走れない選手はいらない
俺が予想していた通り、タヌキ娘は理解が早かった。三十秒でこのゲームの「キモ」を発見し、それに応じたディフェンスをしている。すでに四点を奪われてはいたが、このまま行けば引き分け以上が狙えるかもしれない。初回でこの結果なら上々だと言えるだろう。
「逆サイ逆サイ! あんが来るよ!」
「おっけ!」
コーギー娘の攻撃を、タヌキ娘は素早く回り込むことで牽制した。これでコーギー娘は円の外に戻らなくてはならない。玉砕覚悟で突っ込む選択肢もあるにはあるが、それを選ぶことはほぼ無いだろう。
一方向の攻撃を牽制のみで文字通り退けたタヌキ娘は、今度はフラミンゴ娘に注意を向ける。コーギー娘はまだ円の外まで帰り着けていないので、もう一度仕掛けてくるまでには少し時間がある。それを見越すことで、余裕を持ってフラミンゴ娘への対応に回れた。この瞬間、別方向の二人に対応したことで、三つ目の大きなスペースが出来上がっていた。
だが、そこを突くはずの丹頂鶴娘は、そこにいなかった。ではどこにいるのかと言うと、彼女は円の周りを走っていた。一つ前の攻防でタヌキ娘にタッチされ、ペナルティーとして円一周のダッシュ中なのだ。
「四十秒……」
望が呟く。まだ四点だ。
「五点、め!」
やっとペナルティーを終えた丹頂鶴娘が攻撃に参加したことで、また三対一の状況になった。三人のオフェンスによりコーギー娘がタッチに成功し円外に帰還する。だが、それはフラミンゴ娘を犠牲にした得点だった。タヌキ娘のディフェンスに遭ったフラミンゴ娘は、歯を食いしばりながら円の周り走らされている。
「これ……」
望も、攻撃側と守備側の力のバランスを理解した。それはすなわち、「体力の消耗」である。
残り時間が八秒になった時、タヌキ娘はとうとう六点目を奪われた。するとこの時点で、三人はそれ以上の攻撃を止めた。あと八秒も残っているのに、だ。俺はいい判断だと思う。
「終了〜」
ストップウォッチを止めて望が言う。久保を除いた四人が、ぜぇぜぇ言いながら膝に手をついたり、しゃがみこんだりしている。その中で一番消耗が少なそうなのは、一人で三人を相手にしていたタヌキ娘だった。
「一分半休憩したら次のゲームな。タヌキ娘はボール、攻撃してた三人のうちの誰かがディフェンス」
「一分半ですか〜!?」
「うぇ〜」
「水飲んでもいいぞ」
コーギー娘とフラミンゴ娘の抗議の声を聞き流して、望に時間を計らせる。数秒ロストしてしまったが、そこはオマケでいいだろう。
「ほら位置につけー。よーいスタート」
またまた低体温な俺の合図でゲームスタート。オフェンスは久保と丹頂鶴娘とフラミンゴ娘だ。前のゲームでは立っているだけの地味な役割だった久保が元気いっぱいに円周上を駆ける。その速度はやはり目を見張るものがあった。「五十メートル五秒台」は、サッカーにおける個人の武器の中でも凶器の部類だ。この俊足は守備側からしたら脅威以外のなにものでもないだろう。相対するコーギー娘は圧倒されてもおかしくない。
だが。
「二十秒……。まだ二点だ」
コーギー娘は、チーム内で最もディフェンス能力に長けているタヌキ娘よりもいいペースでゲームを展開していた。
久保が脚力を活かして強引に得点を狙う。久保の能力や性格を把握しているコーギー娘がマークを外しているわけもなく、腕のみを伸ばすことでコースを消した。決して大きくはないが、これも守備側の立派な隙だが、そこを突いてくる者はいなかった。フラミンゴ娘はペナルティー中、そして、丹頂鶴娘はある理由により反応が遅れたことで機会を逸してしまっていた。
「直径十メートルの円周は約三十メートル。五十メートル走七秒の人間が全力疾走したとして、五秒近くはかかる。それも直線であることが前提で、カーブが急な円の周りを走れば、更に時間がかかるだろう」
実際、丁度ペナルティーを負っているフラミンゴ娘はそれだけの時間を食っている。
「要するに、その時間は二対一だ。円の中にいられない、五メートルの距離がある、これらの負荷を背負った攻撃側が得点するのは難しく、また守備側は守りやすい。結果として、オフェンスは三人目の到着を待つことになる。だが、ほぼ全力疾走をさせられた直後の三人目は疲労していて、なおかつ再スタートの位置もバレてる。三対一に持ち込んだとしても、完全に有利とは言えない。それは時間が経てば経つほどに、な」
