが、彼女も一人の選手だ。練習中くらいは自分のことに専念させてやりたい。だから時間や用具の管理はマネージャーである望に任せるのがベスト。望自身もそういったことに慣れてるから、安心して任せられる。


「まーそーだけどさ……。みんなー! 水取ろー!」


「「りょうかーい!」」


 何故か少し不満そうにしてから、望はグラウンドの選手たちに声をかけた。その一瞬の表情を見て、俺の心臓が冷たく脈打った。

 それは、俺が直接指示を出さないことが不満なのか? それとも、マネージャーという「立ち位置」でしかサッカーに関われないことに対するものなのか?

 望だって、できることならボールを追い駆けたいだろう。少し、無神経な発言だったかもしれない。


「ん、なに?」


「いや、何でもない」


 水筒を届けてきた望が、くっと小首を傾げる。昔は用意されていた何本かのボトルを選手たちが飲む、いわゆる回し飲みだったのだが、最近は各自で水を準備するようになった。衛生面を徹底して管理することで、感染病の拡大を防ぐためだ。五人分の水筒が入ったボトルケースは五キロくらいの重さになっているが、望はそれを休憩のたびに選手たちに運んでいる。


「キーパー準備しよっか。二対二やろう」


「わかりました」


 あらかじめ言っていた通り、ここからの練習は久保の指示で回す。どうやらこの練習は、彼女たちの十八番らしい。それにしても、この部のできる最大規模のゲームが二対二というのはあまりに寂しい現実だ。二対二の状況なんて、かなり局地的なスペースでないと発生しない。何を言っても仕方のないことだが、この部でサッカーをしようというのはやはり無茶がある。


 久保とコーギー娘がオフェンス、遠藤とタヌキ娘がディフェンスに分かれる。ペナルティーエリアの外から、望が緩いパスを久保に出したことでプレーが開始された。相変わらずこの人数と距離でもフラミンゴ娘は通常通りのゴールを守っている。別にいいんだけど、キーパー不利すぎるだろ。


「コースコース! 左を切ってください!」


 フラミンゴ娘のコーチングが飛ぶ。左サイドでコーギー娘とタヌキ娘が対峙する。このチームで最もテクニカルな一対一だろう。同年代の女子たちと比べても、かなりレベルの高い攻防だと断言できる。

 セオリー通り、タヌキ娘はコーギー娘の右側を切り、外へと追い込むつもりだ。内股にした脚を前後に開き、腰を低く落とす構えはタヌキ娘の標準姿勢らしい。基礎的なことをきちんと叩き込まれているし、それを無意識にできるまで練習を繰り返した彼女のディフェンスは、固い。そうそう破れるものではないことは、南条大学との練習試合で証明されている。


 ーー対人守備のスペシャリスト。それに毎日挑む、か。


 これは二対二の練習だ。だが、ボールを持つコーギー娘は、すでに目の前のディフェンスを抜き去ることしか頭にない。味方の久保も、ゴールも、シュートコースも見ていない。ただひたすらに、相手を抜き去ることのみ。

 正直言って、俺はドリブラーという人種があまり好きではない。奴らは試合の流れや状況を無視して自分のやりたいことを優先する。ボールをもらう前から、自分一人で相手陣地を切り裂いていくことしか考えていない。そういうプレーはチームに勢いを与えることもあるが、同時にチャンスをふいにする危険性をはらむ諸刃の剣だ。一発逆転が不可能なサッカーというスポーツにおいて、「賭け」をしょっちゅうやられちゃ堪らない。


 コーギー娘が左足でボールを跨ぐ。次は右足。二回シザースをしたが、ディフェンスはピクリとも反応しない。タヌキ娘はボールを奪う気がなく、ボールの動きのみに注意を払っている。いくらシザースやキックフェイントを仕掛けられても、ボールそのものが動いていないのだから、無理に身体を寄せる必要がないという判断だ。

 こういうディフェンスを突破するには、細かくボールにタッチし、相手の軸をぶらさなくてはならない。こちらの動きに体重移動が付いてこれなくなった瞬間を狙うのだ。


「あん!」


 久保がコーギー娘よりも下がってボールを受けようとした。タヌキ娘を突破するのは諦めて、まずは攻撃を立て直す。ディフェンスの遠藤もわざわざ久保に付いて行ったりはしない。タヌキ娘のカバーができつつ、久保にパスが出ればすぐにシュートコースを切りにいけるポジションにいる。

 一瞬コーギー娘は迷った。素直にパスをすべきか、意地を通してドリブルするか。その一秒を経て、やっと久保にバックパスした。


 ーーその一秒が命取りなんだよ。


 両チーム同じ人数でプレーしているし、バックパスなら安全に通る、と思ったら大間違いだ。むしろ試合中は前向きのパスよりも狙われやすい。事実、遠藤は素早く久保にプレッシャーをかけ、右足のコースを塞いだ。本来なら外へ押し出すために左足のコースを消しにいくものだが、久保のスピードで縦に加速されては追いつけないと判断したのだろう。敢えて中を開け、タヌキ娘と挟み撃ちする算段だ。

 久保が左脚にボールを持ち替える。コーギー娘はその間に外へと開き前のスペースを作って再びボールを受けようとした。タヌキ娘もそれを視界の端に捉えている。だが、タヌキ娘の注意が一瞬だけ久保へと向いた。その隙にコーギー娘が一気に斜めに走り出し、裏のスペースにボールを呼び込む。


「っ!」


「ギャップ!」


 スルーパスを出そうとした久保に遠藤が反応する。タヌキ娘もコーチングで遠藤のフォローをしつつ、自身もコーギー娘をマーク。

 その瞬間、久保が左足で切り返した。キックフェイントだ。コーギー娘へのパスではなくドリブルで縦に侵入することを選択したのだ。


 ーーなんで足元にボールを持つかな。


 ドリブル突破の判断は良かった。だが、久保のドリブルは小さく、足元で進もうとしている。

 何故スピードがあるのに、ボールを前に蹴りださないのか。駆けっこをすれば勝つのは久保なのだ。


 加速しきれない久保に遠藤が身体を寄せる。抜き切れない久保はボールを止めてしまった。それでも即座に並行にいるコーギー娘のへ横パス。これでより近い位置でコーギー娘が一対一に入れる。


 が、そのパスをタヌキ娘にカットされた。アイデアのあったパスではなかったし、タヌキ娘の読みの鋭さならカットするのは難しくなかっただろう。

 望にボールを返したことで、この攻防はディフェンスの勝利となった。


「問題ばっかだな」


 当たり前のことだが。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る