初練習


「チーム方針、目標設定と言い換えてもいい。君たち個人ではなく、部としてどこを目指すのかを明確にしておこう。短期、中期、長期。何となくの共有ではなく、全員が口に出せるところまで。古くさいが、その辺の壁に貼り付けておいても良い」


 個人の目的と集団の目標は必ずしも一致しない。俺のいた高校でも、プロになりたい奴や、選手権に出てテレビに映りたい奴、ただ単に自分の限界を突き詰めたい奴と、最終的な目的はバラバラだった。そんな自分本位な男子高校生たちがチームとしてまとまっていられたのは、自分たちの部が日本一になるという集団の目標が統一できていたからだ。向いている方向は別々でも、歩く道筋が同じだったことで、推進力に変わったのだ。


「ま、短期目標は一つしかないがな。中期は今年一年、長期は君らの最期の大会までとしようか」


 短期は間違いなく、部の存続が目標になる。つまりはあと一週間だ。そのために部としてすべきこと、個人としてすべきことをする。そこには当然、コーチである俺も含まれる。俺個人は、この部がどうなるかにはあまり興味がない。だが、この集団に肩書き持ちで所属している以上、それに見合うだけの行動が求められる。チーム方針の決定を提案したのもその活動の内ということになるだろう。


「と言うわけで、まずは暫定キャプテン、君はこの一年どうしたい? この部の活動はどうあるべきで、そのために君は何をする?」


 六人の女子高生、俺を含めて七人が集うと、部室の気温が僅かばかり上昇する。春の雨で外気が低くなっているのもあるが、たったこれだけの人数で室温の変化が起きる部室ははっきり言って狭すぎる。少し気をつけて見てみれば、ロッカーも九人分しかなかった。要するに、その程度の環境しか与えられていない部活動なのだ。廃部の危機に追い込まれているのも、人数不足だけが原因ではない。「そういうサッカー部」の一年生キャプテンは、どんな目標を立てるのか。

 久保は組んでいた腕を解き、きりりと背筋を伸ばして胸を張った。


「県大会優勝」


「それはまたなんで?」


「私と綾とあん、ゆりは市総体の優勝は経験した。次はもっと上を目指したい」


「それは、今年の目標なんだな? なら長期目標はどうする?」


 五人しかいない部員の今年、県大会優勝を目指すと言う。無謀だ、とか身の程知らずだ、とかは今は問題ではない。大切なのは目標を立て、全員で目指すことだからだ。


「そんなの決まってるわ」


 久保はくすりと笑って、仲間たちを見回した。仲間を信頼し切ったキャプテンの瞳に、全員がくすぐったそうに笑って拳を突き上げた。


「「日本一!!」」


 俺たちを押し潰すかのように重くのしかかってくる雲を、綺麗さっぱり消し飛ばしてしまいそうなほど軽やかな声だった。その「未来」は、何度も何度も、部の存続を危ぶんで集まる度に、無邪気に夢見て語り合って来たのだのだろう。彼女たちの表情には嘘も冗談もない。どんなに叩かれても折れないしなやかな強さがあった。


「オーケー。元気なのはいいことだ」


 六人と一人から始める全国制覇。沢山の嘲笑を受けながら、それでも行けるとこまで進んでみよう。

 桜峰女子高等学校サッカー部と、コーチとしての俺の初日は雨だった。泥濘むグラウンドをどこまで駆けて行けるか。冬の選手権の冴え渡るような空までの八ヶ月間を、めいいっぱい使い切ってしまおう。





















「遅い!!」


 桜峰の校門前で腰に手を当てている望。ただでさえ丸い頬をさらに膨らませる様子は、俺に雪見だいふくを連想させた。


「五時には学校来てって言ったでしょ!? 今何時だと思ってるの!」


「五時半だろ」


「なんで平然としてるの!?」


 昨日は二月下旬の肌寒さだったのに、今日は一気に五月中旬の暑さにまで気温が上がっていた。異常なまでの気温の変化のせいで俺は朝からすこぶる体調が悪かった。最大気温差が九度とかやってらんねぇ。引きこもりの俺の肉体強度は五歳児くらいなので、急激な環境の変化に対応できないのだ。


「あーもう! 皆んな待ってるんだから! ほらほら急ぐ急ぐ!」


 その道の達人に勝るとも劣らない動きで肘を極められ、そのまま校内へと引きずられる。顔合わせ済みの守衛さんや帰宅中の生徒に注目されているが、望は気にする素振りを見せない。目的地のグラウンドは校門入ってすぐに左へ進めば辿り着ける。