三十メートル走、そして得点するための五メートルのダッシュとターン、さらに円周上の横移動の繰り返し。短距離と中距離を混ぜ合わせた運動を一分間やり続ける。これの疲労度は、恐ろしく高い。疲労が溜まれば動きは鈍くなっていき、更に自分たちの首を絞める。
それに対して守備側は小さいターンとステップを求められるものの、オフェンスに触れるだけでいいというシンプルさを上手く使えば、小さな牽制だけで守備が成り立つ。疲労が溜まって動きが鈍り、更には攻撃意欲を低下させているオフェンスを抑えることはそこまで難しくなく、疲労度は低い。一対三でどうしても守りきれない時はスッパリと諦めて切り捨て、別の相手にタッチする判断ができればなおさらだ。
「はい終了〜!」
一分経った。久保が意地を見せて三得点し、何とか攻撃側が六点を奪った。だが、それも時間ギリギリだ。
「一分半休憩。水は摂れよ」
この時点で丹頂鶴娘とフラミンゴ娘は死にそうな顔をしている。一分間を二回、たった二分間のゲームだが、息をするのも苦しそうだ。だが、俺が彼女たちに許した休憩は短い。そして、どちらかがもう一度オフェンスに回らなければならない。
この「遊び」は、後になればなるほどディフェンスがしやすい構造になっている。経験や要領の部分もあるが、その根本的理由はただの疲労度だ。ちなみに、久保もあと二回連続でオフェンスである。チームメイトの様子と自分の今の状態を合わせて考えれば、三本目が地獄になるのは必定。
「もっぺん言っとくが、そのうち罰ゲームつけるからな」
そして追い討ちとなるのが、罰ゲームの存在だ。敗北に代償がないのはあと数日だけで、それ以降は負ければ負けるほどキツくなっていく。俺は遊びの罰ゲームと言えど、温情や手加減をするつもりは一切ない。負けるということの意味を恐怖を持って味わうのはスポーツ選手として当たり前だからだ。それに、敗者が成り上がるには勝者の倍の努力が必要だ。それをやらせてあげるのだから、感謝して欲しいくらいだ。
「三本目ー。スタート」
丹頂鶴娘とフラミンゴ娘の間で、二重の意味で譲り合いが行われていたが、その結論を待つことなくゲームを再開させた。咄嗟に守備についたのはフラミンゴ娘だった。卑怯ではない。反応が早かっただけだ。
オフェンスは久保と丹頂鶴娘と、最も体力を残しているタヌキ娘だ。小中大の体力分布だと言える。
「凄いね、この練習」
ちょっと申し訳なさそうにストップウォッチを押した望が言った。
「なにが?」
「だって、守備側は凄く頭使うし、攻撃側は連携とタイミングが大事でしょ。やってること自体は単純だけど、サッカーに大切な要素がいっぱい詰まってるじゃん」
「まぁ、強く否定はしないが」
強く否定はしない。こういう練習が必要な年代、時期は確かにある。
「けど、こんなのほとんど嫌がらせだぞ」
「……え」
必死に攻防を続けている部員たちに聞こえてもおかしくない声で望に答えた。
「そもそもサッカーは手でやるスポーツじゃねぇし。タッチじゃなくてドリブルで持ち帰るとかなら練習にもなるだろうが、どう考えても技術向上する類のやり方じゃないだろ」
「え、えぇ……」
「言っただろ、遊びだって」
これは遊びである。鍛えられる部分ももちろんあるが、練習じゃない。強いて言うなら、俺が初めに言ったように、フィジカル強化には役立つかもしれないが。
「おーい。もっと楽しそうにやれよ」
ーーうるさい。無理に決まってるでしょうが。
久保が流し目で睨んできた。丹頂鶴娘に至ってはランニングの速度にまでキレが落ちていて、オフェンスとして成り立っていない。彼女はどうやら体力面に難があるようだ。ボランチを任せるにあたっての不安要素だな。
ーー走れない選手は、いらない。
現代サッカーで走ることを免除されている選手は世界に一人、至宝、リオネル・メッシだけだ。
三本目のゲームは、俺の認識に反して、割と早い段階で攻撃側が六点を奪った。流石にフラミンゴ娘が疲れきっていたのと、満を持して出てきたタヌキ娘の存在が大きい。久保のスプリント能力を活かすために、徹底的に久保の反対側から攻め込んだのだ。ペナルティー覚悟のオフェンスがいくつもあった。そう、実は攻撃側も「一人を犠牲にする」行為によってオフェンスをやり易くする。攻撃にしても守備にしても、「捨てる」判断が最も大事なゲームなのだ。
「よし。あと二本は休憩二分にしよう」
「それ、でも、二分……ですか」
「試合でも三十秒あれば一点取れるからな」
「わかるような、わからないような理屈ですね〜」
やっと攻撃から解放された丹頂鶴娘が呻く。まだ守備が残っているし、相手は久保、タヌキ娘、そして休憩していたコーギー娘だ。今日の組み合わせの中で、最も攻撃力が高い布陣に、最も疲労度の高い丹頂鶴娘が挑むことになった。その難しさは彼女が一番理解しているだろう。
「あ、あと二本だよ! 頑張って!」
励ましの声をかける望の頬は引きつっている。望の立場からでは頑張ってと言うしかないのだが、言葉にし辛いだろう。仲間たちが死にそうになって取り組んでいる練習は、嫌がらせに過ぎないのだ。少なくとも、それをやらせている俺の認識はそうなのだ。
四本目、体力の限界に達している丹頂鶴娘は、四十秒で六点を奪われた。最速の記録である。流石に相手とシチュエーションが悪かった。後になればなるほど守備側が有利になるとは言ったが、もう少しローテーションのやり方を変えた方が良いな。
最後の五本目。キャプテン久保が守備に回る。身体能力だけならばチーム内で群を抜いている彼女だが、五十秒で六失点した。この練習のテーマである「捨てる」ことが極端に下手だったのだ。どんな角度からのオフェンスもなまじ追いつけそうなため、逆に頭の切り替えが遅くなっていた。ワクワク公園でのフットサルの時も思ったが、どうやらインテリジェンスは足りないらしい。フラミンゴ娘もそのきらいがあるし、チームの最後列と最前線が脳筋なのはちょっとどうなのかと思う。
「終了でーす!」
「あ〜、終わった〜!」
「ぅ……ちょっと吐きそう……」
「大丈夫ですか〜?」
口元を抑えてヨロヨロ歩く丹頂鶴娘の肩をコーギー娘が支える。タヌキ娘はグラウンドに脚を伸ばして座っているし、フラミンゴ娘は水をがぶ飲みしている。
「じっくり休憩してから次に移るから安心して休んでていい。望、ちょっと手伝ってくれ」
「はーい。……次はちゃんとした練習だよね?」
「まるでこの練習がちゃんとしてなかったみたいな言い方だな」
「だってさぁ」
まぁ、フリーランニングだけでは可哀想なので、次はボールに触れさせてあげよう。
「そこにコーン置いて。次あっち。俺はこっちに置くから」
「ここでいーい!?」
「オッケー」
一つのコーンを中心に東西南北四方向に四つずつ、またまた五メートルていど離してコーンを置き、ダイヤモンドの形を描く。俺はボールを一つだけ中央のコーンの位置に置いた。どうやら次の練習の準備が終わったらしいと部員たちは察したらしく、何も言わずとも集まってきた。丹頂鶴娘も吐いてはいない。
「何するの?」
「リフティング」
足元のボールを右足の踵で蹴り、軸足に当てることで胸元まで浮かせた。いちいち手で拾いあげるのが面倒だった、と言うか、ボールを腕で持つ時の俺の癖だった。リフティングの蹴り上げ方はいくつかあるが、その中でもこの方法が一番やり易くて好きだったのだ。昔よりも蹴り上がったボールの高さは低かったが、錆びきっているわけではないらしい。意図などなにもなかったが、タヌキ娘が小さく口笛を吹いた。多分賞賛のつもりだろうが、俺からしてみればそっちの音色の方が何倍もカッコいい。
「んじゃ、君ら五人で仲良く手ぇ繋いで円を作ろう。女子はそう言うの好きだろ」
「別に好きじゃないわよ」
イメージ先行で言ったが、勘違いだったらしい。だが、五人は特に抵抗なく手を繋いだ。俺が高校生だった頃これをやらされた時、チームメイトたちはちょっと嫌な顔をしたものだが。
「はい、番号」
俺が言うと、
「……あ、1」
「え、えっと、2?」
「3です〜」
「4!」
「5で」
久保が数秒遅れて数字を言った。そこから右回りに丹頂鶴娘、コーギー娘、タヌキ娘、フラミンゴ娘と続いた。仲の良いコンビネーションに満足して頷く。
「真ん中のコーンが1。向こうから左回りに2、3、4、5。手を離さず、五人でリフティングしながら俺が支持したコーンまで移動しよう。もちろんボールを落とさずに。コーンと同じ番号の奴がコーンにタッチしたら一点。時間は一分半だから、五点は取ろうか」
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