 あーー。


 まず見えてきたのは部室棟だったが、俺の視線はグラウンドのコンディションに向けられた。コンクリートの上の水たまりは全て乾いているが、土のグラウンドだとそうはいかなかったらしい。水分を含んで柔らかくなっているのが遠目に見てもよくわかる。やはりここはかなり水捌けが悪いのだ。だが、そんなバッドコンディションの中でも楽しげに談笑しながらストレッチをする少女たちがいる。俺がこれからコーチをすることになる桜峰高校女子サッカー部の面々だ。各々が似たようなデザインの練習着に身を包み、細い手脚をぐっぐと伸ばしている。


「あ、やぁっと来た!」


 タヌキ娘が一番に俺に気がついて手を振ってきた。グラウンドのほぼ中央を陣取っている部員たちの中で、頭を下げて挨拶してきたのはコーギー娘と丹頂鶴娘の二人だけだった。


「君らど真ん中使ってるのか」


「ここが一番乾いてるし、ソフトは向こう、陸上はグラウンドの周りって決まってるんで」


「ふーん」


 確かに、奥のフェンス付近ではソフトボール部が練習している。だが陸上部の姿は見えなかった。休みなのだろうか。


「それで、今日はどうするの。練習始めるんでしょ」


 何やら長々と「格言」がプリントされた白のTシャツ姿の久保が尋ねてくる。フラミンゴ娘を除いた同じ中学出身の四人は、ズボンやソックス、スパイク以外は統一しているらしい。フラミンゴ娘だけが違う種類の練習着なのは如何なものかと一瞬思ったが、茄子の絵が無数に貼り付けられた長袖シャツを着ていてるのを見て、俺は何も言うべきではないと悟った。


「アップは終わってるのか」


「あなたが遅れた時間分だけやってたわ」


 どうやら俺を待っていたらしい。三十分は流石にやりすぎだが、アップをすることは大切、というか練習のキモになるので、まぁ、いいことではある。だが、彼女たちの勘違いは早めに解いておこう。


「待ってもらっておいて悪いが、俺は基本的に練習メニュー考えたりしないぞ」


「え」


 部員たちの、何を言い出しているんだという視線が刺さる。


「どうすれば上手くなれるかを考えることは大事だからな。君たちの自主性に任せるんだよ」


「……コウちゃん、面倒くさがってるだけじゃない?」


「まさか」


 九割当たりであるが、平気な顔して誤魔化した。俺への不信感を再燃させ始めた部員たちが目の動きだけで会話している。


 ーーやっぱりこいつはダメかもしれない。


「とは言え、あと数日は特殊な期間なわけだし、最初だけ俺がいくつか提示しとこう」

 

 ここから見える校舎の方へ顎をしゃくってみせた。それにつられた部員たちは、教室の中からグラウンドを眺めている存在に気がつく。それは、まだどの部活に入ろうか決めていない一年生たちだ。彼女たちは、ソフト部とサッカー部の様子、雰囲気がどんなものか見学しているのだ。


「先に言っとくが、日本一を目指すなら、技術的なトレーニングよりもフィジカルトレーニングを優先した方が話が早い。カテゴリーが下がれば下がるほど、勝ち負けは身体能力に依存する部分が大きくなるからな」


 田舎の女子サッカーがカテゴリーの上位に位置することはまずあり得ない。技術があとから付いてくるものである以上、強いチームの大前提は、身体がでかいこと、足が速いこと、ぶつかり合いに強いことだ。そこを土台にして初めて、トラップやパス、ドリブルなどの要素が加算されていく。土台が大きければ大きいほど、上に乗っかれる技術が増えるから、結果としてより強いチームが完成する。だから、まずは身体をきっちり鍛えることが勝利への第一歩であり、一番の近道だ。


「だが、この理論で練習すると軍隊みたいなことを延々とやることになり、とにかく楽しくない」


 サッカーをする上での最も大事な要素は、「楽しい」ということだ。それを見失っては何の意味もなくなるし、五人だけの部員がそんな練習ばかりをやらされているのを目の当たりにして、私もサッカーやってみようかな、などと思う者がいるはずもない。さっさと新入部員を獲得しときたい今は、その手の練習は避けるべきである。


「だから、まずは短期目標の廃部回避を達成するために、「サッカー部は楽しいよ」とあそこの連中にアピールして入部してもらうのが先決だ。だから」


 前置きが長くなってしまった。


「遊びを取り入れた「練習もどき」をしよう」


「練習もどき、ですか?」


 あまり聞き慣れない単語に、丹頂鶴娘が長く綺麗な首を傾げる。彼女の口調は敬語に戻っていた。


「そう。望、メジャーはあるか」


「もちろんあるよ」


 用意していた練習用具の中から、メジャーを持ってきてもらう。メジャーと言っても、数メートルを測る用の小さなやつではない。百メートル程度まで伸びるでかいやつだ。


「メジャーが緩まないようにそっち持って立っててくれ」


 望にゼロを持たせ、俺はちょうど五メートルまで引き出し、望を中心に靴底で半径五メートルの円を描く。そして円周上のおおよそ三等分した三箇所に一つずつマーカーを置く。


「久保、ボールを手で持って円の真ん中に立て。それで、コーギー娘と丹頂鶴娘、フラミンゴ娘はマーカーの位置に。タヌキ娘は久保の近く」


 久保以外は全員あだ名なので、少女たちは俺が誰に指示を出しているのか一瞬わからなかったらしい。だが、俺の目線と指の動きで何とか理解し、言われた通りに配置についた。ただ何となくスッキリしない表情はしている。


「周りの三人は久保の持っているボールを手でタッチしに行こう。触れたら一点。逆にタヌキ娘はボールを触らせないようにディフェンスする。ディフェンスのやり方は、円の中に入った三人の身体のどこかにタッチすること。三人はタヌキ娘にタッチされたら、どこでも良いから一番近いマーカーの所まで帰って、そこから円の周囲をぐるっと一周ダッシュ。それが終わればまた攻撃に参加できる」


 円周上に立った俺が軽く、本当に軽く動きを取り入れながら説明していく。一周ダッシュの部分は一メートルだけ歩いて終わらせた。


「最初はマーカーからスタートするけど、それ以後はどこから攻めても良いし、タヌキ娘にタッチされそうになったら円の外に逃げるのもアリだ。ただし、円の中をウロウロするのはダメで、常に円周上にいること。またボールに触れられても帰り際にタヌキ娘にタッチされたら得点は無効。二人同時にボールに触るのもダメ。とまぁ、結構制限があるから、タヌキ娘はその辺も考えてディフェンスしよう。その代わり、タヌキ娘もこの小さい円の中に入れない」


 中心でボールを持つ久保の周囲五十センチ強に円を描く。


「久保は手を伸ばすのはアリだが、脚を前に出すのはダメ。プレイ中はコーチングでタヌキ娘を助けてやれ。ルール説明は以上だ。何かわからないことはあるか?」


「大丈夫よ」


「わかりました〜」


「わかりました」


「オッケーやで」


「完璧です」


 全員がしっかりと返事をしたのを確認する。


「制限時間は一分。三人は六点以上取れたら勝ち。今日はやらないけど、そのうち罰ゲームもつけるから真剣にやれよ」


 俺としては罰ゲームをさせるのが一番の楽しみなのだが、それはまだ我慢だ。部員が入ってきたらこいつらが心底嫌がるようなヤツをやらせよう。そっちの方がスリルも緊張感も出るし。円から少し離れた位置で望と並ぶ。


「点数は俺が数えるから、望は時間を計ってくれ」


「わかった」


「一人一回ディフェンスするまで回そう。そんじゃ、よーいスタート」


 俺の気合いの入っていない掛け声でゲームが始まった。

 三人がタヌキ娘の隙をうかがいながら、円の周りを動く。タヌキ娘も三人ともに対応できるポジション取りをする。だが、360度を守り切るのは不可能で、フラミンゴ娘に背後に回られた。フラミンゴ娘がボールに向かって駆け出す。ゴールキーパーなので今まで気付かなかったが、なかなか足が速い。タヌキ娘が小円を回り込みながらディフェンスに入ると、空いたコースを利用してコーギー娘が飛び込んだ。が、タヌキ娘はそれを読んでいた。フラミンゴ娘にディフェンスに行ったのはフリだけで、素早くターンするとコーギー娘の肩先にタッチした。


「一点目!」


 だが、流石にここまで一方に集中してしまうと、他の守りが疎かになる。二人の様子を観察していた丹頂鶴娘が、危なげなくボールにタッチし円の外へと帰っていった。まずは一点。


「これ、圧倒的にディフェンス不利だよね」


 ストップウォッチ片手に練習を見ている望が言う。他の部員たちとは違い、一人だけ制服のままだ。


「まぁ、そう見えるな」


 一対三の状況で、三人全員をマークすることはできない。必ずどこかに穴が開くことになるから、そこを狙われたら防ぐのは難しい。久保のコーチングも気休め程度にしかならない。だから、ディフェンス側が意識しなくてはならないのは、「どこを捨てることでディフェンスの効率を上げるか」だ。

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